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鬼神と月兎
EP 10
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旅の始まりと、心の棘
夜が明け、森に朝日が差し込む。焚き火の燃えさしを丁寧に土に埋め、手際よく野営の跡を片付けているのはダイチだった。村での生活で身についた習慣なのか、その動きに無駄はない。ユイはその傍らで薬草を整理し、そして、少し離れた大樹の根に腰掛けている龍魔呂は、ただ静かに森の気配を探っていた。
夜の間に襲いかかってきた数体のゴブリンは、ダイチがその存在に気づくよりも早く、龍魔呂によって音もなく始末されていた。彼の守りは、完璧すぎた。
「龍魔呂様、これからどうしましょうか?」
準備を終えたユイが、龍魔呂に問いかける。
「ダイチ様をお救いすることはできましたが、魔王の脅威が去ったわけではありません。それに、ダイチ様がこのまま森で暮らすわけにも…」
「…こいつは戦えん」
龍魔呂は、ダイチの方を一瞥し、事実だけを告げた。
「ここにいても危険なだけだ。ルミナス帝国とやらに送り届けるのが筋だろう」
その言葉には、ダイチを厄介払いしたいという響きと、同時に、最も安全な場所へ連れて行くという、不器用な責任感が同居していた。
「そう、ですね。それが一番です! 聖都ソラリスへ向かいましょう!」
ユイの提案で、三人の当面の目的地が決まった。
旅は、奇妙な均衡の上で成り立っていた。
先頭を歩くのは、常に龍魔呂。彼の圧倒的な気配が、森の魔物たちを遠ざけている。中間で、時折不安げに後ろを振り返りながらも、懸命に前を向くダイチ。そして、しんがりを務め、周囲への警戒とダイチへの気遣いを怠らないユイ。
龍魔呂は、ほとんど言葉を発しなかった。特に、ダイチとは必要最低限の会話さえ避けているようだった。ダイチが勇気を出して「あ、あの…龍魔呂さんの世界は、どんな所なんですか?」と問いかけても、返ってくるのは沈黙か、あるいは「…お前には関係ない」という、短く突き放すような言葉だけ。
その冷たい態度は、ダイチを怯えさせるには十分だったが、ユイには、その奥にある別の感情の「音」が聞こえていた。それは、拒絶ではない。むしろ、何かを恐れるかのような、悲痛な響き。
旅を始めて三日目。三人は、森の中で無残に破壊された小さな村の跡地を発見した。家々は焼かれ、荷馬車は横転している。魔物の仕業か、あるいは盗賊か。生存者の気配はない。
「…ひどい…」
ユイが言葉を失う。ダイチは、その惨状に青ざめながらも、何かを探すように瓦礫の中を歩き回っていた。そして、焼け焦げた家の戸口で、小さな何かを拾い上げた。
それは、半分ほど黒く炭化した、小さな木馬の人形だった。
「…こんな小さな子も、この村にいたんだな…」
ダイ-チは、人形についた煤をそっと指で拭い、悲しそうに呟いた。
その、瞬間。
龍魔呂の身体が、微かに、しかし明らかに強張ったのを、ユイは見逃さなかった。
彼の呼吸が一瞬だけ止まり、その瞳は、ダイチが持つ木馬の人形に、まるで呪縛にでもかかったかのように縫い付けられていた。
(この「音」は…!?)
ユイの耳が、龍魔呂から発せられる、鋭く、あまりにも痛々しい不協和音を捉える。それは、古傷を抉られたかのような、魂の悲鳴。
「…行くぞ」
龍魔呂は、自らを律するかのように、荒々しく短い言葉を吐き捨てた。
「感傷に浸っている暇はない。日が暮れる前に、この森を抜ける」
そう言って、彼は二人に背を向け、足早に歩き出す。その背中は、普段の彼よりも、どこか逃げるように見えた。
ユイは、ダイチの元へ駆け寄ると、彼の肩にそっと手を置いた。
「ダイチ様、今は、龍魔呂様をそっとしておいてあげてください…」
「え…? ユイさん…?」
「あの人は…あの人にも、きっと、色々あるんです…」
ダイチには、何が起こったのか分からなかった。ただ、あの恐ろしく強い人の背中が、ほんの一瞬だけ、とても小さく、そして悲しく見えたことだけが、彼の心に強く残った。
さらに数日が過ぎ、三人はついに広大な森を抜け、整備された街道へと出た。その先には、ルミナス帝国の首都へと続く、雄大な平原が広がっている。
しかし、街道は帝国騎士団によって厳重に封鎖されていた。銀色に輝く鎧を纏い、太陽の紋章が描かれた盾を構えた騎士たちが、鋭い視線でこちらを見ている。
彼らは、街道に出てきた三人の姿を認めると、一斉に槍を構えた。
「止まれ! 何者だ!」
隊長らしき男が、厳しい声で警告する。その視線は、勇者であるダイチを通り越し、その隣に立つ、異様な気配を放つ龍魔呂へと注がれていた。
「その禍々しい気配…魔族の手の者か! 勇者様を離し、武器を捨てて投降しろ!」
問答無用の敵意。正義を信じて疑わない、騎士たちのまっすぐな殺意。
龍魔呂は、その言葉に、わずかに眉をひそめた。
面倒なことになった、と。彼の全身から、再び、あの赤黒い闘気が、陽炎のように立ち上り始めていた。
夜が明け、森に朝日が差し込む。焚き火の燃えさしを丁寧に土に埋め、手際よく野営の跡を片付けているのはダイチだった。村での生活で身についた習慣なのか、その動きに無駄はない。ユイはその傍らで薬草を整理し、そして、少し離れた大樹の根に腰掛けている龍魔呂は、ただ静かに森の気配を探っていた。
夜の間に襲いかかってきた数体のゴブリンは、ダイチがその存在に気づくよりも早く、龍魔呂によって音もなく始末されていた。彼の守りは、完璧すぎた。
「龍魔呂様、これからどうしましょうか?」
準備を終えたユイが、龍魔呂に問いかける。
「ダイチ様をお救いすることはできましたが、魔王の脅威が去ったわけではありません。それに、ダイチ様がこのまま森で暮らすわけにも…」
「…こいつは戦えん」
龍魔呂は、ダイチの方を一瞥し、事実だけを告げた。
「ここにいても危険なだけだ。ルミナス帝国とやらに送り届けるのが筋だろう」
その言葉には、ダイチを厄介払いしたいという響きと、同時に、最も安全な場所へ連れて行くという、不器用な責任感が同居していた。
「そう、ですね。それが一番です! 聖都ソラリスへ向かいましょう!」
ユイの提案で、三人の当面の目的地が決まった。
旅は、奇妙な均衡の上で成り立っていた。
先頭を歩くのは、常に龍魔呂。彼の圧倒的な気配が、森の魔物たちを遠ざけている。中間で、時折不安げに後ろを振り返りながらも、懸命に前を向くダイチ。そして、しんがりを務め、周囲への警戒とダイチへの気遣いを怠らないユイ。
龍魔呂は、ほとんど言葉を発しなかった。特に、ダイチとは必要最低限の会話さえ避けているようだった。ダイチが勇気を出して「あ、あの…龍魔呂さんの世界は、どんな所なんですか?」と問いかけても、返ってくるのは沈黙か、あるいは「…お前には関係ない」という、短く突き放すような言葉だけ。
その冷たい態度は、ダイチを怯えさせるには十分だったが、ユイには、その奥にある別の感情の「音」が聞こえていた。それは、拒絶ではない。むしろ、何かを恐れるかのような、悲痛な響き。
旅を始めて三日目。三人は、森の中で無残に破壊された小さな村の跡地を発見した。家々は焼かれ、荷馬車は横転している。魔物の仕業か、あるいは盗賊か。生存者の気配はない。
「…ひどい…」
ユイが言葉を失う。ダイチは、その惨状に青ざめながらも、何かを探すように瓦礫の中を歩き回っていた。そして、焼け焦げた家の戸口で、小さな何かを拾い上げた。
それは、半分ほど黒く炭化した、小さな木馬の人形だった。
「…こんな小さな子も、この村にいたんだな…」
ダイ-チは、人形についた煤をそっと指で拭い、悲しそうに呟いた。
その、瞬間。
龍魔呂の身体が、微かに、しかし明らかに強張ったのを、ユイは見逃さなかった。
彼の呼吸が一瞬だけ止まり、その瞳は、ダイチが持つ木馬の人形に、まるで呪縛にでもかかったかのように縫い付けられていた。
(この「音」は…!?)
ユイの耳が、龍魔呂から発せられる、鋭く、あまりにも痛々しい不協和音を捉える。それは、古傷を抉られたかのような、魂の悲鳴。
「…行くぞ」
龍魔呂は、自らを律するかのように、荒々しく短い言葉を吐き捨てた。
「感傷に浸っている暇はない。日が暮れる前に、この森を抜ける」
そう言って、彼は二人に背を向け、足早に歩き出す。その背中は、普段の彼よりも、どこか逃げるように見えた。
ユイは、ダイチの元へ駆け寄ると、彼の肩にそっと手を置いた。
「ダイチ様、今は、龍魔呂様をそっとしておいてあげてください…」
「え…? ユイさん…?」
「あの人は…あの人にも、きっと、色々あるんです…」
ダイチには、何が起こったのか分からなかった。ただ、あの恐ろしく強い人の背中が、ほんの一瞬だけ、とても小さく、そして悲しく見えたことだけが、彼の心に強く残った。
さらに数日が過ぎ、三人はついに広大な森を抜け、整備された街道へと出た。その先には、ルミナス帝国の首都へと続く、雄大な平原が広がっている。
しかし、街道は帝国騎士団によって厳重に封鎖されていた。銀色に輝く鎧を纏い、太陽の紋章が描かれた盾を構えた騎士たちが、鋭い視線でこちらを見ている。
彼らは、街道に出てきた三人の姿を認めると、一斉に槍を構えた。
「止まれ! 何者だ!」
隊長らしき男が、厳しい声で警告する。その視線は、勇者であるダイチを通り越し、その隣に立つ、異様な気配を放つ龍魔呂へと注がれていた。
「その禍々しい気配…魔族の手の者か! 勇者様を離し、武器を捨てて投降しろ!」
問答無用の敵意。正義を信じて疑わない、騎士たちのまっすぐな殺意。
龍魔呂は、その言葉に、わずかに眉をひそめた。
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