鬼神と月兎

月神世一

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鬼神と月兎

EP 16

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勇者の作る、ささやかな贈り物
その日の深夜、聖都ソラリスの王城の巨大な調理場に、こっそりと忍び込む小さな影があった。ダイチだった。
彼は昼間、料理長に「故郷の味を思い出したくて…」と健気な嘘をつき、夜間に調理場を少しだけ借りる許可を得ていたのだ。
(ダイヤさんには、いつもお世話になってるし…龍魔呂さんたちにも、ちゃんとお礼がしたい)
豪華だが、どこか冷たい王城の食事。ダイチは、もっと温かいものを、自分の手で作りたかった。彼は手際よく材料を揃えると、故郷の村で母から教わったレシピを思い出しながら、一つのケーキを焼き始めた。甘い香りが、静まり返った調理場にふわりと広がる。それは、この光の都の複雑な思惑とは無縁の、ただ純粋で、優しい香りだった。
翌日の午後。
ダイヤは、自室で山のような報告書と格闘していた。龍魔呂というイレギュラーの出現により、城内の警備体制の見直しや、各所への通達など、彼女の仕事は倍増していた。
コンコン、と控えめなノックの音。
「…入れ」
無愛想に返事をすると、扉からひょっこりと顔を出したのはダイチだった。その手には、簡素な木箱が抱えられている。
「ダイヤさん、お仕事中ごめんなさい」
「…勇者様。何か御用でしょうか」
ダイヤは、書類から顔を上げずに応じた。ダイチは、おずおずと彼女の机に近づき、木箱をそっと置いた。
「これは?」
ダイヤが訝しげに尋ねる。
「あの、いつも僕の面倒を見てくれて、ありがとうございます。ダイヤさん」
ダイチが蓋を開けると、中には素朴だが、とても美味しそうなフルーツのケーキが入っていた。
ダイヤは、その予期せぬ贈り物に、一瞬だけ、鋼の仮面の下の素顔を覗かせた。
「…このようなこと、気になさらずとも…私は任務を遂行しているだけです」
「でも、僕にとっては、ダイヤさんはダイヤさんだから」
そう言って、ダイチは一切れのケーキを小皿に取り分け、フォークを添えてダイヤの前に差し出した。
ダイヤは、しばらくの間、そのケーキとダイチの顔を交互に見ていたが、やがて観念したように、小さなため息をついてフォークを手に取った。
一口、口に運ぶ。
優しい甘さと、フルーツの爽やかな酸味。それは、彼女がこれまで食べてきたどんな宮廷菓子よりも、素朴で、そして、温かい味がした。
「…美味しい」
思わず、心の声が漏れた。それは、騎士団長ではない、一人の女性としての、偽りのない感想だった。
「よかった!」ダイチは、ぱっと顔を輝かせた。「ダイヤさんも、笑うんだね」
「!?」
その言葉に、ダイヤは自分の表情が緩んでいたことに気づき、慌てて顔を引き締めた。
「ゆ、勇者様!? わ、私は決して、職務中に笑ったりなど…!」
「僕はダイチだよ?」
ダイチは、悪戯っぽく笑いながら、ダイヤの顔を覗き込んだ。その無垢な笑顔に、ダイヤはたじろぐ。
「…ダ、ダイチ、様…」
「ねぇ、ダイヤさん」
ダイチは、ここぞとばかりにお願いを切り出した。
「このケーキ、残りを龍魔呂さんたちに渡してくれないかな?」
「そ、それは…!」
ダイヤの顔が、途端に険しくなる。あの男の元へ、自分が届け物を? 宰相からの命令もある。何より、昼間の敗北の記憶が生々しい。
「えっと、それは、その…警備上の問題が…」
「お願いだよ、ダイヤさん」
ダイチは、その大きな栗色の瞳で、ダイヤを上目遣いに見つめた。その瞳には、純粋な信頼と、ほんの少しの甘えが滲んでいる。
「わ、分かりました!」
ダイヤは、顔を真っ赤にして叫ぶように答えた。
「そ、そんな上目遣いはやめてください! か、可愛いすぎます!」
彼女は、自らの心の脆さを振り払うかのように、ケーキの箱をひったくると、足早に部屋を出て行った。
数分後。龍魔呂のいる賓客室の扉が、乱暴にノックされた。
ユイが扉を開けると、そこには、まだ顔の赤みが引かないダイヤが、仁王立ちで立っていた。
「何のつもりだ?」
部屋の奥から、龍魔呂の低い声が飛ぶ。
ダイヤは、ケーキの箱を、まるで証拠品でも突きつけるかのように、テーブルの上にドン、と置いた。
「ダイチ様の!…め、命令だ!」
彼女は、半分ヤケクソ気味に叫んだ。
「あの方が、どうしても貴様らにこれを届けろと、そうおっしゃった! 騎士として、勇者様のご命令を断るわけにはいかないだろう! 私はただ、その役目を果たしに来ただけだ! 感謝しろ! …じゃあな!」
一方的にそれだけ捲し立てると、ダイヤは踵を返し、嵐のように去っていった。
残された部屋には、甘いケーキの香りと、呆然とするユイ、そして、テーブルに置かれたケーキの箱を、面白そうな、それでいて少しだけ困ったような、複雑な表情で見つめる龍魔呂がいた。
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