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EP 26
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黄金の涙と、八ッ橋の味
「よ、よし……やっと、座れるのだな」
ゴルディは緊張で強張った体を折り曲げ、恐る恐る青畳の上の座布団に腰を下ろした。
高級なスーツの生地が擦れる音がする。
しかし、いざ座ってみると、その座布団はゴルディの重量級の体を優しく、ふわりと受け止めた。
「な、何という座り心地か……」
まるで雲の上にいるようだ。
これまで座ってきた最高級の革張りソファとも違う、懐かしく、芯のある柔らかさ。
ゴルディの荒立っていた呼吸が、少しずつ整っていく。
目の前では、飛鳥が釜の蓋を開けていた。
使うのは、ゴルディが持参した「精霊水」ではなく、少女カナヤが手桶で運んできた井戸水だ。
(……何故だ? ワシの水は、王宮でも滅多に飲む事が出来ない名水だぞ? それを袖にして、泥のついた手桶の水を使うとは……)
ゴルディの内心には、まだ燻るものがあった。
しかし、飛鳥が茶筅(ちゃせん)を振り始めると、その疑念は白い泡と共に消えていった。
シャカ、シャカ、シャカ……。
心地よいリズム。立ち上る湯気。
飛鳥の手にかかれば、ただの井戸水が、至高の甘露へと昇華されていくのが分かる。
「お待たせいたしました」
差し出されたのは、鮮やかな緑の抹茶と、独特の形をした菓子。
三角形の生地の中に餡が入っており、肉桂(ニッキ)の清涼感ある香りが漂う。
「『八ッ橋(やつはし)』でございます。どうぞ」
「……頂こう」
ゴルディは作法も分からぬまま、見様見真似で菓子を手に取り、口に運んだ。
モチモチとした生生地の食感。そして鼻に抜ける爽やかな香り。
「ん……!」
続けて、抹茶を啜る。
「美味しい~! お兄ちゃんのお茶、やっぱり世界一だね!」
隣でカナヤが無邪気に声を上げた。
ゴルディもまた、心の中で叫ばざるを得なかった。
(う、旨い……。今まで飲んできた、どこの国の王室の茶よりも……旨い……)
「精霊水」の魔力などない。ただの井戸水だ。
だが、そこには温かさがあった。少女が運び、飛鳥が心を込めた「過程」の味がした。
ゴルディの頑なな心が、雪解けのように溶けていく。
「ほ、本当に旨い……」
「喜んで頂けて、嬉しゅうございます」
飛鳥の微笑みには、商売上の計算も、権力者への媚びもない。
ただ純粋に、目の前の客に喜んでほしいという願いだけがあった。
静かな時が流れる。
ゴルディはふと、隣で足をパタパタさせながら八ッ橋を食べているカナヤを見た。
(なんだ……この心が穏やかに、安らいでいく感覚は)
つい先刻まで、彼はこの少女を「貧しい平民の娘」と見下していた。
自分は選ばれた富豪であり、住む世界が違うと。
だが、今。
この四畳半にも満たない空間で、同じ高さの目線で座り、同じ茶を飲み、同じ「美味しい」という感情を共有している。
(ワシと小娘……雲泥の差が有ると思っていたが、茶を飲む前では同じなのだ)
金貨の枚数も、着ている服も関係ない。
ただそこに、「茶を楽しむ二つの魂」があるだけ。
「美味しかったー! ごちそうさま!」
カナヤが元気よく立ち上がった。
「またね、お兄ちゃん達! おじさんも、またね!」
カナヤはゴルディに向かっても、ニカッと笑って手を振った。
「おじさん」。そこに敬称も蔑称もない。ただの親愛の情。
「……あ、あぁ。またな」
ゴルディは思わず、自然に言葉を返していた。
自分でも驚くほど、優しい声だった。
カナヤは元気いっぱいに駆け出していった。
飛鳥はその小さな背中に向かって、畳に手をつき、深々と頭を下げた。
「また、お待ちしております」
一人の客として、最大限の敬意を持って見送るその姿。
それを見た瞬間、ゴルディの中で何かが弾けた。
(茶の前では……ワシと小娘は、ただの『茶飲み友達』なのだ。そこに上も下もない。……同じ道を行く、同志なのだ)
これまで彼が必死に積み上げ、守ってきた「プライド」という名の壁が、音を立てて崩れ落ちた。
後に残ったのは、晴れ渡るような清々しさだった。
ゴルディは、空になった茶碗を静かに置いた。
そして、その巨体を折り曲げ、畳に額を擦り付けるように、深々と飛鳥に頭を下げた。
「……先生」
震える声が漏れた。
「このゴルディ……貴方様に、人として大切な事を教わりました」
商人としての顔ではない。一人の弟子としての顔だった。
「先生。……どうかこれからも、茶を頂きに来ても宜しいでしょうか」
「はい」
飛鳥は顔を上げ、穏やかな春の日差しのような笑顔を向けた。
「何時でもお越し下さい。……私は誠心誠意、貴方様のためにお茶を淹れさせて頂きます」
飛鳥もまた、ゴルディに対して深々と頭を下げた。
互いに敬い合う、「和敬清寂」の姿がそこにあった。
「……うぅ……」
ゴルディの目から、一筋の涙がこぼれ落ち、畳に染み込んだ。
それは、彼が何十年も忘れていた、純粋な感動の涙だった。
(何と素晴らしい事か……。清々しい、晴れ晴れとした心だ。……ワシは歩んで行けるのだ。この御方と共に、この道を)
金の音ではない。心の音が聞こえる。
商売敵も、損得勘定もない世界が、こんなにも美しいとは。
広場の端で、その様子を見ていたレオナとミーナは、顔を見合わせた。
「……また一人、飛鳥殿に堕とされたな」
「ですね。しかも、あの大富豪が泣いてますよ」
「ふふ。……サバルテにとって、これ以上の利益はあるまい」
二人は温かい眼差しで、新たな茶飲み友達の誕生を見守っていた。
こうして、大陸一の強欲商人ゴルディは、水神飛鳥の最初の「直弟子(自称)」となり、後にサバルテの経済と文化を支える、頼もしきパトロンへと変貌を遂げるのであった。
「よ、よし……やっと、座れるのだな」
ゴルディは緊張で強張った体を折り曲げ、恐る恐る青畳の上の座布団に腰を下ろした。
高級なスーツの生地が擦れる音がする。
しかし、いざ座ってみると、その座布団はゴルディの重量級の体を優しく、ふわりと受け止めた。
「な、何という座り心地か……」
まるで雲の上にいるようだ。
これまで座ってきた最高級の革張りソファとも違う、懐かしく、芯のある柔らかさ。
ゴルディの荒立っていた呼吸が、少しずつ整っていく。
目の前では、飛鳥が釜の蓋を開けていた。
使うのは、ゴルディが持参した「精霊水」ではなく、少女カナヤが手桶で運んできた井戸水だ。
(……何故だ? ワシの水は、王宮でも滅多に飲む事が出来ない名水だぞ? それを袖にして、泥のついた手桶の水を使うとは……)
ゴルディの内心には、まだ燻るものがあった。
しかし、飛鳥が茶筅(ちゃせん)を振り始めると、その疑念は白い泡と共に消えていった。
シャカ、シャカ、シャカ……。
心地よいリズム。立ち上る湯気。
飛鳥の手にかかれば、ただの井戸水が、至高の甘露へと昇華されていくのが分かる。
「お待たせいたしました」
差し出されたのは、鮮やかな緑の抹茶と、独特の形をした菓子。
三角形の生地の中に餡が入っており、肉桂(ニッキ)の清涼感ある香りが漂う。
「『八ッ橋(やつはし)』でございます。どうぞ」
「……頂こう」
ゴルディは作法も分からぬまま、見様見真似で菓子を手に取り、口に運んだ。
モチモチとした生生地の食感。そして鼻に抜ける爽やかな香り。
「ん……!」
続けて、抹茶を啜る。
「美味しい~! お兄ちゃんのお茶、やっぱり世界一だね!」
隣でカナヤが無邪気に声を上げた。
ゴルディもまた、心の中で叫ばざるを得なかった。
(う、旨い……。今まで飲んできた、どこの国の王室の茶よりも……旨い……)
「精霊水」の魔力などない。ただの井戸水だ。
だが、そこには温かさがあった。少女が運び、飛鳥が心を込めた「過程」の味がした。
ゴルディの頑なな心が、雪解けのように溶けていく。
「ほ、本当に旨い……」
「喜んで頂けて、嬉しゅうございます」
飛鳥の微笑みには、商売上の計算も、権力者への媚びもない。
ただ純粋に、目の前の客に喜んでほしいという願いだけがあった。
静かな時が流れる。
ゴルディはふと、隣で足をパタパタさせながら八ッ橋を食べているカナヤを見た。
(なんだ……この心が穏やかに、安らいでいく感覚は)
つい先刻まで、彼はこの少女を「貧しい平民の娘」と見下していた。
自分は選ばれた富豪であり、住む世界が違うと。
だが、今。
この四畳半にも満たない空間で、同じ高さの目線で座り、同じ茶を飲み、同じ「美味しい」という感情を共有している。
(ワシと小娘……雲泥の差が有ると思っていたが、茶を飲む前では同じなのだ)
金貨の枚数も、着ている服も関係ない。
ただそこに、「茶を楽しむ二つの魂」があるだけ。
「美味しかったー! ごちそうさま!」
カナヤが元気よく立ち上がった。
「またね、お兄ちゃん達! おじさんも、またね!」
カナヤはゴルディに向かっても、ニカッと笑って手を振った。
「おじさん」。そこに敬称も蔑称もない。ただの親愛の情。
「……あ、あぁ。またな」
ゴルディは思わず、自然に言葉を返していた。
自分でも驚くほど、優しい声だった。
カナヤは元気いっぱいに駆け出していった。
飛鳥はその小さな背中に向かって、畳に手をつき、深々と頭を下げた。
「また、お待ちしております」
一人の客として、最大限の敬意を持って見送るその姿。
それを見た瞬間、ゴルディの中で何かが弾けた。
(茶の前では……ワシと小娘は、ただの『茶飲み友達』なのだ。そこに上も下もない。……同じ道を行く、同志なのだ)
これまで彼が必死に積み上げ、守ってきた「プライド」という名の壁が、音を立てて崩れ落ちた。
後に残ったのは、晴れ渡るような清々しさだった。
ゴルディは、空になった茶碗を静かに置いた。
そして、その巨体を折り曲げ、畳に額を擦り付けるように、深々と飛鳥に頭を下げた。
「……先生」
震える声が漏れた。
「このゴルディ……貴方様に、人として大切な事を教わりました」
商人としての顔ではない。一人の弟子としての顔だった。
「先生。……どうかこれからも、茶を頂きに来ても宜しいでしょうか」
「はい」
飛鳥は顔を上げ、穏やかな春の日差しのような笑顔を向けた。
「何時でもお越し下さい。……私は誠心誠意、貴方様のためにお茶を淹れさせて頂きます」
飛鳥もまた、ゴルディに対して深々と頭を下げた。
互いに敬い合う、「和敬清寂」の姿がそこにあった。
「……うぅ……」
ゴルディの目から、一筋の涙がこぼれ落ち、畳に染み込んだ。
それは、彼が何十年も忘れていた、純粋な感動の涙だった。
(何と素晴らしい事か……。清々しい、晴れ晴れとした心だ。……ワシは歩んで行けるのだ。この御方と共に、この道を)
金の音ではない。心の音が聞こえる。
商売敵も、損得勘定もない世界が、こんなにも美しいとは。
広場の端で、その様子を見ていたレオナとミーナは、顔を見合わせた。
「……また一人、飛鳥殿に堕とされたな」
「ですね。しかも、あの大富豪が泣いてますよ」
「ふふ。……サバルテにとって、これ以上の利益はあるまい」
二人は温かい眼差しで、新たな茶飲み友達の誕生を見守っていた。
こうして、大陸一の強欲商人ゴルディは、水神飛鳥の最初の「直弟子(自称)」となり、後にサバルテの経済と文化を支える、頼もしきパトロンへと変貌を遂げるのであった。
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