かわいいクリオネだって生きるために必死なの

ここもはと

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第1章

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 日曜日。入学式前日だ。
 大河は、黒にまばゆい光が反射するピカピカのランドセルを背負い、何度も鏡を見た。
 実歩はその様子をほほえましく見ている。

「楽しみ?」
「まあね」
「まあねって。まあいっか」

 まあね、は照れ隠し。もちろん実歩は全部お見通し。クスッと口元にシワを作る。
 そんなとき。ピンポーン。

「ん? かおちゃん?」

 この家は、ピンポンの響きがよく似合う。
 実歩は香織のことを「かおちゃん」と呼んでいる。それだけふたりはなかよしということ。
 ぼくは香葉来ちゃんとあんなふうになかよくできてない。
 大河は母同士のなかのよさをまじまじと見て、自分と比べて落ち込んだ。
 香葉来とわだかまりはうすまったけど、完全に消えたわけじゃない。きやすく名前を呼びあうほど、なかよくない。

「はーい」

 バタバタとせわしなく廊下を駆ける実歩の足音。鍵盤を叩くように家中に響く。
 木目の床が抜け落ちないか不安になる。
 ガララララ。玄関の引き戸をスライド音。
 香織だった場合、「みほちゃーん」とスライドさせる前に呼びかけてくるはず。
「みほちゃーん」がないので、香織じゃない誰かだ。

 大河はランドセルを一旦置いた。リビングから廊下に向けて、ひょこっと顔を出す。
 え? 誰?
 大河は頭上に「?」を浮かべる。
 玄関に現れた人物は、グレーのカーディガンを羽織るこげ茶色をしたショートカットの女性だった。

「突然ごめんなさい。大家の辻です。末岡さんですよね」
「あ、はい。初めまして。ごあいさつにお伺い、できていませんでした。すみません」

 実歩の声には焦りと戸惑いが混ざっている。大家と名乗る辻さんにお辞儀をした。

「かしこまらなくっていいですよ。私の方から仲介業者には『店子さんに気を遣わせないでください』と伝えていたから。たまたま近くに来て。お子さんがいらっしゃると聞いていたのであいさつに伺いたかったんです」

 上品な声。「ほほほ」という笑い声が似合いそう。
 大河は店子の意味はわからなかったけど、実歩が「大家さんは管理会社をやってるから、このおうちはきちっとしてくれてるの」と言っていたから、大家の意味はわかっていた。(何の管理をやっているのかまではわからない)

 クルッと実歩がうしろに向く。こそこそ覗き見する大河、存在は気づかれていた。
 大河はビクッと背筋を伸ばしたと同時に、実歩に「大河来なさい」と余裕のない真面目な口調で呼ばれた。
 大きくうなずき、素直に従う。玄関へ、たーっとダッシュ。
 
 大家はつり上がった目をしているが顔は整っている人。
 髪を真ん中でわけて前髪がないヘアスタイルなので、ハッキリとした顔立ちは目をそらしてもわかる。
 大家は落ちついた人だけど、にこにこ笑みを浮かべていたから、大河は、こわごわとした印象は感じなかった。
 実歩は、大河の頭に手を置く。なでるという感じじゃない。 

「息子の大河です。ほら、あいさつしなさい」

 少し頭の圧が強くなった。うっ。
 やめてよお母さん。小学生なんだからお辞儀できるし、ひとりであいさつもできるもん。

「末岡大河です。6歳です。明日から北小学校に通います。よろしくお願いします」

 けっこう棒読み。しかも硬い。
 大家は中腰になり、にこにこをにっこにっこに強めた。

「大河くんね、初めまして。大家です。おうちのことで困ったことがあれば遠慮なく言ってね」
「ありがとうございます。ほら、大河、お礼」

 お母さん、荒いよ。

「……ありがとう、ございます」
「うふふ。いい人に借りてもらえてうれしいわ。家、古くてキュークツでしょう?」
「いいえ。すごくきれいで、使いやすくて。本当に助かってます」

 大家はさらにフランクになってる。なのに実歩はナーバスだ。
 大河はこのあいだもずっと実歩に頭をおさえられていたものだから、「もうやめてよ」とうんざりしていた。
 すると。
 外から甲高い女の子の声が聞こえてきた。

(おんなじクラスになれたらいいね)
(うん! あたしもまりんちゃんと一緒になりたいよおっ!)
 
 ひとりは香葉来。大河には見せないすっごい元気にはしゃぐ声。
 もうひとりは? はじめて聞く声。
 まりんちゃんって? 誰なの?

 大河の頭上は「?」だらけ。と、大家が外側に振り向き、「まりん」と呼びかけた。
 バタバタバタバタ。
 活発な足音を鳴らす呼びかけを受けた女の子。女の子に手を繋がれた香葉来の姿が視界に入る。
 えっ……。

「まりん、あいさつしなさい」
「はじめまして。辻真鈴です。まりんは真面目の真に、鈴って書いて真鈴です。明日から北小学校に通う1年生です」

 青いロングTシャツと白いスカートを身につけた、髪の長いきれいな女の子。大河は口をあんぐりさせて、女の子をただただ見ていたけれど。自己紹介をされて、ハッと我に返った。

「あ……ええと。えっ……う、うん。ぼ、ぼくは、末岡、大河、です。えっと……大河ドラマの大河で、大河です」
「ふふっ。大河くん、ね」

 大河はぐだぐだボロボロ。もう、軽くパニック状態だ。血液がぐんぐん流れて。顔は燃えて夕焼け。
 女の子に笑われて、名前を呼ばれて……。
 大河ドラマって。バカバカバカバカ! 
 大河はとても恥ずかしい自己紹介をしてしまったことを悔やんで、穴に入りたい気分だった。

 あたふたとボロを出す大河とは対照的に、女の子――真鈴は、堂々とした迷いのない口ぶり。
 大家に似てつり目がちで、大きな二重まぶた。真鈴の目は、うんともすんともブレずに、大河は彼女にじっと見つめられていた。
 ぱっと見、真鈴は大河と背丈が変わらないみたいだけど、シャキッと背筋を伸ばしているから数センチ高く見える。
 大河よりも5センチ背丈が低い香葉来は、真鈴に並ぶと余計に幼く見える。妹みたいだ。

 真鈴の登場で、実歩の緊張はやわらいだ。大河は頭の圧がようやくなくなったと思えば、実歩は中腰姿勢で真鈴に声をかけだした。

「はじめまして真鈴ちゃん。1年生なんだね。大河も香葉来ちゃんもだよ」
「はい。香葉来は知ってます。なかよしです。大河くんも1年生なんですね」

 真鈴は香葉来をちらりと見て、「だよね?」とほほえんだ。香葉来は「うん!」とひまわりのような明るい笑顔を見せる。

「そうなんだ。じゃあ大河ともなかよくしてほしいな?」
「はいっ」

 真鈴は明るくうなずいて、大河に右手を差しだした。
 彼女の左手は香葉来とぎゅっと強くつながれている。
 香葉来は眼球をぐるぐるぐるぐる。せわしなく、真鈴、大河、実歩へと、必死にしゃべっている人を追いかけていた。

 大河は香葉来の普段見せないしぐさや態度にも気を取られていたから、真鈴に「大河くん?」と不思議そうに言われる。

「えっ、あ」

 大河も右手を差しだした。

「よろしくね」

 真鈴はにっこにっこの笑みを浮かべる。大河は思わずアイコンタクトを避けてしまった。
 そして、真鈴の右手が伸びてきて。ついに握手をかわした。
 あったかい……よりも熱い。なんでだろう? ぼくが熱いから?
 大河はうつむき加減だけど、頑張って返事をしようと。

「……よろしく」

 真鈴ちゃん……と言えなかった。
 ずっと真鈴に動揺しっぱなし。

「香葉来ぁー。真鈴ちゃーん」

 気の抜けた香織の声が聞こえた。そして登場。
 せまい玄関の中と外。成人女性三人と子供三人。なんていう人口密度。

「りり社長、火災保険の証書の控え、見つかりましたけど……って玄関でみんな何してるの?

 香織は大家のことを「りり社長」と呼んだ。
 おばさんは大家さんのところで働いているの? ううん、あだ名みたいなのかな。
 と、大河は子供ながらに推測する。
 けれど、香織が入ってきてくれたおかげで、大河の緊張感や恥ずかしさはぐっと薄まっていた。
 りり社長と呼ばれた大家の本名は、里璃子《りりこ》という。

「ええ、ごめんなさい。ちょっと話が盛り上がっていて。では失礼します」

 と、里璃子は実歩にお辞儀をした後、香織の家へと向かって出ていった。

「大河くんも遊ぼうよ」

 大人たちの様子を気にしない真鈴。大河はつながれたままの手を引かれ、なすがままに女子ふたりについていき、しばらく彼女たちと共に行動した。

 香葉来とほぼ同時期に出会った真鈴。
 彼女も、大河の成長期、思春期を共に過ごす切っても切れない縁で結ばれる相手のひとりになるのであった。
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