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第2章
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「あのさ」
大河が、サクサクと音を立てながら白身魚のフライを頬張っていたとき。
箸をもつ手を止めた実歩は眉をひそめ真剣な眼差し。
大河はその視線を一直線に浴びる。軽々しく「何?」なんて返せる感じじゃない。
大河は聞き返す間もなかった。
「もう香葉来ちゃんとなか直りしなさい。親が口出しするのも変だと思うけどさ、あんたもしんどいでしょ?」
それか。
大河は顔をムッとさせる。聞かなかったことにするように、フライを食べる手を止めない。
「もうっ」
もーもーうるさいな。牛かよ。
ごっくん、咀嚼したフライを飲みこんだ。そのあと大河は、わざとゆっくりとした動作で麦茶を飲んだ。
そんな動作も、じっと実歩に見られていて、いい気分じゃなかった。
狭いリビング。視線をテレビに向けると、ローカルニュースが流れている。
どうでもいいニュースだ。
小学5年生が関心あるわけもない。
大河はつまんなくて視線を変えた。そうすると、また実歩の顔。
お母さん、じろじろ見ないでよ。
大河は諦めるようにしぶしぶ口を開いた。
「……別に。どーでもいいし」
とぶっきらぼうに言う。
実歩は間も置かず言葉を返してくる。
「どうでもいいなら、普通にしゃべってあげなよ」
「香葉来のせいだし」
「もう」
また牛かよ。
「香葉来ちゃんはもう腕組んだりしてこないから」
えっ。なんで……。
大河は、実歩に、ひとこともけんかのきっかけを話していなかった。
なのに、すべて知られていた。
そのときの記憶、感触がリアルに蘇る。
大河の顔はじんじん燃える。
きっと、香葉来がおばさんにしゃべって、お母さんに伝わったんだ。
ああ、もー。マジ最悪!
大河は、はずかしさでその場から消えたかった。
さらには、自分の記憶も、実歩の記憶も消したい気持ちだった。
けれど羞恥心の奥では、すぐにでも香葉来となか直りしたいという気持ちがあった。
今日でだんまり期間は8日目だ。
いいことなんかない。
イヤな思いしかない。
ごめん香葉来。嫌いになるぞ、なんて言ってごめん。
ぼくは香葉来のこと、嫌いじゃない。
大河は気持ちを落ち着かせた。それで、自分に素直になった。
「……わかったよ」
ぼそぼそ、口をごもらせながら答えた。
「うん。はいっ、じゃあお母さんはもう何も言わないから」
最後まで牛みたいにもーもー言った実歩は、さっぱりと忘れたように、はずかしい出来事を追求してこなかった。
実歩は顔もさっぱりとすがすがしかった。
大河も、さっぱりすがすがしくなりたい。
明日。明日、香葉来となか直り。なか直り。
この日、大河はあまり眠れなかった。
次の日の朝はもちろん寝不足。
なか直りの言葉は、「ごめん」でいい。そう言ういえばいい。
顔を冷たい水で引き締めて。
よしっ!
と。気合を入れた。
でも。
玄関を出て、顔をあわせた香葉来には、「おはよう」も言えなかった。無言だ。
香葉来はランドセルの肩ひもをぎゅっとにぎりしめて、足をもじもじさせながら歩いた。
遠くから実歩と香織の視線を感じた。
視線を無視して、見られないところまで離れた。
香葉来は、追うように早足でついてきた。
小川沿いの桜の木は、すっかり鮮やかな若葉にコーデを変えていた。
香葉来が好きな色じゃん。マジカルエメラルドの緑。
ふたりは歩いた。無言。だんまり。
あ、とか。え、とか。声すらもない。
バカバカバカ。大河は、自分を罵倒した。
集合場所の公民館まで、あと少しだ。
登校班のみんなと合流すれば、絶対しゃべれない。
ごめんって言えない。
香葉来、なんだか、そわそわしてる。うつむいて。
チラチラの視線。
大河はチラッと一回だけ視線を返す。すると、目があう。
香葉来の黒目がちな瞳は、きょときょと不安定だけど、大河を見ていた。
ああもう! バカ大河!
と。恥ずかしさを、全神経を使い。
大河は止めた。腹をくくった!
「……あの、香葉来……」
頼りなく、ぶるると震えが混ざった大河の声。
香葉来は、ぎょっと驚き。
鉄棒から手を離しピタッと着地する体操選手のように足元をストップ。
大河は戸惑う香葉来に、続けて言葉をかけた。
「あのときは、ごめん。ぼく、香葉来のこと……本当は嫌いじゃないんだ。嫌いになるなんて、言ってごめん……。ごめんね……。だから、なか直りしよ?」
ドクンドクン……ドドッドドドドッ!
大河の胸から鳴り響く、激しいドラム音。スティックが折れそう。
でもなんとか謝れた! ごめんが言えた! やった!
言葉に全力を使ったからか、香葉来の顔なんて見る余裕は一切なし。
大河はずっと自分の足元を、じっと凝視していた。
そして。香葉来の鈴のような声が、久しぶりに。
「……あたしも、ごめんね……」
耳元に響いた。さらに。
「……あたしが腕組みしたのが一番いけないことなのに。ごめんね……? なか直りしたい。大河くんとお話ししたいよ。もうだんまりはイヤだよぉ……」
震えてた。
大河は、香葉来の顔を見た。
季節外れの紅葉だった。大河だってメラメラ燃える紅葉だろうに。
でも……。
「大河くんとお話ししたいよ」
香葉来もなんだ。
大河と香葉来は、なか直りしたいという気持ちはシンクロしていた。
よかった。よかった。なか直りできたんだ!
大河は軽く深呼吸をする。
すぅ、はぁ。よしっ。
「じゃあ……水に流そう?」
「……え? 水って? 川? ゴミは流しちゃダメだよ?」
水面に映る緑を見つめながら、不思議そうな香葉来。
大河は少しクスリと笑いそうになった。
だけど、はずかしさが吹き飛んだみたい。
おかげでちゃんと香葉来の目を見ることができた。
「そうじゃない。ぼくらがけんかしてたことをなかったことにしようってこと。水に流すっていうことわざ」
「ことわざ……。笑う門には福来たるみたいな?」
「うん」
「そっか。だったら、水に流す!」
「うん。水に流した! じゃばばばばばっ!」
大河は大げさに擬音を出す。
香葉来にはなぜか大ウケ。お腹を抱えて目をつぶり、ケラケラと笑い出す。
やっぱり、香葉来とは一緒に笑っていたい。
このところの心のくもりが、完全に晴れた瞬間だった。
「あ、もう時間じゃん! 笑ってられない! 香葉来、走るよ!」
「え? あ、うん!」
大河はとっさに香葉来の左手をつかんだ。
香葉来は少しだけ戸惑った。
腕組みがけんかの原因になったから、ヒヤッとしたのかもしれない。
それでも、わだかまりはなくなった。
香葉来はぎゅっと手をにぎり返してくれた。
たたーっ、たたーっ。軽やかにふたりで走った。
黒と赤のランドセルを上下にゆらしながら。
なかよく。
大河が、サクサクと音を立てながら白身魚のフライを頬張っていたとき。
箸をもつ手を止めた実歩は眉をひそめ真剣な眼差し。
大河はその視線を一直線に浴びる。軽々しく「何?」なんて返せる感じじゃない。
大河は聞き返す間もなかった。
「もう香葉来ちゃんとなか直りしなさい。親が口出しするのも変だと思うけどさ、あんたもしんどいでしょ?」
それか。
大河は顔をムッとさせる。聞かなかったことにするように、フライを食べる手を止めない。
「もうっ」
もーもーうるさいな。牛かよ。
ごっくん、咀嚼したフライを飲みこんだ。そのあと大河は、わざとゆっくりとした動作で麦茶を飲んだ。
そんな動作も、じっと実歩に見られていて、いい気分じゃなかった。
狭いリビング。視線をテレビに向けると、ローカルニュースが流れている。
どうでもいいニュースだ。
小学5年生が関心あるわけもない。
大河はつまんなくて視線を変えた。そうすると、また実歩の顔。
お母さん、じろじろ見ないでよ。
大河は諦めるようにしぶしぶ口を開いた。
「……別に。どーでもいいし」
とぶっきらぼうに言う。
実歩は間も置かず言葉を返してくる。
「どうでもいいなら、普通にしゃべってあげなよ」
「香葉来のせいだし」
「もう」
また牛かよ。
「香葉来ちゃんはもう腕組んだりしてこないから」
えっ。なんで……。
大河は、実歩に、ひとこともけんかのきっかけを話していなかった。
なのに、すべて知られていた。
そのときの記憶、感触がリアルに蘇る。
大河の顔はじんじん燃える。
きっと、香葉来がおばさんにしゃべって、お母さんに伝わったんだ。
ああ、もー。マジ最悪!
大河は、はずかしさでその場から消えたかった。
さらには、自分の記憶も、実歩の記憶も消したい気持ちだった。
けれど羞恥心の奥では、すぐにでも香葉来となか直りしたいという気持ちがあった。
今日でだんまり期間は8日目だ。
いいことなんかない。
イヤな思いしかない。
ごめん香葉来。嫌いになるぞ、なんて言ってごめん。
ぼくは香葉来のこと、嫌いじゃない。
大河は気持ちを落ち着かせた。それで、自分に素直になった。
「……わかったよ」
ぼそぼそ、口をごもらせながら答えた。
「うん。はいっ、じゃあお母さんはもう何も言わないから」
最後まで牛みたいにもーもー言った実歩は、さっぱりと忘れたように、はずかしい出来事を追求してこなかった。
実歩は顔もさっぱりとすがすがしかった。
大河も、さっぱりすがすがしくなりたい。
明日。明日、香葉来となか直り。なか直り。
この日、大河はあまり眠れなかった。
次の日の朝はもちろん寝不足。
なか直りの言葉は、「ごめん」でいい。そう言ういえばいい。
顔を冷たい水で引き締めて。
よしっ!
と。気合を入れた。
でも。
玄関を出て、顔をあわせた香葉来には、「おはよう」も言えなかった。無言だ。
香葉来はランドセルの肩ひもをぎゅっとにぎりしめて、足をもじもじさせながら歩いた。
遠くから実歩と香織の視線を感じた。
視線を無視して、見られないところまで離れた。
香葉来は、追うように早足でついてきた。
小川沿いの桜の木は、すっかり鮮やかな若葉にコーデを変えていた。
香葉来が好きな色じゃん。マジカルエメラルドの緑。
ふたりは歩いた。無言。だんまり。
あ、とか。え、とか。声すらもない。
バカバカバカ。大河は、自分を罵倒した。
集合場所の公民館まで、あと少しだ。
登校班のみんなと合流すれば、絶対しゃべれない。
ごめんって言えない。
香葉来、なんだか、そわそわしてる。うつむいて。
チラチラの視線。
大河はチラッと一回だけ視線を返す。すると、目があう。
香葉来の黒目がちな瞳は、きょときょと不安定だけど、大河を見ていた。
ああもう! バカ大河!
と。恥ずかしさを、全神経を使い。
大河は止めた。腹をくくった!
「……あの、香葉来……」
頼りなく、ぶるると震えが混ざった大河の声。
香葉来は、ぎょっと驚き。
鉄棒から手を離しピタッと着地する体操選手のように足元をストップ。
大河は戸惑う香葉来に、続けて言葉をかけた。
「あのときは、ごめん。ぼく、香葉来のこと……本当は嫌いじゃないんだ。嫌いになるなんて、言ってごめん……。ごめんね……。だから、なか直りしよ?」
ドクンドクン……ドドッドドドドッ!
大河の胸から鳴り響く、激しいドラム音。スティックが折れそう。
でもなんとか謝れた! ごめんが言えた! やった!
言葉に全力を使ったからか、香葉来の顔なんて見る余裕は一切なし。
大河はずっと自分の足元を、じっと凝視していた。
そして。香葉来の鈴のような声が、久しぶりに。
「……あたしも、ごめんね……」
耳元に響いた。さらに。
「……あたしが腕組みしたのが一番いけないことなのに。ごめんね……? なか直りしたい。大河くんとお話ししたいよ。もうだんまりはイヤだよぉ……」
震えてた。
大河は、香葉来の顔を見た。
季節外れの紅葉だった。大河だってメラメラ燃える紅葉だろうに。
でも……。
「大河くんとお話ししたいよ」
香葉来もなんだ。
大河と香葉来は、なか直りしたいという気持ちはシンクロしていた。
よかった。よかった。なか直りできたんだ!
大河は軽く深呼吸をする。
すぅ、はぁ。よしっ。
「じゃあ……水に流そう?」
「……え? 水って? 川? ゴミは流しちゃダメだよ?」
水面に映る緑を見つめながら、不思議そうな香葉来。
大河は少しクスリと笑いそうになった。
だけど、はずかしさが吹き飛んだみたい。
おかげでちゃんと香葉来の目を見ることができた。
「そうじゃない。ぼくらがけんかしてたことをなかったことにしようってこと。水に流すっていうことわざ」
「ことわざ……。笑う門には福来たるみたいな?」
「うん」
「そっか。だったら、水に流す!」
「うん。水に流した! じゃばばばばばっ!」
大河は大げさに擬音を出す。
香葉来にはなぜか大ウケ。お腹を抱えて目をつぶり、ケラケラと笑い出す。
やっぱり、香葉来とは一緒に笑っていたい。
このところの心のくもりが、完全に晴れた瞬間だった。
「あ、もう時間じゃん! 笑ってられない! 香葉来、走るよ!」
「え? あ、うん!」
大河はとっさに香葉来の左手をつかんだ。
香葉来は少しだけ戸惑った。
腕組みがけんかの原因になったから、ヒヤッとしたのかもしれない。
それでも、わだかまりはなくなった。
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