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第3章
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時間にして30秒ほど経ったか。
いやもっと経っているのか。
それともまだ10秒ほどなのか。
体感時間が異様に長く感じているだけかもしれない。
が。真鈴が沈黙を破った。
その声は、その言葉は……
(……そこまで……)
しゅんとしてた。凪。
そこまで……?
声が途切れた。真鈴らしくない。
威勢がない。どうした?
大河は顔を上げようとした。そのとき。
「上げないでッ!」
真鈴の声は一転、はげしい嵐になった。
大河をサンドバッグにみたて、パンチを連打させる。
「抵抗すると大変なことになるから。大河も香葉来も自分たちの家が誰の所有かわかってるよね。私が暴力を受けたって事実が明るみになると、あなたたちは家に住めなくなる。母は一応は、大河と香葉来がまだ私の友達という認識よ。でも本当はあの家を取り壊して新しい建物を建てたいと思ってる。つまり、あなたたちと家族は邪魔。私が大河と香葉来が友達じゃなくなって、大河には暴力を振るわれたと母に言えばどうなるかわかる?」
えっ……?
「……た、立ち退かせるってことなのか……? そんなの……」
「立ち退かせる、ことではないわ。大河は何も知らないのでしょう。実歩さんも香織さんも、家賃にお金をかけたくないっていう考えの人だから母の会社の借家を選んだ。でもあそこはただ古いから家賃が安かったっていうわけじゃないのよ。定期借家契約っていう、期間が決まっている契約をかわしているの。簡単にいえば、期間の終わりがくれば強制的に退去しなきゃいけない。立ち退き料も出ないから、引越しも新しい借家の契約にもお金がかかる。退去を猶予する期間もない。そういう契約だから家賃も安いの。私の友達だからっていう理由で、お情けで再契約を繰り返して住めるようにしてきた。次の契約の満期は大河の家は来年だけど、香葉来は来月よ。だから私は母にこう言う。『大河と香葉来とは絶交した。大河にひどい目に遭わされた。ふたりとも友達じゃないから、契約が終われば退去させてよ』って。母は私を愛している。私が暴力を振るわれた事実を知れば、あなたたちと家族にいい印象は抱かない。結末は見えているわ」
真鈴は淡々と語る。まるで感情がないAI。
そして、大河は初めて知った事実。
契約の種類なんて知らない。知るはずもない。
ただ、「古い家だから安く住める」とは、幼い頃から実歩も香織も言っていた。
真鈴に言われたことは図星だった。
ゆえに大河は、無知で無関心だった自分が腹立たしかった。
真鈴に、完全に足元を見られている。
大河にとって、真鈴の非情な宣告は、暴力以外の何ものでもなかった。
「……そんなの……ありえない……。家に住みたけりゃ、香葉来をいじめろっていうことなのかよ……」
「そうよ」
鬼。
それだけでは終わらない。
「大河は私の言いなりにならないとさらに香葉来は窮地に立たされる。香織さんは母の会社の従業員よ。会社の中での立場も厳しくなる。リストラされる可能性だって」
リストラ……。
おれが真鈴に暴力を振るったせいで、おばさんがクビにされるのか……。
ダメだ! おばさんは関係ないじゃないか!
鬼め! 悪魔め!
大河は顔を上げ、抗議しようとした。
だがその瞬間。
「上げないでッ!」
ふたたび真鈴のはげしい嵐。
それから真鈴の口調は感情的になっていく。
「ねぇ、大河、私の言うこと聞いてよ。私の言いなりにならなきゃ、助かる道はないのよ? 香葉来になんでそこまでこだわるの?」
「……大切な彼女だから……あいつは、おれが守らなきゃダメなんだよ……」
「くだらない」
「……くだらなくてもいい。もうイヤなんだよ……香葉来が矢崎たちにひどいいじめをされた、そんなことはもうあったらダメなんだよ」
「私が言った罰はそこまでひどいものじゃない。全然ない! でも従わなきゃ、もっとひどくなる。決めて。香葉来が家を失い、香織さんがリストラされるか、簡単ないじわるをするだけで終わらせるか」
どっちもイヤだ。大河は真鈴が憎くて仕方がなかった。こんな最悪な二択、答えられるわけがない。
だが、真鈴は攻撃を緩めない!
「決めて! 決めないと私が決めるから!」
もう、従うしかできなかった。
「……わかったよ……いじわる……するから……。おれが……香葉来にいじわるするから……。だから……もうそれ以上のことは……何もしないで……頼むよ」
すべてが終わった。そんな気がした。
大河は声を震わせ、苦渋の二択の結論を出した。
今の大河には、この選択しかできなかった。
ガンガンガンガンする頭痛は、ひどくなりすぎて麻痺していた。
場は、また凪になる。
ザァーザァー。何度目だろう。こうやって雨音がうるさく感じるのは。
「……わかった。明日から実行しなさい」
真鈴の冷たい声。
そのあと、「帰りなさい」と命令をされた。
大河は、ようやく顔を上げることが許された。
急に視界が明るくなって、まぶしかった。目がくらくらする。
目を細め、真鈴を見た。彼女は背を向けて、少しだけ肩を震わせていたように、感じた。
「早く出てってよ」
「……ああ」
大河は素直にその場から退いた。
おれは、これから、香葉来にひどいことをする。
ザァーザァー、ザァーザァー。
この雨はいつ降りやむのだろうか。
いやもっと経っているのか。
それともまだ10秒ほどなのか。
体感時間が異様に長く感じているだけかもしれない。
が。真鈴が沈黙を破った。
その声は、その言葉は……
(……そこまで……)
しゅんとしてた。凪。
そこまで……?
声が途切れた。真鈴らしくない。
威勢がない。どうした?
大河は顔を上げようとした。そのとき。
「上げないでッ!」
真鈴の声は一転、はげしい嵐になった。
大河をサンドバッグにみたて、パンチを連打させる。
「抵抗すると大変なことになるから。大河も香葉来も自分たちの家が誰の所有かわかってるよね。私が暴力を受けたって事実が明るみになると、あなたたちは家に住めなくなる。母は一応は、大河と香葉来がまだ私の友達という認識よ。でも本当はあの家を取り壊して新しい建物を建てたいと思ってる。つまり、あなたたちと家族は邪魔。私が大河と香葉来が友達じゃなくなって、大河には暴力を振るわれたと母に言えばどうなるかわかる?」
えっ……?
「……た、立ち退かせるってことなのか……? そんなの……」
「立ち退かせる、ことではないわ。大河は何も知らないのでしょう。実歩さんも香織さんも、家賃にお金をかけたくないっていう考えの人だから母の会社の借家を選んだ。でもあそこはただ古いから家賃が安かったっていうわけじゃないのよ。定期借家契約っていう、期間が決まっている契約をかわしているの。簡単にいえば、期間の終わりがくれば強制的に退去しなきゃいけない。立ち退き料も出ないから、引越しも新しい借家の契約にもお金がかかる。退去を猶予する期間もない。そういう契約だから家賃も安いの。私の友達だからっていう理由で、お情けで再契約を繰り返して住めるようにしてきた。次の契約の満期は大河の家は来年だけど、香葉来は来月よ。だから私は母にこう言う。『大河と香葉来とは絶交した。大河にひどい目に遭わされた。ふたりとも友達じゃないから、契約が終われば退去させてよ』って。母は私を愛している。私が暴力を振るわれた事実を知れば、あなたたちと家族にいい印象は抱かない。結末は見えているわ」
真鈴は淡々と語る。まるで感情がないAI。
そして、大河は初めて知った事実。
契約の種類なんて知らない。知るはずもない。
ただ、「古い家だから安く住める」とは、幼い頃から実歩も香織も言っていた。
真鈴に言われたことは図星だった。
ゆえに大河は、無知で無関心だった自分が腹立たしかった。
真鈴に、完全に足元を見られている。
大河にとって、真鈴の非情な宣告は、暴力以外の何ものでもなかった。
「……そんなの……ありえない……。家に住みたけりゃ、香葉来をいじめろっていうことなのかよ……」
「そうよ」
鬼。
それだけでは終わらない。
「大河は私の言いなりにならないとさらに香葉来は窮地に立たされる。香織さんは母の会社の従業員よ。会社の中での立場も厳しくなる。リストラされる可能性だって」
リストラ……。
おれが真鈴に暴力を振るったせいで、おばさんがクビにされるのか……。
ダメだ! おばさんは関係ないじゃないか!
鬼め! 悪魔め!
大河は顔を上げ、抗議しようとした。
だがその瞬間。
「上げないでッ!」
ふたたび真鈴のはげしい嵐。
それから真鈴の口調は感情的になっていく。
「ねぇ、大河、私の言うこと聞いてよ。私の言いなりにならなきゃ、助かる道はないのよ? 香葉来になんでそこまでこだわるの?」
「……大切な彼女だから……あいつは、おれが守らなきゃダメなんだよ……」
「くだらない」
「……くだらなくてもいい。もうイヤなんだよ……香葉来が矢崎たちにひどいいじめをされた、そんなことはもうあったらダメなんだよ」
「私が言った罰はそこまでひどいものじゃない。全然ない! でも従わなきゃ、もっとひどくなる。決めて。香葉来が家を失い、香織さんがリストラされるか、簡単ないじわるをするだけで終わらせるか」
どっちもイヤだ。大河は真鈴が憎くて仕方がなかった。こんな最悪な二択、答えられるわけがない。
だが、真鈴は攻撃を緩めない!
「決めて! 決めないと私が決めるから!」
もう、従うしかできなかった。
「……わかったよ……いじわる……するから……。おれが……香葉来にいじわるするから……。だから……もうそれ以上のことは……何もしないで……頼むよ」
すべてが終わった。そんな気がした。
大河は声を震わせ、苦渋の二択の結論を出した。
今の大河には、この選択しかできなかった。
ガンガンガンガンする頭痛は、ひどくなりすぎて麻痺していた。
場は、また凪になる。
ザァーザァー。何度目だろう。こうやって雨音がうるさく感じるのは。
「……わかった。明日から実行しなさい」
真鈴の冷たい声。
そのあと、「帰りなさい」と命令をされた。
大河は、ようやく顔を上げることが許された。
急に視界が明るくなって、まぶしかった。目がくらくらする。
目を細め、真鈴を見た。彼女は背を向けて、少しだけ肩を震わせていたように、感じた。
「早く出てってよ」
「……ああ」
大河は素直にその場から退いた。
おれは、これから、香葉来にひどいことをする。
ザァーザァー、ザァーザァー。
この雨はいつ降りやむのだろうか。
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