ワンピースを脱がさないで

並河コネル

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第二十八話 禁句

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 年が明け、明日香の渡英は二月二十日と正式に決まった。

 早川への業務の引き継ぎ、先に英国入りした鈴木とのやり取り、関連する書類の手配と公的機関への届け出、英国での住居の選定など、やることは山ほどあった。
 それに加え、英会話の特訓と引越しの準備もあり、明日香は寸暇を惜しんで動き回っていた。
 
 それでも、土曜の夕方以降は大輔との時間にたっぷりあてた。
 いくらお互い頻繁に行き来しようと約束していても、寂しいものは寂しい。出来る限り彼との時間は確保するように、努力していた。

 ◆◆◆◆

 大輔のマンションのベッドルーム。
 明日香を抱いていた大輔が、彼女の上から離れ、使用済みのコンドームを外した。
 中身がこぼれないよう口を縛り、ティシュに包んでダストボックスに放り投げる。

 明日香が伸ばしてきた手を握り、彼は彼女のとなりに横たわった。
「愛してるよ」
 彼女の頬に手を添えてキスをする大輔。明日香は彼の首元に絡みついた。

 呼吸を整えながら黙っていた大輔だったが、暫くすると、目を瞑ったまま彼女に質問を投げてきた。 
「明日香、実家にはいつ帰るの?」
「実家? 帰らないよ。なんで?」
 大輔の首筋に唇を当てながら答える。

「お正月にも帰らなかったじゃないか。いつ実家に報告するの?」
「報告? もうちょっとしたら電話するよ」

 明日香の返事を聞いて、彼はようやく目を開いた。
「海外に暫く住むことになるんだよ。電話なんかで済ませちゃ……」
「大袈裟だなぁ。『イギリスなんて、飛行機に乗ればあっという間』って言ったの、大輔さんでしょ」

 彼女が父親を嫌悪していることは、大輔も薄々勘付いている。
 しかし大輔としては、このまま黙って見過ごすことは出来なかった。

「明日香。俺はね、明日香とお父さんとの間に、何があったかは知らないよ。だから、無理に仲良くしろとは言わない。でも仲良くしないのと、縁を切るのとは話が違う。ケジメはちゃんとつけないとダメだ」
 極めて淡々と明日香を諭す。

 明日香は彼に絡ませていた腕を解いた。
 でた。説教モード。
 真剣になればなるほど、彼は冷静な口調になる。

 理路整然とした論調。
 有無を言わせない空気。
 しかし、今回は簡単に引き下がるわけにはいかない。

「大輔さんは家族と色々あったから、そう思うんだろうけどね。うちはうちなの。その家族家族で、事情が違うの。そのぐらい、大輔さんだってわかるでしょ?」
 
 明日香は実家と父親のことになると、どうしても平常心でいられなかった。
 自分を否定した父親と、旧態依然としたあの世界。
 二度と戻るものかと、就職した時に心に誓ったのだ。

 大輔はいったん口を閉ざしたが、思いついたように弾んだ声を出す。
「そうだ、わかった。俺と一緒に行こう」
「……え?」
「明日香と付き合ってるんだし、ご両親にも挨拶しようって、前々から思っていたんだ。いい機会だから、明日香のリーズの報告のついでに、俺も挨拶に行くよ」

 名案だと言いたげな大輔。
 うんざりした面持ちの明日香。

 彼を父さんに会わせる?
 冗談じゃない。
 どうせ父さんのことだから、開口一番、「珍しく帰ってきたと思ったら、男連れか。海外なんかフラフラ行ってる暇があったら、さっさと戻ってこい」と言うに違いない。

 弥生も思うように離婚が進んでないみたいだし、周りに当たり散らしていると母さんが言っていた。やっかみ半分に「おねえちゃん、いつからオジ専になったの?」などと、失礼なことを言い出しかねない。
 
「良いよ。そんなことしなくて」
「明日香は両親に、俺のこと内緒にしておきたいの?」
「そんなんじゃないよ」
「俺と付き合ってるって、恥ずかしくて言えないの?」
「そんなこと言ってない!」

 彼があまりにしつこいので、明日香はだんだん苛々してきた。
 大輔から離れて、布団を頭から被る。

「明日香。真面目に言うけど、俺は君と、結婚を前提に付き合ってるつもりだよ。明日香はそうじゃないの?」
 
 明日香は暗闇の中で固まった。
 とうとう、きた。
 ハッキリ「結婚」って言ってきた。

 なんでこのタイミングなんだろう。
 もっと早く言ってくれたら、リーズ行きも考え直したかもしれないのに。

 いや違う。彼はわざと言わなかったんだ。
 言ったら、私がリーズを断念すると思ったから。

「……私だって、そうだよ」
 布団の中から、精一杯の返事をする。

「じゃあ、ちゃんと挨拶しに行かせてよ」
「それって、今じゃなきゃダメ? リーズから戻ってきてからにしない?」
 布団から目だけ出して返事をする彼女に、大輔は口をつぐんだ。

「私ね、立つまでの間に、やっておきたいことが沢山あるの。空いた時間に友達にも会っておきたいし、英会話にも通っておきたいし」
「……」
「あ、でも安心して。大輔さんと会う時間は、絶対に他の予定は入れないから。最後のすいもくも、ちゃんと空けておくし」

 明日香がリーズに立つ直前の水曜日、彼が壮行会を開いてくれることになっている。翌木曜日は二人揃って休暇を取り、日本での最後のセックスを堪能するつもりなのだ。
 とはいえ、五月に大輔がリーズに来ることが既に決まっているので、さほど仰々しく名残惜しむ必要はない。

 彼女が一方的に話し終えると、大輔は彼女の顔を覗きこみ、宥めるように語りかける。
「わかったよ。俺が挨拶するのは、明日香が戻ってきてからでも良い。でも、俺や友達と会う時間なんか割いてでも、親にはきちんと会っておかなくちゃダメだ。就職してから、一度も戻ってないんだろう? いい機会だから、ちょっとだけでも顔を出しておいで。ご両親だって明日香のことを……」

 明日香は彼の言葉を強引に遮った。
「大輔さん、さっきからずっと、親のほうの立場で喋ってる。私の都合や気持ちなんか、どうでも良いんだ」
「違うよ。俺は明日香に、俺と同じ目に遭って欲しくないから……」

「そっか。良く考えてみたらさ、大輔さんは、私よりも親のほうが年が近いんだよね。だから、親のほうの肩を持つんだ」
 彼女の一言に、大輔は表情を強張らせた。

 しまった。
 年のこと言っちゃダメって、暎子に言われていたのに。
 どうしよう。怒ったかな。

 大輔は仰向けになって、掌で顔を覆った。
「……ごめん。ちょっとしつこかったね。明日香にも事情があるのに、一方的に自分の意見を押し付けてた」

 彼がようやく折れたので、明日香は安堵の溜息をついて彼にすり寄った。
「ううん。わかってくれれば、それで良いの。私もキツイ言い方して、ごめんね」

 大輔は暫く、黙ったままだった。
 天井の常夜灯を見つめたまま、微動だにしない。

「大輔さん?」
 気になって、少しだけ彼の顔色を窺う。

 視線を動かさず、口だけを開く大輔。
「壮行会の件だけどさ。折角だから、和食にしようと思ってるんだけど、良い?」
「う、うん……」
 
 明日香のほうに顔を向け、彼は薄い笑顔を見せる。
「浦和あたりで店探して、予約いれておくよ」
「うん。ありがとう。お願い」
 いつもの調子に戻ってきた大輔に、緊張を解く。

 彼の胸に埋もれるようにして、明日香は目を瞑った。
「なんだか疲れちゃった。もう寝ましょ」
「あぁ、そうだね。おやすみ、明日香」
「おやすみなさい、大輔さん」

 会話はそこで終わり、明日香は眠りについた。
 大輔はいつまでも、オレンジ色の天井を眺めていた。
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