所詮俺は、彼女たちの性の踏み台だった。

並河コネル

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第一章 星野恭子

第二話 あなたは損をしている

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 大輔が在籍する法学部の学部棟は、キャンパスの西側にそびえる六号館である。
 その左右には経済学部の七号館、商学部の五号館が並び、それら三棟の南側に大教室棟・八号館が鎮座している。

 その八号館に、大輔の姿があった。
 必修科目は受講生が多いため、授業は八号館で行われる。まだ入学式から間もないということもあり、出席率はかなり良い。五百人ほど収容できる教室の座席は、ほぼ埋まっていた。

 授業が終わり、周囲のクラスメイトの流れに乗るように大輔も席を立つ。
 通路を上って出口に差し掛かったところで、背後からシャツの裾を引っ張られた。

 驚いた大輔が振り返ると、そこには茶髪の男、五十嵐が立っていた。
「よおっ! 久しぶり!」
 呑気に挨拶する五十嵐。

 テンション高めの茶髪男の登場に、大輔のクラスメイトが怪訝そうな顔をする。
「……誰?」
「サークルの……友達」
 きまりが悪そうに答える大輔。

「……菅原、サークル入ってたんだ」
「いや、そうじゃないんだけど……ごめん。先行ってて」
 拝むように手を合わせる大輔を見て、面々は教室から去っていく。

 彼らの姿が見えなくなると、大輔は眉間に皺をよせて五十嵐に詰め寄った。
「なんだよ急に」

 五十嵐はデニムパンツのポケットに手を突っ込むと、行儀悪く机に腰かけた。
「『なんだよ』じゃないだろ。お前全然、サークルに顔出さないじゃん」
「……俺、入るって言ってないけど」
「冷てぇなぁ。お前が来ないと困るんだよ。あのあと男も何人か入部したんだけどさ、全員文学部の連中で。法経商こっちの学部、誰もいねぇんだよ」
「そんなこと知るか」

 吐き捨てるように言う大輔に、五十嵐は悪戯っぽい表情を見せる。
「悪いこと言わないからさ、サークルに顔出せって。さっきの連中、語学クラスの友達だろ? いかにもって感じの奴らだよな。あんなのとばっか付き合ってたら、息が詰まるだろ? 折角大学生になったんだから、もっと青春を謳歌しようぜ」

 サムアップする彼に、大輔が目を剥く。
「そうだ。良く考えてみたらお前、経済だろ。なんでこの教室に居るんだよ」
「必修なら居るだろうと思って、教室調べて潜りこんだ」
「……ストーカーかよ」
 呆れ顔の大輔だったが、どこか嬉しくもあった。

 小さい頃から読書が好きで、勉強も嫌いじゃなかった。
 必然的に家や図書館に籠るようになり、友達は出来たが、親友と呼べる人間は一人も出来なかった。

 学校の成績は常にトップクラス。
 公務員の父は「将来は国家公務員だ」と期待してくれた。自分自身もそれを希望してこの大学の学部学科を受験したが、こともあろうに不合格。
 姉も私立大学を出ており、財政的に逼迫していた菅原家だったが、「将来への投資」だと言って両親は浪人を認めてくれた。

 そしてようやく掴んだ、憧れの大学生活。
 こうやって、自分を必要としてくれる友達も出来た。

 大輔はニヤけた口元を隠そうと、指先で鼻をこすった。
「わかったよ。だったら今度、木曜日に参加するよ」
「木曜? あー、ごめん。木曜は俺、剣道なんだ」
「剣道?」
 大輔は目を丸くしながら、彼の頭の天辺から足の爪先までを、マジマジと見つめる。

 身長は百七十後半といったところで、骨太というか、体幹がシッカリとしている。
 そのせいか、身長は大差ないのに、自分より二回りほど大きく見える。所謂スポーツマン体型だ。

「俺、剣道サークルに入ってるんだ。木曜は全体稽古だからサボれなくてさ。水曜にしてくれると有難いんだけど」
「……別にいいけど」
「やった! 恩に着るよ」

 本当は、講師が来るという木曜日に行きたかったが、まぁいい。
 逆に木曜に行ったら、あの女が「してやったり」と、つけあがるかもしれない。これで丁度良いだろう。

 ****

 多少は覚悟していたが、水曜日はビックリするぐらい、英会話の「え」の字も行われなかった。

 生協で買ったお菓子やジュースを持ち寄り、好きなもの同士をする。
 恭子は居らず、参加しているのは一年と三年のみ。途中で一人女性が入ってきたが、面子を見渡すと直ぐに出ていってしまった。

 大輔は「五十嵐との交流を深めるため」と割り切って参加したが、三年生の女性グループがヒソヒソと話す声が聞こえて、不愉快になった。

 彼女たちの話の要約は、こうであった。
『星野恭子は、体で男を釣っている』
『付き合ってすぐに寝て、エッチが気に入らないとあっさり捨てるらしい』
 とどのつまり、彼女の悪口であった。

 あのなら、同性の妬みを買っても不思議じゃない。
 自分に対しても躊躇なく手を握ってきたし、勘違いして接近する男も少なくないだろう。

「やだやだ。モテない女の僻み」
 五十嵐が大輔に耳打ちする。

 モテないかどうかはさておき、英会話の時間にこんな下世話な噂話に興じる女は、自分もどうかと思う。
 
 その後も上級生たちは、一向に英会話を始めようとせず、五十嵐は「先週は二年生が来て、結構真面目に勉強したんだけど」と、ばつが悪そうに言った。
 口先では「英会話なんて」などと言っているが、彼も一応、勉強する気はあるようだった。

 本当にまともに活動しようと考えているのは、恭子を含めた二年生だけなのだろうか。
 四年生は殆ど顔を見せないし、このサークルの実権を握っているのは、やる気のない三年生の面々なのだ。先が思いやられる。

 恭子が木曜日を指定したのは、自分をこういう下らない連中と、鉢合わせさせたくなかったからだろう。これ以上失望させまいと、彼女は彼女なりに気を遣ったに違いない。

 仕方なく五十嵐と雑談をしていると、突然、教室の後方の扉が勢いよく開いた。
「あー! 本当にいたー!!」
 声のする方角に首を振ると、そこにはの星野恭子が息を切らせて飛び跳ねていた。

「あ、星野先輩!」
 五十嵐は顔を綻ばせたが、彼女はまっすぐ大輔に近づいてくる。

「来てくれたんだ。嬉しい。『一年の男の子来てるよ』って教えてもらってさ、飛んできちゃった」
 あまりに無邪気に喜ばれ、大輔は居心地が悪かった。五十嵐の視線も痛い。

「木曜日って言ったのに、忘れちゃった? ねぇ、明日も来てくれるよね?」
 恭子は目を輝かせながら大輔を見つめた。汗ばんだカットソーから、彼女の匂いが漂ってくる。

「いや、その……」
 大輔がしどろもどろになっていると、背後からこれ見よがしに声が聞こえてきた。

「でたでた」
「今度は年下狙い」
「隙あらば食っちゃおうって?」
 先程まで、恭子の陰口で盛り上がっていた女性たちだ。

 大輔は五十嵐と視線を合わせて苦笑いをしたが、恭子の一言で、室内は一瞬で凍りついた。
「あの人たちの言うこと、気にしないで良いからね」

 その場の空気をものともせず、恭子は続ける。
「夢もなければ目標もない。大学にもサークルにも来ているだけ。人の悪口言ってストレス発散してる、可哀想な人たちなの」
 少し低めの、轟くような声。明らかに彼女たちに聞こえるように喋っている。

 完全に浮いている恭子を見かねて、大輔は苦言を呈した。
「そんな言い方、しちゃダメですよ」
 更に静まり返る教室。

 恭子は声を震わせた。
「……菅原君、あの人たちの味方するの? なんで?」
「味方とかじゃなくて。そういう物言いしていると、敵ばっかり増えますよ」

 本心だった。
 誰かを非難するとか擁護するとかではなく、彼女がこうやって敵を増やしている状況を、見過ごすことが出来なかった。

「星野さん。あなた、折角いい人なのに、派手な言動で損をしてる。勿体ないですよ」
 
 彼女はきっと真面目で、勉強家で、独創性があって積極的で。
 でも、この日本人離れした外見で先入観をもたれて、勝ち気な言動で敵を作って。
 
「なによ……私に説教する気?」
 顔を紅潮させる恭子を見て、五十嵐が慌てて間に入る。
「星野先輩、こいつ、先輩に気があるんですよ。俺もそうだけどさ。だから、先輩のことが心配なんですよ。なっ、スガ?」

 賛同を求められて、大輔は口を尖らせながらも少しだけ頷いた。
 鼻で大きく息を吸い、耳たぶまで赤くする恭子。

「お……大きなお世話よ!」
 脳天から突き上げるような声を上げて、彼女は教室を出ていった。

 ****

 あの一件以降、大輔は暇な時間にサークルに参加するようになった。
 しかし木曜だけは、どうしても足が遠のいた。

 勉強したいのは山々だが、あれだけ派手なやり取りをした恭子と会うのは、流石に気まずい。幸いなことに、木曜以外の活動に、彼女が姿を現すことはなかった。


 季節は初夏。
 関東はいつまでたっても梅雨入りせず、このまま夏に突入するかと思われるぐらいの暑さが続いていた。

 人影もまばらな八号館の講義室で、大輔は弁当をつついている。
 すると、コツコツと足音が近づいてきた。

「そこの少年、私と付き合わない?」

 恭子だった。
 シャツの胸元に光る、ピンクゴールドのネックレス。彼女の小麦色の肌に、良く似合っていた。

「僕、このあと授業なんですけど」
 平静を装って、黙々と弁当を口に運ぶ。

 彼女は笑窪を作りながら、隣の席に腰かけた。
「美女がナンパしてきたっていうのに、ずいぶんじゃない」

 久しぶりに感じる、彼女の匂い。
 大輔は自分が少しだけ高揚していることに気づく。

「ナンパって……構内で良くやるよ……」
「あなた、童貞なんでしょ」

 口から米粒を吹き出す大輔。
「なっ、何を……」
「五十嵐君から聞いちゃった」

 五十嵐の奴……。
 確かに「彼女は今まで一人もいない」って言ったけど、童貞とは言ってないぞ。まぁ、同義だけど。

 それより、彼女といつ話したんだ? 
 まさかあいつ、剣道サボって木曜に行ったのか?

 恭子は情熱的な視線で大輔を射抜いた。
「私が童貞を卒業させてあげる」
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