所詮俺は、彼女たちの性の踏み台だった。

並河コネル

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第一章 星野恭子

第十話 理想と現実

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 七月。

 大学は前期試験を二週間後に控え、各授業の出席率は格段に上がっていた。
 テストの情報収集のため、普段サボっている学生もこの時期ばかりは顔を出す。

 五限の授業が終わり、大輔は友人との情報交換を済ませ、教室を後にする。
 学部棟を出ると、偶然五十嵐の大きな背中を見つけた。親友の名を声に出す大輔。

 振り返った友人の顔を見て、大輔は息を飲んだ。
「お、お前……その顔、どうしたんだよ」

 五十嵐の顔面は、左の頬が青黒く腫れあがっていた。口角も痛々しく切れ、傷口が塞がって間もない印象を受けた。
 どう見ても、誰かに殴られたとしか思えない。

「みっともない顔、見られちゃったな」
 アハハと彼は呑気に笑ったが、顔を崩すと痛みが増すらしく、掌で頬を抑えた。

「本当は家に籠っていたかったんだけどさ、この時期は流石に休めねぇだろ?」
「そうだけど……大丈夫か? 何があったんだよ?」
「ちょっと付き合えよ、スガ。飲みながら話そうぜ」

 ****

 生協で缶ビールを買った二人は、そのまま学食に向かった。
 遅い時間とあって、食堂は半分だけ照明がついている。閑散としているフロアで、二人は向かい合うように座った。

 五十嵐の顔のあざは、ある女性の父親に殴られたものだった。

 彼は一年の夏休み前から、同学年の剣道サークルの女性と付き合っていた。
 しかしその一方で、アルバイト先のファミレスで年上の女性と知り合い、その女性とも付き合い始めた。所謂、二股である。

 先週参加した剣道の大会に、バイト先の彼女が内緒で観戦に来た。
 そこで彼女同士が鉢合わせし、浮気が発覚。剣道女子はその場で大泣きし、家に帰ってしまった。

「その時のサークルの雰囲気と言ったら、もう。針のむしろとはこのことよ」
「そんなの当たり前だろ……」
 軽蔑の眼差しでビールを飲む大輔。

「みんなして『追いかけろ、追いかけろ』って煩いから、その足で彼女の家まで行ったんだよ。そしたら、玄関から父親が出てきて……」
「殴られたと」
「そう」
 大輔は呆れ顔で額に掌をあてた。

 ここ最近、頻繁に「デート」と言うから、怪しいとは思っていた。
 五十嵐は女癖が悪すぎる。

「で、どうなったの? その後は?」
「ファミレスの子とは別れたよ。バイトも辞めた。剣道の子のほうが本命だし」
「なんで浮気なんかしたんだよ。彼女に不満でもあったのか?」
「不満ってほどじゃないんだけど……その……」

 彼が急に言葉を濁したので、大輔は口を尖らせた。
「なんだよ、ここまできて勿体ぶるなよ」

 催促された五十嵐は、ビールをあおると片肘をついて語り出した。
「……彼女さ、淡泊なんだよね」
「エッチが?」
「そう。反応悪いっつーか、感度悪いっつーかさ。盛り下がるんだよ。エッチしてても」
 頬のあざを恨めしそうに指先で撫でる。

 なるほど。それは想像に難くない。
 日本人の女性は性に対して消極的であり、オープンになることを「はしたない」とする傾向がある。五十嵐に限らず、恋人がマグロだという話もよく聞く。

「なんかだんだん、面倒臭くなっちゃってさ。ファミレスの子のほうもそんな積極的じゃないんだけど、彼女はでやらせてくれたから。エッチするならこっちだなって思って」

 ニヤニヤと笑う五十嵐を見て、大輔は吐き捨てるように言った。
「お前、今、もの凄く最低なこと言ってるって、自覚してる?」
「わかってるよ。だからこうやって青あざ作ったんじゃん。裁きは受けたよ。スガも一年の時、星野先輩泣かせて、部長にビンタされたんだろ? これで仲間だな」
「一緒にするな」

 こいつはダメだ。スポーツマンらしく実直な面もあるが、こと女性に関しては人が変わったようにだらしない。
 
「何でも良いけど、生でやるとか危なすぎるだろ。妊娠させたらどうするんだよ」
「大丈夫だって。危険日は避けてたし、ちゃんと外に出してたし」
「俺は忠告したからな。これ以上は言わない。勝手にしろ」

 大輔は空になったビールの缶を握りつぶして、席を立った。
 匙を投げられたと察した五十嵐が、彼のシャツの裾を引っ張る。

「待てよ。わかったよ。もうしないって。っていうか、もうファミレスの子とは別れたし、剣道の子とは生でしてないし、これからもしないから平気だって」
「……なら、いいけど」

 渋々と腰を下ろし、些か不服そうに腕を組む大輔。普段あまり飲まない酒を飲んだせいか、ほんのりと顔が赤くなっている。
 辛辣だが友達思いの大輔の言動が嬉しかったのか、五十嵐は残りのビールを美味しそうに飲み干した。

「でも、お前は良いよなぁ。相手が星野先輩なんだから。エッチで不満なんか、ひとつもねぇだろ?」
「……まぁ、取り立てては」
「ひえー、羨ましいっ!」

 大袈裟にひっくり返って見せる五十嵐だったが、皮肉たっぷりに彼はこう続けた。
「俺はさ、次にお前の彼女になる女が気の毒だよ。なんせ星野先輩と比べられるんだからな。お前は恵まれすぎているよ。ま、せいぜい彼女と長続きするこった」

 **** 

「五十嵐君って、見た目通りチャラチャラしてるのね。大輔君の友達だから買ってたのに。ガッカリ」
 大輔の腕枕の上で、恭子が露骨に不愉快そうな顔をする。

 明日から恭子は【勉強モード】に入る。
 試験前に会えるのは今日が最後。大輔は学校の帰りに、彼女の部屋に立ち寄った。
 そしていつも通りに情交を結んだ。

 徐に大輔が起き上がり、部屋に散乱した自身の衣服を拾い上げる。
「根は良い奴なんだ。勉強熱心だし。そうでなけりゃウイッキーうちなんかに入らないよ」

 ボクサーパンツに足を通しつつ、友人のフォローをする大輔。恭子が上半身だけ起こして応える。
「まぁ良いわ。大輔君が、彼から変な影響受けなければ」

 Tシャツを被りながら振り返る大輔。
「『変な』って?」
「『生でしたい』とか言い出さないか、心配してるの」
「言わないよ。責任が取れるようになるまで、するつもりないよ」
 
 彼の返事を聞いて、恭子は神妙な顔つきをした。
「それって、結婚するとかそういうこと?」
 押し黙る大輔。

 彼女と付き合いだして、初めて会話の中に「結婚」というフレーズが出た。
 別に避けていたわけではないが、彼女の方から言い出さないし、話題にもならないし。
 もとより、彼女は家族の話すらしたがらない。

 実家は群馬らしいが、祖父母が暮らしているだけで、両親はそこには住んでいないと彼女から聞いた。
 金子からも少し教えてもらったが、両親は離婚していて、母親はペルーに戻っているらしい。夏休みにペルーに行ったのは、母親に会うためだった。

「私、結婚願望ないんだ」
 一切の淀みなく、彼女は大輔に言い切った。
「だから、私とは一生、生では出来ないよ」

 豊満な乳房を隠すことなく、堂々と大輔に見せながら発言する恭子。
 それがかえって、彼女の本気度を示しているようだった。

 薄々は感じていたが、率直に言うとショックだ。
 恐らく、自分に対して結婚する気がないというより、元来その願望を持っていないということなのだろう。

 自分はごくありふれた家庭で、両親の愛情を受けて育った。
 そのせいだろうか。好きな人と結ばれたら、いつか結婚して、子供を作るのが当たり前だと思っていた。それが彼女には通じない。

 女性の社会進出が進み、様々な選択肢が提示される昨今、彼女が結婚や出産をする義務はない。どの道を進もうと、彼女の自由なのだ。

 勿論自分も、彼女を家庭に閉じ込めようなどとは思っていない。
 ただ、何かあった時、手を伸ばせば届くところにいて欲しい。自分のそばに寄り添っていてほしい。
 ぼんやりとではあるが、そう願っていた。

 そんな大輔の気持ちとは裏腹に、恭子は火がついたように喋り出した。
「人にはいろんな形の幸せがあると思う。もしかしたら大輔君は、結婚が究極の幸せだと思っているかもしれないけど、私は違うの。結婚なんかしなくても、幸せは掴める。実際私、今幸せだもの。このまま大輔君と今の関係がずっと続いたとしても、十分幸せなの」

 今の彼女に、自分が何を言っても響かないだろう。
 彼女は人の意見に左右されない。良い意味でも、悪い意味でも。

 着替えを終えた大輔が、鞄を持ち上げて玄関に向かう。
「恭子さんの考えは分かったよ。でも俺は、もうちょっと普通な生き方にも、興味があるかな」
 抑揚のない口調は、諦観した彼の気持ちを如実に表していた。

「……ガッカリした?」
 裸の恭子が、背中から抱き着いてくる。

 体を反転させ、大輔は彼女を抱きしめた。
「多少はね。でも心配しないで。俺の生き方に恭子さんがついていく気になるように、頑張るよ」
「……大輔君は、どこまでも真面目」

 少し寂しそうな恭子の唇に、大輔がそっとくちづけをする。
 黙ったまま自分を見つめる恭子に、大輔が語りかける。

「俺さ、前も話したけど、国家一種狙ってるんだよね。無事に合格したら、キャリア官僚だよ。どう? 結構魅力的じゃない?」
 少しおどけた様子で喋る彼の胸に、恭子は顔を埋めた
「魅力的だけど……相当頑張らないと、合格しないよ。ふたつ上の先輩、凄い優秀だったけど落ちてたよ」

 彼女の髪を、愛おしそうに撫でる大輔。
「覚悟の上だよ。そのぐらいの職業じゃなきゃ、恭子さんを唸らせられないからね」

 顔を上げて、恭子は微苦笑を見せる。
「私の気が変わるかどうかは保証できないけど、頑張ってもらおうかな」
「そうするよ」

 大輔が彼女の頬にキスしようとすると、恭子は強引に唇を合わせ、舌を入れてきた。大輔の手を掴み、自らの乳房に当てる。

「……恭子さん、俺もう帰るんだから。ダメだよ」
「あと一時間。一時間だけ、一緒にいて」
「恭子さ……」

 彼の返事を聞かぬまま、恭子はそのベルトを引き抜いた。
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