みいちゃんといっしょ。

新道 梨果子

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10. みいちゃんと話し合い。

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「まったくもうあんたたち、大丈夫、とか言って全然大丈夫じゃないじゃないか」

 薄暗い総合病院の廊下で、延々と伯母さんの説教を聞かされる。
 私はしゅんと肩を落として、言い返す言葉も見つからず、その説教を聞き続けた。

 みいちゃんは、治療を受けている。
 病院に着いてから伯母さんに電話すると、すぐさまタクシーですっ飛んできて、開口一番、「なにやってんだ!」と怒鳴られた。
 それからずっと、説教だ。

「美以さん、具合が悪かったんじゃないの。あんた気付かなかったの」
「……風邪気味だった……。病院には行ってもらったけど……」

 そこで、看護師さんに呼ばれた。

「野村美以さんのご家族の方ですか?」
「は、はいっ」

 勢い込んで答える。
 お父さんが事故にあった日の夜のことが思い出される。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。
 みいちゃんに何かあったら。

「医師から説明がありますので、どうぞ診察室の方に」

 夜間診察なので普通の診察室ではなかった。
 ドアを開けるのも、看護師さんが足でペダルを踏んだ。

「どうぞ、中へ」

 伯母さんと二人で、診察室に入る。
 お医者さんが顔を上げる。示された椅子に浅く腰掛けた。

「えー、野村美以さんのご家族?」
「はい」
「意識は取り戻しておられますよ。大丈夫です」

 その言葉を聞いて、私は目を閉じて大きく息を吐いた。
 良かった。大丈夫なんだ。

「で、どうなんですか、美以さんは」

 横から伯母さんが言った。

「今日はもう、こちらで休んでもらったほうがいいでしょう。ついでに検査しましょう」
「ということは、大したことではないんでしょうか?」

 そこで、お医者さんは椅子を回転させて、こちらに振り向いた。

「過労死、ってご存知ですか」

 その言葉に息を飲む。
 過労。

「本人が喋れる状態になりましたのでね、意識を確認するためにも聞いたんですが、昼も夜も働いておられたとか」
「はい……」

 私は縮こまる。私のせいだ。やっぱり私のせいで倒れたんだ。

「その状態で風邪薬を飲んで、さらに大酒あおれば、そりゃ倒れます」

 そう言って、お医者さんは苦笑した。

「お酒……」
「まあ、職業柄、仕方ないんでしょうが」
「なんだ、結局飲みすぎってことかい!」

 伯母さんが声をあげて、安心したように私の横で息を吐く。
 しかしお医者さんは、ゆっくりと諭すように続けた。

「風邪薬とアルコールの同時摂取はとても危険なんですよ」
「そう……なんですか」
「あっ、そういえば昔、それで殺人事件があったよ」

 なにか思い出したのか、伯母さんはそう言った。
 殺人事件。そんなに危険な組み合わせなんだ。
 私はごくりと唾を飲み込んだ。

「それと」

 お医者さんは、私たちを覗き込むようにして言った。

「最初に、過労、と言いました」
「あ……」
「馬鹿にはできないんですよ、こういうことは。それに野村さんは定期的に健康診断を受けていらっしゃらないようですし、無理を続ければ、心筋梗塞や脳出血を引き起こす可能性も考えられます」
「心筋……」

 ニュースでしか聞いたことがない病名。何となくは知っていても、身近にその恐れがあるなんてこと、考えてもみなかった。

「まあしばらく、ゆっくりさせてください。仕事は休めるのかな」
「休ませます!」

 私は叫ぶように言った。休ませなきゃ。これ以上、無理はさせられない。
 お医者さんは私の勢いに驚いたように、目を開いてから、柔らかく笑った。

「じゃあ大丈夫でしょう。さきほども言いましたが、健康診断も受けていらっしゃらないようですから、このまま検査しましょう」

 みいちゃんは救急外来のベッドで寝ているということで、看護師さんにすぐ隣の部屋に案内された。

「じゃ、私は帰るよ。家のもんも心配してるし」

 部屋に入る前に、伯母さんが言った。

「あとはあんたたちで話しな。あ、これ」

 伯母さんは手に持っていたバッグから財布を取り出し、一万円札を私に差し出した。

「診察代は明日でいいと思うけど。受付も締まってるし。でもまあ、なんやかやかかると思うから、持っときな」
「でも……」
「遠慮すんじゃないよ。こういうことで」

 私は差し出された一万円札を、ありがたく受け取った。
 お母さんから貰った一万円とは、違うもののように思えた。

「ありがと、伯母さん」
「まったく世話が焼けるね」
「うん……すごく助かった。伯母さんがいてくれなかったら……私……」

 安心したのか、また涙が溢れてきた。
 今まで、絶対に助けてくれないと思っていた人が、思いがけず頼りになったことが、嬉しくて、ありがたかった。

「言ったろ、何かあったら言いなって。でも何もなかったら言わなくていいからね。面倒事はごめんだよ」

 その憎まれ口も、今は心地よかった。

「うん、ありがと」
「でもねぇ」

 そこで伯母さんは首を傾げた。

「そんな、昼も夜も働くほど困ってるわけないと思うんだけど。贅沢してんじゃないのかい? 家のローンとかがあるわけでもないのにさ。それにホステスなら、それなりに稼ぎがいいはずだし」
「えっ」

 贅沢? そんな覚えはない。せいぜい、食後のプリンくらいだ。

「贅沢なんか……」
「だって保険が下りたはずだよ。あんたの父さん、一つでいいのに断りきれなくて、生命保険に何個か入らされたって言ってた覚えがあるし。相続税なんかもそこから出したんだと思ってたんだけど」
「そうなの……? でも私が大学行くから、それで……」
「学費くらいはまかなえると思うけどねえ。やっすい保険ばかりに入ってたのかね。それか、解約してたのか。まあそのへんも話してみな」
「うん……、わかった」

 そうは言うけれど、お金があるなら無理してまで働く必要はないはずだ。やはり学費が負担になるのだ。

「あとね、言っておくけど」
「……な、なに?」

 伯母さんはまっすぐに私を見つめてきた。

「美以さんはまだ若いんだよ。もしも美以さんが家を出たいって言っても、それは仕方のないことだよ。葬式のときは、ああ言ってくれてたけど」
「……うん」

 でもその場合、私はどうしたらいいんだろう。伯母さんはお母さんと私が会ったことを知らない。

 私には本当に行く当てがないんだ。
 みいちゃんだけが、私の頼り。
 でもそれは、みいちゃんにとても負担をかけてしまうことなんだろう。

「じゃ、美以さんによろしく言っておいてね」

 そう言うと、伯母さんは背中を向けた。
 私は伯母さんの姿を見えなくなるまで見送って、それから、おそるおそる病室を覗く。
 一番手前のベッドに、みいちゃんが点滴に繋がれて横になっていた。

「みいちゃん……」

 声を掛けると、こちらに顔を向けた。そしてにっこりと微笑んだ。顔色がずいぶん良くなっている。

 良かった、生きてる。本当に、生きてる。
 みいちゃん、ごめんね。と言おうとしたとき、みいちゃんの唇が動いた。

「沙希ちゃん、ごめんね」

 私はその言葉に、動きを止めた。
 どうして。どうしてその言葉を、みいちゃんが言うの。私が言うべきはずの言葉なのに。

「……なんで謝るの」
「みいちゃんが、家族ってよくわからなかったから」

 思いもかけないセリフがみいちゃんの口から発せられた。意味がわからない。
 私はベッドの横の丸椅子に腰掛けて、耳を傾ける。

「さっき廊下で話してたの、みいちゃん、ちょっと聞こえちゃった」

 夜の病院って静かだからね、と付け足して、みいちゃんは苦笑する。

 ふと気が付いて、辺りを見回す。他のベッドは空いているようだ。なら少しは話していいだろう。
 そのあとは、ゆっくり寝てもらわないといけないけれど。

「ホントはね、お金、ないわけじゃないんだよ。亮さん、生命保険に入ってくれてたし、事故のときの女の人も、搭乗者保険に入っててくれてたみたいで」

 本当だ。伯母さんの言った通りだ。
 私はわからなかった。知らなかった。

「じゃあ……」
「みいちゃん、沙希ちゃんと早く家族になりたくて」

 まただ。また意味がわからない。
 だから私は黙ってみいちゃんの話を聞いた。

「家族って、相手のために全面的にいろいろ負担するものだと思ってたの。保険は亮さんが用意してくれたものだから、それは違うと思って。みいちゃんが稼いだお金で沙希ちゃんの役に立ちたかったの。そしたらきっと本当の家族になれると、思ったんだよ」

 そして、弱々しく笑う。

「でも違うみたい。心配かけちゃいけないみたい。さっきお医者さんに、ご家族に心配かけちゃいけませんって怒られちゃった」

 そう言って、悪戯っぽく舌を出した。

「だから、ごめんね。心配させちゃって、ごめんね」

 私はその言葉に、首を横に振った。
 また涙が頬を伝う。なんでこう、私は泣き虫なんだろう。

「心配したけど……でも、心配するものだよ、家族って」

 私の言葉に、みいちゃんは「えっ」と驚いたように言った。

「そうなの、難しいね。どっちなの? 心配かけていいの。それとも心配かけちゃいけないの」

 さっきから、どうも少しピントがズレているような気がする。
 倒れたときに頭でも打ったんじゃないかとうっすら心配になってきたときだ。

「みいちゃん、家族がどんなものか知らないから、どうしたらいいかわからないんだ」

 私はその言葉に、顔を上げた。

「みいちゃんは施設で育ったから。お父さんもお母さんも知らない」

 言葉を失くす。聞いたこと、なかった。
 やっぱり私は、みいちゃんのことを何も知らないんだ。

「だからねぇ、嬉しかったなあ」

 みいちゃんは遠くを見るように、目を細めた。
 大切なアルバムを開くように。

「亮さんがねぇ、三人で家族になろうって言ってくれたとき、本当に嬉しかったんだ」

 そう言って、目を閉じた。
 その思い出には私も入ってはいけないのだ。

「みいちゃんにも家族ができるんだって思って、嬉しかった。すごく嬉しかった。本当に嬉しかった」

 それから、ゆっくりと目を開ける。

「でもホントは、お酒の勢いで言っちゃっただけなのかも。それで引っ込みつかなくて、そのまま結婚しちゃったんだよ。だからすぐに浮気しちゃったんだろうね。ごめんね、沙希ちゃん。みいちゃんがしっかりしてたら、亮さん、死ななかったのかもしれない」

 みいちゃんの涙がベッドのシーツを濡らす。

「違うよ、みいちゃん」

 私はみいちゃんの言葉を否定する。
 みいちゃんのせいじゃない。そんなわけない。

「お父さんはね、前からああいう人だったんだから。みいちゃんがしっかりしてようがしてまいが、浮気しちゃうような人なんだよ、あのバカ親父は」

 そう苦々しげに言うと、みいちゃんは苦笑した。

「そうだねえ、残念ながら、沙希ちゃんからしたら見事なバカ親父だねえ。さすがのみいちゃんも、否定できないなあ」
「……だよね」

 そうして二人でくすくす笑った。

「ああ、こうなったら仕方ないから、少し保険を使わせてもらおう」
「うん、そうしようよ」
「ごめんね、沙希ちゃん。みいちゃん、あまり頭が良くないから、こんなことになっちゃって」

 私はベッドの上に投げ出されたみいちゃんの手を握った。

「実は私も、家族ってよくわからないんだ」
「……沙希ちゃんも?」
「うん」

 みいちゃんの言葉にうなずいた。
 お父さんとお母さんがいたときも、あれも家族の形の一つだったのだろうけど、でももっと違う形もあるかもしれない。

「だからこれから、家族になるってどういうことか、二人で手探りしながら暮らそうよ。きっと家族って、それぞれなんだよ。それぞれに築き上げるものなんだよ」
「そっかあ」
「そうだよ」

 みいちゃんは安心したのか、少しすると私の手を握ったまま、眠ってしまった。規則正しい寝息が聞こえて、安堵する。

 血の繋がりなんて、意味はない。
 現に、血が繋がっているはずのお母さんは、今はもう他人みたいだ。
 家族っていうものは、お互いに努力して関係を築いた人たちで形成されるものだもの。きっと。

 その手を離したくなくて、私もそのままベッドに突っ伏して眠ってしまった。
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