その日、友達と言えない同期が死んだ。その日以来、そいつと距離が縮まった。

網野ホウ

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そして美香は

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 読経中、美香は母親のおなか当たりの位置に座り、両手をついて棺の窓を覗き込むように見ていた。
 顔を見たけりゃまどに近づいたらいいのに、とも思ったが、本人の好きにさせておく。
 しばらくすると、窓の方を向いていた美香の顔が、次第に前を向き、やや上を見上げるような格好になった。
 その顔は、ニコニコ顔だったが口が次第に開いていく。
 満面の笑顔だ。
 ぴょこんと棺の上で立ち上がり、その窓の位置にいる何かに向かってしがみついた。
 もちろん俺には、美香がしがみついた物をみることはできない。
 が、頬ずりしていることから、そこに何かがあるのではないか、と何となく分かる。
 読経中だから、こちらから声をかける気はなかった。
 が、美香はやがて俺の方を向いた。
 棺の上に立っているから、自ずと俺を見下ろす格好だ。
 その黒髪の上に何かが乗っかっているように見える。
 目を凝らして凝視すると、それが何かがようやく分かった。
 手だ。
 横から美香の頭をなでている。
 やがてそれが消えると、美香は俺に向かって深々とお辞儀をした。

(おにいちゃん、いままで、ありがとおございます)
(お、お兄ちゃん?)

 美香の兄にお辞儀してたのか。
 まぁ遺された唯一の肉親だし、美香の年回忌の時は顔を出せずにいたようだったが、日頃母親の心配とかはしていたんだろう。
 その事を美香も知っていたら……。
 いや、それは知る由もない。
 美香は文字を読めたかどうかは分からないが、美香の母親が誰かに「息子が心配してくれてねぇ」なんて話をしていたとしても、美香にはそれすら聞こえない。
 でもそんな話を聞かずとも、ずっと家の中にいたのなら、母親の言動をいつも見ていたのなら、それくらいは分かるか。
 美香は一瞬真横の斜め上を見た。
 そしてすぐ俺を向く。

(えっと、いつもおきょうとなえてくれて、ありがとおございます、おにいちゃん)

 ……お兄ちゃん……って、俺のことかよ。
 和尚さん、という呼び方も忘れたか。
 忘れた、という言い方は間違ってるかもしれない。
 覚えてない、という言い方が正しいか。
 けど、それも微妙に違う。
 覚えて亡くなった、という言い方が正確か?
 ……そんな細かいことはどうでもいいか。

 すると美香は俺に背を向けた。
 そして右手を上に伸ばし、フ、と消えた。
 俺の耳は自分の声がでかくてそれしか聞こえなかったのだが、妙なノイズが聞こえ始めた。
 声量を抑えると、そのノイズは俺の後ろからのすすり泣きだと分かった。
 おそらく池田だ。
 池田の心境はとりあえず放置。
 読経が終わったら、美香の兄から母親の話を聞かなければならない。
 葬儀に向けた準備はもう始まってるのだから。

 ※※※※※ ※※※※※

 葬儀は、美香の時と比べてひっそりとしたものだった。
 美香の同期達は、母親とは美香ほど仲良しというわけではなかったらしい。
 親族は喪主の息子のみ。
 息子は、実家の隣近所の人達とそれ程親しくもなく、弔問で焼香しに来た程度。
 葬儀一通りの法要に、遺族以外で最後まで参列したのは池田のみだった。
 お斎もなく、用法が終わると、すぐに埋骨。
 そのお墓も、いずれ息子の現住所の近くの寺を探し、そこに移る予定だという。
 世の家庭の事情は、昔と比べて激変した。
 実家を守り家系を守り、お墓を守る、という時代は過ぎ去ろうとしているに違いない。
 地元で仕事を見つけられず、適した仕事は県外にたくさんある時代。
 しかし、生きている者が、生活を優先しなければこの先生き残れないのは、いつの時代でも同じ。
 生活様式を、今の時代に対応させるか昔のやり方に執着するかでその家の未来は決まる。
 が、どちらがいいかは、俺には判断付きかねない。
 ただ、日頃の供養は生活に密着させるべき、とは思う。
 そうでなければ、お墓参り、お寺参りするために、するより前に、まず先に、交通費や所要時間を気にしなければならない。
 供養よりもそちらの方が重要な事柄になるのなら、供養は供養として成り立たないのではないだろうか、とも思う。
 それを、お墓も菩提寺も住まいの傍に移動するのだ。
 心置きなく供養ができる、というものだろう。

「檀家から抜けて申し訳ないんですけど」
「申し訳ないどころか、その心が何よりの供養になると思いますよ?」
「……陽子さんも今までありがとう。母から、いままでの事聞いてるよ」
「い、いえ……。でも、いつも遊びに行ってたあの家もなくなるんですよね」

 葬儀が終わっても、池田はまだしゃくりあげている。
 何に対して泣いているのかは知らないが、確かに、住む人がいない家をいつまでもそのままにしておくわけにはいかないだろう。
 誰かに貸すにしても売るにしても、相続がどうのって色々手続きが面倒そうだ。

「更地にして、不動産屋さんにお願いするつもりだよ。でも池田さんも東京だよね? ここに来るよりも手間暇かけずに来れると思うんだけど」

 そうだった。
 美香の兄も東京に住んで、働いているはずだ。
 子供までいるんじゃなかったかな?
 お墓に手を合わすためだけに、五時間もかけてられないだろう。
 負担はかなり楽になるのではないか。

「三島さん。手続きだの何だのという手続きの日程はこれから決めるにしても、菩提寺を地元に移してお墓も引っ越す、という予定でよろしいんですね?」
「はい、お願いします」

 時代の流れに伴う現象の一つだ。
 初めてお盆の手伝いをさせられた頃から面倒を見てもらった一軒。
 それが消えるのは寂しいことではあるが、時流に乗るのもその中で生き続けるための術の一つだ。
 それを乗り越えられる力を持てるようになったくらいには、大人になったつもりだ。

 ※※※※※ ※※※※※

 翌日、池田が問答無用で押し掛けてきた。
 特に仕事がないから、無下に門前払いにするわけにもいかない。
 応接間に通す。
 座るなり、嗚咽しながら泣き始めた。
 無学の俺ですら、何とか大人になれたのに、成績優秀な生徒が年を食っても学生のままか?
 お茶を出すよりも、ティッシュとゴミ箱の方が、こいつにはありがたいかもしれない。

「あのね……磯田君……」
「どうした」
「あのね……磯田君……ありがとう」

 はい?
 涙ながらに礼を言われるようなこと、してないが?

「何がだよ。つか、一体どうした?」

 ようやく池田の嗚咽は治まって、落ち着いたようだ。

「……美香ちゃん……磯田君の言い方をするなら、成仏できた。お母さんと一緒に」

 はい?
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