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第1話後半:北東の冷蔵庫、凶方位の悪臭
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夜の湿気が部屋の壁にまとわりつく。
北東の隅――つまり鬼門。そこに鎮座する小型冷蔵庫が、低く呻いていた。
電源を抜いても音が止まらない。コンセントを引き抜いた瞬間、俺は悟った。
これは電気じゃなく、“気”のうなりだ。
「……ミナ。お前が言ってた“家庭内凶所”って、まさかこれのことか?」
「そうだよ!」
風の精霊――ミナ=ロットは、嬉々として羅盤を構える。
青い結晶が淡く光り、風が部屋の空気を切り裂いた。
彼女の瞳が冴える。「北東、坎(かん)に淀み。破気、停滞。これは典型的な“水の腐り”だね」
「水の腐り、ねえ……。冷蔵庫なのに。」
「だからこそだよ!」
ミナは胸を張った。「水気が溜まる器は、最も“気の流れ”が停滞しやすい。冷気の対流が止まると、鬼門が口を開けるの!」
「鬼門が口開けるって、お前その言い方やめろ、怖ぇよ!」
俺は頭を掻きながら、羅盤を受け取った。
方位盤の中心、青い結晶が北東を向くたび、空気がざらつく。
――まるで、空間そのものが“何か”を吐き出しているようだった。
「……感じるか? ミナ。」
「うん。あの中に“淀み”がいる。気の形が人の怨念みたいに固まってる。」
背筋が冷えた。
俺は息を整え、指で印を切る。祖父が教えてくれた“易構築術”――今は俺の血に刻まれている。
> 「陰陽相転、木火土金水――九曜の理、ここに巡る。
吉凶の流れ、いま我が掌で相転せよ――《九曜相転(きゅうようそうてん)》!」
羅盤の中心が青白く輝き、部屋の床に八卦陣が浮かび上がる。
木・火・土・金・水、五行の符号が走り、九つの星が方位の上に重なった。
一白水星、三碧木星、九紫火星――それぞれの星が淡い光を放ち、冷蔵庫を包み込む。
「おお……出た出た!」ミナが目を輝かせる。
「うるせぇ!実況すんな!集中できねえ!」
冷蔵庫の扉が、ゴン、と震えた。
次の瞬間――
ドロリ。
黒い水気が、隙間から滲み出してくる。まるで墨汁のような液体が、床を這いながら形を取った。
「やば、出てきた!」
「“水穢(すいえ)”だね。怨念の澱み。人の“無駄な後悔”が溜まると水の気が腐るの」
「無駄な後悔……たぶん俺の履歴書だな」
皮肉を言ってる場合じゃない。
黒い水は、床に八卦陣の線を染み込ませながら、ゆっくりと立ち上がった。
人型。いや、もっと歪んだ“形”――。
「……はぁ。よりによって鬼門で成仏しないって、根性あるな。」
俺は片膝をつき、羅盤を前に突き出す。
> 「九曜相転――《坎水逆流陣(かんすいぎゃくりゅうじん)》!」
青い結晶が強く輝き、床に描かれた陣が反転する。
陰と陽が逆転し、冷気の流れが内から外へ押し出される。
だが――黒い水は動じない。
むしろ、空気が重くなり、俺の視界の端が歪む。
――“内圧”。淀みは自分の領域を“保守”していた。
「ちっ……防御型か。水気で陣式を押し返してやがる。」
「なら、相克を使って!」ミナが叫ぶ。
「水は木を生み、木は火を生む。火で焼くの!」
「……はいはい。理屈は合ってるが、火事になったら責任取れよ!」
> 「三碧木星、九紫火星――相生、点火!
木火相転《焔導陣(えんどうじん)》!」
羅盤の針が赤に変わり、陣の外縁が燃えるように光った。
水気が跳ね、部屋の温度が急上昇する。
焦げた臭いと、ミナの風が入り乱れる。
しかし――黒い水はただの水じゃない。
中から、人の顔が覗いた。
老婆のような、青年のような、数多の表情が泡の中で変形し続ける。
その口が動いた。
“かえして”――と。
「……おいミナ。これ、“物理的なカビ”ってレベルじゃねえな。」
「うん。多分“想いの残骸”。冷蔵庫の中で“後悔”を保存しすぎたの。」
「……後悔を保存って、どんな生活だよ……」
だが、俺の頭に浮かぶ。
――俺自身の“後悔”だ。
落ちた面接。見捨てた仲間。言い訳ばかり並べた自分。
その全部が、目の前の“穢れ”と重なって見えた。
「……なるほどな。こいつ、俺の“凶方位”の象徴ってわけか。」
羅盤を握り直す。
光が一瞬、俺の呼吸と同期する。
ミナが微笑む。「行くのね?」
「行くさ。風の修正パッチ、当ててやる。」
> 「九曜相転――陰陽・反転式!
《破気再構成・理転法(ことわりてんぽう)》!」
羅盤から光が爆ぜた。
五行陣が反転し、全方位に風と熱が走る。
ミナが両手を広げ、風の渦を強める。
> 「巽風開陣――循環、再開!」
風と火が交わり、雷鳴のような音が部屋を満たす。
黒い水が悲鳴を上げ、空気が裂ける。
俺は叫ぶように呟く。
> 「“破”の月でも、運命は壊して繋ぎ直せる――それが九曜相転だ!」
渦が収まり、冷蔵庫の音が静かになる。
光が消えたとき、床には何も残っていなかった。
臭いも、気の淀みも。
ただ、ミナがほっとしたように笑っていた。
「成功……だね。」
「……ああ。」
俺は羅盤を見下ろす。結晶の光が穏やかに脈打っている。
――やれやれ、今月の凶方位、修正完了だ。
「で?」俺は肩をすくめた。「報酬の昼飯って、まさか冷蔵庫の中の残り物じゃねえよな。」
「うん、たぶん……食べられると思う!」
「“たぶん”って言うなァァァァ!」
俺の叫びと、ミナの笑い声が、風に溶けて消えた。
鬼門に吹く風は、もう冷たくなかった。
北東の隅――つまり鬼門。そこに鎮座する小型冷蔵庫が、低く呻いていた。
電源を抜いても音が止まらない。コンセントを引き抜いた瞬間、俺は悟った。
これは電気じゃなく、“気”のうなりだ。
「……ミナ。お前が言ってた“家庭内凶所”って、まさかこれのことか?」
「そうだよ!」
風の精霊――ミナ=ロットは、嬉々として羅盤を構える。
青い結晶が淡く光り、風が部屋の空気を切り裂いた。
彼女の瞳が冴える。「北東、坎(かん)に淀み。破気、停滞。これは典型的な“水の腐り”だね」
「水の腐り、ねえ……。冷蔵庫なのに。」
「だからこそだよ!」
ミナは胸を張った。「水気が溜まる器は、最も“気の流れ”が停滞しやすい。冷気の対流が止まると、鬼門が口を開けるの!」
「鬼門が口開けるって、お前その言い方やめろ、怖ぇよ!」
俺は頭を掻きながら、羅盤を受け取った。
方位盤の中心、青い結晶が北東を向くたび、空気がざらつく。
――まるで、空間そのものが“何か”を吐き出しているようだった。
「……感じるか? ミナ。」
「うん。あの中に“淀み”がいる。気の形が人の怨念みたいに固まってる。」
背筋が冷えた。
俺は息を整え、指で印を切る。祖父が教えてくれた“易構築術”――今は俺の血に刻まれている。
> 「陰陽相転、木火土金水――九曜の理、ここに巡る。
吉凶の流れ、いま我が掌で相転せよ――《九曜相転(きゅうようそうてん)》!」
羅盤の中心が青白く輝き、部屋の床に八卦陣が浮かび上がる。
木・火・土・金・水、五行の符号が走り、九つの星が方位の上に重なった。
一白水星、三碧木星、九紫火星――それぞれの星が淡い光を放ち、冷蔵庫を包み込む。
「おお……出た出た!」ミナが目を輝かせる。
「うるせぇ!実況すんな!集中できねえ!」
冷蔵庫の扉が、ゴン、と震えた。
次の瞬間――
ドロリ。
黒い水気が、隙間から滲み出してくる。まるで墨汁のような液体が、床を這いながら形を取った。
「やば、出てきた!」
「“水穢(すいえ)”だね。怨念の澱み。人の“無駄な後悔”が溜まると水の気が腐るの」
「無駄な後悔……たぶん俺の履歴書だな」
皮肉を言ってる場合じゃない。
黒い水は、床に八卦陣の線を染み込ませながら、ゆっくりと立ち上がった。
人型。いや、もっと歪んだ“形”――。
「……はぁ。よりによって鬼門で成仏しないって、根性あるな。」
俺は片膝をつき、羅盤を前に突き出す。
> 「九曜相転――《坎水逆流陣(かんすいぎゃくりゅうじん)》!」
青い結晶が強く輝き、床に描かれた陣が反転する。
陰と陽が逆転し、冷気の流れが内から外へ押し出される。
だが――黒い水は動じない。
むしろ、空気が重くなり、俺の視界の端が歪む。
――“内圧”。淀みは自分の領域を“保守”していた。
「ちっ……防御型か。水気で陣式を押し返してやがる。」
「なら、相克を使って!」ミナが叫ぶ。
「水は木を生み、木は火を生む。火で焼くの!」
「……はいはい。理屈は合ってるが、火事になったら責任取れよ!」
> 「三碧木星、九紫火星――相生、点火!
木火相転《焔導陣(えんどうじん)》!」
羅盤の針が赤に変わり、陣の外縁が燃えるように光った。
水気が跳ね、部屋の温度が急上昇する。
焦げた臭いと、ミナの風が入り乱れる。
しかし――黒い水はただの水じゃない。
中から、人の顔が覗いた。
老婆のような、青年のような、数多の表情が泡の中で変形し続ける。
その口が動いた。
“かえして”――と。
「……おいミナ。これ、“物理的なカビ”ってレベルじゃねえな。」
「うん。多分“想いの残骸”。冷蔵庫の中で“後悔”を保存しすぎたの。」
「……後悔を保存って、どんな生活だよ……」
だが、俺の頭に浮かぶ。
――俺自身の“後悔”だ。
落ちた面接。見捨てた仲間。言い訳ばかり並べた自分。
その全部が、目の前の“穢れ”と重なって見えた。
「……なるほどな。こいつ、俺の“凶方位”の象徴ってわけか。」
羅盤を握り直す。
光が一瞬、俺の呼吸と同期する。
ミナが微笑む。「行くのね?」
「行くさ。風の修正パッチ、当ててやる。」
> 「九曜相転――陰陽・反転式!
《破気再構成・理転法(ことわりてんぽう)》!」
羅盤から光が爆ぜた。
五行陣が反転し、全方位に風と熱が走る。
ミナが両手を広げ、風の渦を強める。
> 「巽風開陣――循環、再開!」
風と火が交わり、雷鳴のような音が部屋を満たす。
黒い水が悲鳴を上げ、空気が裂ける。
俺は叫ぶように呟く。
> 「“破”の月でも、運命は壊して繋ぎ直せる――それが九曜相転だ!」
渦が収まり、冷蔵庫の音が静かになる。
光が消えたとき、床には何も残っていなかった。
臭いも、気の淀みも。
ただ、ミナがほっとしたように笑っていた。
「成功……だね。」
「……ああ。」
俺は羅盤を見下ろす。結晶の光が穏やかに脈打っている。
――やれやれ、今月の凶方位、修正完了だ。
「で?」俺は肩をすくめた。「報酬の昼飯って、まさか冷蔵庫の中の残り物じゃねえよな。」
「うん、たぶん……食べられると思う!」
「“たぶん”って言うなァァァァ!」
俺の叫びと、ミナの笑い声が、風に溶けて消えた。
鬼門に吹く風は、もう冷たくなかった。
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