人生8周目の悪役令嬢、今世は『推し(悪役宰相)』を救って死亡フラグごと燃やし尽くします!

白桃

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第四話 氷の宰相、微かに揺れる

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 宰相執務室での、あの腹の探り合いのような会話から数日。
 スカーレットは、アシュター・フォン・ナイトレイの態度に、ほんの僅かな変化を感じ取っていた。
 もちろん、彼の冷徹な仮面が崩れることはない。
 相変わらずその瑠璃色の瞳は氷のように冷たく、言葉数は少ないままだ。
 しかし、夜会などで顔を合わせた際、以前なら無視されていたはずの挨拶に、微かに頷きで応じてくれるようになった。
 すれ違いざまに、ほんの一瞬だけ、視線が交わることも増えた気がする。
 それは、他の誰も気づかないような些細な変化だったが、七度の人生で彼を観察し続けてきたスカーレットには、確かな変化として感じられた。

(少しは、わたくしを警戒対象から興味の対象くらいには認識してくださったのかしら?)

 だとしたら、計画を進める上で好都合だ。
 スカーレットは、アシュターの健康状態を改善させるという、お節介な計画を続行することにした。
 彼が執務室で取る簡単な食事――ほとんどが保存の効くパンと干し肉、そして濃いだけの珈琲――は、どう見ても栄養が偏っている。
 国のための激務で身体を壊されては、元も子もない。
 推しの健康は、推す者の義務である。

 スカーレットは、公爵家の厨房をこっそり借り、栄養バランスを考えたスープや、滋養のある焼き菓子などを作るようになった。
 そしてそれを、「父から宰相閣下へ、日頃の感謝の印に」という名目で、侍従を通してアシュターの元へ届けさせたのだ。

 最初に差し入れが届いた時、アシュターは眉をひそめた。
 ヴァーミリオン公爵令嬢から? なぜ?
 何か企みがあるのかと疑い、手をつけるつもりはなかった。
 しかし、ふと漂ってきた温かいスープの香りに、空腹を思い出す。
 徹夜続きの執務で、まともな食事などいつ取ったか覚えていない。
 彼は、しばし葛藤した後、結局そのスープを口にした。
 滋味深く、優しい味が、疲れた身体に染み渡る。
 焼き菓子も、甘さ控えめで、どこか懐かしい味がした。

(……悪くない)

 それが、アシュターの素直な感想だった。
 以来、スカーレットからの差し入れは不定期に続けられ、アシュターも、最初は訝しみながらも、いつしかそれを断ることなく受け取るようになっていた。
 もちろん、礼を言ったり、感想を述べたりすることは一切ないのだが。
 それでも、空になったスープ皿や菓子箱が、スカーレットの元へ返却される度に、彼女は小さな達成感を覚えていた。

(よしよし、まずは胃袋から攻略…いえ、健康管理ね!)

 そんなささやかな交流(?)を続けつつも、スカーレットは本来の目的を忘れてはいなかった。
 ループ知識によれば、アシュターを陥れるための食糧横流し事件が起こるのは、もう間もなくだ。
 備蓄小麦の横流し、帳簿の改竄、そして偽りの告発。
 全てが巧妙に仕組まれ、アシュターは完璧に嵌められるはずだった。

 スカーレットは、必要な情報を整理し、行動計画を練り上げていた。
 証拠となる偽造帳簿の隠し場所は、確かあの貴族の書斎の隠し棚。
 横流しを実行する日時は……おそらく次の満月の夜。
 真犯人である保守派貴族のリーダー、マルティン侯爵の動きも監視しなければならない。

 問題は、どうやってこの情報をアシュターに伝えるか、あるいは彼の破滅を回避させるかだ。
 直接証拠を突きつけても、スカーレット自身が疑われかねない。
 匿名の手紙は、前回考えた通り効果が薄いだろう。

(やはり、遠回しに警告し、彼自身に気づいてもらうしかないわね……)

 スカーレットは、アシュターとの数少ない接触の機会――彼が主催する貴族向けの報告会や、稀にある情報交換のティータイム――を利用することにした。

「宰相閣下、最近、国内の穀物の流通量が少し気になりますの。一部の地域では価格が高騰しているとか……。国の備蓄は万全ですの?」

 報告会の質疑応答の時間、スカーレットは他の貴族たちが当たり障りのない質問をする中、あえて核心に近い質問を投げかけた。

 会場が一瞬ざわつき、アシュターの冷たい視線がスカーレットに注がれる。

「……問題ない。全て計算通りだ、ヴァーミリオン嬢」

 彼は短くそう答えたが、その声には僅かな動揺があった、とスカーレットは感じた。

 別の日、二人きりのティータイムでも、彼女は畳みかけた。

「わたくしの領地でも、古い備蓄倉庫の管理が問題になっておりまして。ネズミや虫害もございますし、何より……帳簿と実際の在庫が合わない、なんていう困った話も耳にしますわ。閣下の管理されている国の倉庫は、そのような心配はございませんでしょうけれど」

 わざとらしく、ため息をつきながら言ってみせる。

 アシュターは、紅茶を飲む手を止め、じっとスカーレットの顔を見つめた。
 その瑠璃色の瞳の奥で、鋭い光が明滅している。
 この令嬢は、偶然にしてはあまりにも的確に、問題の核心に触れてくる。
 やはり、何かを知っているのか? それとも、彼女自身が陰謀の一端を担っているというのか?

「……国の管理は完璧だ。君が心配することではない」

 アシュターはそう答えつつも、スカーレットの言葉を無視することはできなかった。
 彼女の指摘は、彼自身が薄々感じていた懸念と奇妙に一致していたからだ。
 彼は、スカーレットへの疑念を深めると同時に、彼女の警告が真実味を帯びている可能性も考慮し始めていた。
 そして、秘密裏に腹心の部下に命じ、国の備蓄倉庫の状況と、マルティン侯爵周辺の金の流れについて、再調査を開始させたのである。

 食糧横流し事件が起こるはずの、満月の夜が近づいていた。
 スカーレットは、計画の最終段階――匿名で真犯人の証拠のありかを記した手紙を、アシュターではなく、信頼できる第三者に送る――準備を進めていた。
 アシュターも、部下からの報告により、備蓄倉庫の帳簿に不審な点があること、そしてマルティン侯爵の怪しい動きを掴みつつあった。

 二人の意図は異なるかもしれない。
 しかし、目指す方向は同じ。
 アシュターを陥れる陰謀を阻止すること。
 運命の夜に向けて、水面下で、それぞれの戦いが始まろうとしていた。
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