王宮の万能メイド、偏屈魔術師を餌付けする

葉山あおい

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第十八話 意地悪なティータイムと完璧な茶葉

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 翌日の午後。シルヴィスがグレアムに呼び出され、書斎へ向かっている間のことだった。

 部屋でシフォンのブラッシングをしていたエレナの元に、一人のメイドが訪れた。

「エレナ・フォスター。奥様がお呼びよ。庭園の東屋へいらっしゃい」

 呼び捨てだった。昨日、埃まみれの部屋を完璧に掃除してみせたことで、屋敷の使用人たちはエレナに対して「何か底知れないもの」を感じてはいるものの、敵意までは消えていないようだ。

 エレナはブラシを置き、鏡の前でエプロンの皺を伸ばした。

「かしこまりました。すぐに向かいます」

 シルヴィスがいないタイミングを狙った呼び出し。ただの雑談で終わるはずがない。

 エレナは気合を入れ直し、庭園へと足を向けた。

 ***

 クローデル侯爵家の庭園は、美しかった。

 幾何学模様に刈り込まれた植え込み、咲き誇る白薔薇、そして噴水の水音。その中心にある白いガゼボに、ベアトリスと、二人の貴婦人たちが優雅に座っていた。取り巻きは近隣の伯爵夫人たちだろう。

「ごきげんよう、皆様」

 エレナが近づき、深く一礼すると、楽しげな会話がピタリと止まった。三人の視線が、一斉にエレナに突き刺さる。

「あら、来たわね。……よくて? 今日は特別に、平民の貴女を私たちのティータイムに混ぜてさしあげます。シルヴィスの傍仕えが、どの程度の教養を持っているのか、ぜひ見せてちょうだい」

「身に余る光栄です」

「ふふ、そんな硬くならないで。さあ、どうぞ」

 促された席は、日差しが一番強く当たる場所だった。エレナは表情を変えずに着席する。

 テーブルの上には、見たこともないほど繊細な絵付けがされた磁器のティーセットと、宝石のように美しい焼き菓子が並べられている。

「今日のお茶は、王都から取り寄せた最高級品なの。……平民の娘さんには、少し味が複雑すぎて分からないかもしれないけれど」

 ベアトリスが扇子で口元を隠して笑うと、取り巻きたちも追従してクスクスと笑った。

 メイドがポットから紅茶を注ぐ。水色は非常に濃い赤褐色。湯気と共に、強い香りが立ち上る。

(……ほう)

 エレナの眉が、誰にも気づかれないほど僅かに動いた。

 カップを手に取る。香りを嗅ぐ。そして、一口。舌の上で転がし、喉を通す。瞬間、強烈な渋みとえぐ味が口内を襲った。さらに、紅茶本来の香りとは異なる、どこか刺激的な異臭が鼻に抜ける。

 決して毒ではない。飲めないものではない。だが、紅茶を愛する者ならば冒涜と叫びたくなるような代物だった。

「どう? お味は?」

 ベアトリスが、獲物を見下ろす捕食者の目で問いかけてきた。

 彼女たちのカップには、別のポットから注がれたまともな紅茶が入っているのだろう。エレナだけが、この失敗作を飲まされている。

 もし「美味しい」と答えれば、「こんな酷いお茶を美味しいと言うなんて、やはり舌が貧しいのね」と嘲笑われる。「不味い」と答えれば、「最高級品を否定するなんて、無礼な娘だ」と断罪される。どちらに転んでも、エレナの負け。そういう筋書きだ。

 エレナはカップをソーサーに音もなく戻し、静かに口を開いた。

「……素晴らしい茶葉でございますね。これは『サファイア・ブラック』。それも、東方の高地で収穫され、三年ほど熟成させたヴィンテージとお見受けします」

 その瞬間、ベアトリスの顔から余裕が消えた。

「……その通り。……よく勉強しているわね」

 『サファイア・ブラック』は、茶葉の重さがそのまま金の価値に匹敵すると言われる幻の紅茶だ。一般市場には出回らず、王族や一部の上級貴族しか入手できない。

「王宮の夜会でも時折供されるものですので。……ですが」

 エレナは言葉を切り、残念そうにポットを見つめた。

「非常に申し上げにくいのですが、奥様。この茶葉、保管場所の湿度が少々高かったようです。それに、近くに香辛料……おそらくナツメグかシナモンの瓶を置いていらっしゃいませんか?」

「……なんですって?」

「茶葉が湿気を吸い、さらに香辛料の匂いが移ってしまっております。これでは、サファイア・ブラック特有の『蘭の花のような香り』が台無しです」

 それは、ベアトリス自身も気付いていない事実だった。

 ベアトリスは紅茶を飲む習慣はあるが、管理は全て使用人任せ。最近、厨房の配置換えがあり、高級茶葉の缶がスパイス棚の横に移動されていたことを、エレナは味と香りだけで見抜いたのだ。

 取り巻きの貴婦人たちが、ざわめき始める。

「まあ、香辛料の匂いですって?」

「どういうことかしら……」

 ベアトリスのこめかみが、ピクリと動く。

「……それは、我が家、クローデル侯爵家の管理が杜撰だとおっしゃりたいのかしら」

「いえ、そうは申しません。茶葉を入手する前の段階――輸送方法に問題があった可能性もございます。ただ、これほどの茶葉が本来の持ち味を発揮できぬまま消費されてしまうのは、いささか勿体ないと存じます。……失礼ながら、私が淹れ直してもよろしいでしょうか?」

「……そこまで言うのなら、やってごらんなさい」

 エレナは立ち上がった。その動きには、王宮に仕えるメイドとしての威厳が満ちていた。

 エレナはサイドテーブルに置かれていた予備のポットと茶葉の缶を手に取った。缶を開け、中の状態を確認する。やはり、湿気ている。だが、エレナは諦めない。

 フライパンはないが、キャンドルウォーマーがあった。彼女は小さな皿に茶葉を出し、ウォーマーの火で軽く焙り始めた。

「……それは何を?」

 貴婦人の一人が、おずおずと口を開く。

「焙煎して、湿気と移り香を飛ばしております」

 数秒後。香ばしく、そして華やかな香りがガゼボに広がり始めた。先程までのどんよりとした臭みやスパイスの匂いは消え、純粋な紅茶の香りが蘇る。

「先ほど拝見しましたが、抽出の温度も高すぎるかと。この茶葉は、沸騰したお湯ではなく、一呼吸置いた九十度前後のお湯で淹れるのが鉄則。グラグラと煮立ったお湯で淹れては、渋みが出るばかりです」

 エレナはお湯の温度を手の平で確かめ、絶妙なタイミングでポットに注ぐ。砂時計など見ない。茶葉が湯の中で踊り、開く音を聞く。

「……どうぞ」

 エレナが新たに注いだカップを、ベアトリスの前に差し出した。水色は透き通るような琥珀色。立ち上る湯気は、まるで花束のように甘く香る。

 ベアトリスは、震える手でカップを口に運んだ。拒否したかった。だが、その香りの誘惑には勝てなかった。

「…………」

 言葉が出なかった。渋みなど一切ない。蜂蜜のような甘みと、奥深いコク。そして鼻に抜ける高貴な香り。自分が今まで飲んでいた最高級紅茶とは、一体何だったのかと思うほどの衝撃。

「……美味しい……」

 取り巻きの夫人からも、ため息のような感想が漏れた。誰も、エレナを嘲笑うことなどできなかった。そこにあるのは、圧倒的な実力の差だけだ。

 エレナは静かに一礼した。

「茶葉の保管方法につきましては、後ほどメイド長にメモを渡しておきます」

 それは完全なる勝利宣言だった。

「……とても、勉強になったわ」

 ベアトリスはカップを握りしめたまま、悔しさと感動の入り混じった複雑な顔で言葉を紡いだ。

 エレナは涼しい顔で自分の分の紅茶を一口飲み、心の中で呟いた。

(このクッキーは絶品ですね。後でシルヴィス様にも持っていってあげましょう)
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