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1、運命の乙女との邂逅
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藤家は医学に精通した一族で、医師としても
民からの信頼を得ている。栄華を極めているが、
後継者がいないことで、滅びることはあってはならない。
隆(りゅう)皇帝は皇太子に帝位を譲ることにした。
名は青(せい)、齢は26。
白皙の美貌は、冷たささえ感じるほど。
彼に見つめられると魂を抜かれると言う噂まであった。
だが、実際は彼に近づける女性は存在しなかったという。
過去に秘めた恋をしたがかなわなかったことで
もう人を愛せないとまで思いつめていたのだ。
そんな彼を哀れに思う親心と
国が滅びることの憂いを天秤にかけた
隆皇帝は、青を呼びだした。
彼は医師の卵として人に名前を知られ始めたばかり。
若く麗しい医師が、皇太子だということは、
皇家と一部の人間しか預かりすらぬことではあったが。
隆(りゅう)皇帝は、目の前に座した息子に問いを投げかける。
青は影をにじませた眼差しで父親を見つめていた。
「……呼び出された理由はわかってるの?」
「どうせ退位するとか言うんだろ。
俺に譲位するのは早い気がするし、
頼りになる義兄さんにでも任せればいい。
年齢的にもちょうどいいんじゃないか?」
「直系じゃなければ意味はないよ!
別に男子の血統しか跡目を継げない決まりでもないし、
翠に譲ることも考えたが、無理の一言で断られて今に至るんだ。
国が滅びる未来を憂えて余生を過ごせと言うの! 鬼畜!」
「俺は何年も前から政務の補佐をしていますし、
譲位を考えたのかもしれませんがまだ未熟です。
そんなの知ってるくせに何言ってるんだ。このぼんくらが」
青は父に向かって猛烈な毒を吐いた。
「……医師のお仕事も頑張ってるよね。
藤一族にとって医学は切っても切り離せない。
だからこそ皇位を継ぐものとして医師を目指してくれたんだよね。
なら、ここで一歩踏み出して皇帝になっちゃおうよ!」
「そんな軽い言い方するな。俺のせいで国が滅びてもいいんだな?」
「皇太子が何てこと言うんだ!!」
「人を愛することはできない俺に、
誰かと婚姻を結ぶことは無理だ。
そんなの知っておられますよね。父上」
青は、舌打ちし、父はため息を吐く。
「滅ぼす気なんてないくせに。
何が人を愛せないだ。青は逃げてるだけで、
きっと本当に愛せる人を見つけられるよ」
「……どうだか」
「一年間の猶予をあげるよ。
その間に運命の人を見つけて連れてきなさい。
できなければ有無を言わさずこちらの
紹介した人と結婚してもらうからね」
「……結婚しなくていいのなら跡を継ぎますが。
なんなら養子をもらいますし」
なかなか話がまとまらず隆皇帝もそろそろ疲れ始めていた。
「青ひとりで子育てなんて無理に決まってる。
母親がいないなんてかわいそうだよ」
「……父上を見ていたのでできますよ。
姉と俺を立派に育て上げてくれたでしょう?」
「こういう時ばかり持ち上げても駄目だからね!」
父は引き下がらない。
「そうだ。後宮で何人かみつくろえばいいよ。
君好みの女性もいるんじゃない?」
「人をそんなに軽く扱うものではありません。
父上も亡き母以外に誰も見つけなかったのだから、
俺にそれを言う資格はないですよね」
真面目腐った答えだがとても良識的ではあった。
「……うん。ごめんね」
隆皇帝は、息子に対し殊勝に謝罪した。
そんな父の姿に怯んだ青は、ふうと息を吐く。
心なしか罪悪感を浮かべた表情をしている。
彼は、袖に隠した父の本当の表情を知ることはない。
「父上が認める人を
見つけてくればいいんでしょう。
子の一人でも身ごもらせて紹介すれば、
お世継ぎとしても認めてくれるってわけだ」
青は立ちあがった。
「青、期待していいのかな?」
「後宮に女を侍らせた生活を送るくらいなら、
最愛の女性を見つけてみせますよ。
あなたが母を娶った時のように、
身分は関係なく運命を感じた一人をね」
「……出会いはどこに落ちているかわからない。
真面目で堅物な君が嫌いそうな酒楼とかね」
「余計なお世話だ!」
青は、勢いよく皇帝の間を扉を閉めた。
扉が震えるほどの大音響だった。
今日も医師として民の家に訪れる。
数日前、診療所をたずねてきた少女に
頼まれ直接家へ診察に来たのだ。
薬を処方し、体温を測り滋養のある食事をアドバイスした。
少女の母親は少し重い病気にかかっている。
「支払いは大丈夫です。
今は治すことだけ考えてください。
沙矢嬢のお母さまが早く回復されますように」
「先生、ありがとうございます」
母親は大層な美人で、母に似た娘も麗しい少女だった。
父親を幼い日に亡くして母一人、子一人で暮らしている
二人は決して経済状況がいいとは言えない。
貧しい家からは診察料を取らない方針だった。
父からの教えであるがそれを疑問に思ったことはない。
貧富の差が激しい国のため、裕福な人々もいれば貧しい人々もいる。
その分、裕福な人々から報酬を頂けばいいだけだと考えていた。
「青先生、隆先生もお元気でしょうか?
昔、沙矢を出産する時にお世話になったんです」
父は引退したが、医師として活躍していた。
産院を営んでいたという。
沙矢の母親・千沙は娘に支えられながら、身を起こした。
咳がかからないように横を向いているあたりとても気遣う女性だ。
「はい。相変わらず元気ですよ。
千沙さんにお会いしたと伝えたら喜ぶでしょう」
「まあ。嬉しいわ」
「千沙さん、くれぐれも無理をなさらないでくださいね。
この薬でお元気になられることを願います」
告げて、背を向ける。
沙矢は後姿を見ていたが、彼の眼差しに気づき
その背中を追った。
「お母さん、先生とお話してくるわね」
水無月家の外で青は少女と向かい合っていた。
「先生、ごめんなさい。今日もお支払いできなくて。
治療費が払えないのに来てくださる言葉に甘えて二回も……」
「気にしなくていい。早く元気になってくれることが、
何よりの報酬だ」
「そんなわけにはいかないわ……」
うつむいた沙矢だったが、
潤んだ眼差しで顔を上げる。
青は見ていていたたまれない気持ちになった。
「……沙矢は母親思いのいい子だな。
毎日、家事をこなし外にも働きに出ているだろう?」
「……お薬代を払うためには足りないの。
もっと稼がなくちゃ。いいご飯も食べさせてあげたいし」
俺がお前を助けると言えない俺は、黒髪を梳いて肩を抱くしかできない。
「危ないことはするなよ。母親が悲しむ」
「……うん」
青は、その言葉を信じることにした。
沙矢は焦っている。
母親の病の治療費と生活費を賄うため、
その方法を探っているようだった。
一年前、出逢ってから芯の強さと頑張る姿に、
胸を打たれているけれど、どうしてなのかはわからない。
あどけない表情を浮かべる彼女への保護欲なのかそれとも。
(妹のように思うのとはまた違う気もする)
「……どういうことなんだろう」
独りごち、煙管を吹かす。
だだっ広い部屋には、呼ばない限り
使用人なども訪れない。
静かで空虚な自分だけの空間。
窓際に膝を立てて、煙管を吸う時は
本来の自分に帰れる。
「ただの錯覚か」
珍しい青い瞳は、澄み切った空というより
深海の底のようだ。
西洋の血を引いているとも聞いたことがあるが詳細は知らない。
髪の色は父や姉と同じ黒だが、
生まれた時は違う色だったという。
目の色は変わることがなかった。
「……恋か。そんなの俺には」
やりきれない気持ちをごまかすためだろうか。
普段しないことをしてみようと考えた。
三日後、ふらりと街をさまよいたどり着いたのは、酒楼。
他の店で働くより給料はいいため若い娘が多く働いていた。
その理由を知らなかった青は、店のシステムを聞き茫然とする。
「ここはお酒を楽しむ健全なお店じゃないんですか?」
「……何にでも抜け道はありますからね。
お金さえ払えば店の二階で、女性店員と
癒しのひと時を過ごせるんですよ。
もちろん店だけの利益ではなく、
働きに来た娘さんにも給料は弾みます。
最初に接待ができるか面接で聞くことにしているんですが」
何も言わなかった。
「あなたのような方に買われるなら、
本望でしょうね。好みの娘(こ)を見繕いましょうか。
今日から入った子が綺麗な子でね」
矢継ぎ早に繰り出され、辟易する。
「あなたは高級酒楼ではなくうちを選んでくれたんだから、
特別なサービスをしてもいい」
「どこでもよかったんですよ。
普段しないようなことをしてみたかっただけで」
店主は青の顔を食い入るように見つめ、驚いた顔をした。
「もしかして……」
「失礼します」
店主が何かに気づいた顔をしたので席を立った。
(やはり酒は、宮で飲むのがいい。
外で飲むなんて気まぐれ起こすんじゃなかった)
お代だけ置いて店を出て行こうとした。
その時だった。
可憐な少女が、酒瓶を運んでいるのが見えた。
すらりとした身に女性らしさを持ちわせた彼女は……。
(まさか……!)
「先生、あの子に目をつけるとはさすがですね」
名乗らずとも、素性は半分バレている。
「今日から入ったのはあの子です。
19歳と言ってたが、もしやまだ」
下世話な言葉が続きそうで言葉を継げないようにした。
「彼女の給仕が受けたい。部屋を用意してくれ」
「承知しました。沙矢、こちらへ」
お盆だけを手に戻ってきたのは、三日前
憂いを浮かべていた少女だった。
彼女はこちらを見た瞬間、お盆を取り落とす。
目を見開いていたが、慌ててお盆を床から広い片づけた。
「この方が、お前に給仕をしてほしいそうだよ。
大丈夫だね?」
「……はい」
わずかな躊躇いののち沙矢は返事をした。
大きな栗色の瞳が瞬く。
視線が絡む。
俺は沙矢の手を取った。
沙矢はこちらを見上げ微笑みかける。
「こちらで一番いい部屋をお願いします」
心臓が高く鳴り響く。
「ごゆっくり」
店主の言葉がとても白々しく感じた。
何も言わない沙矢だが、先導して歩いていく。
「昨日、面接に来た時にお店の中を案内してもらいました。
お部屋にご案内するのは店員の務めなんです」
(……沙矢?)
部屋の前にたどり着いた時、彼女を見下ろした。
その眼差しは、強い引力でこちらを絡めとる。
「……酒を飲みに来ただけだ」
「青先生、お部屋で給仕の意味は教えてもらいました」
扉の鍵を沙矢が開ける。
開かれた部屋の中に二人で入った。
「お酒をお持ちしますね。
まだ飲まれてないんでしょう?」
「……、あ、ああ」
卓の前に座っていると沙矢は戻ってきた。
お盆から酒瓶を卓に移す。
「危ないことをしようとしていたのか」
「面接に来てお仕事の内容を聞いて、
ここならって思いました。
お断りすることもできるって聞いたし」
それは方便だ。
きっと沙矢なら、数多の男に求められてしまう。
自分では気づいていないのかもしれないが、
容姿にくわえ魅惑的な肢体も持っている。
欲にまみれた男が目をつけるのは時間の問題だ。
(それならいっそ……)
「青先生がこういう所に来るのは珍しいんじゃないですか?」
「……初めて来たよ」
決断を下そう。
今宵限りでここをやめさせるように仕向けるか。
それとも、ここに通い続けることを選ぶか。
いや決まりきっている。
仕事をしている限り断り続けることは無理で、
俺以外の男に触れられる可能性は高いのだ。
「働くのをやめようとは思わなかったのか?」
「……だって、あなたに会えたじゃない」
狂おしさを込めて身の内に抱きしめた。
自然と唇を重ねる。
柔らかい唇をむさぼり華奢な背を抱きしめた。
清らかな表情を浮かべて、最大限の誘惑をした。
異性をこんなにもほしいと願ったのは初めてだった。
「そんな風に他の奴にも言うのかと思ったら、
嫉妬で心が焼ききれそうだ」
「言わない。演技なんてできないもの」
「本音なのか?」
「……はい」
唇が、言葉を紡がぬうちに深い口づけをした。
卓に置かれた酒瓶から、酒を注いでくれる。
一口で飲みきり、奥の部屋へと腕を引く。
「……本当はこんなところじゃない場所で
お前を抱きたかった」
見開いた瞳から涙がこぼれ落ちる。
ゆっくりと沙矢の身体を横たえていく。
自分の宮の臥所ほどではないが、
立派な部屋だった。
「……うぬぼれてもいいの?」
「うぬぼれじゃない。お前だけだ」
部屋の明かりは最小限にした。
黒髪が流れ落ちる様さえ美しい。
背中を腕に抱いて横たえていく。
この店の制服なのか露出度の高い服を着ていたのも気に入らない。
半ば強引に脱がせて、悦に浸る。
彼女はされるがまま身を任せていた。
悲しそうな風情が気にかかったが、
もちろん遊びなんかじゃない。
本気で愛すことしかしらないのだ。
三度目のキスは、理性を完全に奪うもの。
「愛してる」
耳元でささやいた。
「はい。私も」
伝えずに、欲しがるのは間違いだと思った。
民からの信頼を得ている。栄華を極めているが、
後継者がいないことで、滅びることはあってはならない。
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名は青(せい)、齢は26。
白皙の美貌は、冷たささえ感じるほど。
彼に見つめられると魂を抜かれると言う噂まであった。
だが、実際は彼に近づける女性は存在しなかったという。
過去に秘めた恋をしたがかなわなかったことで
もう人を愛せないとまで思いつめていたのだ。
そんな彼を哀れに思う親心と
国が滅びることの憂いを天秤にかけた
隆皇帝は、青を呼びだした。
彼は医師の卵として人に名前を知られ始めたばかり。
若く麗しい医師が、皇太子だということは、
皇家と一部の人間しか預かりすらぬことではあったが。
隆(りゅう)皇帝は、目の前に座した息子に問いを投げかける。
青は影をにじませた眼差しで父親を見つめていた。
「……呼び出された理由はわかってるの?」
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頼りになる義兄さんにでも任せればいい。
年齢的にもちょうどいいんじゃないか?」
「直系じゃなければ意味はないよ!
別に男子の血統しか跡目を継げない決まりでもないし、
翠に譲ることも考えたが、無理の一言で断られて今に至るんだ。
国が滅びる未来を憂えて余生を過ごせと言うの! 鬼畜!」
「俺は何年も前から政務の補佐をしていますし、
譲位を考えたのかもしれませんがまだ未熟です。
そんなの知ってるくせに何言ってるんだ。このぼんくらが」
青は父に向かって猛烈な毒を吐いた。
「……医師のお仕事も頑張ってるよね。
藤一族にとって医学は切っても切り離せない。
だからこそ皇位を継ぐものとして医師を目指してくれたんだよね。
なら、ここで一歩踏み出して皇帝になっちゃおうよ!」
「そんな軽い言い方するな。俺のせいで国が滅びてもいいんだな?」
「皇太子が何てこと言うんだ!!」
「人を愛することはできない俺に、
誰かと婚姻を結ぶことは無理だ。
そんなの知っておられますよね。父上」
青は、舌打ちし、父はため息を吐く。
「滅ぼす気なんてないくせに。
何が人を愛せないだ。青は逃げてるだけで、
きっと本当に愛せる人を見つけられるよ」
「……どうだか」
「一年間の猶予をあげるよ。
その間に運命の人を見つけて連れてきなさい。
できなければ有無を言わさずこちらの
紹介した人と結婚してもらうからね」
「……結婚しなくていいのなら跡を継ぎますが。
なんなら養子をもらいますし」
なかなか話がまとまらず隆皇帝もそろそろ疲れ始めていた。
「青ひとりで子育てなんて無理に決まってる。
母親がいないなんてかわいそうだよ」
「……父上を見ていたのでできますよ。
姉と俺を立派に育て上げてくれたでしょう?」
「こういう時ばかり持ち上げても駄目だからね!」
父は引き下がらない。
「そうだ。後宮で何人かみつくろえばいいよ。
君好みの女性もいるんじゃない?」
「人をそんなに軽く扱うものではありません。
父上も亡き母以外に誰も見つけなかったのだから、
俺にそれを言う資格はないですよね」
真面目腐った答えだがとても良識的ではあった。
「……うん。ごめんね」
隆皇帝は、息子に対し殊勝に謝罪した。
そんな父の姿に怯んだ青は、ふうと息を吐く。
心なしか罪悪感を浮かべた表情をしている。
彼は、袖に隠した父の本当の表情を知ることはない。
「父上が認める人を
見つけてくればいいんでしょう。
子の一人でも身ごもらせて紹介すれば、
お世継ぎとしても認めてくれるってわけだ」
青は立ちあがった。
「青、期待していいのかな?」
「後宮に女を侍らせた生活を送るくらいなら、
最愛の女性を見つけてみせますよ。
あなたが母を娶った時のように、
身分は関係なく運命を感じた一人をね」
「……出会いはどこに落ちているかわからない。
真面目で堅物な君が嫌いそうな酒楼とかね」
「余計なお世話だ!」
青は、勢いよく皇帝の間を扉を閉めた。
扉が震えるほどの大音響だった。
今日も医師として民の家に訪れる。
数日前、診療所をたずねてきた少女に
頼まれ直接家へ診察に来たのだ。
薬を処方し、体温を測り滋養のある食事をアドバイスした。
少女の母親は少し重い病気にかかっている。
「支払いは大丈夫です。
今は治すことだけ考えてください。
沙矢嬢のお母さまが早く回復されますように」
「先生、ありがとうございます」
母親は大層な美人で、母に似た娘も麗しい少女だった。
父親を幼い日に亡くして母一人、子一人で暮らしている
二人は決して経済状況がいいとは言えない。
貧しい家からは診察料を取らない方針だった。
父からの教えであるがそれを疑問に思ったことはない。
貧富の差が激しい国のため、裕福な人々もいれば貧しい人々もいる。
その分、裕福な人々から報酬を頂けばいいだけだと考えていた。
「青先生、隆先生もお元気でしょうか?
昔、沙矢を出産する時にお世話になったんです」
父は引退したが、医師として活躍していた。
産院を営んでいたという。
沙矢の母親・千沙は娘に支えられながら、身を起こした。
咳がかからないように横を向いているあたりとても気遣う女性だ。
「はい。相変わらず元気ですよ。
千沙さんにお会いしたと伝えたら喜ぶでしょう」
「まあ。嬉しいわ」
「千沙さん、くれぐれも無理をなさらないでくださいね。
この薬でお元気になられることを願います」
告げて、背を向ける。
沙矢は後姿を見ていたが、彼の眼差しに気づき
その背中を追った。
「お母さん、先生とお話してくるわね」
水無月家の外で青は少女と向かい合っていた。
「先生、ごめんなさい。今日もお支払いできなくて。
治療費が払えないのに来てくださる言葉に甘えて二回も……」
「気にしなくていい。早く元気になってくれることが、
何よりの報酬だ」
「そんなわけにはいかないわ……」
うつむいた沙矢だったが、
潤んだ眼差しで顔を上げる。
青は見ていていたたまれない気持ちになった。
「……沙矢は母親思いのいい子だな。
毎日、家事をこなし外にも働きに出ているだろう?」
「……お薬代を払うためには足りないの。
もっと稼がなくちゃ。いいご飯も食べさせてあげたいし」
俺がお前を助けると言えない俺は、黒髪を梳いて肩を抱くしかできない。
「危ないことはするなよ。母親が悲しむ」
「……うん」
青は、その言葉を信じることにした。
沙矢は焦っている。
母親の病の治療費と生活費を賄うため、
その方法を探っているようだった。
一年前、出逢ってから芯の強さと頑張る姿に、
胸を打たれているけれど、どうしてなのかはわからない。
あどけない表情を浮かべる彼女への保護欲なのかそれとも。
(妹のように思うのとはまた違う気もする)
「……どういうことなんだろう」
独りごち、煙管を吹かす。
だだっ広い部屋には、呼ばない限り
使用人なども訪れない。
静かで空虚な自分だけの空間。
窓際に膝を立てて、煙管を吸う時は
本来の自分に帰れる。
「ただの錯覚か」
珍しい青い瞳は、澄み切った空というより
深海の底のようだ。
西洋の血を引いているとも聞いたことがあるが詳細は知らない。
髪の色は父や姉と同じ黒だが、
生まれた時は違う色だったという。
目の色は変わることがなかった。
「……恋か。そんなの俺には」
やりきれない気持ちをごまかすためだろうか。
普段しないことをしてみようと考えた。
三日後、ふらりと街をさまよいたどり着いたのは、酒楼。
他の店で働くより給料はいいため若い娘が多く働いていた。
その理由を知らなかった青は、店のシステムを聞き茫然とする。
「ここはお酒を楽しむ健全なお店じゃないんですか?」
「……何にでも抜け道はありますからね。
お金さえ払えば店の二階で、女性店員と
癒しのひと時を過ごせるんですよ。
もちろん店だけの利益ではなく、
働きに来た娘さんにも給料は弾みます。
最初に接待ができるか面接で聞くことにしているんですが」
何も言わなかった。
「あなたのような方に買われるなら、
本望でしょうね。好みの娘(こ)を見繕いましょうか。
今日から入った子が綺麗な子でね」
矢継ぎ早に繰り出され、辟易する。
「あなたは高級酒楼ではなくうちを選んでくれたんだから、
特別なサービスをしてもいい」
「どこでもよかったんですよ。
普段しないようなことをしてみたかっただけで」
店主は青の顔を食い入るように見つめ、驚いた顔をした。
「もしかして……」
「失礼します」
店主が何かに気づいた顔をしたので席を立った。
(やはり酒は、宮で飲むのがいい。
外で飲むなんて気まぐれ起こすんじゃなかった)
お代だけ置いて店を出て行こうとした。
その時だった。
可憐な少女が、酒瓶を運んでいるのが見えた。
すらりとした身に女性らしさを持ちわせた彼女は……。
(まさか……!)
「先生、あの子に目をつけるとはさすがですね」
名乗らずとも、素性は半分バレている。
「今日から入ったのはあの子です。
19歳と言ってたが、もしやまだ」
下世話な言葉が続きそうで言葉を継げないようにした。
「彼女の給仕が受けたい。部屋を用意してくれ」
「承知しました。沙矢、こちらへ」
お盆だけを手に戻ってきたのは、三日前
憂いを浮かべていた少女だった。
彼女はこちらを見た瞬間、お盆を取り落とす。
目を見開いていたが、慌ててお盆を床から広い片づけた。
「この方が、お前に給仕をしてほしいそうだよ。
大丈夫だね?」
「……はい」
わずかな躊躇いののち沙矢は返事をした。
大きな栗色の瞳が瞬く。
視線が絡む。
俺は沙矢の手を取った。
沙矢はこちらを見上げ微笑みかける。
「こちらで一番いい部屋をお願いします」
心臓が高く鳴り響く。
「ごゆっくり」
店主の言葉がとても白々しく感じた。
何も言わない沙矢だが、先導して歩いていく。
「昨日、面接に来た時にお店の中を案内してもらいました。
お部屋にご案内するのは店員の務めなんです」
(……沙矢?)
部屋の前にたどり着いた時、彼女を見下ろした。
その眼差しは、強い引力でこちらを絡めとる。
「……酒を飲みに来ただけだ」
「青先生、お部屋で給仕の意味は教えてもらいました」
扉の鍵を沙矢が開ける。
開かれた部屋の中に二人で入った。
「お酒をお持ちしますね。
まだ飲まれてないんでしょう?」
「……、あ、ああ」
卓の前に座っていると沙矢は戻ってきた。
お盆から酒瓶を卓に移す。
「危ないことをしようとしていたのか」
「面接に来てお仕事の内容を聞いて、
ここならって思いました。
お断りすることもできるって聞いたし」
それは方便だ。
きっと沙矢なら、数多の男に求められてしまう。
自分では気づいていないのかもしれないが、
容姿にくわえ魅惑的な肢体も持っている。
欲にまみれた男が目をつけるのは時間の問題だ。
(それならいっそ……)
「青先生がこういう所に来るのは珍しいんじゃないですか?」
「……初めて来たよ」
決断を下そう。
今宵限りでここをやめさせるように仕向けるか。
それとも、ここに通い続けることを選ぶか。
いや決まりきっている。
仕事をしている限り断り続けることは無理で、
俺以外の男に触れられる可能性は高いのだ。
「働くのをやめようとは思わなかったのか?」
「……だって、あなたに会えたじゃない」
狂おしさを込めて身の内に抱きしめた。
自然と唇を重ねる。
柔らかい唇をむさぼり華奢な背を抱きしめた。
清らかな表情を浮かべて、最大限の誘惑をした。
異性をこんなにもほしいと願ったのは初めてだった。
「そんな風に他の奴にも言うのかと思ったら、
嫉妬で心が焼ききれそうだ」
「言わない。演技なんてできないもの」
「本音なのか?」
「……はい」
唇が、言葉を紡がぬうちに深い口づけをした。
卓に置かれた酒瓶から、酒を注いでくれる。
一口で飲みきり、奥の部屋へと腕を引く。
「……本当はこんなところじゃない場所で
お前を抱きたかった」
見開いた瞳から涙がこぼれ落ちる。
ゆっくりと沙矢の身体を横たえていく。
自分の宮の臥所ほどではないが、
立派な部屋だった。
「……うぬぼれてもいいの?」
「うぬぼれじゃない。お前だけだ」
部屋の明かりは最小限にした。
黒髪が流れ落ちる様さえ美しい。
背中を腕に抱いて横たえていく。
この店の制服なのか露出度の高い服を着ていたのも気に入らない。
半ば強引に脱がせて、悦に浸る。
彼女はされるがまま身を任せていた。
悲しそうな風情が気にかかったが、
もちろん遊びなんかじゃない。
本気で愛すことしかしらないのだ。
三度目のキスは、理性を完全に奪うもの。
「愛してる」
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「はい。私も」
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