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2、彼と出会えた僥倖。(☆☆☆)
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母が病気になり青先生に初めて診ていただいたのは一年前のことだった。
貧しいものから診察料の一切をとらない先生がいると耳にし、
半信半疑のまま門をたたいたのだ。
その診療所は、もともと産院だったが、
青先生の代から、他の科目の診療もするようになったという。
この診療所には青(せい)先生と
彼の義兄(お姉さんの旦那様にあたる)さまである陽先生、
医師の手伝いをしている翠さんがいた。
陽先生は、先代の先生の頃から補佐として活躍している名医。
私が対面したのは、陽先生だった。
母の肩を支え、待合室の椅子に座っていると、
陽先生はほがらかに話しかけてきた。
奥様の翠さんが、あたたかいお茶を出してくれた。
患者にこんな手厚い診療所は中々ないだろう。
(診療所にしては大きい施設でとても清潔感のある場所)
私と母はお茶を受け取りゆっくりと飲んだ。
「ちゃんと滋養のあるものを取っていらっしゃいますか?」
陽先生に曖昧にうなずく。
「沙矢はよくやってくれてます。
私の身体がこんなに弱くなければこの子に苦労をかけないですむのに。
この子、18なんですよ。
学ばせてあげて、いずれはいい所にお嫁に……ごほっ」
私は母の背中を撫でた。
「お母さまはいつごろから調子を崩されましたか?」
「一か月ほど前です。それまでは働きに出ていたのですが」
「喀血は?」
「ありません……。でも咳がとまらなくて
呼吸が苦しそうなときがあって」
「青先生にも伝えておきます。
順番待ちしてね」
「あ、あの!?」
「すまない。僕は入院している方々を診なければならなくて。
外から来た患者さんを診察するのは義弟(おとうと)なんだ。
若いけど腕は確かだよ」
ぽん、と肩に手を置き陽先生が、去って行く。
翠さんは受け付けに戻った。
そして、しばらくして母の名前が呼ばれ、
翠さんに診察室へと案内された。
「先生、お願いします!」
「そんな大声を出さなくても聞こえています」
そんなやりとりを聞いた後、開け放たれた扉の中へと入っていく。
「千沙さん、こちらへどうぞ」
診察室の椅子へいざなわれる。
黒く艶のある髪、青く輝く深海の瞳。
青先生はどこか陰のある冴え冴えとした美貌の持ち主だった。
母の隣に立った私は、目の前の人を見上げる。
さきほどの陽先生よりも更に長身だ。
18歳の私とさほど離れていないと思われる彼は、
うっすらと笑みを浮かべる。
「詳しく検査をしてみないと分かりませんが、
陽先生に伺った限り、肺の病だと思います」
母は眼前を見据えている。
「まずは検査をしましょう」
「よろしくお願いします」
検査を終えて受付で薬を受け取り帰宅することになった。
診察代は何とか払えたが、次の診察日には
来られそうにない。
表情で読み取ったのか翠さんは優しく言ってくれた。
「沙矢ちゃんはお母さまを支えてあげることを考えて。
診療代はいらないから」
深々と頭を下げて診療所を後にした。
それから一週間後、母の診療予定日が来た。
薬だけでももらいにいかなければと、
家を出ようとした私は玄関先に現れた大きな影に気づく。
「……こんにちは」
「青先生!」
まばゆさに目がくらむ。
ふらついた私は大きな体に支えられた。
「君のお母様の診察に来ました。
薬も持って来たよ」
やさしい声が耳に届き泣きそうになる。
「お代は後からでもいいですか?」
「かまわない」
先生はそう言い、母を診てくれ薬を処方してくれた。
お茶をお出しするとありがとうと微笑んでくれた。
「次はまた二週間後に伺います。
お大事にしてください。沙矢嬢はこちらへ」
母に告げた彼は私を部屋の外へ連れ出した。
「沙矢嬢も顔色が悪いがちゃんと食べているのか?」
「はい」
「どこがだ。母親のために自分は我慢しているんだろう」
「青先生、嘘はついてないです」
強い口調で言われてびくりとするが反論した。
「……そうか。また来る」
いつしか二週間後に先生がやってくるのを
楽しみにするようになった。
診察をするときっちり二週分の薬を出し去って行く。
仕事に出ているから先生には二回に一度会えるくらいだった。
母は、青先生に心から感謝し、
早く治して恩返しがしたいと言う。
青先生は、私と面会した時、今は静養が肝心だから
無理はいけない。滋養のあるものを食べて
薬を飲めば治ると伝えてくる。
薬は飲んでいれば悪くなることはない。
完治するまでに時間はかかる。
そう理解し、私は生活費と診療費のために
頑張って働きに行った。
朝から晩まで働いても足りなかった。
払えないまま、つけがたまる。
先生は何も言わないが、薬が高額なのは知っていた。
そんな時、いい働き口があると耳にした。
知り合いのおじさんは、そこなら
手っ取り早く稼げるし生活は楽になる。
昼間はお母さんのそばにいてあげられるよと、
言ってくれたから紹介してくれたお店の扉を開いた。
「妓楼じゃなくて酒楼だから大丈夫。
無理なことは断ればいい。沙矢ちゃんなら、
きっと皆が虜になる」
この言葉に、不信感を抱かなかったといえばうそになるが、
私はどうしてもお金が欲しかった。
ここまで育ててくれた母を助けたい。
先生への診察代も薬代も払わなければ。
「ここはお酒をお客さんにお出ししておもてなしするお店です。
女性従業員が癒しの時間を提供し、
日々のお疲れをいやしていただくのがコンセプト。
大衆店ではありますが、身分の卑しいお客さんはいません。
裕福なお方も多く通われています」
「あの……妓楼とは違うんですよね?」
「……そう聞いてました?」
クスッと店主が笑う。
びくり、と足が震えるが逃げ出さないと覚悟を決めてきていた。
(ここで何が待っていようとも)
「妓楼のように技術は要求されませんし、
下働きから少しずつ段階を経ることはありません。
そこが違う所ですかね。
酒楼の従業員はお酒を出すのがメインですが、
お部屋にご案内することもあります」
「あなたはすぐに人気がつきそうだな。
うちの看板娘にもなれそうだ」
舐めるような視線に嫌なものを感じた。
「無理なことはしなくていいんですよね?
そう聞いていたのですが」
「ああ……建前上はそういうことになってるか。
適当な客なら、断れるが
太客は断れないってだけ。
酒だけでいい客もいるにはいるだろうが、
娘さんとの癒しの時間を楽しみに来る人も多い」
「無理なことを引き受けたら、
お給金は更に多くもらえるんでしょうか?」
「もちろん。君はきっと生娘だろう。
見目麗しい君が誠心誠意尽くせば
お小遣いなんかも弾んでもらえるかもしれないよ」
褒められて喜んでいいのだろうか。
(ここでなら生活を楽にし、
先生にも診察代を払える?)
「……頑張ります。働かせてください」
「一目で採用と決めていたよ。今夜からでもどうかな」
店主に強い眼差しを向けた。
「働けます」
「酒楼の従業員はあくまで受け身。
お客様にすべてお任せする形にはなります。忘れないように」
こぶしを握り締めた。
(危ないことをするなと言ってくれた先生に従わない
悪い子でごめんなさい。こんな私なんて
振り向いてなんてもらえないわ)
今日は先輩のお姉さんのお仕事を見て
覚えることと、洗い物などをした。
一応、新人ということで接客はできないと客にも言い添えられていた。
その翌日、私は接客もできるか聞かれ頷いた。
断っても、やめない限り接客をしなければいけなくなるのは
お姉さんの仕事を見ていて理解していた。
憧れてやまない人が、お客さんとして店を訪れているのを目撃したのはそんな折だった。
人並外れた長身、つやつやとした黒髪、
遠目から見ても珍しい青い瞳は彼で間違いがない。
三日前、診察に来た際私にを心配してくれた人。
(青先生!?)
裕福な客も来ると聞いていたがこんなところで会うとは思わなかった。
給仕をした座敷から、戻ってきたところだった。
先生は、店主に何かを話している。
「承知しました。沙矢、こちらへ」
青先生が、信じられないものを見るかのようにこちらを見ていた。
がくがく、と身体が震えお盆を取り落とす。
お盆を床から拾う。
「この方が、お前に給仕をしてほしいそうだよ。
大丈夫だね?」
「……はい」
逡巡する。
(こんなところで会いたくなかった。
どうしてここに来たの?)
瞳を瞬かせる。
青先生と視線が絡んだ。
ぐい、と掴まれた手の力は強い。
その内、自然と心は凪いできた。
青先生を見上げ微笑みかけた。
「こちらで一番いい部屋をお願いします」
私の心臓は壊れそうなくらい高く鳴り響いていた。
「ごゆっくり」
店主の言葉を聞き、彼を先導して歩く。
「昨日、面接に来た時にお店の中を案内してもらいました。
お部屋にご案内するのは店員の務めなんです」
部屋の前にたどり着いた時、見下ろす瞳があった。
強い眼差しを向けると彼も見つめ返してくる。
「……酒を飲みに来ただけだ」
嘯く彼はとてもやさしい人だ。
「青先生、お部屋で給仕の意味は教えてもらいました」
扉の鍵を開けた。
開かれた部屋の中に青先生と入っていく。
「お酒をお持ちしますね。
まだ飲まれてないんでしょう?」
「……、あ、ああ」
緊張しているのか先生はどこか上の空で返事をした。
お酒を用意していると店主がやってきて、
喉を鳴らして笑った。
「あんな美形の給仕をできるなんてよかったじゃないか。
お前はついてるよ」
「……ついているんでしょうね」
乾いた言葉。
店主がぎょっとしたようだが振り返らない。
お盆にお酒とつまみも載せて、
青先生の松部屋の扉を開けた。
(……背中、やっぱり広い)
卓の前で所在なさげにたたずむ青先生がいた。
お盆から酒瓶を卓に移す。
「危ないことをしようとしていたのか」
彼は私を指名した以上、咎める資格はない。
「面接に来てお仕事の内容を聞いて、
ここならって思いました。
お断りすることもできるって聞いたし」
強がった。
青先生が、指名してくれたのは幸運だった。
(……先生じゃなかったらどうだっただろう。
上手く、対応できるのかな)
「青先生がこういう所に来るのは珍しいんじゃないですか?」
「……初めて来たよ」
どんなに色男で女性に慣れていそうに見える人でも、
見かけで判断してはいけなかった。
(あんなに真面目な人だもの……。意外ではないけど)
青先生は、こちらにちらり、と視線を向ける。
「働くのをやめようとは思わなかったのか?」
「……だって、あなたに会えたじゃない」
それしか出てこなかった。
私は、どこまでも子供で浅はかだ。
腕を引かれ、抱きくるめられて息を吐く。
厚い胸板に頬を寄せる。
肩に腕を置かれ、唇が重なる。
時の流れは不思議なほどゆっくりに思えた。
上唇をなぞった舌。
何度もついばまれ、背中を抱きしめられる。
私は大好きな腕の中にいることが、
信じられず……ただ嬉しくて微笑んでいた。
「そんな風に他の奴にも言うのかと思ったら、
嫉妬で心が焼ききれそうだ」
「言わない。演技なんてできないもの」
酒楼の従業員はあくまで受け身と聞いた。
だから、素直な私で彼に応じていいはず。
「本音なのか?」
「……はい」
名前を呼ぼうと思った時には、唇をふさがれていた。
滑らかな動きで舌が入ってくる。
絡められた舌が、熱くてぞくぞくとする心地がした。
ひとしきり口づけをし、身体が離れる。
卓に置いた酒瓶から、盃に酒を注ぐ。
一口で飲み切った青先生は、私の腕を引き、
奥の部屋へといざなった。
「……本当はこんなところじゃない場所で
お前を抱きたかった」
心臓が、跳ねた。
どんな感情が身体を渦巻いているのかわからない。
涙がとめどなくあふれていた。
食事をする部屋と寝室、二間に分かれた部屋は、
この酒楼でも一番いい部屋で決して安くはない。
ここで稼いで支払おうと思っていたが、
当の先生に給仕を求められるとは皮肉だ。
「……うぬぼれてもいいの?」
「うぬぼれじゃない。お前だけだ」
薄明りの中、黒髪と青い瞳がうつる。
布団の上に、髪が流れ落ちる。
力強い腕が、横たえさせてくれた。
胸の谷間まで見えている薄い布地の服を
いらだったように脱がされていく。
(……慣れてるのかな……。
こういう所に来たことなくても経験はあるんだわ)
されるがまま身を任せていた。
深く、唇がむさぼられる。
脳裏が白く濁りぼうっとしてきた。
「愛してる」
耳元に注がれる声は、どこまでも甘かった。
「はい。私も」
あらわになった胸元に大きな手が伸びてくる。
指先でこね、唇に含む。
びく、びくと身体を揺らす私を
彼は何度もかわいいと言い、愛撫を進める。
肌に炎を灯すみたいに唇を落とす。
ちく、と痛んだ次には、淡い快感があった。
「あっ……んっ」
「沙矢」
名前を呼ぶ響き。
この声にいつも焦がれていた。
「私は最初から、大好きだったの!」
こらえきれず抱きついた。
青先生は呻いて、背中越しに髪を撫でる。
「俺は、健気に頑張るお前に
いつしか惹かれていたよ。
そんなに頑張らなくてもいいんだって、
伝えたくて、できなかった」
抱きしめあったまま彼はつぶやく。
「……青先生、うれしい」
「お前は、俺が来なかったら他の男に
抱かれていたのか!?」
急に怒りをあらわされて戸惑う。
「わたし、あなたにお金を返したかったの」
「俺もここは酒を飲むだけの店だと思っていたが、
まさかそういう店だったとはな……」
青先生は、穏やかさをかなぐり捨てたように
肌を暴いていく。
とろけきった私は、うわごとでつぶやいた。
「……先生が最初の人でよかった」
ぽつり、漏らすと先生は激情を突きつけてくる。
「俺が最初で最後だよ。
お前がここで働いて俺に金を払おうとしているのなら、
俺はここで、毎回沙矢を指名する。
働くのをやめないというのならば」
「……っ」
両脚が開かされる。
はしたない恰好で彼に見下ろされていた。
「部屋で給仕をした従業員は身体によくない薬を飲むとも聞いたが?」
「え……」
そんな話は聞いていない。
「……そんなものを飲まなくていい。俺がすべて責任は取る」
背中に爪を立てる。
深い場所に彼が入ってくる。
全部が収まりきり息を吐いた彼を抱きしめると、
ゆっくりと動き出した。
熱いものが胎内に注がれていく。
青先生が言っていた薬は、店主から渡されたが飲まずに捨てた。
翌日の夜、酒楼に出勤し宴会の手伝いをしていたところで、
店主に呼ばれた。
「沙矢、青先生のご指名だよ。
この間の部屋に案内しなさい」
二度目の先生は、この前より艶めいて見えた。
「一緒に食べないか」
彼は、食事を勧めてくれた。
お酒も一口だけ酌み交わす。
口づけの数だけ、戻れなくなる。
私はまだ真実を知らなかった。
嘘だけはないと知っていたから、受け入れていた。
貧しいものから診察料の一切をとらない先生がいると耳にし、
半信半疑のまま門をたたいたのだ。
その診療所は、もともと産院だったが、
青先生の代から、他の科目の診療もするようになったという。
この診療所には青(せい)先生と
彼の義兄(お姉さんの旦那様にあたる)さまである陽先生、
医師の手伝いをしている翠さんがいた。
陽先生は、先代の先生の頃から補佐として活躍している名医。
私が対面したのは、陽先生だった。
母の肩を支え、待合室の椅子に座っていると、
陽先生はほがらかに話しかけてきた。
奥様の翠さんが、あたたかいお茶を出してくれた。
患者にこんな手厚い診療所は中々ないだろう。
(診療所にしては大きい施設でとても清潔感のある場所)
私と母はお茶を受け取りゆっくりと飲んだ。
「ちゃんと滋養のあるものを取っていらっしゃいますか?」
陽先生に曖昧にうなずく。
「沙矢はよくやってくれてます。
私の身体がこんなに弱くなければこの子に苦労をかけないですむのに。
この子、18なんですよ。
学ばせてあげて、いずれはいい所にお嫁に……ごほっ」
私は母の背中を撫でた。
「お母さまはいつごろから調子を崩されましたか?」
「一か月ほど前です。それまでは働きに出ていたのですが」
「喀血は?」
「ありません……。でも咳がとまらなくて
呼吸が苦しそうなときがあって」
「青先生にも伝えておきます。
順番待ちしてね」
「あ、あの!?」
「すまない。僕は入院している方々を診なければならなくて。
外から来た患者さんを診察するのは義弟(おとうと)なんだ。
若いけど腕は確かだよ」
ぽん、と肩に手を置き陽先生が、去って行く。
翠さんは受け付けに戻った。
そして、しばらくして母の名前が呼ばれ、
翠さんに診察室へと案内された。
「先生、お願いします!」
「そんな大声を出さなくても聞こえています」
そんなやりとりを聞いた後、開け放たれた扉の中へと入っていく。
「千沙さん、こちらへどうぞ」
診察室の椅子へいざなわれる。
黒く艶のある髪、青く輝く深海の瞳。
青先生はどこか陰のある冴え冴えとした美貌の持ち主だった。
母の隣に立った私は、目の前の人を見上げる。
さきほどの陽先生よりも更に長身だ。
18歳の私とさほど離れていないと思われる彼は、
うっすらと笑みを浮かべる。
「詳しく検査をしてみないと分かりませんが、
陽先生に伺った限り、肺の病だと思います」
母は眼前を見据えている。
「まずは検査をしましょう」
「よろしくお願いします」
検査を終えて受付で薬を受け取り帰宅することになった。
診察代は何とか払えたが、次の診察日には
来られそうにない。
表情で読み取ったのか翠さんは優しく言ってくれた。
「沙矢ちゃんはお母さまを支えてあげることを考えて。
診療代はいらないから」
深々と頭を下げて診療所を後にした。
それから一週間後、母の診療予定日が来た。
薬だけでももらいにいかなければと、
家を出ようとした私は玄関先に現れた大きな影に気づく。
「……こんにちは」
「青先生!」
まばゆさに目がくらむ。
ふらついた私は大きな体に支えられた。
「君のお母様の診察に来ました。
薬も持って来たよ」
やさしい声が耳に届き泣きそうになる。
「お代は後からでもいいですか?」
「かまわない」
先生はそう言い、母を診てくれ薬を処方してくれた。
お茶をお出しするとありがとうと微笑んでくれた。
「次はまた二週間後に伺います。
お大事にしてください。沙矢嬢はこちらへ」
母に告げた彼は私を部屋の外へ連れ出した。
「沙矢嬢も顔色が悪いがちゃんと食べているのか?」
「はい」
「どこがだ。母親のために自分は我慢しているんだろう」
「青先生、嘘はついてないです」
強い口調で言われてびくりとするが反論した。
「……そうか。また来る」
いつしか二週間後に先生がやってくるのを
楽しみにするようになった。
診察をするときっちり二週分の薬を出し去って行く。
仕事に出ているから先生には二回に一度会えるくらいだった。
母は、青先生に心から感謝し、
早く治して恩返しがしたいと言う。
青先生は、私と面会した時、今は静養が肝心だから
無理はいけない。滋養のあるものを食べて
薬を飲めば治ると伝えてくる。
薬は飲んでいれば悪くなることはない。
完治するまでに時間はかかる。
そう理解し、私は生活費と診療費のために
頑張って働きに行った。
朝から晩まで働いても足りなかった。
払えないまま、つけがたまる。
先生は何も言わないが、薬が高額なのは知っていた。
そんな時、いい働き口があると耳にした。
知り合いのおじさんは、そこなら
手っ取り早く稼げるし生活は楽になる。
昼間はお母さんのそばにいてあげられるよと、
言ってくれたから紹介してくれたお店の扉を開いた。
「妓楼じゃなくて酒楼だから大丈夫。
無理なことは断ればいい。沙矢ちゃんなら、
きっと皆が虜になる」
この言葉に、不信感を抱かなかったといえばうそになるが、
私はどうしてもお金が欲しかった。
ここまで育ててくれた母を助けたい。
先生への診察代も薬代も払わなければ。
「ここはお酒をお客さんにお出ししておもてなしするお店です。
女性従業員が癒しの時間を提供し、
日々のお疲れをいやしていただくのがコンセプト。
大衆店ではありますが、身分の卑しいお客さんはいません。
裕福なお方も多く通われています」
「あの……妓楼とは違うんですよね?」
「……そう聞いてました?」
クスッと店主が笑う。
びくり、と足が震えるが逃げ出さないと覚悟を決めてきていた。
(ここで何が待っていようとも)
「妓楼のように技術は要求されませんし、
下働きから少しずつ段階を経ることはありません。
そこが違う所ですかね。
酒楼の従業員はお酒を出すのがメインですが、
お部屋にご案内することもあります」
「あなたはすぐに人気がつきそうだな。
うちの看板娘にもなれそうだ」
舐めるような視線に嫌なものを感じた。
「無理なことはしなくていいんですよね?
そう聞いていたのですが」
「ああ……建前上はそういうことになってるか。
適当な客なら、断れるが
太客は断れないってだけ。
酒だけでいい客もいるにはいるだろうが、
娘さんとの癒しの時間を楽しみに来る人も多い」
「無理なことを引き受けたら、
お給金は更に多くもらえるんでしょうか?」
「もちろん。君はきっと生娘だろう。
見目麗しい君が誠心誠意尽くせば
お小遣いなんかも弾んでもらえるかもしれないよ」
褒められて喜んでいいのだろうか。
(ここでなら生活を楽にし、
先生にも診察代を払える?)
「……頑張ります。働かせてください」
「一目で採用と決めていたよ。今夜からでもどうかな」
店主に強い眼差しを向けた。
「働けます」
「酒楼の従業員はあくまで受け身。
お客様にすべてお任せする形にはなります。忘れないように」
こぶしを握り締めた。
(危ないことをするなと言ってくれた先生に従わない
悪い子でごめんなさい。こんな私なんて
振り向いてなんてもらえないわ)
今日は先輩のお姉さんのお仕事を見て
覚えることと、洗い物などをした。
一応、新人ということで接客はできないと客にも言い添えられていた。
その翌日、私は接客もできるか聞かれ頷いた。
断っても、やめない限り接客をしなければいけなくなるのは
お姉さんの仕事を見ていて理解していた。
憧れてやまない人が、お客さんとして店を訪れているのを目撃したのはそんな折だった。
人並外れた長身、つやつやとした黒髪、
遠目から見ても珍しい青い瞳は彼で間違いがない。
三日前、診察に来た際私にを心配してくれた人。
(青先生!?)
裕福な客も来ると聞いていたがこんなところで会うとは思わなかった。
給仕をした座敷から、戻ってきたところだった。
先生は、店主に何かを話している。
「承知しました。沙矢、こちらへ」
青先生が、信じられないものを見るかのようにこちらを見ていた。
がくがく、と身体が震えお盆を取り落とす。
お盆を床から拾う。
「この方が、お前に給仕をしてほしいそうだよ。
大丈夫だね?」
「……はい」
逡巡する。
(こんなところで会いたくなかった。
どうしてここに来たの?)
瞳を瞬かせる。
青先生と視線が絡んだ。
ぐい、と掴まれた手の力は強い。
その内、自然と心は凪いできた。
青先生を見上げ微笑みかけた。
「こちらで一番いい部屋をお願いします」
私の心臓は壊れそうなくらい高く鳴り響いていた。
「ごゆっくり」
店主の言葉を聞き、彼を先導して歩く。
「昨日、面接に来た時にお店の中を案内してもらいました。
お部屋にご案内するのは店員の務めなんです」
部屋の前にたどり着いた時、見下ろす瞳があった。
強い眼差しを向けると彼も見つめ返してくる。
「……酒を飲みに来ただけだ」
嘯く彼はとてもやさしい人だ。
「青先生、お部屋で給仕の意味は教えてもらいました」
扉の鍵を開けた。
開かれた部屋の中に青先生と入っていく。
「お酒をお持ちしますね。
まだ飲まれてないんでしょう?」
「……、あ、ああ」
緊張しているのか先生はどこか上の空で返事をした。
お酒を用意していると店主がやってきて、
喉を鳴らして笑った。
「あんな美形の給仕をできるなんてよかったじゃないか。
お前はついてるよ」
「……ついているんでしょうね」
乾いた言葉。
店主がぎょっとしたようだが振り返らない。
お盆にお酒とつまみも載せて、
青先生の松部屋の扉を開けた。
(……背中、やっぱり広い)
卓の前で所在なさげにたたずむ青先生がいた。
お盆から酒瓶を卓に移す。
「危ないことをしようとしていたのか」
彼は私を指名した以上、咎める資格はない。
「面接に来てお仕事の内容を聞いて、
ここならって思いました。
お断りすることもできるって聞いたし」
強がった。
青先生が、指名してくれたのは幸運だった。
(……先生じゃなかったらどうだっただろう。
上手く、対応できるのかな)
「青先生がこういう所に来るのは珍しいんじゃないですか?」
「……初めて来たよ」
どんなに色男で女性に慣れていそうに見える人でも、
見かけで判断してはいけなかった。
(あんなに真面目な人だもの……。意外ではないけど)
青先生は、こちらにちらり、と視線を向ける。
「働くのをやめようとは思わなかったのか?」
「……だって、あなたに会えたじゃない」
それしか出てこなかった。
私は、どこまでも子供で浅はかだ。
腕を引かれ、抱きくるめられて息を吐く。
厚い胸板に頬を寄せる。
肩に腕を置かれ、唇が重なる。
時の流れは不思議なほどゆっくりに思えた。
上唇をなぞった舌。
何度もついばまれ、背中を抱きしめられる。
私は大好きな腕の中にいることが、
信じられず……ただ嬉しくて微笑んでいた。
「そんな風に他の奴にも言うのかと思ったら、
嫉妬で心が焼ききれそうだ」
「言わない。演技なんてできないもの」
酒楼の従業員はあくまで受け身と聞いた。
だから、素直な私で彼に応じていいはず。
「本音なのか?」
「……はい」
名前を呼ぼうと思った時には、唇をふさがれていた。
滑らかな動きで舌が入ってくる。
絡められた舌が、熱くてぞくぞくとする心地がした。
ひとしきり口づけをし、身体が離れる。
卓に置いた酒瓶から、盃に酒を注ぐ。
一口で飲み切った青先生は、私の腕を引き、
奥の部屋へといざなった。
「……本当はこんなところじゃない場所で
お前を抱きたかった」
心臓が、跳ねた。
どんな感情が身体を渦巻いているのかわからない。
涙がとめどなくあふれていた。
食事をする部屋と寝室、二間に分かれた部屋は、
この酒楼でも一番いい部屋で決して安くはない。
ここで稼いで支払おうと思っていたが、
当の先生に給仕を求められるとは皮肉だ。
「……うぬぼれてもいいの?」
「うぬぼれじゃない。お前だけだ」
薄明りの中、黒髪と青い瞳がうつる。
布団の上に、髪が流れ落ちる。
力強い腕が、横たえさせてくれた。
胸の谷間まで見えている薄い布地の服を
いらだったように脱がされていく。
(……慣れてるのかな……。
こういう所に来たことなくても経験はあるんだわ)
されるがまま身を任せていた。
深く、唇がむさぼられる。
脳裏が白く濁りぼうっとしてきた。
「愛してる」
耳元に注がれる声は、どこまでも甘かった。
「はい。私も」
あらわになった胸元に大きな手が伸びてくる。
指先でこね、唇に含む。
びく、びくと身体を揺らす私を
彼は何度もかわいいと言い、愛撫を進める。
肌に炎を灯すみたいに唇を落とす。
ちく、と痛んだ次には、淡い快感があった。
「あっ……んっ」
「沙矢」
名前を呼ぶ響き。
この声にいつも焦がれていた。
「私は最初から、大好きだったの!」
こらえきれず抱きついた。
青先生は呻いて、背中越しに髪を撫でる。
「俺は、健気に頑張るお前に
いつしか惹かれていたよ。
そんなに頑張らなくてもいいんだって、
伝えたくて、できなかった」
抱きしめあったまま彼はつぶやく。
「……青先生、うれしい」
「お前は、俺が来なかったら他の男に
抱かれていたのか!?」
急に怒りをあらわされて戸惑う。
「わたし、あなたにお金を返したかったの」
「俺もここは酒を飲むだけの店だと思っていたが、
まさかそういう店だったとはな……」
青先生は、穏やかさをかなぐり捨てたように
肌を暴いていく。
とろけきった私は、うわごとでつぶやいた。
「……先生が最初の人でよかった」
ぽつり、漏らすと先生は激情を突きつけてくる。
「俺が最初で最後だよ。
お前がここで働いて俺に金を払おうとしているのなら、
俺はここで、毎回沙矢を指名する。
働くのをやめないというのならば」
「……っ」
両脚が開かされる。
はしたない恰好で彼に見下ろされていた。
「部屋で給仕をした従業員は身体によくない薬を飲むとも聞いたが?」
「え……」
そんな話は聞いていない。
「……そんなものを飲まなくていい。俺がすべて責任は取る」
背中に爪を立てる。
深い場所に彼が入ってくる。
全部が収まりきり息を吐いた彼を抱きしめると、
ゆっくりと動き出した。
熱いものが胎内に注がれていく。
青先生が言っていた薬は、店主から渡されたが飲まずに捨てた。
翌日の夜、酒楼に出勤し宴会の手伝いをしていたところで、
店主に呼ばれた。
「沙矢、青先生のご指名だよ。
この間の部屋に案内しなさい」
二度目の先生は、この前より艶めいて見えた。
「一緒に食べないか」
彼は、食事を勧めてくれた。
お酒も一口だけ酌み交わす。
口づけの数だけ、戻れなくなる。
私はまだ真実を知らなかった。
嘘だけはないと知っていたから、受け入れていた。
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