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第11話「もっとじっくり溺れてほしい」
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秘密裏の社内恋愛というのは、とても気を遣うものだ。
ぎりぎりのスリルに神経を苛まれている私は、
スリルさえ楽しんでいる様子の慧一さんに畏怖を抱いている。
始業前に休憩室でキスしてきたことり
たまたま洗面室からでた時に出くわした時、
肩を抱かれ耳元でささやかれたり翻弄されっぱなしだ。
菜都子にだけは課長と交際していることを伝えたけれど、
会社内で、必要以上の接触はやはり気をつけなければいけない。
慧一さんは仕事は厳しいながらも接しやすいと評判だが、
女子社員は仕事以外の話題ではそっけなく接している。
そんな中で私とは特別な何かがあると思われてはよくない。
『今日は一緒に帰ろうか。君も残業がないよね。
休憩室で少し待っててくれるかな』
ささやかれた言葉を思い出し頬を熱くする。
課長は仕事を上手く采配し、ミスもなく乗り切ったので
きっちり残業をせずに終われた。
課長職の慧一さんは、皆を見送った後、部署を後にする。
その待つ時間さえ愛しくて休憩室で、お茶を飲む。
家から持参した緑茶のティーバックだ。
コーヒーは二杯飲んでいるので夜はやめておいた。
慧一さんが、仕事を終えてこちらに手を振るのが見えた。
人がいなくなった部署内。
私も何となく手を振り返したが表情はわずかにぎごちなかった。
休憩室を出て向かい合う。
今日も朝見た時と同じでスーツには一寸の乱れもない。
眼鏡の奥の瞳も柔和だ。
「お疲れ様。今日もみんなよく頑張ってたね。
俺は君たちの課長として鼻が高いよ」
「お疲れ様です。
私も残業だけは避けたくて頑張りました。
家にも持ち帰りたくないし」
「そうだね。パソコンがあればできるけど」
「持ち帰ってまで仕事したくないですよね。
私はリモートワークする自信がないです」
エレベーターに乗り込むと慧一さんが手を繋いできた。
「動画じゃなくて、直で優香の顔が見たいし
個人的には嫌だけど。
電車通勤で危険な目にあうよりいいのかな」
「……遭いません。気をつけてます」
(私の顔を画面越しじゃなくて直で見たいとか、
平然と言わないでほしい)
赤らめた頬に大きな手が触れる。
「プライベートと仕事との切り替えさえできれば、
楽かもね。運動不足にならないようにしなきゃいけないけど」
間近で顔を覗き込まれる。
ソーシャルディスタンスという言葉を今一度考えてほしい。
「近いんですけど」
「いいじゃない。仕事が終わったんだし、
素顔の俺と君に戻れば」
少し背をかがめて肩を抱く腕。
「車に乗るまではやめて」
「お堅いな……。さすが朔お兄さんの教育のたまものだ」
「常識をといてるんです」
キスをされそうだと意識しても唇は重ならない。
エレベーターの扉が開くと強く腕を引かれた。
愛車に乗りこんだ途端、慧一さんは助手席に身を寄せてきた。
密着した状態で唇が、かすめる。
幾度かかすめて離れた唇は、
物足りなさという余韻を残している。
慧一さんは自分の唇よ指でなぞりこちらを振り仰いだ。
「菜都子さんカップルしかしらない状態も燃えるよね」
「燃えません!」
「……意識しすぎてると怪しまれるからね。
君を守るためには気をつけなきゃいけない」
部署異動、支社異動……最悪の場合は退社を命じられる場合もある。
課長職の慧一さんは、部下からの信頼は失墜し仕事に影響が出るかもしれない。
どちらも違う意味でリスクはある。
「そうですよ。
私だってせっかく入れたこの会社をやめたくないです」
「うん。みんなに関係が露見する時は、
婚約した後がいいんじゃないかな。
今日はとりあえずジュエリーショップにカップルリングを見に行こう」
「……二人が同じ時期に嵌めてきたら怪しまれるんじゃないんですか」
「そうだな。首にかければいいんじゃない?
服の中だと気づかれないし二人が共犯だとはわからないでしょ?」
「共犯って何ですか」
「上司と部下、ひみつなふたり」
くすっと微笑みかけられ、うっと怯む。
たっぷりおしゃべりに時間を費やし車は、駐車場から出た。
何となく助手席でうずくまってしまうのは、
見られるのが怖いという意識があるからだ。
「そこまで気にする必要はないよ。
そんな姿もかわいいんだけどね」
とても距離が近い場所でささやかれていた。
慧一さんに連れていかれたジュエリーショップは、外から見てもきらきらしている。
一人で入る場所ではないと気後れしてしまった。
手を繋いでお店の中に入ると照明に照らされた装飾品が
ディスプレイされていた。
「いらっしゃいませ」
綺麗な女性店員が出迎えてくれた。
「婚約指輪みたいなきちっとした感じじゃなくて……
カップルリングを探しに来ました。
まだ付き合って日も浅いものですから」
慧一さんがすらすらと説明すると店員さんはにこやかにうなずいた。
「君のほっそりとした薬指に似合う感じのシンプルなやつがいいよね。
あんまり石はついてない方がいいかな」
「私は……そんなに高くないやつで」
「気にしなくていいのに。
おもちゃの指輪でも君が嵌めたら高価なリングに見えちゃうけど」
(店員さんがそばにいるのに何を言ってるのよ)
「首にかけるチェーンももらえますか。
アレルギーを考えてシルバーじゃないやつで」
「……婚約指輪は堂々と嵌めましょうね」
店員さんに尋ねてさほど時間もかけずにカップルリングを選んだ。
ネックレスチェーンと別の箱に週に収納した指輪は、
慧一さんのマンションに着いて早々お互いの首にかけた。
「どうせお風呂で外すのに今着けるの?」
「外さないよ。お湯くらいじゃさびないと思うし」
慧一さんの手料理を堪能し、バッグに手をかける。
「……ちゃんと泊まる準備して来たんだ?」
「別の部屋を使わせてくれるんですよね?」
慧一さんが、色っぽく見つめてくるので牽制した。
「優香の部屋に行けばいいだけの話か」
からかわれて振り回される。
長くはない付き合いの中で学んでいる。
それ以上は踏み込まない彼に安堵していた私は、
お風呂を使わせてもらい、リビングでうとうとしていた。
生乾きの髪にドライヤーが当てられる。
ブラシで髪を優しく梳かれる。
警戒心を置き忘れて慧一さんの甘えてしまっていた。
薄く開いた瞼。
鼻腔をくすぐるのは甘ったるい香水の匂い。
ネックレスチェーンが、お互いの首筋に触れて音を立てる。
「……本当にかわいい。早く全部俺のものにしたい。
でも……焦りは禁物だな。
もっとじっくり溺れてほしいから」
かすれた声が肌に直接しみわたるようだった。
ぱちり、と目を開けた時彼の顔が間近にあり顔を背ける。
「恋人同士の時間にそれはなしだよ」
首筋に唇がつよく押し当てられてた。
ちくりと刺すような痛みと甘い心地よさを感じ、
背筋をぶるりと震わせる。
背中をたどる指は、何かをいざなっている。
「優香……」
名前を呼ばれて視線を絡めてしまう。
思わずすがりついたら彼が食い入るような目で見てきた。
「今日は君からいたずらなキスを仕掛けてほしい。
よく眠れるようにおまじないかけてよ」
ふと、脳内で考える。
私にそういうスキルを求めるのが間違いだ。
戸惑うままにかぶりをふる。
「駄目?」
蠱惑的な唇が、拒否を許さない。
目を閉じて顔を近づける。
そっと唇に触れ温度を確かめた。
私より少し温度が低めで、案外柔らかい唇。
数秒ののち離れたら彼は、納得がしていないような顔をしていた。
「……足りないの?」
「少しもどかしいかな」
邪(よこしま)な笑みを浮かべる姿にぞくっとして、
全身から勇気を振り絞る。
薄く開いた唇に自らのそれを重ね舌を差し入れた。
おずおずと絡めたら、掬い取られる。
「んん……っ」
頭をかき抱かれ、さらにキスは深くなる。
濃密な空気だ。
かくん、と腰が砕けた時抱きとめられていた。
「け、慧一さん……」
荒い息の中、彼を求める。
ふわりと抱えられ、客室のベッドまで運んでくれた。
「優香、限界が来たらいつでも言って。
用意はできてるから」
見下ろされ視界を染め上げる慧一さんは、
暗い部屋の中でも笑みを浮かべているようだった。
(意識させるようなことを言って……煽ってる)
枕に顔を伏せる。
ほてりが覚めたころ眠りに身を任せた。
土曜日の朝、アパートの部屋に戻ると
扉の前に見慣れた人影がいた。
「朝帰りするような人間になったか」
あきれたように言われ、びくっとする。
ラフなファッションに身を包んでいる兄は、
腕を組み、こちらをじっと見つめている。
「朔兄ちゃん……朝からどうしたの?」
「昨日、電話したのに出なかっただろうが。
どうせどこかのど鬼畜変態課長の所にいたんだろうけど」
慌てて携帯電話を確認すると兄からの不在着信があった。
バイブレーション機能をオンにしてバッグに入れていたから、
気づかなかった。慧一さんに翻弄されてそのまま眠ったから。
「……言い訳はしないんだな」
「話して困ることは何もないもの。
慧一さんのお家にいたのは事実でも、
健全に過ごして帰ってきたから」
不審そうな眼差しに射抜かれている。
嘘はついていない。
兄は、どこまで過保護なのだろうか。
「何があったとしても、俺には関係ない。
妹の恋愛事だから兄にとやかく言われる筋合いはないだろうしな」
意外な言葉に目を丸くする。
「あの男だけは、問題外だ。
お前だって、バジリスクだって気づいてんだろ?」
「私は彼の毒牙に飲まれて
食い殺されることはないわ」
兄が評する大蛇(バジリスク)と私が考える大蛇(バジリスク)とは、
意味合いが違うのかもしれない。
慧一さんならあっけなく手に入れられるのに、そうしない。
間合いを図っているといつしか気づいていた。
毒牙からは逃れられないし、逃れようとは思わない。
「……優香、お前変わったな」
ぽつり、寂し気に放たれた言葉に虚を突かれる。
「そうね。変わったわ」
「前みたいに喧嘩腰じゃなく、会って話せれば
別の何かが見えてくるんだろうか」
「慧一さんも会いたがってたわ」
首にかけていたチェーンを兄に見せる。
彼は一瞬動揺した。
「……なるほど。戒めか」
束縛ではなく戒め。
「慧一さんも同じのをつけてるの」
本当は彼の分は私が贈りたかったけど、
二つとも慧一さんが買ってくれた。
「気持ちは本物だってわかるでしょ?」
兄は言葉をなくしたようだった。
「……来週末、お前の家にあいつを呼べ。
じっくり話を聞いてやる」
「慧一さんに伝えたら喜ぶわ」
後ろ手に手を振って兄は帰って行った。
手に握られていた車のキーがかすかな音を立てていた。
「朔さん、会ってくれるんだ。
会社とは別のスーツをクリーニングに出しておかなくちゃ」
「そんなにはりきらなくても兄は、Tシャツにジーンズで来ますよ」
「彼、かっこいいからその姿でも様になるよね」
浮足立つ慧一さんに開いた口が塞がらない。
兄が会ってくれるという話をしたら途端に、テンションが上がった。
「……ふと疑問なんですけど慧一さんって
人類をみな平等に愛するタイプですか?」
「優香はスケールが大きいな」
慧一さんは忍び笑いをした。
「真剣に聞いてください」
「優香以外はどうでもいいよ。
お兄さんだって優香の兄だからひいき目に見てるだけで」
「はっきり言いますね」
「多情じゃないし、愛する人はその時一人だけ」
「また月曜日に会社で。
昨日はありがとうございました」
部屋の掃除をして休憩したら夕食の買い物にでも行こう。
たまには一人の土曜日を過ごすのもいい。
「明日は一緒にパフェでも食べに行こうよ。
昼間のデートもいいよね」
「……慧一さんがどうしてもというなら行ってもいいですよ」
「どうしても行きたい」
食い下がられると簡単に意思を覆される。
来週、兄に会うまでにばったり遭遇なんてしなければいいのだが。
危惧していたことは起きてしまうのが現実というもので。
日曜日、カフェの窓際の席に座ったら一つ奥の席に兄がいた。
長身なので頭が出ていてわかりやすい。
「朔お兄さーん!」
止める間もなく慧一さんが兄に声をかけていた。
手を振って場所を知らせている。
目が合うと一瞬ぎょっとしたようだったが、
「うざっ」
一言漏らしただけで自分のメニューに集中し始めた。
「今日はご機嫌がよくないみたいだね。
来週、大丈夫かな?」
面白がる慧一さんを今すぐ黙らせたい。
あっちにも丸聞こえだ。
(居酒屋の時といい、どうして街の中で会っちゃうの。
東京が狭くて人が密集しててもこの遭遇率が怖い)
「今日は仲良く街ブラデートか。
クズ課長は楽しそうで何よりだな」
目の前にやってきた兄にすごまれた。
「怒っててもお顔が端正だからドキッとしますね」
「せんわ。おかしいこと言うな」
会ったら違う何かが見えるんだろうか。
そう話していた兄だったが慧一さんを見ると
敵意をぶつけてしまう癖は変わらなかった。
ふざけた態度をとる慧一さんに非がある。
テーブルに届けられたパフェの甘さに救われた気持ちになっていた。
ぎりぎりのスリルに神経を苛まれている私は、
スリルさえ楽しんでいる様子の慧一さんに畏怖を抱いている。
始業前に休憩室でキスしてきたことり
たまたま洗面室からでた時に出くわした時、
肩を抱かれ耳元でささやかれたり翻弄されっぱなしだ。
菜都子にだけは課長と交際していることを伝えたけれど、
会社内で、必要以上の接触はやはり気をつけなければいけない。
慧一さんは仕事は厳しいながらも接しやすいと評判だが、
女子社員は仕事以外の話題ではそっけなく接している。
そんな中で私とは特別な何かがあると思われてはよくない。
『今日は一緒に帰ろうか。君も残業がないよね。
休憩室で少し待っててくれるかな』
ささやかれた言葉を思い出し頬を熱くする。
課長は仕事を上手く采配し、ミスもなく乗り切ったので
きっちり残業をせずに終われた。
課長職の慧一さんは、皆を見送った後、部署を後にする。
その待つ時間さえ愛しくて休憩室で、お茶を飲む。
家から持参した緑茶のティーバックだ。
コーヒーは二杯飲んでいるので夜はやめておいた。
慧一さんが、仕事を終えてこちらに手を振るのが見えた。
人がいなくなった部署内。
私も何となく手を振り返したが表情はわずかにぎごちなかった。
休憩室を出て向かい合う。
今日も朝見た時と同じでスーツには一寸の乱れもない。
眼鏡の奥の瞳も柔和だ。
「お疲れ様。今日もみんなよく頑張ってたね。
俺は君たちの課長として鼻が高いよ」
「お疲れ様です。
私も残業だけは避けたくて頑張りました。
家にも持ち帰りたくないし」
「そうだね。パソコンがあればできるけど」
「持ち帰ってまで仕事したくないですよね。
私はリモートワークする自信がないです」
エレベーターに乗り込むと慧一さんが手を繋いできた。
「動画じゃなくて、直で優香の顔が見たいし
個人的には嫌だけど。
電車通勤で危険な目にあうよりいいのかな」
「……遭いません。気をつけてます」
(私の顔を画面越しじゃなくて直で見たいとか、
平然と言わないでほしい)
赤らめた頬に大きな手が触れる。
「プライベートと仕事との切り替えさえできれば、
楽かもね。運動不足にならないようにしなきゃいけないけど」
間近で顔を覗き込まれる。
ソーシャルディスタンスという言葉を今一度考えてほしい。
「近いんですけど」
「いいじゃない。仕事が終わったんだし、
素顔の俺と君に戻れば」
少し背をかがめて肩を抱く腕。
「車に乗るまではやめて」
「お堅いな……。さすが朔お兄さんの教育のたまものだ」
「常識をといてるんです」
キスをされそうだと意識しても唇は重ならない。
エレベーターの扉が開くと強く腕を引かれた。
愛車に乗りこんだ途端、慧一さんは助手席に身を寄せてきた。
密着した状態で唇が、かすめる。
幾度かかすめて離れた唇は、
物足りなさという余韻を残している。
慧一さんは自分の唇よ指でなぞりこちらを振り仰いだ。
「菜都子さんカップルしかしらない状態も燃えるよね」
「燃えません!」
「……意識しすぎてると怪しまれるからね。
君を守るためには気をつけなきゃいけない」
部署異動、支社異動……最悪の場合は退社を命じられる場合もある。
課長職の慧一さんは、部下からの信頼は失墜し仕事に影響が出るかもしれない。
どちらも違う意味でリスクはある。
「そうですよ。
私だってせっかく入れたこの会社をやめたくないです」
「うん。みんなに関係が露見する時は、
婚約した後がいいんじゃないかな。
今日はとりあえずジュエリーショップにカップルリングを見に行こう」
「……二人が同じ時期に嵌めてきたら怪しまれるんじゃないんですか」
「そうだな。首にかければいいんじゃない?
服の中だと気づかれないし二人が共犯だとはわからないでしょ?」
「共犯って何ですか」
「上司と部下、ひみつなふたり」
くすっと微笑みかけられ、うっと怯む。
たっぷりおしゃべりに時間を費やし車は、駐車場から出た。
何となく助手席でうずくまってしまうのは、
見られるのが怖いという意識があるからだ。
「そこまで気にする必要はないよ。
そんな姿もかわいいんだけどね」
とても距離が近い場所でささやかれていた。
慧一さんに連れていかれたジュエリーショップは、外から見てもきらきらしている。
一人で入る場所ではないと気後れしてしまった。
手を繋いでお店の中に入ると照明に照らされた装飾品が
ディスプレイされていた。
「いらっしゃいませ」
綺麗な女性店員が出迎えてくれた。
「婚約指輪みたいなきちっとした感じじゃなくて……
カップルリングを探しに来ました。
まだ付き合って日も浅いものですから」
慧一さんがすらすらと説明すると店員さんはにこやかにうなずいた。
「君のほっそりとした薬指に似合う感じのシンプルなやつがいいよね。
あんまり石はついてない方がいいかな」
「私は……そんなに高くないやつで」
「気にしなくていいのに。
おもちゃの指輪でも君が嵌めたら高価なリングに見えちゃうけど」
(店員さんがそばにいるのに何を言ってるのよ)
「首にかけるチェーンももらえますか。
アレルギーを考えてシルバーじゃないやつで」
「……婚約指輪は堂々と嵌めましょうね」
店員さんに尋ねてさほど時間もかけずにカップルリングを選んだ。
ネックレスチェーンと別の箱に週に収納した指輪は、
慧一さんのマンションに着いて早々お互いの首にかけた。
「どうせお風呂で外すのに今着けるの?」
「外さないよ。お湯くらいじゃさびないと思うし」
慧一さんの手料理を堪能し、バッグに手をかける。
「……ちゃんと泊まる準備して来たんだ?」
「別の部屋を使わせてくれるんですよね?」
慧一さんが、色っぽく見つめてくるので牽制した。
「優香の部屋に行けばいいだけの話か」
からかわれて振り回される。
長くはない付き合いの中で学んでいる。
それ以上は踏み込まない彼に安堵していた私は、
お風呂を使わせてもらい、リビングでうとうとしていた。
生乾きの髪にドライヤーが当てられる。
ブラシで髪を優しく梳かれる。
警戒心を置き忘れて慧一さんの甘えてしまっていた。
薄く開いた瞼。
鼻腔をくすぐるのは甘ったるい香水の匂い。
ネックレスチェーンが、お互いの首筋に触れて音を立てる。
「……本当にかわいい。早く全部俺のものにしたい。
でも……焦りは禁物だな。
もっとじっくり溺れてほしいから」
かすれた声が肌に直接しみわたるようだった。
ぱちり、と目を開けた時彼の顔が間近にあり顔を背ける。
「恋人同士の時間にそれはなしだよ」
首筋に唇がつよく押し当てられてた。
ちくりと刺すような痛みと甘い心地よさを感じ、
背筋をぶるりと震わせる。
背中をたどる指は、何かをいざなっている。
「優香……」
名前を呼ばれて視線を絡めてしまう。
思わずすがりついたら彼が食い入るような目で見てきた。
「今日は君からいたずらなキスを仕掛けてほしい。
よく眠れるようにおまじないかけてよ」
ふと、脳内で考える。
私にそういうスキルを求めるのが間違いだ。
戸惑うままにかぶりをふる。
「駄目?」
蠱惑的な唇が、拒否を許さない。
目を閉じて顔を近づける。
そっと唇に触れ温度を確かめた。
私より少し温度が低めで、案外柔らかい唇。
数秒ののち離れたら彼は、納得がしていないような顔をしていた。
「……足りないの?」
「少しもどかしいかな」
邪(よこしま)な笑みを浮かべる姿にぞくっとして、
全身から勇気を振り絞る。
薄く開いた唇に自らのそれを重ね舌を差し入れた。
おずおずと絡めたら、掬い取られる。
「んん……っ」
頭をかき抱かれ、さらにキスは深くなる。
濃密な空気だ。
かくん、と腰が砕けた時抱きとめられていた。
「け、慧一さん……」
荒い息の中、彼を求める。
ふわりと抱えられ、客室のベッドまで運んでくれた。
「優香、限界が来たらいつでも言って。
用意はできてるから」
見下ろされ視界を染め上げる慧一さんは、
暗い部屋の中でも笑みを浮かべているようだった。
(意識させるようなことを言って……煽ってる)
枕に顔を伏せる。
ほてりが覚めたころ眠りに身を任せた。
土曜日の朝、アパートの部屋に戻ると
扉の前に見慣れた人影がいた。
「朝帰りするような人間になったか」
あきれたように言われ、びくっとする。
ラフなファッションに身を包んでいる兄は、
腕を組み、こちらをじっと見つめている。
「朔兄ちゃん……朝からどうしたの?」
「昨日、電話したのに出なかっただろうが。
どうせどこかのど鬼畜変態課長の所にいたんだろうけど」
慌てて携帯電話を確認すると兄からの不在着信があった。
バイブレーション機能をオンにしてバッグに入れていたから、
気づかなかった。慧一さんに翻弄されてそのまま眠ったから。
「……言い訳はしないんだな」
「話して困ることは何もないもの。
慧一さんのお家にいたのは事実でも、
健全に過ごして帰ってきたから」
不審そうな眼差しに射抜かれている。
嘘はついていない。
兄は、どこまで過保護なのだろうか。
「何があったとしても、俺には関係ない。
妹の恋愛事だから兄にとやかく言われる筋合いはないだろうしな」
意外な言葉に目を丸くする。
「あの男だけは、問題外だ。
お前だって、バジリスクだって気づいてんだろ?」
「私は彼の毒牙に飲まれて
食い殺されることはないわ」
兄が評する大蛇(バジリスク)と私が考える大蛇(バジリスク)とは、
意味合いが違うのかもしれない。
慧一さんならあっけなく手に入れられるのに、そうしない。
間合いを図っているといつしか気づいていた。
毒牙からは逃れられないし、逃れようとは思わない。
「……優香、お前変わったな」
ぽつり、寂し気に放たれた言葉に虚を突かれる。
「そうね。変わったわ」
「前みたいに喧嘩腰じゃなく、会って話せれば
別の何かが見えてくるんだろうか」
「慧一さんも会いたがってたわ」
首にかけていたチェーンを兄に見せる。
彼は一瞬動揺した。
「……なるほど。戒めか」
束縛ではなく戒め。
「慧一さんも同じのをつけてるの」
本当は彼の分は私が贈りたかったけど、
二つとも慧一さんが買ってくれた。
「気持ちは本物だってわかるでしょ?」
兄は言葉をなくしたようだった。
「……来週末、お前の家にあいつを呼べ。
じっくり話を聞いてやる」
「慧一さんに伝えたら喜ぶわ」
後ろ手に手を振って兄は帰って行った。
手に握られていた車のキーがかすかな音を立てていた。
「朔さん、会ってくれるんだ。
会社とは別のスーツをクリーニングに出しておかなくちゃ」
「そんなにはりきらなくても兄は、Tシャツにジーンズで来ますよ」
「彼、かっこいいからその姿でも様になるよね」
浮足立つ慧一さんに開いた口が塞がらない。
兄が会ってくれるという話をしたら途端に、テンションが上がった。
「……ふと疑問なんですけど慧一さんって
人類をみな平等に愛するタイプですか?」
「優香はスケールが大きいな」
慧一さんは忍び笑いをした。
「真剣に聞いてください」
「優香以外はどうでもいいよ。
お兄さんだって優香の兄だからひいき目に見てるだけで」
「はっきり言いますね」
「多情じゃないし、愛する人はその時一人だけ」
「また月曜日に会社で。
昨日はありがとうございました」
部屋の掃除をして休憩したら夕食の買い物にでも行こう。
たまには一人の土曜日を過ごすのもいい。
「明日は一緒にパフェでも食べに行こうよ。
昼間のデートもいいよね」
「……慧一さんがどうしてもというなら行ってもいいですよ」
「どうしても行きたい」
食い下がられると簡単に意思を覆される。
来週、兄に会うまでにばったり遭遇なんてしなければいいのだが。
危惧していたことは起きてしまうのが現実というもので。
日曜日、カフェの窓際の席に座ったら一つ奥の席に兄がいた。
長身なので頭が出ていてわかりやすい。
「朔お兄さーん!」
止める間もなく慧一さんが兄に声をかけていた。
手を振って場所を知らせている。
目が合うと一瞬ぎょっとしたようだったが、
「うざっ」
一言漏らしただけで自分のメニューに集中し始めた。
「今日はご機嫌がよくないみたいだね。
来週、大丈夫かな?」
面白がる慧一さんを今すぐ黙らせたい。
あっちにも丸聞こえだ。
(居酒屋の時といい、どうして街の中で会っちゃうの。
東京が狭くて人が密集しててもこの遭遇率が怖い)
「今日は仲良く街ブラデートか。
クズ課長は楽しそうで何よりだな」
目の前にやってきた兄にすごまれた。
「怒っててもお顔が端正だからドキッとしますね」
「せんわ。おかしいこと言うな」
会ったら違う何かが見えるんだろうか。
そう話していた兄だったが慧一さんを見ると
敵意をぶつけてしまう癖は変わらなかった。
ふざけた態度をとる慧一さんに非がある。
テーブルに届けられたパフェの甘さに救われた気持ちになっていた。
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※小説家なろうサイト様にも載せています。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
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全3章、1日1章更新、完結済
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