甘く残酷な支配に溺れて~上司と部下の秘密な関係~

雛瀬智美

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第20話「夫婦として歩き出した日」

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 慧一さんが運転する様子を助手席から眺めていた。
 普段のふざけた感じはどこにもなくとても真剣にハンドルを握り、
 ギアを切り替える。足でアクセル、ブレーキ、クラッチを
 切り替えて踏んでいるのも器用だと思う。
 赤信号で車を停止させると彼は問いかけてきた。
「ねえ……優香?」
「なあに?」
「今日はやけに俺が運転している様子を確認しているよね。
 どうしたの? 運転したいの?」
「大学に入学してから免許を取ったんだけどペーパードライバーだから運転は無理よ。
 かっこよくて見とれてただけ」
「ご両親にあいさつに行く緊張がいい具合にほぐれたよ」
「緊張してるんですか?」
「もしもお前みたいなどこぞの馬の骨になど
 くれてやるか!とかお父様に言われたらかなりへこむね」
「言いませんから……多分」
 朔兄ちゃんほどの圧迫感はないはずだ。
 過去の恋愛のことを知っているから
 心配しているとは思うが、それでも
 慧一さんを邪険に追い払うことはないと言い切れる。
「朔兄ちゃんも来てくれると思うし、
 もしもの際はフォローしてくれますよ」
「保証人になってくれる人だもんね」
 慧一さんはほっとしたような笑顔になった。
 渋滞にはまったので少し遅れると
 実家の両親に連絡する。
 気をつけて来てくれればいいと言われた。
「家の裏に停めてください」
 実家の造りは建物より土地が広い。
 家族は表のガレージに停めて、来客は裏に停める。
 私は、慧一さんを案内し裏庭に車を停めてもらった。
 隣には兄が乗ってきたと思われるセダンも停まっていた。 
「かすったら大変だ」
「弁償させられますね」
 結婚の挨拶をする前に縁起でもない話をしている。
 玄関に回る。
「責任を持って俺が押すからね」
「どうぞ」
 何やら張り切っている慧一さんが、チャイムをゆっくりと長押しした。
 チャイムの押し方にも性格が表れるというが、
 ゆっくり押す場合は、相手への主張が激しいんだと思う。
 開かれた扉。
 玄関には両親が出迎えている。
 後ろには朔兄ちゃんもいた。
「ただいま」
「こんにちは。初めまして」
 私が先に入って後から慧一さんがひょっこりと顔を覗かせた。
 並び立った二人を両親が見ている。
 かなりの熱視線だが慧一さんは、普段どおりの
 飄々とした態度だ。
「優香さんと結婚させていただきたく
 ご挨拶に参りました。香住慧一と申します」
「香住さん、こんなところではあれですので
 どうぞお上がりください。狭苦しい所ですが」
 慧一さんは持っていた袋をさっと差し出す。
「つまらないものですが皆さんで召し上がってください」
「これはどうもありがとうございます」
 渋滞にはまる前に買ってきたものだ。
 東京で暮らしているのに東京土産が大好きという変わりもの家族なので、
 雷おこしを持参した。
 妙に高級なお菓子を持参するより無難だと、
 慧一さんに薦めた。
 朔兄ちゃんも定期的に食べている銘菓である。
 両親と玄関にいた朔兄ちゃんが話しかけてきた。
「応接間なんてないから茶の間でいいか」
「もちろん! 朔くんが案内役なんだね」
「朔とも親しくしていただいているみたいで」
「マブダチです」
「ち、違う」
 何やら賑やかに茶の間へと向かう。
 両親が先に歩き、その後ろを朔兄ちゃん、
 私と慧一さんが続いた。
 茶の間で座卓の前の指定された場所に座ることになった。
 時計回りに父、朔兄ちゃん、私、慧一さんだ。
 母はお茶を出しに台所へと向かった。
 お茶を持ってきてくれた母が戻った瞬間、
 一同は皆ほっとした顔をした。
 睨み合いこそしていないが、
 何だかやりづらい空気感には閉口していた。
 座卓に全員分のお茶、皿に盛られたおこしが置かれた。
 その瞬間、慧一さんが口を開く。
「改めまして香住慧一と申します。
 よろしくお願いします」
 さっと名刺を懐から取り出し座卓の上に置いた。
 父がその名刺を取り、確認すると母に渡した。
「上司の方なんですか!?」
「ええ。優香さんと同じ会社で所属する課の
 課長です。直属の上司にあたりますね。
 ちなみに先日三十三歳になりました。
 優香さんのお兄様である朔さんの方が年下なので
 親しみを込めて君付けで呼ばせていただいています」
「慧一さんは、少々おかしな部分があるが、
 優香を一途に思ってくれているのは保証する。
 浮気、暴力は決してしないだろう。
 むしろ甘やかしすぎないようにしてほしいくらいだ」
「大切にしてくださってるんですね」
 母は涙を落とす。
 その涙をハンカチでそっと拭う父に心が和んだ。
「ご両親のように仲睦まじい夫婦に憧れます。
 私も優香さんとそうなりたい。
 どうか一緒になることを許していただけませんでしょうか?」
 ほぼ事後承諾のようなものだというのは別として、
 慧一さんはとても真摯な眼差しで両親に語りかけている。
 私が膝の上に置いた手の上に手を置いて視線を合わせる。
「慧一さんは、お兄ちゃんの言ってくれた通り
 浮気とかとは無縁で私だけを見て丸ごと
 包んでくれる愛の深い人なの。
 過去のことがあるから、信用できない部分があるかもしれないけど
 絶対幸せになれる人だから安心して。二人で幸せを作るわ」
「優香の雰囲気が柔らかいし大丈夫だろうな」
「ええ。朔も言ってた所だけ気になるけれど」
「優香さんはしっかりしているし少々、
 お気が強くていらっしゃいますが、
 そういうの全部含めてかわいいんですよね。
 優香さんを溺愛しているお兄様と同様、
 私も甘やかしますよ」
「慧一さんは、しゃあないな」
 兄は少々呆れているようだ。
「これまでいい人に出逢えていなかったから、
 甘えられる相手に出逢えたってことですものね。
 上司の方だからいい塩梅もご存じでしょうし」
「知り尽くしております」
 慧一さんは自信満々だ。
「俺がいて心強かっただろ?」
「大助かりだよ。ありがとう」
 慧一さんは兄の了承も得ずに背中に腕を回した。
 座布団から立ち上がり、兄の横に座り抱きしめる光景に
 両親は呆気に取られている。
「スキンシップが豊かな人なの……」
 兄は抵抗もせず受け入れ慧一さんの肩に腕を回した。
「年上の弟……か」
「嫌だな。呼び方はこれからも慧一さんでいいからね」
「うざっ!」
 何やら空気が和んだところで皆がお茶をすすり始める。
「雷おこしには緑茶だな」
「私も子供の頃から緑茶でしたね」
 父とにこにこ微笑み合う姿を見て安堵を覚えた。
「ここにいらっしゃるし書いてもらおうか?」
「居酒屋に行った時に書いてもらうんでしょ!?」
 計画的だと思われてしまう。
 焦り始める私をよそに兄は平然としていた。
「いちいち面倒だからここで署名するけど?」
「ああそういうことか! うん。
 私達は証人になるよ」
 慧一さんが車から婚姻届を持ってくると
 兄はその場で署名した。
 観察していたら、見るなと言われてしまった。
「字が綺麗だなって」
「子供の頃、書道教室にも通わせてもらったしな」
「なるほど。心にメモっとこ」
「しなくていい」
 三人のやり取りを見ていた両親が笑っていた。
「皆、仲がよさそうで安心したわ」
「優香も安心して送り出せるな」
 実家に報告と挨拶は無事終わり
 日を改めて食事会でも開こうということになった。
 今度は慧一さんのご家族も入れて集まるということで、
 私の実家での集まりよりよほど緊張する。
 帰り際、朔兄ちゃんは、ぼそりとつぶやいた。
「夜の居酒屋で集まるってのは無しになったのか?」
「変更は無し。朔くん、無理じゃなかったら来てよ」
「いいけど」
「集合は午後六時ね」
 私は一度アパートに送ってもらい、午後五時に迎えに来た。
 慧一さんと居酒屋に向かった。
 早めに着いたが予約していたわけでもないし、
 開くのを待って入店することになった。
 午後六時、朔兄ちゃんは昼間見たときと
 違う服装で現れた。
 昼間はきちんとスーツを着ていたが、
 今はラフな私服である。
「朔兄ちゃん、来てくれてありがとう」
「……悪いがこの後で予定が入ったから
 一時間で帰る。目的は果たしてるしかまわないよな」
「婚姻届に署名してもらったら用済みなんて思ってないよ」
「そうだったらさすがに軽蔑する」
「まあ。そこに座って食べて飲みましょうよ」
 今日はカウンター席に並んで座っていた。
「うま……っ」
 一番右端に私、慧一さん、兄の順に並んでいる。
「朔くんと仲良くなっといてよかったよ」
「そんなに仲良しのつもりもないけどな」
「十分仲がいいと思う」
 横並びだと乾杯がしづらいため身を乗り出してグラスを合わせる。
「慧一さん、早まったとは思わないのか」
「それは妹をかっさらわれる兄としての言葉かな?
 それとも結婚がうらやましいだけ?」
 今日はおめでたい日のはずだが、この二人は
 通常モードである。
「とにかく慧一さんが優香とうまくいくよう願ってるよ」
 本心からのように思えた。
「お兄ちゃん、ビールの一気飲みはよくないわ」
「朔くん、ふざけて悪かったよ。
 優香とふたり幸せになるから見守っててね」
「もちろん。ねっとりと見ててやるよ」
「ねっとり絡みつく大蛇(バジリスク)とか、
 揶揄してくれたっけ。
 毒が回らないように気をつけてね」
 慧一さんは妙に色っぽい眼差しをしていた。
 兄はその視線を受け止める。
 男同士で肩を抱き合う様子は、兄弟愛というより
 友情のように思える。
「俺も恋人できたわ……。
 その内、お前らと一緒にメシとかいけるかもな」
「おめでとう。朔くんの片思い人生もようやく
 終わりを告げたね! 今日ってスペシャル
 ハッピーデーじゃない?」
 慧一さんの悪ノリなだけで片思い人生ではない。
 過去に付き合っていた人も知っている。
「どんな人だろう?」
「……めっちゃかわいい」
 のろけた兄の顔はどこまでも幸せそうだった。
 慧一さんがスペシャルハッピーデーと
 称したこの日はきっと忘れないだろう。
 翌日、菜都子とカフェで待ち合わせた私と慧一さんは、
 婚姻届の保証人欄への署名を丁重に頼んだ。
 遠慮する菜都子にランチをごちそうした後で、
 書いてもらう時間を取った。
「課長、頭上げてくださいってば。優香もやめて」
「休みの日にわざわざ来てくれた菜都子さんには、
 感謝で胸がいっぱいなんだよ。
 君が署名してくれてようやく出せるわけで」
 慧一さんは感動に胸を震わせている。
「うん。菜都子、来てくれてありがとう」
 頭をあげると菜都子が、ぎゅっと抱きしめてくれた。
 肩ではなく背中を抱擁されたのは初めてだった。
 私も抱擁を返し二人で笑い合う。
「仲間に入れてもらえないかな?」
「優香、こんなこと言ってるけど?」
「大丈夫。うちのお兄ちゃんとも
 スキンシップしてるくらいだから」
 他意はない。
 会社で女性社員の肩に腕を回したりはする人ではない。
 慧一さんはにこにこ笑顔で私と菜都子の肩に腕を回した。
「これからもよろしくね」
「課長と優香に先を越されるとは思わなくて、
 正直驚いてますが」
「結婚という契約で男は強くなるんだよ。
 彼にも伝えておくといい」
 菜都子は去年から社内恋愛をしている。
「菜都子たちのペースがあるから」
 菜都は曖昧にうなずき笑った。
「何だか前に二人を見た時より
 ずっとお似合いになった気がする。
 課長、優香を大事にしてくださいね。
 優香も課長と仲良くね」
「優香を泣かせたら菜都子さんにしばかれるから気をつける」
「ぶっ……」
 おどける慧一さんに空気が和んだ。
「菜都子さん、電車だよね。
 お家まで送ろうか?」
「ありがとうございます」
「いやいや。君を送ったら区役所の
 休日窓口でできあがった婚姻届を提出するからね」
「月曜日に結婚指輪を嵌めた二人を見られるの楽しみです」
「……今更ながら緊張するわ」
 菜都子をアパートまで送り区役所に向かった。
 提出すると実感がわいてくる。
 渡されてから嵌めてなかった指輪をお互いの指に嵌めると、
 じーんとした。
「奥さん、今日からよろしくね」
「はい。旦那様」
「とりあえず優香を送ろうか。
 旅行帰りだからね。
 これからのことはまた話そう」
 私のアパートで慧一さんは駐車場に車を停める。
 二人で今後の話をした。
「明日も会えますし!」
「入籍はしたものの優香が引っ越してくるまでは、
 別居婚なんだよね」
「そこは仕方がないです。
 荷物は多くないし、引っ越し自体は
 そこまで大変じゃないと思いますよ。
 時期的にも引っ越し業者さんにも頼みやすいし」
「家電とか大きいものは、
 うちにあるのを二人で使えばいい。
 優香の部屋も整えておくし新居で使うものも
 これから揃えよう」
「結婚が急でしたものね」
「俺から逃げられるはずがないでしょ」
「……逃げませんってば」
 運転席の慧一さんが助手席の私に覆いかぶさる。
 甘く情熱的なキスをし、きつく背中を抱いた。
「慧一さん、大好き」
「大好きだよ」
 頬に口づけたら新妻からの最初のプレゼントだと喜んだ。
 きらりと光る結婚指輪が夕闇に輝いていた。
 金曜日から一緒にいたから本当は日曜の夜も
 一緒にいたかった。
 もうすぐ毎日一緒にいられるのだから、
 ぜいたくな悩みだとも思った。

 月曜日、昼休憩の時間に慧一さんと二人で
 挨拶をすることになった。
 見知ったメンバーの前に
 立つのに緊張していたが、慧一さんは堂々としている。
 見上げるとこちらに向けて笑う余裕さえある。
「皆、貴重なお昼休みに集まってくれてありがとう。
 かねてより交際していた三島優香さんと、
 結婚したのでご報告します」
「結婚してもこれまでと変わらず
 よろしくお願いします」
 二人で挨拶をし頭を下げる。
 盛大に拍手をされ笑顔で包まれた。
 二人を祝う会を開く話も出たが、
 慧一さんは遠慮をした。
「結婚式に来てもらえるとうれしいな。
 落ち着いたころに開く予定だから」
「もちろん!!」
 皆が口をそろえて参加を表明し感激した。
 香住課長の人気が絶大だと思い知る。
 終業後も色々な人に声を掛けられ祝福された。
「今日もスペシャルハッピーですね」
 帰りの車の中で慧一さんにつぶやく。
「いい報告ができてよかったね」
「結婚式はいつ頃にするんですか?」
「クリスマスくらいはどうかなあ。
 新婚旅行は冬休みに行こうよ」
「いいですね!」
 三か月後に結婚式と新婚旅行が決まった。
「その前に引っ越しだね。
 早く一緒に暮らしたい気持ちが強い。
 新婚なのに優香をいつまでも独りにさせとくわけにはいかない」
 私のアパートまで送ってくれて会話をした。
 慧一さんは部屋に上がらず帰るというので
 路上で抱きしめあって別れた。
「朝も夜もあなたと過ごしたい気持ちは同じです。
 もちろん会社では、上司と部下の関係は
 変わらないですけどね」
 狂おしいほどの抱擁を受ける。
「おやすみ。優香」
「おやすみなさい……あなた」
「俺を煽らないでよ。あなたなんて、
 無邪気な独占欲を見せてきてさ」
 誰も通らない夜の道で、慧一さんは何度も頬に口づけた。
「深いキスはしない方がいい。
 次にする時やばいし」
「な……」
 肩を抱かれるときは慧一さんが背を屈める。
「慧一さん、生まれてから一番幸せな
 誕生日になったわ。ありがとう」 
 入籍したのは数日遅れてしまったが、
 誕生日はこれからの二人が始まった日だ。
「これからたくさん幸せになるんだよ」
 頭を撫でられる。
 走り出す車を見送りアパートの部屋に入った。




 





 









 






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