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本編
2.レイラ①過去、偽聖女
しおりを挟むーーバシッ、っと思い切り音を立てて平手打ちをされた。
生まれて初めての暴力を受けて、レイラリーシュは驚きのあまりその場に崩れるように座り込んでしまう。
叩かれた左頬に手を当てて恐る恐る顔を上げると、目の前には継母と、15歳のレイラリーシュとは3歳違いの腹違いの妹が並んで立っていた。
「聞いたわよ。偽聖女のお前が回復魔法を使えるようになったんですって?」
底意地の悪い笑顔をした継母が、どこか面白そうに尋ねてきた。
「…………ぁ……は、はい……」
レイラリーシュには、継母のその質問に答えないという選択肢は無かった。
ここで無言になると、継母と妹の二人から説教という名の悪口が延々と続けられる事が分かり切っていたからだ。
その答えを聞いた継母は、意地の悪い笑みをさらに深めた。
妹は継母そっくりの笑いを浮かべながら、レイラリーシュを威圧するかのように腰に手を当てている。
「お姉様、さっき庭で犬に回復魔法かけてたわよね?」
「お前やっと回復魔法が使えるようになったのね。
ならこれからはもう、その身体をいくら痛めつけても……自分ですぐに回復出来るのよね?」
「ーーっ!!」
継母のその言葉に、レイラリーシュは恐怖で大きく身を竦めて息を飲んだ。
***
魔法を習い始めた幼い頃から、レイラリーシュは攻撃魔法や支援魔法などは使う事が出来た。
しかし回復魔法を使えるようになったのは、継母に頬を叩かれる少し前の出来事があってからだった。
レイラリーシュの艶やかな黒い髪、そして同じ色の黒の瞳に透き通るような白い肌。その容姿は伝説の存在の聖女レイラリーシュを彷彿とさせ、亡き母がそこから取って付けてくれた大切な名前だ。
しかしその名とは裏腹に、レイラリーシュは、聖女レイラリーシュの代名詞である回復魔法がずっと使えなかった。
そのせいで、幼い頃に母が亡くなって以降この家に住み始めた継母と妹からは、本人たちは魔法を使えないのを棚に上げて、見た目だけの偽聖女と散々馬鹿にされてきたのだった。
それでも2人から暴力を振るわれる事は、まだ無かった。
貴族社会において、母のような強い魔力や父のような優れた剣の腕前を持つことは、政略結婚の強い武器となる。
レイラリーシュは、剣の才能は無いものの、母譲りの高い魔力を持っていた。そのため、この男爵家での政略結婚の重要な駒として育てられ、幼い頃から魔法の英才教育をずっと受けてきた。
剣は不適正と判断されたものの、母が身体が弱く若くして亡くなったため、体力作りの一環として基本程度は今も教わっている。
回復魔法は怪我の治療をせずとも、手から放たれる気配でその魔法を察することはできる。
いくら教育とはいえレイラリーシュや教師にわざと怪我を負わせる訳には行かず、そして周りに怪我を負っている人に遭遇した事も無く、優れた教師に手本を見せられてもレイラリーシュは回復魔法を覚えることが出来なかった。
思えば、今のこのような事態になるのを無意識に察して自分で力を封じ込めていたのかも知れない。
レイラリーシュが魔法を使える事に、継母と妹は激しい嫉妬をしていた。そのため、2人と顔を合わせる度にキツく当たられて来た。
しかしレイラリーシュに怪我を負わせても本人は回復魔法を使えず、そして暴力を振った後に教師に治療を頼むことなんて出来る筈もない。教師はレイラリーシュを特別扱いはせずとも、特に嫌ってはいなかったからだ。
もしレイラリーシュや教師の口から当主であるロアン男爵に自分達の悪事が暴露されようものなら、もしかすると実家に帰されるどころか離縁をされてしまう可能性もある。
いくら何でも政略結婚の大事な駒を傷物には出来ないため、嫌がらせは散々されてきたものの、直接的な暴力にまでは発展していなかった。
***
今日、庭での魔法訓練の後、レイラリーシュは茂みの影にうずくまる一匹の小さな犬を見つけた。
その犬はレイラリーシュが近付いても、顔を上げるだけで逃げる事は無かった。
逃げなかった理由は、明らかに人の手からと見られる、酷い怪我を負っていて動けなかったからだ。
(ーー!!誰が、こんな酷いこと……)
今考えると、その怪我はもしかしたら12歳の異母妹が負わせたものかも知れない……。
この屋敷の庭に出入りが可能な上に、そんな幼稚で残酷な事が出来る人間など限られているからだ。
流石に1歳になったばかりの異母弟には、不可能だろう。
思わず涙が溢れてきて、レイラリーシュは無意識にその犬に手をかざしていた。
直接触れると傷の部分が痛むだろう……無力な自分が辛かった。
「……ごめんね、何も、出来なくて……」
そして屋敷に戻って手当てする道具を探して来ようと、立ち上がろうとしたーーその途端。
「ーーえっ!?、……う、嘘……」
レイラリーシュの両手に、今まで感じた事のない優しく温かな魔力がゆっくりと集まる感覚がした。
半信半疑のままに犬に手をかざし続けると……。
見る見るうちに怪我が塞がれていく。
やがて犬は立ち上がると、お礼なのかキャンと一声鳴いてその場からいなくなった。
自分の手を見つめながら驚愕の顔でその場に屈んだままのレイラリーシュを、偶然か監視していたかまでは分からないが……きっと妹は陰から見ていたのだろう。
そしてレイラリーシュが屋敷の玄関の扉を開けると、どこか得意げな顔の継母と妹が立っていた。
挨拶をしようとした途端、継母から思い切り平手打ちをくらってしまったのだ……。
***
継母と妹の口から自分に対する今後の虐待を示唆されて、あまりの恐怖から、レイラリーシュは少しの間その場で震えていた。
ようやく硬直が解けて、のろのろと力無く立ち上がる。
継母は、これから楽しい事が始まるような高揚感を含んだ声でレイラリーシュに更に告げた。
「その頬の傷も、もちろんすぐ治せるわよね?
今日午後からお前の結婚相手が、わざわざあちらの方からこの屋敷までご挨拶にいらっしゃるそうだから、それまでにその頬の傷を絶対に治しておきなさいよ」
「……けっ、ーー結婚、相手!?」
いつもは口の聞き方で散々注意をして来る筈なのに、レイラリーシュの驚いた顔がさぞ面白いのか、継母はそれを忘れているようだ。
「そうよ、お前は結婚相手が決まったの。
その方はお前のお父様よりも年上で、今までに奥様を3人もご病気で亡くされているんですって。
噂によると実は全員ご病気では無く、その方の嗜虐趣味からだんだんと酷い怪我を負わされていって、最後には回復魔法をかける魔術師を呼ぶ前に亡くなったとか」
「え…………そ、んな……」
ーー嗜虐趣味、その言葉は15歳のレイラリーシュにも意味はもう分かる。
「でもその点お姉様は回復魔法を使えるようになったし、どんなに痛めつけられても自分ですぐ回復できるから便利よねぇ」
あははっと、妹は口も隠さずに大声で笑う。
2人の言葉に、レイラリーシュは背中から嫌な汗が湧き出て顔が蒼白になってしまった。
「嫁ぐ時までに、回復魔法の事前練習として私たちがお前の身体を痛めつけてやりましょうか?
まだ覚えたてだし、きちんと使いこなせないのでしょう?」
目の前の2人の嘲笑いに、レイラリーシュは何も言葉を返す事が出来なかった。
しかし返事が無くても、機嫌の良い二人からはそれを咎められることも無い。
「その方が来るまでに、お前のその澄ました憎たらしい顔の頬の傷、早く治しておきなさいよ?
お相手の方を怒らせてこの結婚の話を破談にでもさせたら承知しないからね」
そう言い捨てて、継母と妹はこの場から去って行った。
レイラリーシュは赤く腫れた頬に手を当てたまま、しばらくの間動く事が出来なかった。
しかし、このまま呆然としてすべてを受け入れていたら……。
きっと自分は嫁ぐまでに継母と妹から陰で虐待を受け、嫁いだらその後は、噂が本当ならば結婚相手から虐待を受けるに違いない。
(……このままだと、私、殺される……そ、それどころか……)
それどころか、死にたくなっても自分の回復魔法がある限り、死ぬ事すら許されないかも知れないのだ。
(ーーに、逃げないと!!)
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