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結多
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東京飾スタジオにて。
『今日のゲストは、今最も売れている人気モデルの結多さんでーす』
「キャー!」という女性達の歓声を受けながら結多が登場した。観客はほぼ女性客が占め、司会のアナウンサーも結多の美しい姿に見とれていた。
結多は手を振ったり笑顔を振りまいたりサービスしながら用意されていた椅子に腰掛けた。
「間近で見ると本当にお綺麗ですねー。女の子達にモテモテでしょう」
「ありがとうございます。最近やっと出待ちとかしてくれる子達が増えてきたんですー」
「それは嬉しい限りですね。ファンクラブも勢力を増しているとか」
「みたいですね。オレはSNSとかやらないのであんまり活動とかはわかりませんけど」
「珍しいですね。今の若い方々は皆やっているものだと」
「なんか怖くて……。唯一LINEはやってますけど、限られた人達としか連絡してないので」
「怖いというのは、炎上とかそういう?」
「そうですね。荒らしとか知らない人達から痛い言葉貰うのは流石に耐えられないですね 」
「なるほど。確かに受け止めるには忍耐力が必要になりますね」
テレビから流れてくるやり取りを聴きながら綾瀬は夕食の用意をしていた。人気のある番組に呼ばれたと昨日は喜んでいたが、生放送は初めてらしい。それでも変わらない様子で結多はインタビューに答えている。
「結多さんは尊敬している方はいるんですか?」
「いますよ」
「誰ですか?」
「小説家の黒紫まどかさん。ずっとファンなんです」
「知ってます。高校生の時に賞を取った方ですよね。あの時は各メディアに取り上げられてましたものね」
「凄いなって思うんですよ。今に至るまでずっと人気を博してるし、ランキングには上位に必ず入ってるし。それに、彼の作品は何度も読み返したくなるんです。オレは全作品読破しましたけど、どれもオススメの作品です。おねえさんは読んだ事ありますか?」
誇らしげに語る結多を綾瀬は眺めていた。そのお陰で手が止まってしまい、危うく料理を焦がしてしまう所だった。以前から尊敬しているとは言って貰っていたが、まさかこんなにも想われているとは初めて知った。
「本に興味が薄い人でも読みやすい形式に書かれてるんですよ。だから、手に取って読んで貰いたいなって。きっかけがオレだったとしても別にいいんです。まどか先生の作品に触れさえしてくれれば嬉しいなって」
結多の話を観客の女性達はうっとりしながら聞いていた。恐らく明日本屋へ直行する人はどれくらいいるだろう。結多の影響力は大きい。今スタジオ観覧している人達は結多が読んでいるという本が気になって仕方がない筈。綾瀬にとっても、本に触れて貰えるのは有難かった。最近はネット小説などと掌の上で読めるようなコンパクトになってしまい、分厚い本なんて見向きもしない人が殆どだ。その厚みにどれだけの世界が詰まっているのかも知らないのだろう。
「機会があったら先生とお話したいなって」
「見てみたいですね、お2人のツーショット」
「結構マニアックな話になるかもです」
「ファンには堪らないんじゃないんですか」
「喜んで貰えるなら」
結多は観客達に振り向き、にこっと優しく笑った。その微笑に胸を打たれた女性達は顔を赤らめながら頬が緩んでいる。
ーー流石だ、と綾瀬は改めて思う。
結多はファンサービスを大事にしている。人気の維持だとか好感度アップとかを狙っての事ではなく、ただ本当に感謝しているそうだ。自分を好きでいてくれる人が1人でもいてくれるならその人の為に頑張りたいと呟いていた。その精神は綾瀬も見習わなければと思う。
「……早く帰ってきて下さいね」
料理をし終えた綾瀬は、テレビに映る結多に向かってそう呟いたーー。
収録が終わり、結多はスタッフ達に挨拶をしながら楽屋へと戻った。マネージャーが来るまで水分補給していると、ノックとともに見慣れた人物がドアを開けた。
「伊佐さん!」
結多は嬉しそうに彼の名を呼んだ。ヴィジュアル系バンドのギターリストである伊佐は結多をこの世界に案内した恩人。ちなみに彼のバンド名は、
『Sherid *E* Le ScioN』(シェリド ヱ ルシオン)だ。
「結多がこのスタジオにいるって聞いたから遊びに来ちゃった」
温厚篤実な伊佐は柔らかな笑みで言った。ヴィジュアル系とは思えない位穏やかで結多と性格が少し似ている。バンド内でも彼を中心に話をする事が多いらしい。
「ありがとうございます!伊佐さんも収録?」
「うん。音楽番組の特番に出るんだ」
「出るって事はこれからですか?」
「そうだよ。でも出番最後の方だし、時間に余裕あったから」
「新曲歌うの?」
「歌うね。ボクらはメドレー形式なんだって」
「いいなぁ!生で聴きたいなぁ」
「じゃあ、観覧に来る?結多ならスタッフも席用意してくれると思うし」
「本当?!…あー、でも、綾瀬が待ってるから。今日はこの収録だけだって言ってあるし」
「りょうら?…あぁ、同棲してる後輩か」
「そうなんです!すっごくいい子なんですよ!伊佐さんにも今度紹介しますね!」
「ありがとう。そっか…。結多来れないのは残念だな…。あ、ならさ」
伊佐はふと思い出しながらポケットから何かを取り出した。
「これあげる」
「…チケット?」
「そう。今度ライブやるから。後輩くんと見に来て」
「…え、本物!?シェリドの!?」
『Sherid *E* Le ScioN』(シェリド ヱ ルシオン)のチケットは即日完売でパソコン3台使ってもなかなか取れないというプレミアものだった。そんな高価なものをタダで貰えるとは思っておらず、結多は伊佐とチケットを見比べながら聞き返した。
「本物が渡してるんだから、それ相応の価値があるチケットだよ」
「うわぁ…!いいんですか?」
「勿論。蒼凰(あお)くんも喜ぶ」
「ありがとうございます!綾瀬と一緒に行きますね!蒼凰くんは絶好調?」
「当然でしょ。張り切ってる」
「収録大好きですもんね」
「まぁ、それがお仕事だからね」
「楓(ふう)ちゃんと朱音(あかね)はどう?」
「元気元気。会いに来てよ」
「はい!挨拶に行きますね」
「ありがとう」
伊佐がにっこりしたのと同時に彼の携帯が鳴った。表示画面を見ただけで伊佐は「ごめんね」と謝る身振りをしながら電話に出た。
「……うん。今行くから…。大丈夫だよ、間に合う」
短く答え、伊佐は電話を切った。
「マネージャー?」
「蒼凰くんから。もうすぐ準備するから来てって」
「そっか…… 。特番楽しみにしてますね」
「うん、ありがとう結多。気をつけて帰ってね」
「はい!」
「じゃあ、またね」
手を振りながら伊佐は部屋から出ていった。結多も鞄の中にチケットをしまい、マネージャーが来るまで綾瀬の本を読むことにした。
「ごめん、結多!待たせたね!」
数分も経たない内に息を切らしたマネージャーの美丘が慌てて入ってきた。
「走ってきたの?水飲む?」
「うん」
結多からペットボトルを受け取り、彼女は一気に飲み干した。
「打ち合わせ長引いた?」
「いやもうマジで話長いんだけど」
「鑑さん?」
「そう。捕まった」
「災難だったね」
「UFOの映画撮りたいとか願望ダラダラ抜かしやがってあのクソメガネ」
「本音漏れちゃってるよ」
「あーもう!結多、早く帰りたいって言ってたのにごめんね。あのクソメガネのせいで」
「だから腹黒さ出てるって」
止まらない文句を言う美丘を宥めながら2人は駐車場へと向かった。
「あ、来たよ!絶対結多だって!」
どこから侵入したのか、若い女の子達が数人2人の前に現れた。結多は一気に囲まれてしまい、美丘の事などお構い無しだ。
「ねぇ、結多ぁ。折角こんな所で出待ちしててあげたんだからサービスしてよぉ」
「ファンを大事にするのが結多だもんね」
「無下になんか、しないよね?」
馴れ馴れしい口調で彼女達は詰め寄る。結多はどう対処するべきか戸惑ってしまった。
「お前らどっから入った?此処は関係者以外立ち入り禁止なんだよ」
彼女達と結多の間に割って入りながら美丘が厳しい口調で聞いた。
「ファンですーって言ったら通してくれたもん」
「ねー」
「あの警備員さんマジ優しい」
「警備員?」
芸能関係者の駐車場に警備員がいることはおかしくない。けれど、彼らが簡単に一般人を通すことはない。美丘は怪訝な表情で彼女達を眺めていた。
「ねー、結多ぁ。写真撮ろー」
「あ、あたしもー」
「……いいよ。でも、一枚だけね」
「もち!」
我儘な彼女達の要望を快く引き受けた結多は美丘に写真を撮って貰った。
「やー、マジ綺麗!会えて良かった」
「応援してるからね、結多!」
「今度の写真集買うから!」
満足と言った様子で彼女達はキャイキャイしながら帰っていった。
「……ああいうのは断ってもいいんだぞ」
半ば呆れ顔の美丘が溜息混じりに促した。
「うん……。でも、無下にしたらきっとあんな風には応援してくれない。オレを支持してくれてるのを当たり前だなんて思いたくないんだ」
結多の性格を理解している美丘はそれ以上は何も言わなかった。ファンがいてくれるのが当然なとど思い上がっていると痛い目に遭う。美丘は重々感じていた。
「ーーさっき伊佐と会っただろ?」
夜の道はそれ程混んでおらず、スムーズに進む事が出来た。後部座席で外の景色を眺めていた結多に美丘は話し掛けた。
「会ったよ。美丘さん、擦れ違った?」
「あぁ。なんか険しい表情してたけど、何かあった?」
「えっ……伊佐さんが?オレと話してた時はそんな表情してなかったけど」
「そっか。お前の事、可愛がってくれてるもんな。実はさ、あいつらのバンド今ピンチ」
「……え?」
サラッと大事なことを言った美丘に結多は一瞬理解に遅れた。
「ピンチって…何で?」
「いやさぁ…、あいつらのマネージャーとこの間話してさ、悩んでたんだよ」
「…だって、今度ライブやるってチケット貰ったよ。人気だって上々だし、仲だって悪くない……」
「第三者からはそう見えるだろうな」
「…どういうこと?」
「伊佐とな、3人の意見が食い違ったとかで今分裂の危機らしい」
「うそ!?」
「定かじゃないかららしいとしか言えないけどな。でも、仲が良い奴ら程1度壊れたらもうくっつかないんだよ」
美丘は自分に言い聞かせるみたいに呟いた。結多は不安になり、伊佐に連絡しようと思ったが収録中なので迷惑になるだけだった。
「…オレから伊佐さんに聞いてみるのは大丈夫?」
「まぁ、お前になら伊佐も話すんじゃないか?」
「…分かった」
殆ど会話が伊佐達の話になってしまい、結多を送り届けた美丘は明日の仕事内容を伝えていない事に気付いた。
「…あとで電話すっか」
一方、結多は伊佐の事で頭がいっぱいだった。本当に分裂しそうになっているならその理由を知りたい。意見の食い違いで他人と対立するような人ではないと思っていたから。
「ーーあ。おかえりなさい」
ドアを開けると綾瀬がお出迎えしてくれた。これからは綾瀬との時間。伊佐達の事を考えていては綾瀬に悪い。
「ただいま、綾瀬。遅くなってごめんね」
「いえ。ご飯も丁度炊きましたし、大丈夫です」
「ありがとう。お腹空いたー」
「先輩、先にお風呂入りますか?」
「んー…」
「それともご飯先に食べちゃいます?」
「んー…」
「なら、おかえりのキスが良いですか?」
「うん!!」
結多は「正解!」と言わんばかりの満面の笑みで綾瀬に抱きついた。
「可愛いですね」
2人は口付けを交わし、暫く玄関から動かなかったーー。
「綾瀬、これあげる」
夕食を終えた2人はソファに座りながらテレビを見ていた。丁度シェリドが写ったので結多はチケットを渡した。
「ライブですか?」
「うん。一緒に行こ」
「はい。でも、おれこのバンド知らなくて…」
「そうなの?すっごい有名なんだよ!」
「へぇ。先輩、CD持ってます?」
「うん。じゃあ、一緒に聴こっか。オレの部屋おいで」
「ありがとうございます」
テレビを消し、2人は結多の部屋へと移動した。結多は鼻歌を奏でながらCDを探しにかかる。
「……あの、先輩」
「んー?」
「あまり煩く言いたくないんですけど、この現状は何ですか?」
互いの部屋に入ってはいけないという決まりは特になかったが、綾瀬は勝手に入るのも申し訳ないと思い、掃除する時も見逃していた。けれど、入ってみて改めて結多の性格というものを理解した。綾瀬の眼前に広がっているのは、富士の樹海。着たものは脱ぎっぱなし、置きっぱなし。資料らしき本の類は積みっぱなし。どうにか足の踏み場はあるようだが何故こうなるのか綾瀬には意味不明だった。
「ごめんね、綾瀬!後でやろうって思ってたらどんどん溜まっちゃって」
結多は顔の前で手を合わせながら綾瀬に頭を下げた。自覚はあるようで綾瀬はほっとする。
「こんな部屋にいたら喘息になりますよ。先輩、明日も仕事ですよね?おれが片付けしても良いですか?」
「良いの!?明日は一日掛かるんだぁ」
「捨てたらダメなものとかあります?」
「ないよ。資料とかも頭に入ってるし、洋服も貰い物だし。あ!まどか先生の本だけは絶対に捨てないでね!」
「おれも持ってますけど…」
「ダメ!全部自分で買ったから、思い入れ強くて」
「……そんなに好きだとは知りませんでした。ありがとうございます」
「うん!だから、その他のは綾瀬の判断に任せるよ」
「分かりました。明日やりますね」
「ありがとう、綾瀬」
「じゃあ、今日はおれの部屋で一緒に寝ましょう」
「やったぁ!綾瀬と一緒だと温かいんだぁ」
「先輩はベッド使って下さい。おれは下で…」
「えっ!?一緒にってそういう?」
「明日も仕事なんですよね?無理させたくありません」
「……分かった。我慢する」
しゅんとなりながら結多は頷いた。その表情がとても可愛かったので綾瀬は結多の頬に手を添えた。
「りょうら……」
「休みになったら、いくらでも抱いてあげます」
その言葉に胸打たれ、結多は顔を真っ赤にした。綾瀬は優しく微笑みながら結多の額にキスをする。
「だから、お仕事に集中して下さいね」
「…うん」
「CDありました?」
「あったあった♪綾瀬の部屋で聴きながら寝よ」
「はい」
その夜、結局2人はベッドの上で一緒に寝る事になった。狭くて申し訳なく思う綾瀬とは反対に結多は綾瀬にくっつきながら幸せそうな寝顔を見せていた。
「……本当、可愛いですね。先輩」
綺麗な寝顔に惹かれ、綾瀬は結多の頭を撫でたーー。
『今日のゲストは、今最も売れている人気モデルの結多さんでーす』
「キャー!」という女性達の歓声を受けながら結多が登場した。観客はほぼ女性客が占め、司会のアナウンサーも結多の美しい姿に見とれていた。
結多は手を振ったり笑顔を振りまいたりサービスしながら用意されていた椅子に腰掛けた。
「間近で見ると本当にお綺麗ですねー。女の子達にモテモテでしょう」
「ありがとうございます。最近やっと出待ちとかしてくれる子達が増えてきたんですー」
「それは嬉しい限りですね。ファンクラブも勢力を増しているとか」
「みたいですね。オレはSNSとかやらないのであんまり活動とかはわかりませんけど」
「珍しいですね。今の若い方々は皆やっているものだと」
「なんか怖くて……。唯一LINEはやってますけど、限られた人達としか連絡してないので」
「怖いというのは、炎上とかそういう?」
「そうですね。荒らしとか知らない人達から痛い言葉貰うのは流石に耐えられないですね 」
「なるほど。確かに受け止めるには忍耐力が必要になりますね」
テレビから流れてくるやり取りを聴きながら綾瀬は夕食の用意をしていた。人気のある番組に呼ばれたと昨日は喜んでいたが、生放送は初めてらしい。それでも変わらない様子で結多はインタビューに答えている。
「結多さんは尊敬している方はいるんですか?」
「いますよ」
「誰ですか?」
「小説家の黒紫まどかさん。ずっとファンなんです」
「知ってます。高校生の時に賞を取った方ですよね。あの時は各メディアに取り上げられてましたものね」
「凄いなって思うんですよ。今に至るまでずっと人気を博してるし、ランキングには上位に必ず入ってるし。それに、彼の作品は何度も読み返したくなるんです。オレは全作品読破しましたけど、どれもオススメの作品です。おねえさんは読んだ事ありますか?」
誇らしげに語る結多を綾瀬は眺めていた。そのお陰で手が止まってしまい、危うく料理を焦がしてしまう所だった。以前から尊敬しているとは言って貰っていたが、まさかこんなにも想われているとは初めて知った。
「本に興味が薄い人でも読みやすい形式に書かれてるんですよ。だから、手に取って読んで貰いたいなって。きっかけがオレだったとしても別にいいんです。まどか先生の作品に触れさえしてくれれば嬉しいなって」
結多の話を観客の女性達はうっとりしながら聞いていた。恐らく明日本屋へ直行する人はどれくらいいるだろう。結多の影響力は大きい。今スタジオ観覧している人達は結多が読んでいるという本が気になって仕方がない筈。綾瀬にとっても、本に触れて貰えるのは有難かった。最近はネット小説などと掌の上で読めるようなコンパクトになってしまい、分厚い本なんて見向きもしない人が殆どだ。その厚みにどれだけの世界が詰まっているのかも知らないのだろう。
「機会があったら先生とお話したいなって」
「見てみたいですね、お2人のツーショット」
「結構マニアックな話になるかもです」
「ファンには堪らないんじゃないんですか」
「喜んで貰えるなら」
結多は観客達に振り向き、にこっと優しく笑った。その微笑に胸を打たれた女性達は顔を赤らめながら頬が緩んでいる。
ーー流石だ、と綾瀬は改めて思う。
結多はファンサービスを大事にしている。人気の維持だとか好感度アップとかを狙っての事ではなく、ただ本当に感謝しているそうだ。自分を好きでいてくれる人が1人でもいてくれるならその人の為に頑張りたいと呟いていた。その精神は綾瀬も見習わなければと思う。
「……早く帰ってきて下さいね」
料理をし終えた綾瀬は、テレビに映る結多に向かってそう呟いたーー。
収録が終わり、結多はスタッフ達に挨拶をしながら楽屋へと戻った。マネージャーが来るまで水分補給していると、ノックとともに見慣れた人物がドアを開けた。
「伊佐さん!」
結多は嬉しそうに彼の名を呼んだ。ヴィジュアル系バンドのギターリストである伊佐は結多をこの世界に案内した恩人。ちなみに彼のバンド名は、
『Sherid *E* Le ScioN』(シェリド ヱ ルシオン)だ。
「結多がこのスタジオにいるって聞いたから遊びに来ちゃった」
温厚篤実な伊佐は柔らかな笑みで言った。ヴィジュアル系とは思えない位穏やかで結多と性格が少し似ている。バンド内でも彼を中心に話をする事が多いらしい。
「ありがとうございます!伊佐さんも収録?」
「うん。音楽番組の特番に出るんだ」
「出るって事はこれからですか?」
「そうだよ。でも出番最後の方だし、時間に余裕あったから」
「新曲歌うの?」
「歌うね。ボクらはメドレー形式なんだって」
「いいなぁ!生で聴きたいなぁ」
「じゃあ、観覧に来る?結多ならスタッフも席用意してくれると思うし」
「本当?!…あー、でも、綾瀬が待ってるから。今日はこの収録だけだって言ってあるし」
「りょうら?…あぁ、同棲してる後輩か」
「そうなんです!すっごくいい子なんですよ!伊佐さんにも今度紹介しますね!」
「ありがとう。そっか…。結多来れないのは残念だな…。あ、ならさ」
伊佐はふと思い出しながらポケットから何かを取り出した。
「これあげる」
「…チケット?」
「そう。今度ライブやるから。後輩くんと見に来て」
「…え、本物!?シェリドの!?」
『Sherid *E* Le ScioN』(シェリド ヱ ルシオン)のチケットは即日完売でパソコン3台使ってもなかなか取れないというプレミアものだった。そんな高価なものをタダで貰えるとは思っておらず、結多は伊佐とチケットを見比べながら聞き返した。
「本物が渡してるんだから、それ相応の価値があるチケットだよ」
「うわぁ…!いいんですか?」
「勿論。蒼凰(あお)くんも喜ぶ」
「ありがとうございます!綾瀬と一緒に行きますね!蒼凰くんは絶好調?」
「当然でしょ。張り切ってる」
「収録大好きですもんね」
「まぁ、それがお仕事だからね」
「楓(ふう)ちゃんと朱音(あかね)はどう?」
「元気元気。会いに来てよ」
「はい!挨拶に行きますね」
「ありがとう」
伊佐がにっこりしたのと同時に彼の携帯が鳴った。表示画面を見ただけで伊佐は「ごめんね」と謝る身振りをしながら電話に出た。
「……うん。今行くから…。大丈夫だよ、間に合う」
短く答え、伊佐は電話を切った。
「マネージャー?」
「蒼凰くんから。もうすぐ準備するから来てって」
「そっか…… 。特番楽しみにしてますね」
「うん、ありがとう結多。気をつけて帰ってね」
「はい!」
「じゃあ、またね」
手を振りながら伊佐は部屋から出ていった。結多も鞄の中にチケットをしまい、マネージャーが来るまで綾瀬の本を読むことにした。
「ごめん、結多!待たせたね!」
数分も経たない内に息を切らしたマネージャーの美丘が慌てて入ってきた。
「走ってきたの?水飲む?」
「うん」
結多からペットボトルを受け取り、彼女は一気に飲み干した。
「打ち合わせ長引いた?」
「いやもうマジで話長いんだけど」
「鑑さん?」
「そう。捕まった」
「災難だったね」
「UFOの映画撮りたいとか願望ダラダラ抜かしやがってあのクソメガネ」
「本音漏れちゃってるよ」
「あーもう!結多、早く帰りたいって言ってたのにごめんね。あのクソメガネのせいで」
「だから腹黒さ出てるって」
止まらない文句を言う美丘を宥めながら2人は駐車場へと向かった。
「あ、来たよ!絶対結多だって!」
どこから侵入したのか、若い女の子達が数人2人の前に現れた。結多は一気に囲まれてしまい、美丘の事などお構い無しだ。
「ねぇ、結多ぁ。折角こんな所で出待ちしててあげたんだからサービスしてよぉ」
「ファンを大事にするのが結多だもんね」
「無下になんか、しないよね?」
馴れ馴れしい口調で彼女達は詰め寄る。結多はどう対処するべきか戸惑ってしまった。
「お前らどっから入った?此処は関係者以外立ち入り禁止なんだよ」
彼女達と結多の間に割って入りながら美丘が厳しい口調で聞いた。
「ファンですーって言ったら通してくれたもん」
「ねー」
「あの警備員さんマジ優しい」
「警備員?」
芸能関係者の駐車場に警備員がいることはおかしくない。けれど、彼らが簡単に一般人を通すことはない。美丘は怪訝な表情で彼女達を眺めていた。
「ねー、結多ぁ。写真撮ろー」
「あ、あたしもー」
「……いいよ。でも、一枚だけね」
「もち!」
我儘な彼女達の要望を快く引き受けた結多は美丘に写真を撮って貰った。
「やー、マジ綺麗!会えて良かった」
「応援してるからね、結多!」
「今度の写真集買うから!」
満足と言った様子で彼女達はキャイキャイしながら帰っていった。
「……ああいうのは断ってもいいんだぞ」
半ば呆れ顔の美丘が溜息混じりに促した。
「うん……。でも、無下にしたらきっとあんな風には応援してくれない。オレを支持してくれてるのを当たり前だなんて思いたくないんだ」
結多の性格を理解している美丘はそれ以上は何も言わなかった。ファンがいてくれるのが当然なとど思い上がっていると痛い目に遭う。美丘は重々感じていた。
「ーーさっき伊佐と会っただろ?」
夜の道はそれ程混んでおらず、スムーズに進む事が出来た。後部座席で外の景色を眺めていた結多に美丘は話し掛けた。
「会ったよ。美丘さん、擦れ違った?」
「あぁ。なんか険しい表情してたけど、何かあった?」
「えっ……伊佐さんが?オレと話してた時はそんな表情してなかったけど」
「そっか。お前の事、可愛がってくれてるもんな。実はさ、あいつらのバンド今ピンチ」
「……え?」
サラッと大事なことを言った美丘に結多は一瞬理解に遅れた。
「ピンチって…何で?」
「いやさぁ…、あいつらのマネージャーとこの間話してさ、悩んでたんだよ」
「…だって、今度ライブやるってチケット貰ったよ。人気だって上々だし、仲だって悪くない……」
「第三者からはそう見えるだろうな」
「…どういうこと?」
「伊佐とな、3人の意見が食い違ったとかで今分裂の危機らしい」
「うそ!?」
「定かじゃないかららしいとしか言えないけどな。でも、仲が良い奴ら程1度壊れたらもうくっつかないんだよ」
美丘は自分に言い聞かせるみたいに呟いた。結多は不安になり、伊佐に連絡しようと思ったが収録中なので迷惑になるだけだった。
「…オレから伊佐さんに聞いてみるのは大丈夫?」
「まぁ、お前になら伊佐も話すんじゃないか?」
「…分かった」
殆ど会話が伊佐達の話になってしまい、結多を送り届けた美丘は明日の仕事内容を伝えていない事に気付いた。
「…あとで電話すっか」
一方、結多は伊佐の事で頭がいっぱいだった。本当に分裂しそうになっているならその理由を知りたい。意見の食い違いで他人と対立するような人ではないと思っていたから。
「ーーあ。おかえりなさい」
ドアを開けると綾瀬がお出迎えしてくれた。これからは綾瀬との時間。伊佐達の事を考えていては綾瀬に悪い。
「ただいま、綾瀬。遅くなってごめんね」
「いえ。ご飯も丁度炊きましたし、大丈夫です」
「ありがとう。お腹空いたー」
「先輩、先にお風呂入りますか?」
「んー…」
「それともご飯先に食べちゃいます?」
「んー…」
「なら、おかえりのキスが良いですか?」
「うん!!」
結多は「正解!」と言わんばかりの満面の笑みで綾瀬に抱きついた。
「可愛いですね」
2人は口付けを交わし、暫く玄関から動かなかったーー。
「綾瀬、これあげる」
夕食を終えた2人はソファに座りながらテレビを見ていた。丁度シェリドが写ったので結多はチケットを渡した。
「ライブですか?」
「うん。一緒に行こ」
「はい。でも、おれこのバンド知らなくて…」
「そうなの?すっごい有名なんだよ!」
「へぇ。先輩、CD持ってます?」
「うん。じゃあ、一緒に聴こっか。オレの部屋おいで」
「ありがとうございます」
テレビを消し、2人は結多の部屋へと移動した。結多は鼻歌を奏でながらCDを探しにかかる。
「……あの、先輩」
「んー?」
「あまり煩く言いたくないんですけど、この現状は何ですか?」
互いの部屋に入ってはいけないという決まりは特になかったが、綾瀬は勝手に入るのも申し訳ないと思い、掃除する時も見逃していた。けれど、入ってみて改めて結多の性格というものを理解した。綾瀬の眼前に広がっているのは、富士の樹海。着たものは脱ぎっぱなし、置きっぱなし。資料らしき本の類は積みっぱなし。どうにか足の踏み場はあるようだが何故こうなるのか綾瀬には意味不明だった。
「ごめんね、綾瀬!後でやろうって思ってたらどんどん溜まっちゃって」
結多は顔の前で手を合わせながら綾瀬に頭を下げた。自覚はあるようで綾瀬はほっとする。
「こんな部屋にいたら喘息になりますよ。先輩、明日も仕事ですよね?おれが片付けしても良いですか?」
「良いの!?明日は一日掛かるんだぁ」
「捨てたらダメなものとかあります?」
「ないよ。資料とかも頭に入ってるし、洋服も貰い物だし。あ!まどか先生の本だけは絶対に捨てないでね!」
「おれも持ってますけど…」
「ダメ!全部自分で買ったから、思い入れ強くて」
「……そんなに好きだとは知りませんでした。ありがとうございます」
「うん!だから、その他のは綾瀬の判断に任せるよ」
「分かりました。明日やりますね」
「ありがとう、綾瀬」
「じゃあ、今日はおれの部屋で一緒に寝ましょう」
「やったぁ!綾瀬と一緒だと温かいんだぁ」
「先輩はベッド使って下さい。おれは下で…」
「えっ!?一緒にってそういう?」
「明日も仕事なんですよね?無理させたくありません」
「……分かった。我慢する」
しゅんとなりながら結多は頷いた。その表情がとても可愛かったので綾瀬は結多の頬に手を添えた。
「りょうら……」
「休みになったら、いくらでも抱いてあげます」
その言葉に胸打たれ、結多は顔を真っ赤にした。綾瀬は優しく微笑みながら結多の額にキスをする。
「だから、お仕事に集中して下さいね」
「…うん」
「CDありました?」
「あったあった♪綾瀬の部屋で聴きながら寝よ」
「はい」
その夜、結局2人はベッドの上で一緒に寝る事になった。狭くて申し訳なく思う綾瀬とは反対に結多は綾瀬にくっつきながら幸せそうな寝顔を見せていた。
「……本当、可愛いですね。先輩」
綺麗な寝顔に惹かれ、綾瀬は結多の頭を撫でたーー。
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言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
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