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26 清廉樹祭5

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「待って、まだ歌ってもらってない」
「…やだ。まだ振られたくない」

 帰ってお風呂に入り、身支度していると当然という顔をして僕の部屋にオルフェくんが入ってきた。彼はいつもベッドに腰掛け、トントンと膝を叩いて僕を呼ぶ。

 そして最初のときのように、何をどうやっているのか髪を乾かしてくれるのだ。しかし案の定、まだ髪が乾き切っていないうちから唇に噛みついてきた。胸を押して留めると、僕と同じようで違う濃い茶色の瞳と目が合った。

「だって僕、こうなる前にお付き合いして下さいとも言われてない」

 ──なんだそのびっくり顔。こっちがびっくりだよ。

「…言ってなかったか」

「あーなるほど。今までずっと何も言わなくたって雰囲気で付き合えてたわけね」 
「いやっ、雰囲気っていうか…………はい」

 耳がピコピコ動き始めた。彼の耳は心の中をいつも正直に伝えてくれる。僕はこの案外わかりやすい彼の耳がとても気に入っている。

「オルフェくん、僕が前に読んだ本の主人公みたい。場面が変わると大体女の人と寝てるんだよ」
「なんだその本。上手く行き過ぎだろ。そんな主人公の人生なんて追っても面白くないだろ」

「歌ってよ。ちゃんと聴いてるから。最後まで歌えたらいいものをあげましょう」
「あの大量の貢ぎものよりか。ふーん。そりゃ楽しみだな」

 オルフェくんは僕の手を取ってキスをしたあと、柔らかな声で歌い始めた。



 湿り気を帯び、いつもより真っ直ぐになった髪の間から覗く潤んだ瞳。夜の橙色の灯りに照らされ、強調された鼻梁の造形。輪郭だけが曖昧な、昼間とは表情の違う顔。

 すぐ僕に噛みついてくる悪い唇から、鮮やかな色のついた振動が広がり僕の皮膚を打ってくる。いつもの音程とは違う、別の人のような声。彼の歌は穏やかで、とてもとても繊細だった。歌声で船を転覆させる伝説の生き物が、きっと男だったらこんな風だ。あたかもそちらが楽園と思えるように誘い込み、生と死の境を曖昧にする。

 眠る前、額を優しく撫でられているときのような感触がするその声は、ラグーさんの歌声とは真逆の印象だった。ぶっきらぼうで冷たい印象だったラグーさんが『動』の歌だとすると、僕によく話しかける分、遠慮なく手も出してくるオルフェくんは『静』の歌である。面白い発見だった。



 ふう、と息を吐くオルフェくんに僕は拍手を贈った。彼は目を伏せて、ちょっと苦笑いしている。

「じゃあ次は僕の番ね。最後まで聴いててくれる?」
「え? 」

 ぽかんとしてこっちを見たオルフェくんに構わず、僕は初めて彼の前で恋の歌を披露した。年期の入った獣人たちとは違い突貫で覚えたので、歌詞が飛びそうになって心臓がドキドキし始める。時々危なかったが何とか堪えた。大丈夫、大丈夫。マウラさんは天使の歌声だって褒めてくれた。みんなの上手な歌を聴いたあとだから、落差を感じて内心冷や汗ものだけど。 

 ふ──……、と長い息を吐き、呼吸を整えた。まだちょっと心臓が落ち着かない。

「オルフェくん。好きです。僕とお付き合いしてください」





「オルフェくん。お返事は? もしもーし。オルフェウスくーん」

「……………カイ!! 結婚しよう!!!!」

 大型犬のように飛びかかってくる彼に、ボスーンと後ろに倒されることは想定内だ。でもね。

「まだっ、まだ結婚は、早いから、わかってる!?」
「わかってる! あ、返事貰ってない、返事は!?」

「僕も貰ってな……ん、……待ってこれ、魔力ってやつ流してるでしょ、なんら、熱い、おかひくなってきらあ、あっ、あっ、まって、まっ……んもおおお!」
「無理無理、待てない許して。悪いお兄ちゃんでごめんな!!」

 ──もうお兄ちゃん設定に耐性がついたか。しばらく使おうと思ってたのに。



 耳の穴に舌を突っ込まれた途端に背中が反り、身体中が熱くなってしまった。両の手首を上に纏めて縫い止められ、彼の片手が僕の前だの後ろだのを性急に刺激する。僕は降参した犬のように脚を開いて、上がった膝を情けなくぶらつかせることしかできなかった。

 あっちこっちをまさぐられるたび、ぐらぐらと脳に直接酒が回ったような感覚に陥る。身体の制御が狂わされ、理性がドロドロ溶かされて、瞼がとろりと落ちてくる。オルフェくんめ、前にこうなったとき、していいかわかんないとか言ってたくせに。

「はっ…、熱っ…! 締め付けすぎだ、もうちょっと力抜いてくれ…っ」
「はあ、むり、むり、ふぅっ…!きもちいいっ…!」

「もう、この、悪魔めっ…、愛してるよ…!」
「ぼくも、あいしてるよ、すきらよ、おるふぇくん」

 お付き合いしてくれと言われていないなんて彼を責めたが、僕だって言ってない。僕はきっと、最初から彼に一目惚れしていたと思う。僕は人の輪に入れないくせに、そこから外れるのが怖い。人の作った規則やルールから、外れてしまうのが何より怖い。きっとそういう考えが心を縛り付けていた。

『俺の女に何しやがる』と叫んだ彼。おそらくここでやっと心の枷が外れ始めた。理性では僕男です、などと思いつつも、一気に気持ちが傾いたのはきっとこの時だろうと思う。

 僕は何をどうしたって、手を引っ張ってくれる人についていきたくなってしまうのだ。気質というよりこんなもの、もはや性癖なのかもしれない。



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© 2023 清田いい鳥
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