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36 飛馬のルート号2
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ルート号がどう変わったのかはわからないまま時は過ぎ、相変わらず運動場に自分からは出ない彼に乗せて貰う日々は続いていた。
試しに飛行してみようかというコーバスさんの指示で、日課の散歩は空中散歩へと切り替わることになった。ものすごく心配してくれるオルフェくんに何度も大丈夫だと言って離れたが、そう言いながらも僕はオルフェくんと同じくらい不安になっていたと思う。
しかし、ルート号の飛行技術は目を見張るほど素晴らしかった。僕が少しでもバランスを崩しかけると、下から修正してくれる。操るというよりまるで、腰掛けているだけの感覚。王城で乗った、あの魔法の絨毯のような乗り心地であった。
「……ルートくん、安定してるね。凄いね君、どうして僕の思ってる通りに走れて飛べるの?」
『…………』
「もしかしたら気が合うのかもね。気ってわかる? 目に見えない、なんていうか、その、空気感? いや、魔力みたいなものかなあ。君にも僕の匂いっていいものに感じるのかな」
『…………』
飛馬はその体躯に似合わない鳴き声を発する生き物だ。ミュウミュウというその鳴き声で、他の仲間と情報を共有する。それが出来ないルートくんは、今まで辛い思いをしてきたんじゃないかと思うが、僕から見た彼の様子はいつも落ち着いていた。拗ねた様子も悲しむ様子もなく、いつも雰囲気は穏やかだった。
僕を気にかけてくれる様子は僕自身にもよくわかるようになり、水桶をセットしようとすると嘴で片方を持ってくれる。乗ろうと思って近づくと、手綱を自分で外して渡してくれる。それらの行動は全て僕にだけだとコーバスさんたちは言っていたが。
安心してくれているのだろうか。心を開いてくれているのか。もしそうだったら嬉しいな。僕はあと少しでここを去るが、僕が去ったら彼は少しでも寂しいなんて思ってくれるだろうか。
──────
帰ったら食事の時間だ。今日は王城のお茶会で出されたデザートが余り気味だったらしく、形の崩れたものばかりだが、おやつがいつもより豪華になった。
甘い香りでわかるのか、ゴンゴンと厩舎の壁をつついて催促をする音がする。ドカドカと跳ねて喜んでいる音もする。衛兵さんのところのアーリー号もきっと甘いものは好きだろうから、遊びに行ったときに差し入れでも持って行こう、などと考えながらルート号の厩舎の前で水桶を持ち上げた。
このとき、ルート号が僕を手伝おうとしたことはすぐにわかった。だが考え事をしていたからか、僕の手の位置が悪かった。前脚を手として使えない飛馬は主に嘴を使う。人間同士なら手で手を掴む感じになっていたのだろうが、相手は巨大な嘴である。その切っ先が、タイミング悪く僕の手に突き刺さってしまったのだ。
『カイ!!!!』
頭の中に鳴り響くような声だった。少年のような少女のような不思議な声は、まさしく目の前の、彼のものだった。
「あ、ううん、大丈夫。大丈夫だから、ルートくん…」
『ごめんね、ごめんね、血が出てる、どうしよう、ごめんね』
何度も何度も僕の掌を舐めるルート号は、大きな目をさらに見開き明らかに動揺し、心配した表情をしている。このあと何度も僕らは大丈夫、とごめんね、を繰り返した。僕はだらだらと血を流している掌の痛みよりも、彼の声で名前を呼ばれた、彼の声が聞けた嬉しさが勝っていた。
すぐに様子を見にきたらしいオルフェくんが僕の血塗れになった掌を見て殺気立ったので、違う違う、不運な事故だと慌てて止めた。ルート号は瞬時に厩舎の部屋の隅に寄って巨体を縮こまらせ、小さな声で『ごめんなさい…』と言っていた。
あとコーバスさんとライちゃんさんは『大丈夫!?』と心配してくれたあと、『ルート号が喋ったァァア!?』とわあわあ騒いでいた。
僕の手のひらは出血のわりに大した怪我ではなかったが、厩の仕事は慣れてきた頃に油断して怪我をすることがよくあるそうだ。就業不能になった方ってまさか、と聞いたら『落馬で全治半年の奴と、巻き込まれで3ヶ月の奴がいてな』とコーバスさんが教えてくれた。…洒落にならない。気をつけよう。
──────
「自由に選んでって言いたいところなんだけど……あたしの言いたいことは伝わってそうね」
「すまねえなカイちゃん。押し付けるような感じになって」
「もう、前から言ってるじゃないですか。ルート号は優秀なんです。何も言わなくてもわかるんです。天才です。賢いんです。なんですかその顔は。この子に同情してるんじゃないですよ、本当ですからっ」
僕はルート号を相棒として譲り受けることにした。言わずとも伝わり行動してくれる彼の優秀さを買っているのもあるが、場所が王城の厩である。このまま離れたら守衛地のアーリー号のようには気安く会えないだろうと考えたのだ。
僕のことを忘れてほしくない。久しぶりに会いに行って、あんた誰? という態度を取られたら傷つくと思ったのだ。僕が。全ては僕のエゴである。僕は彼が欲しいのだ。彼じゃないと嫌なのだ。
「ルートくん、怖くないよ。オルフェくんはね、びっくりしただけなんだよ。蹴ったりなんて絶対しないから大丈夫。ね?」
「なんだお前。ビビってんのか。カイに選ばれただけでも幸運なんだからキリキリ働け」
「ねえちょっと…せっかくお願いしてるのに、ルートくんがしょげちゃうでしょ。本当にやめて…仲良くしてよ…」
「あ? しょげるようなタマじゃねえだろ。なんだそのベッタリ具合は。きちんと主人を敬え。赤ちゃんじゃあるまいし」
僕がルート号に襲われたと誤解したオルフェくんは、思いっきり彼を睨みつけ殺気を放った。もの凄く怖かったらしい彼は、それ以来オルフェくんを見るたび僕のそばに寄ってくるようになってしまった。今もべったり翼を腕にくっつけられている。
「オルフェくん、いい加減にして。ちゃんとお願いしないと振り落とされるよ。いくら獣人でも上空から落ちれば命はないよ。オルフェくんの命を握っているのはルート号だよ。わかったらほら、お願いして」
「ノセテクダサイ、ルートサマー」
「なんなのその態度は。やり直し。乗せて下さいお願いします! さんはい!」
「……チッ、お願いします」
「舌打ちしない!!」
『い、いいよ…頑張るから……』
どっちが赤ちゃんなんだか、と思いながら荷物とお土産諸々をルート号に乗せてもらった。子供のような態度でも、飛馬は飛馬である。戦場にも連れて行ける魔獣は僕の体重の数倍を乗せても悠々と飛ぶことができる。馬よりも長距離を長時間走れて飛べる、かなりタフな生き物なのだ。その分高価だしよく食べるが。
飛馬の食事手当てがなかったら、とてもじゃないけど連れては行けなかった。ありがとう、王子様。貴重な予算を割いてくださりありがとう、官吏の方々。
────────────────────
© 2023 清田いい鳥
試しに飛行してみようかというコーバスさんの指示で、日課の散歩は空中散歩へと切り替わることになった。ものすごく心配してくれるオルフェくんに何度も大丈夫だと言って離れたが、そう言いながらも僕はオルフェくんと同じくらい不安になっていたと思う。
しかし、ルート号の飛行技術は目を見張るほど素晴らしかった。僕が少しでもバランスを崩しかけると、下から修正してくれる。操るというよりまるで、腰掛けているだけの感覚。王城で乗った、あの魔法の絨毯のような乗り心地であった。
「……ルートくん、安定してるね。凄いね君、どうして僕の思ってる通りに走れて飛べるの?」
『…………』
「もしかしたら気が合うのかもね。気ってわかる? 目に見えない、なんていうか、その、空気感? いや、魔力みたいなものかなあ。君にも僕の匂いっていいものに感じるのかな」
『…………』
飛馬はその体躯に似合わない鳴き声を発する生き物だ。ミュウミュウというその鳴き声で、他の仲間と情報を共有する。それが出来ないルートくんは、今まで辛い思いをしてきたんじゃないかと思うが、僕から見た彼の様子はいつも落ち着いていた。拗ねた様子も悲しむ様子もなく、いつも雰囲気は穏やかだった。
僕を気にかけてくれる様子は僕自身にもよくわかるようになり、水桶をセットしようとすると嘴で片方を持ってくれる。乗ろうと思って近づくと、手綱を自分で外して渡してくれる。それらの行動は全て僕にだけだとコーバスさんたちは言っていたが。
安心してくれているのだろうか。心を開いてくれているのか。もしそうだったら嬉しいな。僕はあと少しでここを去るが、僕が去ったら彼は少しでも寂しいなんて思ってくれるだろうか。
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帰ったら食事の時間だ。今日は王城のお茶会で出されたデザートが余り気味だったらしく、形の崩れたものばかりだが、おやつがいつもより豪華になった。
甘い香りでわかるのか、ゴンゴンと厩舎の壁をつついて催促をする音がする。ドカドカと跳ねて喜んでいる音もする。衛兵さんのところのアーリー号もきっと甘いものは好きだろうから、遊びに行ったときに差し入れでも持って行こう、などと考えながらルート号の厩舎の前で水桶を持ち上げた。
このとき、ルート号が僕を手伝おうとしたことはすぐにわかった。だが考え事をしていたからか、僕の手の位置が悪かった。前脚を手として使えない飛馬は主に嘴を使う。人間同士なら手で手を掴む感じになっていたのだろうが、相手は巨大な嘴である。その切っ先が、タイミング悪く僕の手に突き刺さってしまったのだ。
『カイ!!!!』
頭の中に鳴り響くような声だった。少年のような少女のような不思議な声は、まさしく目の前の、彼のものだった。
「あ、ううん、大丈夫。大丈夫だから、ルートくん…」
『ごめんね、ごめんね、血が出てる、どうしよう、ごめんね』
何度も何度も僕の掌を舐めるルート号は、大きな目をさらに見開き明らかに動揺し、心配した表情をしている。このあと何度も僕らは大丈夫、とごめんね、を繰り返した。僕はだらだらと血を流している掌の痛みよりも、彼の声で名前を呼ばれた、彼の声が聞けた嬉しさが勝っていた。
すぐに様子を見にきたらしいオルフェくんが僕の血塗れになった掌を見て殺気立ったので、違う違う、不運な事故だと慌てて止めた。ルート号は瞬時に厩舎の部屋の隅に寄って巨体を縮こまらせ、小さな声で『ごめんなさい…』と言っていた。
あとコーバスさんとライちゃんさんは『大丈夫!?』と心配してくれたあと、『ルート号が喋ったァァア!?』とわあわあ騒いでいた。
僕の手のひらは出血のわりに大した怪我ではなかったが、厩の仕事は慣れてきた頃に油断して怪我をすることがよくあるそうだ。就業不能になった方ってまさか、と聞いたら『落馬で全治半年の奴と、巻き込まれで3ヶ月の奴がいてな』とコーバスさんが教えてくれた。…洒落にならない。気をつけよう。
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「自由に選んでって言いたいところなんだけど……あたしの言いたいことは伝わってそうね」
「すまねえなカイちゃん。押し付けるような感じになって」
「もう、前から言ってるじゃないですか。ルート号は優秀なんです。何も言わなくてもわかるんです。天才です。賢いんです。なんですかその顔は。この子に同情してるんじゃないですよ、本当ですからっ」
僕はルート号を相棒として譲り受けることにした。言わずとも伝わり行動してくれる彼の優秀さを買っているのもあるが、場所が王城の厩である。このまま離れたら守衛地のアーリー号のようには気安く会えないだろうと考えたのだ。
僕のことを忘れてほしくない。久しぶりに会いに行って、あんた誰? という態度を取られたら傷つくと思ったのだ。僕が。全ては僕のエゴである。僕は彼が欲しいのだ。彼じゃないと嫌なのだ。
「ルートくん、怖くないよ。オルフェくんはね、びっくりしただけなんだよ。蹴ったりなんて絶対しないから大丈夫。ね?」
「なんだお前。ビビってんのか。カイに選ばれただけでも幸運なんだからキリキリ働け」
「ねえちょっと…せっかくお願いしてるのに、ルートくんがしょげちゃうでしょ。本当にやめて…仲良くしてよ…」
「あ? しょげるようなタマじゃねえだろ。なんだそのベッタリ具合は。きちんと主人を敬え。赤ちゃんじゃあるまいし」
僕がルート号に襲われたと誤解したオルフェくんは、思いっきり彼を睨みつけ殺気を放った。もの凄く怖かったらしい彼は、それ以来オルフェくんを見るたび僕のそばに寄ってくるようになってしまった。今もべったり翼を腕にくっつけられている。
「オルフェくん、いい加減にして。ちゃんとお願いしないと振り落とされるよ。いくら獣人でも上空から落ちれば命はないよ。オルフェくんの命を握っているのはルート号だよ。わかったらほら、お願いして」
「ノセテクダサイ、ルートサマー」
「なんなのその態度は。やり直し。乗せて下さいお願いします! さんはい!」
「……チッ、お願いします」
「舌打ちしない!!」
『い、いいよ…頑張るから……』
どっちが赤ちゃんなんだか、と思いながら荷物とお土産諸々をルート号に乗せてもらった。子供のような態度でも、飛馬は飛馬である。戦場にも連れて行ける魔獣は僕の体重の数倍を乗せても悠々と飛ぶことができる。馬よりも長距離を長時間走れて飛べる、かなりタフな生き物なのだ。その分高価だしよく食べるが。
飛馬の食事手当てがなかったら、とてもじゃないけど連れては行けなかった。ありがとう、王子様。貴重な予算を割いてくださりありがとう、官吏の方々。
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