56 / 68
56 マウラさんのハニートースト
しおりを挟む
僕がそろそろ寝ようか、というころにお風呂から上がったオルフェくんが僕の部屋に来る。これもいつものことだが、最近は特にそれが待ち遠しいものになっていた。
「あれ、その腕どうしたの? 痛いの?」
「ちょっと火傷しただけ。痛いことは痛い」
「見せて。あー、そんなに深くはなさそうだけどまだ赤いね。ちょっと待ってて、ここにも傷薬が……あれ? 火傷って何も塗らないほうがいいんだっけ……ちょっ、ちょっとー」
「別にそんなに痛くないからいい。まあそんなことよりさ……」
火を使うのだから火傷もする。忙しいと慣れていてもたまにある。厨房はそんなに広くはないので、熱いものを持って移動するときにうっかりやってしまうらしい。
ベッドにずるずると引きずり込まれ、深いキスをされながら、あれ、なんか久しぶりじゃないかなと気がついた。前にこういうことをしたのっていつだっけ。僕も毎日仕事をしていたから、時の流れが早く感じる。
何度も洗いすぎてちょっとカサついた大きな手に太腿をゆっくりと撫でられて、指の腹で中心の裏を誘うようになぞられてゆく。唇で耳を喰まれ、吸われ、彼の栗色の髪に首筋をくすぐられて、内臓のどこかからゾクゾクと甘ったるい何かが駆け上がる。
悪寒に似ているのに熱さがあり、思考を溶かして崩して、形を一気に変えてしまう魅惑的な何か。
最近なかった濃厚な接触に、心臓が一気に走り出す。身体が熱くなってくる。僕はこうやって触れてもらうことをずっとずっと期待していた。それを自覚した途端、顔に熱が籠もってくる。息が切れてくる。もっともっと、と気がせいてしまう。
ドキドキしてたまらなくなり、ぎゅっと強く彼を抱きしめた。彼はぐっと僕の肩に頭を乗せて、息をつき…………あれ? なんか…………寝ちゃってない??
「オルフェくん」
「………………」
「……眠いの?」
「………………」
彼はいびきをかいたりしない。その点はとっても良い子な彼なのだが、今日はちょっと……違う意味での悪い子になってくれて良かったのに。
疲れてるんだなあ、と苦笑いをしながらそっと上掛けをかけてあげた。明日は休みにしようかな。あの施設は国の管轄だから、通信魔道具は置いてある。連絡をして休ませてもらうことにしよう。
──────
「あれっ、オルフェくん出掛けちゃったんですか!?」
「なんかねえ、こんなことしてたらマジで時間なくなるーってブツブツ文句言いながらパーッと出てったわ! せっかくカイくんが休みなのにねえ。あの子に休みだって言わなかったのかい?」
「ええぇ~……今朝連絡して休みにしてもらったところなんです。だからまだ知らないはずです。うーん……どうしよ……、じゃあ洗い場のお手伝いしますね」
「いいんだよお、今日はうちも臨時休業だから! ずーっと働きっぱなしで疲れたわ! おばちゃん軍団もみーんな休みたいって言ってたから! 旦那なんかまだぐうぐう寝てるよお! ははは!」
疲れた、と言いつつマウラさんは朝から元気いっぱいだ。テキパキと朝食の支度をしてくれていて、すでにテーブルに運んでいたところだった。
上げ膳据え膳で申し訳ないな、と思いながらもカリカリの表面が噛むと香ばしい、分厚い耳なし食パンのようなものをいただいた。
「はい、彫刻蜂の蜜だよお。ほらほら、そんなんじゃ全然足りないだろー? もっと豪快にかけちまいなよお~。パンに染み込んだこいつを一口齧るだけで天国へひとっ飛びだよお~」
「あはは、悪い顔してかけないでくださいよー。なんかイケナイものに見えてくるー」
「そしてこいつさね。ここでさらに、このリモラクリームをドーン。男どもには内緒だよ、これちょっと高いからさあ。あいつらに食べさせたら一瓶を一食で空にするからね」
「……んっ!? おいし……美味しい!! 酸味控えめなのにすっごく爽やか、リモラの香りが全然飛んでない! 搾りたてミルクみたいに味が濃い! これ、彫刻蜂の蜜と合いますね!」
「ちょっとだけ魔術を込めて作ってあるらしいよお。だからその分高いのさ。絞ったばかりの牛乳を使ってさ、作りたて! みたいな新鮮さを感じるだろ」
「美味しい~、これはクリームだけでもパクパクいける。パンを挟まないと危険です。人のこと言えなくなっちゃうなー」
コクのある高級アイスクリーム、といった味と食感のリモラクリームと蜂蜜パンをさくさく平らげ、マウラさんにお礼を言った。マウラさんはにこにこしながら食後のお茶を淹れてくれ、また僕の前に座った直後、突然ズバリと僕の不安感情を言い当ててきた。
「カイくんあんた、最近オルフェと全然話せてないだろ。大丈夫だよお、そんな顔しなくても。もうすぐ終わるさ」
「終わるって、なにがですか? オルフェくん、外でなにしてるか知ってるんですか?」
「詳しいことはなーんにも。でもあの子は案外義理堅いしさあ、一度決めたらそこに向かって一直線な奴だからね。あんたと結婚したんだから、悪い遊びは絶対してないよ。これは母親の勘さね」
「……そうですか、でも、なんか……」
「大丈夫、大丈夫。頭より身体を使うことが得意な子だからさ、普段使わない頭を一生懸命ひねってひねって爆発してんのさ。ほっときなよお。すぐ帰ってくるから」
「はい…………」
「ま、万が一やらかしてたらあたしがなんとかするからさ。あたしの目が黒いうちは勝手なことなんてさせないよ、ハハッ」
マウラさんはニヤリと笑い、不穏な笑い方をしたあとは『さーて掃除掃除!』と言って立ち上がり、ササッとテーブルの上を軽く片して奥へテキパキと運んでいった。
せめて洗い物は僕が、とは言ったのだが小さな手を顔の前でひらひらさせて『うるさい奴がいない間に好きなことしてなよお。いい機会じゃないか』と僕を促し、励ましてくれた。
内緒でいいものを食べさせてくれた。それは『あたしはあんたの味方だよ』と言外に伝えてくれたように感じて、心とお腹がいっぱいになった。
彼女がくれた熱量を、悩むことに使うなどもったいない。そうだ、僕の部屋のついでにオルフェくんの部屋も掃除しよう。なにかヤバいものが出てくるかもしれないぞ。不安半分、楽しみ半分だ。
「なーんだ、つまんない。特に何も出てこなかったなー」
安心九割、疑い一割な気持ちを抱きながら独りごちて、ごろんとソファーに寝転んだ。あることはあった。ヤバいもの。前に僕を素早く縛り上げた、あの白雲綿の縄がまだ引き出しの中に存在した。……見て見ぬふりをし、そっと元に戻しておいた。
他に出てきた目新しいものといえば、美術関係の本が数冊あった。そういうのに興味があるんだ。なんか意外だな。綺麗なものが好きなのか。
服のセンスは良いと僕は思っているが、着道楽かといえば全然そうではない。『着心地重視』と言っていた。裾が足りないことが多いらしく、大して選べないとも。僕からしたら羨ましいと思える悩みである。
あとは壁に穴が開いたのを補修したらしき跡があったのと、飲みかけのカップをいくつかコレクションしてあったくらいで、普通に男の子の部屋だった。普通が何かはわからないが。
オルフェくんは夕方帰ってきた。食卓を囲みながら、僕は今日お休みだったんだけど、オルフェくんはどこ行ってたの? と、ちょっと勇気を出して彼に聞いてみると、えっ!? とでも言いたげな顔をしたあとに『さ……散歩』という返事が返ってきた。
そのあと『じゃあ俺も休めばよかっ……でもな……』と呟き、もそもそと食事の続きを食べていた。
散歩でこんな時間にはならないでしょ。やっぱりなにか隠してる。それは女の人ではないはずだ。それはハッキリ、とまではいかないのだが、少しはわかっているつもりだ。
でもな。明らかに詳しく言いたくなさそうなこの表情。僕は前にも見たことがある。なんの気無しに追求して、猫のおねえさんたちが元カノだということを知り、後に大勢いたことまで知ってしまったのだ。
悪いことは何もしていなくても、会っているのは女の人かもしれない。考えが後ろ向きなことにどんどん引っ張られていってしまう僕の悪癖は、国どころか世界が変われどひとつも直らなかったようだ。
「あれ、その腕どうしたの? 痛いの?」
「ちょっと火傷しただけ。痛いことは痛い」
「見せて。あー、そんなに深くはなさそうだけどまだ赤いね。ちょっと待ってて、ここにも傷薬が……あれ? 火傷って何も塗らないほうがいいんだっけ……ちょっ、ちょっとー」
「別にそんなに痛くないからいい。まあそんなことよりさ……」
火を使うのだから火傷もする。忙しいと慣れていてもたまにある。厨房はそんなに広くはないので、熱いものを持って移動するときにうっかりやってしまうらしい。
ベッドにずるずると引きずり込まれ、深いキスをされながら、あれ、なんか久しぶりじゃないかなと気がついた。前にこういうことをしたのっていつだっけ。僕も毎日仕事をしていたから、時の流れが早く感じる。
何度も洗いすぎてちょっとカサついた大きな手に太腿をゆっくりと撫でられて、指の腹で中心の裏を誘うようになぞられてゆく。唇で耳を喰まれ、吸われ、彼の栗色の髪に首筋をくすぐられて、内臓のどこかからゾクゾクと甘ったるい何かが駆け上がる。
悪寒に似ているのに熱さがあり、思考を溶かして崩して、形を一気に変えてしまう魅惑的な何か。
最近なかった濃厚な接触に、心臓が一気に走り出す。身体が熱くなってくる。僕はこうやって触れてもらうことをずっとずっと期待していた。それを自覚した途端、顔に熱が籠もってくる。息が切れてくる。もっともっと、と気がせいてしまう。
ドキドキしてたまらなくなり、ぎゅっと強く彼を抱きしめた。彼はぐっと僕の肩に頭を乗せて、息をつき…………あれ? なんか…………寝ちゃってない??
「オルフェくん」
「………………」
「……眠いの?」
「………………」
彼はいびきをかいたりしない。その点はとっても良い子な彼なのだが、今日はちょっと……違う意味での悪い子になってくれて良かったのに。
疲れてるんだなあ、と苦笑いをしながらそっと上掛けをかけてあげた。明日は休みにしようかな。あの施設は国の管轄だから、通信魔道具は置いてある。連絡をして休ませてもらうことにしよう。
──────
「あれっ、オルフェくん出掛けちゃったんですか!?」
「なんかねえ、こんなことしてたらマジで時間なくなるーってブツブツ文句言いながらパーッと出てったわ! せっかくカイくんが休みなのにねえ。あの子に休みだって言わなかったのかい?」
「ええぇ~……今朝連絡して休みにしてもらったところなんです。だからまだ知らないはずです。うーん……どうしよ……、じゃあ洗い場のお手伝いしますね」
「いいんだよお、今日はうちも臨時休業だから! ずーっと働きっぱなしで疲れたわ! おばちゃん軍団もみーんな休みたいって言ってたから! 旦那なんかまだぐうぐう寝てるよお! ははは!」
疲れた、と言いつつマウラさんは朝から元気いっぱいだ。テキパキと朝食の支度をしてくれていて、すでにテーブルに運んでいたところだった。
上げ膳据え膳で申し訳ないな、と思いながらもカリカリの表面が噛むと香ばしい、分厚い耳なし食パンのようなものをいただいた。
「はい、彫刻蜂の蜜だよお。ほらほら、そんなんじゃ全然足りないだろー? もっと豪快にかけちまいなよお~。パンに染み込んだこいつを一口齧るだけで天国へひとっ飛びだよお~」
「あはは、悪い顔してかけないでくださいよー。なんかイケナイものに見えてくるー」
「そしてこいつさね。ここでさらに、このリモラクリームをドーン。男どもには内緒だよ、これちょっと高いからさあ。あいつらに食べさせたら一瓶を一食で空にするからね」
「……んっ!? おいし……美味しい!! 酸味控えめなのにすっごく爽やか、リモラの香りが全然飛んでない! 搾りたてミルクみたいに味が濃い! これ、彫刻蜂の蜜と合いますね!」
「ちょっとだけ魔術を込めて作ってあるらしいよお。だからその分高いのさ。絞ったばかりの牛乳を使ってさ、作りたて! みたいな新鮮さを感じるだろ」
「美味しい~、これはクリームだけでもパクパクいける。パンを挟まないと危険です。人のこと言えなくなっちゃうなー」
コクのある高級アイスクリーム、といった味と食感のリモラクリームと蜂蜜パンをさくさく平らげ、マウラさんにお礼を言った。マウラさんはにこにこしながら食後のお茶を淹れてくれ、また僕の前に座った直後、突然ズバリと僕の不安感情を言い当ててきた。
「カイくんあんた、最近オルフェと全然話せてないだろ。大丈夫だよお、そんな顔しなくても。もうすぐ終わるさ」
「終わるって、なにがですか? オルフェくん、外でなにしてるか知ってるんですか?」
「詳しいことはなーんにも。でもあの子は案外義理堅いしさあ、一度決めたらそこに向かって一直線な奴だからね。あんたと結婚したんだから、悪い遊びは絶対してないよ。これは母親の勘さね」
「……そうですか、でも、なんか……」
「大丈夫、大丈夫。頭より身体を使うことが得意な子だからさ、普段使わない頭を一生懸命ひねってひねって爆発してんのさ。ほっときなよお。すぐ帰ってくるから」
「はい…………」
「ま、万が一やらかしてたらあたしがなんとかするからさ。あたしの目が黒いうちは勝手なことなんてさせないよ、ハハッ」
マウラさんはニヤリと笑い、不穏な笑い方をしたあとは『さーて掃除掃除!』と言って立ち上がり、ササッとテーブルの上を軽く片して奥へテキパキと運んでいった。
せめて洗い物は僕が、とは言ったのだが小さな手を顔の前でひらひらさせて『うるさい奴がいない間に好きなことしてなよお。いい機会じゃないか』と僕を促し、励ましてくれた。
内緒でいいものを食べさせてくれた。それは『あたしはあんたの味方だよ』と言外に伝えてくれたように感じて、心とお腹がいっぱいになった。
彼女がくれた熱量を、悩むことに使うなどもったいない。そうだ、僕の部屋のついでにオルフェくんの部屋も掃除しよう。なにかヤバいものが出てくるかもしれないぞ。不安半分、楽しみ半分だ。
「なーんだ、つまんない。特に何も出てこなかったなー」
安心九割、疑い一割な気持ちを抱きながら独りごちて、ごろんとソファーに寝転んだ。あることはあった。ヤバいもの。前に僕を素早く縛り上げた、あの白雲綿の縄がまだ引き出しの中に存在した。……見て見ぬふりをし、そっと元に戻しておいた。
他に出てきた目新しいものといえば、美術関係の本が数冊あった。そういうのに興味があるんだ。なんか意外だな。綺麗なものが好きなのか。
服のセンスは良いと僕は思っているが、着道楽かといえば全然そうではない。『着心地重視』と言っていた。裾が足りないことが多いらしく、大して選べないとも。僕からしたら羨ましいと思える悩みである。
あとは壁に穴が開いたのを補修したらしき跡があったのと、飲みかけのカップをいくつかコレクションしてあったくらいで、普通に男の子の部屋だった。普通が何かはわからないが。
オルフェくんは夕方帰ってきた。食卓を囲みながら、僕は今日お休みだったんだけど、オルフェくんはどこ行ってたの? と、ちょっと勇気を出して彼に聞いてみると、えっ!? とでも言いたげな顔をしたあとに『さ……散歩』という返事が返ってきた。
そのあと『じゃあ俺も休めばよかっ……でもな……』と呟き、もそもそと食事の続きを食べていた。
散歩でこんな時間にはならないでしょ。やっぱりなにか隠してる。それは女の人ではないはずだ。それはハッキリ、とまではいかないのだが、少しはわかっているつもりだ。
でもな。明らかに詳しく言いたくなさそうなこの表情。僕は前にも見たことがある。なんの気無しに追求して、猫のおねえさんたちが元カノだということを知り、後に大勢いたことまで知ってしまったのだ。
悪いことは何もしていなくても、会っているのは女の人かもしれない。考えが後ろ向きなことにどんどん引っ張られていってしまう僕の悪癖は、国どころか世界が変われどひとつも直らなかったようだ。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1,489
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる