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58 告白三銃士
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朝はひとり。それはいつものことだ。しかし、このしつこく粘りついてくる感情は、いくらたっぷり寝ようが剥がれてくれない。
マウラさんが言うとおり、うるさいのがいないうちを楽しめ、という考え方は良いと思う。
しかしその『良い』は、理解できるから良い、ということであり、心はすぐに変わってくれない。変えるには、心の底から納得する必要がある。頭で理解しただけでは、納得したことにはならないのだ。
人と関われば関わるほど、考えることは勝手に増えてしまうものだ。いいこともあれば悪いこともある。
いい加減この悪いことを考えて、打ち消し、考えては打ち消す堂々巡りを解消したいと思っていた。このなにも生み出すことのない思考に僕は飽いていた。そのための道筋はどんなものがあるかと道すがら、というより空すがらで考えた。
まだ通っていない道がある。それは、誰かに話してみる、ということ。
──────
「えっ!? ウソ!! カイちゃん、もういなくなっちゃうの!?」
「はい。大変お世話になりました。あと一日くらいは来ますけど、すでに目安期日は越えてますので。ここで楽しく過ごしているうちに、他の仕事が入ってきちゃって」
「そんな……!! 結婚を前提に付き合ってください!!」
「ごめんなさい」
「アホかてめーは。もう売約済みだよ。……愛人募集はしてないの?」
「してません」
「ごめんね、このクソヤロー共が。……愛人枠が開いたら真っ先に連絡してね」
「しません」
バッサリいかれたー、と叫びながら崩れ落ちる従業員のおにいさんたちを横目にして、僕はタピオさんの方に向き合った。
彼は今日も静かだ。その場に真っ直ぐ佇んで、なにも感じていないような顔をしていながらその実は、飛馬のことに心を砕いて砕き続ける誠実で優しい人である。
「大変お世話になりました。仕事のためにここへ来ましたが、僕の方もいい勉強をさせていただきました。あとほんの少しになりますが、よろしくお願いいたします」
僕の言葉を聞いたタピオさんは一瞬で、すごく元気がなくなったように見えた。彼の長身から突然発された重い霧のような雰囲気は、僕の肌を即座にすり抜け、簡単に心臓まで到達し、暗い染みを広げてきた。
びっくりした。彼がそこまで別れを惜しんでくれると思っていなかったから。だからすぐに大丈夫ですよ、また会えますよ、なんて明るく言おうとした口が、動かしづらくなってしまった。
友達ほどには近くなく、ただのお取引先の方というほどには遠くないはずの、なんとも言い難いこの関係性。僕だって淋しくは思っている。だからって、ここにはずっといられない。
僕には僕にしかできない仕事がある。帰る家もある。最近は一番の帰宅先であるはずの、茶色い耳を生やした図体のでかい男がなにをしているのか詳細不明だけど。
運動の時間だよー、と声をかける。みんな待ってましたとばかりに一斉に飛び出していき、またかけっこをしたり小競り合いをしたり。
僕が教えた飛馬語で、試しにブラッキーくんに話しかけてみると『おねえちゃんへんなのー』と、即ツッコミを入れられた。そうだね、流暢に話してた人が急にカタコトで話しかけてきたら、何なんだろうと思うよね。
今日の夕食は、昼の食事の余りと飼い葉。人間と同じものもムシャムシャ食べる彼等の食事で気を使うことは特にない。あまり甘いものばかりを食べさせると、そればかり欲しがり態度がワガママになって人間が大変になる、ということくらいだ。
もっと寒くなってきたら脂肪分を増やし、塩分を減らす。食事によって脂肪を蓄えておかないと、寒さをしのごうと羽根を膨らませて暖を取ろうとするのですぐにわかる。
雪が降ってもへっちゃらで駆け回るのだが、やはり身近で寒さを感じている生き物がいると、可哀想になりなんとかしてやりたくなるのが人間というものである。飼われる飛馬は、その点が生きる上で有利に働いている。
「……りますね」
「えっ? あっすみません、よく聞こえなくて」
「淋しく……」
「ああ! ……そうですね。僕も淋しいです。正直、転職してここに務めることも考えました」
「そうし…………か?」
「うーん、お気持ちはすっごく嬉しいですけど、なんせ王子様の直接雇用ですからね。僕、契約する前に謁見してきましたから!」
特に聞きたいことではないだろうなあとは思いながら、僕は初めて対面した王子様との話を続けた。どんどん運ばれてくるお菓子。ピンク色のつぶつぶが美味しい焼き菓子があった。飛馬をあげるから、と簡単に言われた。そのとき初めて本体価格を知ったのだ。
僕の横には今の夫がいた。淋しがる僕のそばにいてくれた。すごく優しい人なんですよ。最近は何してるのか、わかりませんが。
ここまで話して、ああしまったな、と思った。独身の人に対してこんな不穏なことを聞かせてしまったなんて思いながらも、どうせ僕はすぐにいなくなりますから、ちょっと聞いてもらえませんかと言ってみた。
それに、飛馬たちの上に君臨できる秘訣も知りたいし、と努めて明るくお願いした。いいですよ、と彼は相変わらずの小さな声でそう言った。
「私は……知識で武装しているだけかもしれませんね。まあ、飛馬は好きなので何でも細かく知りたいし、それでもいいとは思っていますが。……慌てないことでしょうか。コツといえばそれくらいしか思いつきません」
山からは群青色が迫り、海からはくっきりした緋色が迫る。それぞれが透明な濃いインクをたっぷり広げたような色の空。視界いっぱいに塗られた画の中で、好きなように散っている白い雲たちは、流れつくインクを素直に含んで染まる。
夕日が似合う人だなあ、なんて思っていた。いくら暴れん坊な子供でも、夕暮れになればまた明日、と仲間に声をかけて家路を急ぐものである。
彼はそういう魅力のある男性だった。みるみるうちに青が藍になり、藍が黒になり。最初の星まで見えてきて、ああ帰らなきゃ、あの人がきっと待っている。生きとし生けるものたちをそんな気持ちにさせる魔法使い。
彼の言葉を聞けばいい。必ず良い方向へと導いてくれるだろう。彼の蓄えた知識はその雰囲気の基盤と底上げになっていて、おおよその安心感をもたらしているのだと僕はそのとき感じていた。
「慌てないことですか。僕はまだまだかなあ。なまじ声が聞こえちゃうと、気持ちがわかっちゃうと、困ることもありました。気持ちはわかるけど今はダメなんだよとか、指示をしないといけなくなると途端に難しくなってきて……」
「経験でしょう。何事も。まだお若いですし、全てがこれからなんですよ。すでに色々ご存知でしょうが、良ければ飛馬の意見だけでなく、人間の意見や考察も頭に入れてはいかがですか」
「あ、前に借りた本は参考になりました。飛馬の育児を追った内容の。お母さんってこういうことをしてるんだなって、色々知れて面白かったです」
「ブラッキー号も少しずつ飛べるようになりましたよね。カイさんを呼んで良かったです」
「あー、あれはルートくんのおかげです。あの子が最初の友達になってくれたから、通訳のはずのぼくが通訳をしてもらってるような感じになっちゃって」
「人間の子も同じですよ。親と一緒じゃ甘えが出てしまって、どうにもこうにもダメだったのに、友達となら勇気を出して出来ることもある。それと同じじゃないでしょうか」
そう、ブラッキーくんはあんなに空から降りられない、と何度も鳴き叫び、というよりほとんど泣いているような危機的状況だったのが、随分飛べるようになったのだ。
例えるなら、空中ブランコの下に張ったネットの役割を果たすルートくんの存在は、彼にとってはとても安心できるものだった。
そこにいるだけで良い。彼は僕を見捨てたりしない。そう信頼を寄せるようになってからは、実際に下で待機をせずともサッと自分で降りられるようになったのだ。
一番の難所を乗り越え、残るは先輩方との社交。それも喧嘩っ早さとは対極にあるルートくんが『ちょっとこの子も仲間に入れてやってくれない?』と穏やかにお願いし、ブラッキーくんは少しずつ若い飛馬たちの群れに交じれるようになってきた。
僕は僕で、紛争まではいかない小競り合いの仲裁をしたり、不満を人間側に伝えたり、人間側の困り事を逆に話してみたり。依頼とは全然違う仕事をしながら、目安期日である今週までなんとか乗り切った。
「そうそう。ブラッキーくんですが、人間に生まれながら慣れているのはやはり長所になりますね。飛馬らしさは弱いですけど、貴族の方におすすめできると思います」
「そうですね。多くの飛馬に期待されているのは戦車としての役割になりますが、貴族の方に買っていただくならなるべく闘争心は低いほうが安全です。二頭一気に買う方はまだ少数派ですから、人間が居ればそれで満足する子は貴重でしょう」
「前までは、お母さんは? まだ来ない? じゃあおねえちゃんでいいやー、とか言ってたのに、最近は全然言わなくなりました。飛馬のお兄ちゃんお姉ちゃんと遊ぶほうが楽しいってわかってくれたようですよ」
「……淋しいなあ。離れてくれることは喜ばしいはずなのに。べったり身体をくっつけてきて、ちょっと離れるだけでピュウピュウ鳴いてたころがもう懐かしい」
「あと一押しなところだったんでしょう。人間には出来ないことが出来るようになってくると、本能的なものが優勢になる。見てるとそんな気がしてきます」
「……そのうちお嫁さんを貰うのかなあ。たまに会いに行っても、誰? みたいな顔をして。……はあ、いやだいやだ。ずっとうちにいてほしいなあ」
「このままここに居てもらうって手もありますよ。僕はルートくんと離れたくなかったから、仕事用の相棒として指名したんです」
「うーん……そうか、うーん……考えてみます。この施設以外の世界も知ってほしい気持ちはありますが、もし決心がついたらまた通訳を願います」
ふふ、と静かに笑いあい、ゆったり時間が進む宿舎で二人、お茶を飲んでいた。黒猫のおねえさんことルーミイさんのお店で出しているお茶の葉を買って、差し入れたのだ。
ミルクや果物を入れずとも、そのままで十分美味しく飲める赤いお茶。質が良いほど赤に近づき、すでに去っていったあの空の緋色によく似た濃い透明な色が出る。それはうっとりするほど綺麗なのだとか。
空はどんどん黒が優勢になっていき、天の川のような銀河の帯が見えてくる。この世界の、この国の人たちもこの川がとても好きなようで、綺麗なものには月や星などの、空で輝くものたちに関連した名前がついていることが時々ある。
そろそろ帰っておかないと。つい最近までは夏だったから、そのつもりでいるとすぐに空が暗くなっていて、慌てて帰ることが増えてきた。本来あまり夜間飛行はしたくない派だがルートくんが優秀なので、彼に任せていれば安心ではあるが。
「お茶、ごちそうさまでした。僕はそろそろ……」
「こちらこそごちそうさまです。いい茶葉ですね。高かったのでは? 私が買い取りましょう」
「いえ! 差し入れですから! 感謝の気持ちの表現です」
「では私からも何か表現せねば。カイさんはどんなものがお好きですか? 甘いものは好きですか?」
多分……多分だが、彼は僕を足止めしようとしていると思う。それはさほど不快じゃないから余計に困ってしまった。もういい加減に帰らねば。オルフェくんはいたりいなかったりなのだろうが、マウラさんたちは必ず心配する。
惜しむ気持ちを持ってくれているのに悪いとは思いながらも、僕は出口の扉に手をかけた。そしたら彼が慌てたように近づいてきた。
僕のそばには扉があり、開けるには手前に引かなければならない。それに手をかけられたらもう動かせない。目の前がふっと暗くなった。彼の身体で遮られたのだ。
マウラさんが言うとおり、うるさいのがいないうちを楽しめ、という考え方は良いと思う。
しかしその『良い』は、理解できるから良い、ということであり、心はすぐに変わってくれない。変えるには、心の底から納得する必要がある。頭で理解しただけでは、納得したことにはならないのだ。
人と関われば関わるほど、考えることは勝手に増えてしまうものだ。いいこともあれば悪いこともある。
いい加減この悪いことを考えて、打ち消し、考えては打ち消す堂々巡りを解消したいと思っていた。このなにも生み出すことのない思考に僕は飽いていた。そのための道筋はどんなものがあるかと道すがら、というより空すがらで考えた。
まだ通っていない道がある。それは、誰かに話してみる、ということ。
──────
「えっ!? ウソ!! カイちゃん、もういなくなっちゃうの!?」
「はい。大変お世話になりました。あと一日くらいは来ますけど、すでに目安期日は越えてますので。ここで楽しく過ごしているうちに、他の仕事が入ってきちゃって」
「そんな……!! 結婚を前提に付き合ってください!!」
「ごめんなさい」
「アホかてめーは。もう売約済みだよ。……愛人募集はしてないの?」
「してません」
「ごめんね、このクソヤロー共が。……愛人枠が開いたら真っ先に連絡してね」
「しません」
バッサリいかれたー、と叫びながら崩れ落ちる従業員のおにいさんたちを横目にして、僕はタピオさんの方に向き合った。
彼は今日も静かだ。その場に真っ直ぐ佇んで、なにも感じていないような顔をしていながらその実は、飛馬のことに心を砕いて砕き続ける誠実で優しい人である。
「大変お世話になりました。仕事のためにここへ来ましたが、僕の方もいい勉強をさせていただきました。あとほんの少しになりますが、よろしくお願いいたします」
僕の言葉を聞いたタピオさんは一瞬で、すごく元気がなくなったように見えた。彼の長身から突然発された重い霧のような雰囲気は、僕の肌を即座にすり抜け、簡単に心臓まで到達し、暗い染みを広げてきた。
びっくりした。彼がそこまで別れを惜しんでくれると思っていなかったから。だからすぐに大丈夫ですよ、また会えますよ、なんて明るく言おうとした口が、動かしづらくなってしまった。
友達ほどには近くなく、ただのお取引先の方というほどには遠くないはずの、なんとも言い難いこの関係性。僕だって淋しくは思っている。だからって、ここにはずっといられない。
僕には僕にしかできない仕事がある。帰る家もある。最近は一番の帰宅先であるはずの、茶色い耳を生やした図体のでかい男がなにをしているのか詳細不明だけど。
運動の時間だよー、と声をかける。みんな待ってましたとばかりに一斉に飛び出していき、またかけっこをしたり小競り合いをしたり。
僕が教えた飛馬語で、試しにブラッキーくんに話しかけてみると『おねえちゃんへんなのー』と、即ツッコミを入れられた。そうだね、流暢に話してた人が急にカタコトで話しかけてきたら、何なんだろうと思うよね。
今日の夕食は、昼の食事の余りと飼い葉。人間と同じものもムシャムシャ食べる彼等の食事で気を使うことは特にない。あまり甘いものばかりを食べさせると、そればかり欲しがり態度がワガママになって人間が大変になる、ということくらいだ。
もっと寒くなってきたら脂肪分を増やし、塩分を減らす。食事によって脂肪を蓄えておかないと、寒さをしのごうと羽根を膨らませて暖を取ろうとするのですぐにわかる。
雪が降ってもへっちゃらで駆け回るのだが、やはり身近で寒さを感じている生き物がいると、可哀想になりなんとかしてやりたくなるのが人間というものである。飼われる飛馬は、その点が生きる上で有利に働いている。
「……りますね」
「えっ? あっすみません、よく聞こえなくて」
「淋しく……」
「ああ! ……そうですね。僕も淋しいです。正直、転職してここに務めることも考えました」
「そうし…………か?」
「うーん、お気持ちはすっごく嬉しいですけど、なんせ王子様の直接雇用ですからね。僕、契約する前に謁見してきましたから!」
特に聞きたいことではないだろうなあとは思いながら、僕は初めて対面した王子様との話を続けた。どんどん運ばれてくるお菓子。ピンク色のつぶつぶが美味しい焼き菓子があった。飛馬をあげるから、と簡単に言われた。そのとき初めて本体価格を知ったのだ。
僕の横には今の夫がいた。淋しがる僕のそばにいてくれた。すごく優しい人なんですよ。最近は何してるのか、わかりませんが。
ここまで話して、ああしまったな、と思った。独身の人に対してこんな不穏なことを聞かせてしまったなんて思いながらも、どうせ僕はすぐにいなくなりますから、ちょっと聞いてもらえませんかと言ってみた。
それに、飛馬たちの上に君臨できる秘訣も知りたいし、と努めて明るくお願いした。いいですよ、と彼は相変わらずの小さな声でそう言った。
「私は……知識で武装しているだけかもしれませんね。まあ、飛馬は好きなので何でも細かく知りたいし、それでもいいとは思っていますが。……慌てないことでしょうか。コツといえばそれくらいしか思いつきません」
山からは群青色が迫り、海からはくっきりした緋色が迫る。それぞれが透明な濃いインクをたっぷり広げたような色の空。視界いっぱいに塗られた画の中で、好きなように散っている白い雲たちは、流れつくインクを素直に含んで染まる。
夕日が似合う人だなあ、なんて思っていた。いくら暴れん坊な子供でも、夕暮れになればまた明日、と仲間に声をかけて家路を急ぐものである。
彼はそういう魅力のある男性だった。みるみるうちに青が藍になり、藍が黒になり。最初の星まで見えてきて、ああ帰らなきゃ、あの人がきっと待っている。生きとし生けるものたちをそんな気持ちにさせる魔法使い。
彼の言葉を聞けばいい。必ず良い方向へと導いてくれるだろう。彼の蓄えた知識はその雰囲気の基盤と底上げになっていて、おおよその安心感をもたらしているのだと僕はそのとき感じていた。
「慌てないことですか。僕はまだまだかなあ。なまじ声が聞こえちゃうと、気持ちがわかっちゃうと、困ることもありました。気持ちはわかるけど今はダメなんだよとか、指示をしないといけなくなると途端に難しくなってきて……」
「経験でしょう。何事も。まだお若いですし、全てがこれからなんですよ。すでに色々ご存知でしょうが、良ければ飛馬の意見だけでなく、人間の意見や考察も頭に入れてはいかがですか」
「あ、前に借りた本は参考になりました。飛馬の育児を追った内容の。お母さんってこういうことをしてるんだなって、色々知れて面白かったです」
「ブラッキー号も少しずつ飛べるようになりましたよね。カイさんを呼んで良かったです」
「あー、あれはルートくんのおかげです。あの子が最初の友達になってくれたから、通訳のはずのぼくが通訳をしてもらってるような感じになっちゃって」
「人間の子も同じですよ。親と一緒じゃ甘えが出てしまって、どうにもこうにもダメだったのに、友達となら勇気を出して出来ることもある。それと同じじゃないでしょうか」
そう、ブラッキーくんはあんなに空から降りられない、と何度も鳴き叫び、というよりほとんど泣いているような危機的状況だったのが、随分飛べるようになったのだ。
例えるなら、空中ブランコの下に張ったネットの役割を果たすルートくんの存在は、彼にとってはとても安心できるものだった。
そこにいるだけで良い。彼は僕を見捨てたりしない。そう信頼を寄せるようになってからは、実際に下で待機をせずともサッと自分で降りられるようになったのだ。
一番の難所を乗り越え、残るは先輩方との社交。それも喧嘩っ早さとは対極にあるルートくんが『ちょっとこの子も仲間に入れてやってくれない?』と穏やかにお願いし、ブラッキーくんは少しずつ若い飛馬たちの群れに交じれるようになってきた。
僕は僕で、紛争まではいかない小競り合いの仲裁をしたり、不満を人間側に伝えたり、人間側の困り事を逆に話してみたり。依頼とは全然違う仕事をしながら、目安期日である今週までなんとか乗り切った。
「そうそう。ブラッキーくんですが、人間に生まれながら慣れているのはやはり長所になりますね。飛馬らしさは弱いですけど、貴族の方におすすめできると思います」
「そうですね。多くの飛馬に期待されているのは戦車としての役割になりますが、貴族の方に買っていただくならなるべく闘争心は低いほうが安全です。二頭一気に買う方はまだ少数派ですから、人間が居ればそれで満足する子は貴重でしょう」
「前までは、お母さんは? まだ来ない? じゃあおねえちゃんでいいやー、とか言ってたのに、最近は全然言わなくなりました。飛馬のお兄ちゃんお姉ちゃんと遊ぶほうが楽しいってわかってくれたようですよ」
「……淋しいなあ。離れてくれることは喜ばしいはずなのに。べったり身体をくっつけてきて、ちょっと離れるだけでピュウピュウ鳴いてたころがもう懐かしい」
「あと一押しなところだったんでしょう。人間には出来ないことが出来るようになってくると、本能的なものが優勢になる。見てるとそんな気がしてきます」
「……そのうちお嫁さんを貰うのかなあ。たまに会いに行っても、誰? みたいな顔をして。……はあ、いやだいやだ。ずっとうちにいてほしいなあ」
「このままここに居てもらうって手もありますよ。僕はルートくんと離れたくなかったから、仕事用の相棒として指名したんです」
「うーん……そうか、うーん……考えてみます。この施設以外の世界も知ってほしい気持ちはありますが、もし決心がついたらまた通訳を願います」
ふふ、と静かに笑いあい、ゆったり時間が進む宿舎で二人、お茶を飲んでいた。黒猫のおねえさんことルーミイさんのお店で出しているお茶の葉を買って、差し入れたのだ。
ミルクや果物を入れずとも、そのままで十分美味しく飲める赤いお茶。質が良いほど赤に近づき、すでに去っていったあの空の緋色によく似た濃い透明な色が出る。それはうっとりするほど綺麗なのだとか。
空はどんどん黒が優勢になっていき、天の川のような銀河の帯が見えてくる。この世界の、この国の人たちもこの川がとても好きなようで、綺麗なものには月や星などの、空で輝くものたちに関連した名前がついていることが時々ある。
そろそろ帰っておかないと。つい最近までは夏だったから、そのつもりでいるとすぐに空が暗くなっていて、慌てて帰ることが増えてきた。本来あまり夜間飛行はしたくない派だがルートくんが優秀なので、彼に任せていれば安心ではあるが。
「お茶、ごちそうさまでした。僕はそろそろ……」
「こちらこそごちそうさまです。いい茶葉ですね。高かったのでは? 私が買い取りましょう」
「いえ! 差し入れですから! 感謝の気持ちの表現です」
「では私からも何か表現せねば。カイさんはどんなものがお好きですか? 甘いものは好きですか?」
多分……多分だが、彼は僕を足止めしようとしていると思う。それはさほど不快じゃないから余計に困ってしまった。もういい加減に帰らねば。オルフェくんはいたりいなかったりなのだろうが、マウラさんたちは必ず心配する。
惜しむ気持ちを持ってくれているのに悪いとは思いながらも、僕は出口の扉に手をかけた。そしたら彼が慌てたように近づいてきた。
僕のそばには扉があり、開けるには手前に引かなければならない。それに手をかけられたらもう動かせない。目の前がふっと暗くなった。彼の身体で遮られたのだ。
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