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65 劇団ティリー音楽祭

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「カイくんの旦那様には散々助けてもらったわー。どうもありがとね! これからもたまによろしく~~」
「もちろんですよ。僕も一緒に来る予定です。そのときはどうぞよろしく。あれ、テディくんこれ食べたいの? まだ早いんじゃあ……」

「それは口溶けがいいから構わないわー。あげちゃって!」
「うわー、そんなひと口で。テディくん、変なお顔になっちゃってるよー」

 テディくんはまだ赤ちゃんのはずではあるが、普通に大人も食べるようなクッキーを鷲掴んでいる。ゆっくりだが一気に突っ込んだそれで喉を詰まらせないかハラハラしたが、上手く咀嚼していた。ホッとした。

 僕には育児の知識がない。一体いつどんなものを食べて良くて、食べちゃいけないのかがわからない。今がチャンスとばかりにティリーさんたちに教わって、それを片っ端から頭に詰め込んでおいた。

 蜂蜜はダメ。刺激物はダメ。パサパサするものは喉が詰まるからダメ。多量に食べてはいけないものもいくつかあった。名前からしてネギ類に該当するかもしれない。微妙に猫や犬など動物たちの性質と、人間の性質が混ざっている気がする。

 テディくんは僕が話を聞いている間、テーブルに出されたクッキーを次から次へと食べていた。何度かお水を飲ませてあげて、満足したら下に降りたがったので降ろしてあげた。

 彼はでっちでっちとゆっくり歩いて、おもちゃのある方へと向かっていく。……ねえ、そんなに食べて大丈夫だった?

「ねえねえ、その指輪すっごく似合ってる~。あなたがつけるとさらに素敵!」
「そうそう! これ、ありがとうございます。この細かい細工がすごいですよね!」

「うふふん、私の専売特許なの。オルフェがクソみたいな意匠画ばっかり作るから全然やる気が出なかったけど、これには私もピンときた。お菓子をそのまま題材にしたり着想を得たりすることはよくあるけどね丸いケーキそのままの形の一部を持ってきて実用的に形作るなんてなんて素敵なのって思ったしかもクリームの部分だけなんてとっても斬新そうよ地金がいいから他の飾りなんかいらない!! そうよ!!」

 は、早い早い。句読点がない。聞き取って理解するので精一杯。ティリーさんは突然、落語をさらに二倍速にしたような喋り方をし始めた。

 その綺麗な二重の奥にある薄茶の瞳は僕の手、いや指輪だけをまっすぐ見つめている。うっとり、なんてものじゃない。まるで獲物に狙いを定めているようだ。

「この地金はね硬くてほんとに傷がつかないの日常使いにはもってこいよでもねその分彫るのが大変なのこれまたいい魔道具を使って一筋一筋掘ったのよ私が絶対手は抜かなかったわだって彫りが均一じゃないと計算どおり輝かないからほらね石がないのに煌めいてるでしょこれを実現するために毎日少しずつ頑張ったのオルフェのご飯は美味しかったわ正直毎日楽しみだったわずっと絵は下手なままだけど!!」

 さりげなくオルフェくんを下げる話を挟んでくるのが面白く、笑うのを我慢しているとその当人とラグーさんが『窓閉めたか?』『今日はあんまり暖かくないから最初から閉めてある』と、なぜか窓の話をこそこそしていた。その理由はこのあとすぐに判明した。



「そんな日々を経てこの指輪が完成したときはね! それはそれは感動したんだから! 例えばそうね! 月~夜の光が~~、最後をしあーげーたら~~!!」

 ガタッ、と椅子を鳴らしてティリーさんが立ち上がった。そして歌い出した。突然。なんの前触れもなく。

 僕は何が起こったのかが本気でわからず、とりあえずオルフェくんたちの方を見た。えっ。なんかすっごい笑ってるんだけど。二人して示し合わせたように下を向き、肩をブルブル、ガタガタと震わせて。

 そして手で顔を覆っていたオルフェくんがスパン、とラグーさんの肩を叩いた。お前、夫なんだろなんとかしろよ、という意味か。

 さらにテーブルに肘をついて額を手に当てていたラグーさんがバシン、とオルフェくんの背中を叩いた。無茶言うなよお前わかってんだろ、俺に何ができるってんだ、という意味か。

「どん~な貴石ーも~~、遠ーくーおーよーばなーい、この世でたった!! ひとつの結晶!! 煌き地ーをー照ーらせ~~!!」

 ワーオ、彼女は一体どこを見ているんだ。どこか知らない世界の果てだろうか。身振り手振りが大きくなってきた。それは踊りというには前衛的すぎて、ただの元零細企業会社員、現魔獣通訳士には理解が追いつかないものだ。

 これでも高給取りなのに。関係ないか、基本給がどうとか、時間外手当てがどうとかは。 

「──私、最初はできないって思ってた。だってここは田舎。手伝ってくれる人が少ないの。少子化だもんね。あっちもこっちも老人だらけ! ご飯の支度もままならないわ!──」

 くっ、やめてくれないかティリーさん、途中で台詞を入れてくるのは反則だ。我慢してたのに笑っちゃうじゃないか。なんか知らない間に仲良くなってた、この夫たちに嫉妬する気持ちもあり寄りのありなところだが、その感情をじっくり味わう余裕がない。

 あっ! テディくんも踊ってる! おててバンザイして、お膝を屈伸するみたいにして踊ってる! ちゃんとリズムに合わせようとしてる! やばい、可愛い! お顔が必死なんだけど! 

 オルフェくんはバンバンとラグーさんの肩を叩き、テディくんの方に向けて震える指を差しながら、くくっ、と声を押し殺して笑っている。

 ラグーさんは指差された方向を二度見して、ひぐっ、と声を漏らしながらも我慢して、ドンドンと足を踏みならして耐えている。

「刮目、必至!! 奇跡の、燐光!! 見たらさいーごーよー、ひーざーまーずーけ~~!!」

 鎮まれ、鎮まり給え僕の情緒、と必死で吹き出さないようにするため、二人に習って下を向いてみた。しかし鼓膜は目のように閉じてくれやしない。ガンガンにティリーさんの歌声が強盗のように押し入ってくる。鼓膜不法侵入の罪である。

 ティリーさんは、はっきり言って音痴だった。リズムはそこそこ取れている、と思っていたら盛大に外してさらに可笑しくなる。あのふわふわ耳のラントくんよりも自由気ままな音程と、変なところで取る息継ぎが余計に笑いを誘ってくる。

 音痴だからって笑うのはいかがなものかと思うのだ。しかしなんだか、本能の根源を揺さぶるかのような面白さがそこにある。人はDNAには逆らえない。あのよくわからないぐるぐるにみんな取り込まれて、外に出られない仕組みになっているのだ。

 そういえば昔、無理やり連れて行かれたカラオケで、明らかに音痴なのに二曲続けて歌って顰蹙を買っていた先輩がいたなあ。こんな美女じゃなかったけど。

「白金のワ・ナ!! 心の臓~を~~、つ・か・む!! さーわぎで、ベテ・ル・ギウス──!! 一帯がま、る、で、劇ー場ーの、よ────う!!」

 よーう、のところで突然空を逆に走る稲妻のような高音に変化して、それは垂直の軌道を描き、地面に向かって不時着した。爆音と共に飛び散る粉塵。僕はすでに限界の向こう側にいた。最近こんなに笑ったことはあっただろうか。じ、人生初かもしれないな。僕、あんまりお笑い番組とか見てなかったし。

 ヤバい、美女の奇行が面白い。本人だけが本気であるから面白いのだ。今わかった。こういうとき、演者が恥ずかしがるのは駄目だ。あれはいけない。人の本気は人の心を揺り動かすものであるからして。

「燦然と──!! 見ーせーびーらーか~~して──!! 今、夜、もぉ──!! 走ーるーわー、残、光────!!」

 走ーるー、のところでめちゃくちゃ声が裏返り、ゲッホ、とむせる音が横から二人分聞こえてきた。オルフェくん、君、泣いちゃってるじゃないか。そういう意味で泣いてるところは初めて見たよ。

 ラグーさんなんか、身体を折り曲げてほとんど前屈してるじゃないか。ハアハアと息も切れぎれだ。大丈夫か、なにか冷たいものを飲んだほうがいい。二人はもう駄目になってるから、僕がなにか飲み物をお願いしてみようかなあ。

 でも、僕もしばらくは駄目だな。ちっとも動けないし喋れない。お腹が痛いのがさっきから全く治らない。普段腹筋は使っているはずなのだ。いつも騎乗してるから。でもそれとは違う箇所を酷使している気がしてならないよ。この痛みは尋常じゃないものだ。

 大の男二人と、小寄りの男一人をこてんぱんに叩きのめしたティリーさんは両手を天に掲げ、そして祈るようなポーズでカッと静止した。よたよた歩きで近くに来たテディくんが、ママなにやってんの? みたいな顔でティリーさんの服の端を持って彼女を見上げ、無表情で佇んでいる。

 それもまた素晴らしく面白く、笑いの沸点が死ぬほど下がっている僕たちにはある意味、ただの傷口に塩な光景だった。だから、お腹が痛いんだってば。なんでまたトドメを刺してくる。盲腸の痛みってこんな風なのかな。わりと地獄だな。なったら困るな。



「ティ……ティリー、あのな。ここは家だけどな、今日はお客様が来てるんだから」
「あらそうね、ごめんなさーい。この指輪が出来たときの感動を思い出しちゃって、ついー」

 全然ごめんなさいと思っていない風であるティリーさんのこの歌い癖は、子供の頃からの十八番おはこであったらしい。

 獣人はみんな歌が上手い。要因はわからないがとにかく上手い。旅行にやってくる人間の前で披露すると、当たり前のことをやっているのに感激されるので、アレ何なんだろうな、と獣人生を受けた人々の間で一度は話題になることらしいのだ。

 そんな中に産まれたティリーさん。彼女は先天的に歌が下手だった。でも誰より歌うことが好きな彼女。感動するたびに心ゆくまで歌っていると、馬鹿にした様子の人もやはり出てはくるが、大抵の人は喜んで聴いてくれるらしい。

 また歌ってくれ、面白……楽しい気分になれるから、とおかわりまでもを申し出てくれる。そんな日々だった、と。

「俺は、ティリーが小さいときのことは知らなかったから。学校が違ってて。だから初めてア、アレを聴いたとき、た、立てなくなっ……膝が震えてっ……」

 なんと。オルフェくんの蹴り技にもへこたれなかったラグーさんの膝を折っただと。強力だ。そんな無敵で最強の彼女には、確かにあの大天使石が相応しく映るかもしれない。

「なるほど、彼女の情熱だけでなく、歌にも陥落したわけですね。いろんな意味で」
「いや、最終的に結婚してくれと懇願したのは俺だ。何度聴いても笑っ……楽しいから。毎回歌詞が違うし、音も違う。飽きない。種類が多いな、と聞いたら創作だって言うから死ぬほど驚いた。その日のうちに求婚した」
「お前、すごいな。俺だったら毎日はちょっ……なんでもない。人それぞれだよな」

 珍しいこともあるものだ。横目で睨んだラグーさんにオルフェくんが対抗せずスッと引いた。でも特に険悪な雰囲気にはならなかったので、指輪製作というより家庭運営への協力をしているうちに、自然と仲良くなっていったのだろう。

 劇団ティリーの音楽祭は、こうやって突然始まり、突然終わった。笑いすぎて頭がボーっとする。

 手を繋いで二人と一頭で歩いている間は笑い疲れて無言だったが、時々オルフェくんが前に聴いたティリーさんの歌を思い出すたびにモノマネしてくるため、もーやめてよ、と言いながらもまた笑った。


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