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67 製菓職人オルフェウス
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「はあ…………もう淋しい。ブラッキーくんをナデナデしたい」
「早いな。今朝別れてきたばかりだろ。ルート号を撫でて我慢すればいい」
「違う違う、ルートくんはルートくんで可愛いんだよ。別なの。代替なんてできないの。どっちにも代えがたい魅力があるんだからね」
「でもな、ルート号に別の奴の話をすると内心ちょっと嫉妬するんじゃないか。あまり目の前でしないほうがいいかもしれない」
オルフェくんは嫉妬しいならではの視点でルートくんに対する心配りを見せながら、ケーキにクリームを絞っている。早く誕生日が来ないかなあ、あれ美味しかった、と言っていたら『じゃあ今のうちに試作品を作るか』とキッチンへ向かい、テキパキと台座のスポンジを焼いて冷まし、クリームをシャカシャカと泡立て始めた。
繁忙期を終えた霧鞘亭はしばらくお休みで、宿泊しているお客様はだれも居ない。マウラさんたちは仲良くお出かけ中。静まりかえったお店は珍しく、いつも見ているはずなのにキョロキョロと見回してみては、レトロなその内装を観察してしまう。
オルフェくんはお菓子作りも上手かった。しかし以前の僕の誕生日にケーキを食べたい、とお願いしたときの彼は、お菓子作り全般が未経験だった。
本を参考にしたその出来栄えはとても良く、初めてなのにさすがだねぇ、といたく感動していたのに本人は『こんなもんじゃダメだ』と謎のストイックさを発揮して、しばらくキッチンに甘い匂いが漂い続けることとなった。
他のものにも挑戦したくなったのか、クッキー、スコーン、ナッツたっぷりのブラウニーらしきもの。どれも美味しかったが食べきれない数になったそのお菓子たちは、マウラさん夫婦やネズミのおばちゃんたちのお腹に収まった。
そして満を持してマテウスさんがキッチンに登場。息子のやっていることが気になって気になって、落ち着いてはいられなかったらしい。
彼は料理人としての経歴は長いが、パティシエとしての経歴はない。料理のプロが二人で顔を突き合わせ、ああだこうだと言い合いながら真剣にケーキ作りに取り組み続ける日々は続いた。血が騒ぐんだろうな。どれもこれも十分美味しい仕上がりなのに。
そして僕の誕生日当日。完成したケーキは最初と比べて格段にレベルアップしていた。食べる前の段階から違っていたのだ。まず、クリームの塗り方が全然違う。
前は少し面が粗かったが初めてにしては綺麗、というものだった。それが寸分の狂いもなくぴっちりと塗られていた。まるで大理石を磨いて作ったような白い円柱。刃を入れてしまうのがもったいないほどの。
上には季節の果物がバランス良く飾りつけられていて、それも果物そのままではなくツヤツヤでしっとりとした、濡れた硝子玉のような美しさ。食べるとわかった。それは全て蜜漬けにされていて、ほんのり効いた酸味が舌に弾けてとっても美味しかった。
本番だからこれにした、というスウェート牛のミルクから出来たその白いクリームは、濃縮されたようなミルクの味わいが強く、香りも良く、乳脂の甘さが強いが後味はスッキリという一級品だった。
素材の良さと技術の粋が詰まった彼の作品は、僕たちだけで楽しむには惜しいと思うくらいだった。しかし当のオルフェくんは『余ったら採算が取れなくなる』ときっぱり言い切り、ケーキを商品としてお店で出すことはなかった。
生ものだもんねえ。いくら冷蔵用の魔道具があるからって、いつまでも保存できるものじゃないからな。時を止める魔道具なんかこの世のどこにもないし。
でももったいないなあ、こんなに美味しいのに、と僕が言ったのがきっかけになり、ちょっとしたお土産用に包んだ焼き菓子をお店で売ることになった。
僕は本屋さんやコンビニのことを思い出し、会計台の前に置いて売ろう、と提案した。ついでに買っていこうかな心理をついた、おなじみの商品陳列だ。今のところ余ることもなく順調に売れていて、売上が上がったと感謝された。僕の功績じゃないですよ。モノが良いから上がったんです。
「できた。即席だから果物は少ないが。切るぞー」
「ひゃー、もったいない。しばらく飾っておきたいなー」
オルフェくんは『どこにだよ』と言いながら、容赦なく出来立てケーキに刃を入れた。あまりにも僕がヒーヒー言うので笑われた。だってさあ、こんなに綺麗に出来てるのに。
「もう材料的には死んでるから。遠慮なく食べてくれ。おかわりもあるぞ」
「死んでるとか言わないでよー。むしろたったいま生を受けてるよ。見てよこの美しい断面。芸術作品なんだけど」
などと言いながら、僕も容赦なくサクッとフォークを入れている。うわー、ふわふわ。このスポンジ部分も最初と比べて進化している。いつも調理に使っている小麦ではなく、製菓向きの小麦に変えてあるそうだ。
ここの食事はどれも味わいが深く、滋味がある。おおむね食材や調味料が良いのだ。農薬などが違うのか、農法からして違うのか。僕の故郷で使われている食材よりも栄養分がたっぷり残っている感じがする。
それをわざわざ精製し、雑味をなくし、味と形を整えているのは故郷で知った贅沢よりも、さらに上をゆく贅沢に思えてくる。
「別れは無事に済んだのか? 怖いことは言われなかったか?」
「ううん、また来てねーって友好的に。みんなは犬の獣人さんだからか人懐っこくて、いつも元気に話しかけてくれてたけどそれだけだったよ。タピオさんもあっさりしたもんだった。あの人は熊の獣人さんなんだって。だからみんなと比べてあんなに落ち着きがあったのかも」
「あっさりねえ……今後はあまり頻繁に行かないほうがいいぞ」
「行かないよー。話せる僕がブラッキーくんと距離を詰めすぎるとさ、また甘えたに戻っちゃいそうだし。かといってここで二頭は難しいからね」
「いや、そっちじゃない。タピオとかいう奴の話」
「あっ、さては浮気を疑ってるね。心外だなー。うちのおじいちゃんみたいでいい人だなーって思ってただけだよ」
「それは疑っちゃいない。ただな、熊だと言ったな。匂いでなんとなく察しはついてたけどな、あれは獲物に対する執着心が強い。まあ本物の動物じゃないからな、その性質そのままを受け継いでいるとまではいかないが」
「僕は食べ物じゃないでしょー。見てよ、この薄っぺらい身体。食べられるところが少なすぎるよ」
「…………いや。睡眠欲と違って、食欲と性欲は近いところにあるらしい。それを欲したときの現れ方も双方似ている。理性をねじ伏せる強い本能だ。カイ、相手は人間じゃないぞ。獣人だ。口を開いてお前に近づいてくる獣はお腹が空いているのか、子種を注ぎたい欲にかられているのか、見分ける自信はあるか?」
「………………ないです」
僕は目の前に座ったこの青年に、ベッドの上で首筋に歯を立てられたときのことを思い出した。食欲と性欲の関係性。ミルクのような、果物のような、花のような香りだという僕から発せられているらしき匂い。
食べたい。もしくはヤリたい。どちらにせよ、それはけっして思考とはいえない欲望そのもの。獣の本性を僅かでも持っている彼らに、説得など効くと思うか、とも問われているのだ。
甘い香りを放ちながら。食べないでー、なんて聞いてもらえると思うのか、と。
僕は、皿の上に盛られたケーキが『食べないでー』と懇願しているところを想像した。お腹をすかせているときや、甘いものが食べられず飢えているときなんかに。『おねがい、おねがい、食べないでー』。
「うん、そうだね。刺激しないように気をつけないとね……」
「わかってくれたならそれでいい」
命乞いむなしく、ケーキは身体を欠けさせられ、僕の口へと次々に運ばれ潰され溶かされた。これを目の前に出されて我慢できるような人間はいない。獣人にもいない。誰もいない。本能なくしては生きられないのだ。
ケーキを可哀想だと思う気持ちはあれど、生き物は総じて自分の命を惜しむものだ。三大欲求という大きなものを極力優先してきたからこそ、今日がある。種の存続に繋がっている。
僕は誰にも責められてはいないのに、内心でそう言い訳しながらぺろっと平らげおかわりした。君にとっての僕はこのケーキみたいなもんだよね、と言ったら真面目な顔でケーキをお皿に取り分けていた彼はニヤリと笑い『そうだな。母さんがすげえ可愛いケーキを連れてきたと思ったよ。あのときは死ぬほどびっくりした』と、話にノッてくれた。
ふざけた調子で最初にしたのは味見でしょ、と聞くと彼は茶色い耳をくるっと動かし『バレたか』と小さく呟いて、ケーキにフォークを迷うことなく突き立てた。口を大きく開け、当然だとばかりにがぶりと噛みつき咀嚼している。
ふーん。やっぱり安全のために匂いをつけるなんて、その場しのぎの言い訳だったか。僕のお馬さんは油断も隙もない人だ。
いまも僕から発せられているという甘い香り。澄ました顔をしているこの獣人の本性を、白日のもとに晒す罪深い芳香は、キッチンに充満していた香りに反応するのと似たようなものかもしれない。
あの香りを一度嗅いでしまうと、いくら満腹でもそれを無理やりにでも押し込もうと、腹が隙間を作ってしまうらしい。おそらくそういうことなのだ。僕はまたひとつ、彼の気持ちがわかったような気がしていた。
「……なあ。そいつのツラはどうだった」
「どうだったって? んー……イケメンだった。顔を洗ってたときに初めてちゃんと見れたんだけどさ、隠してる意味がわかんないくら……オルフェくんほどじゃないよ。全然だよ。君の方が百倍かっこいいよ! 僕が一番好きな顔だよ!」
「ふーん…………そうか」
危ない危ない。またいらない嫉妬の炎にせっせと焚き木をくべてしまうところだった。気持ちがわかった、なんてとんでもない。僕はまだまだ修業が足りていない。
彼はそうか、なんて短く言いながらも相当嬉しそうにしている。耳をめちゃくちゃこっちに向けて立てているし、口角も上がっている。明らかに機嫌が良くなった。ひとまずの消火活動は有効だ。
以前、マウラさんに言われたことがある。『あんたが来てからあの子はずいぶん大人になった。そうなんだよ! あれでもよお!』と、あの小さな手を前に出し、おいでおいでするようにパタパタと動かしながら。
守るものができると人は強くなる。大人として振る舞えるようになるというのもその一環だろう。守る対象は僕である。僕のために彼は前へと進んでくれている。
僕は騎手として名乗りを上げた以上、妙な方向へ進ませ怪我をさせるわけにはいかない。かといって進む意欲を削ぐようなこともしてはならない。その塩梅は僕のこの手に委ねられている。
魔獣通訳士兼、調教師としてのプライドにかけて頑張ろう。この先もずっと、と思いながら僕は最後の甘い一口をそっとすくい取り、舌に乗せては味わった。
「早いな。今朝別れてきたばかりだろ。ルート号を撫でて我慢すればいい」
「違う違う、ルートくんはルートくんで可愛いんだよ。別なの。代替なんてできないの。どっちにも代えがたい魅力があるんだからね」
「でもな、ルート号に別の奴の話をすると内心ちょっと嫉妬するんじゃないか。あまり目の前でしないほうがいいかもしれない」
オルフェくんは嫉妬しいならではの視点でルートくんに対する心配りを見せながら、ケーキにクリームを絞っている。早く誕生日が来ないかなあ、あれ美味しかった、と言っていたら『じゃあ今のうちに試作品を作るか』とキッチンへ向かい、テキパキと台座のスポンジを焼いて冷まし、クリームをシャカシャカと泡立て始めた。
繁忙期を終えた霧鞘亭はしばらくお休みで、宿泊しているお客様はだれも居ない。マウラさんたちは仲良くお出かけ中。静まりかえったお店は珍しく、いつも見ているはずなのにキョロキョロと見回してみては、レトロなその内装を観察してしまう。
オルフェくんはお菓子作りも上手かった。しかし以前の僕の誕生日にケーキを食べたい、とお願いしたときの彼は、お菓子作り全般が未経験だった。
本を参考にしたその出来栄えはとても良く、初めてなのにさすがだねぇ、といたく感動していたのに本人は『こんなもんじゃダメだ』と謎のストイックさを発揮して、しばらくキッチンに甘い匂いが漂い続けることとなった。
他のものにも挑戦したくなったのか、クッキー、スコーン、ナッツたっぷりのブラウニーらしきもの。どれも美味しかったが食べきれない数になったそのお菓子たちは、マウラさん夫婦やネズミのおばちゃんたちのお腹に収まった。
そして満を持してマテウスさんがキッチンに登場。息子のやっていることが気になって気になって、落ち着いてはいられなかったらしい。
彼は料理人としての経歴は長いが、パティシエとしての経歴はない。料理のプロが二人で顔を突き合わせ、ああだこうだと言い合いながら真剣にケーキ作りに取り組み続ける日々は続いた。血が騒ぐんだろうな。どれもこれも十分美味しい仕上がりなのに。
そして僕の誕生日当日。完成したケーキは最初と比べて格段にレベルアップしていた。食べる前の段階から違っていたのだ。まず、クリームの塗り方が全然違う。
前は少し面が粗かったが初めてにしては綺麗、というものだった。それが寸分の狂いもなくぴっちりと塗られていた。まるで大理石を磨いて作ったような白い円柱。刃を入れてしまうのがもったいないほどの。
上には季節の果物がバランス良く飾りつけられていて、それも果物そのままではなくツヤツヤでしっとりとした、濡れた硝子玉のような美しさ。食べるとわかった。それは全て蜜漬けにされていて、ほんのり効いた酸味が舌に弾けてとっても美味しかった。
本番だからこれにした、というスウェート牛のミルクから出来たその白いクリームは、濃縮されたようなミルクの味わいが強く、香りも良く、乳脂の甘さが強いが後味はスッキリという一級品だった。
素材の良さと技術の粋が詰まった彼の作品は、僕たちだけで楽しむには惜しいと思うくらいだった。しかし当のオルフェくんは『余ったら採算が取れなくなる』ときっぱり言い切り、ケーキを商品としてお店で出すことはなかった。
生ものだもんねえ。いくら冷蔵用の魔道具があるからって、いつまでも保存できるものじゃないからな。時を止める魔道具なんかこの世のどこにもないし。
でももったいないなあ、こんなに美味しいのに、と僕が言ったのがきっかけになり、ちょっとしたお土産用に包んだ焼き菓子をお店で売ることになった。
僕は本屋さんやコンビニのことを思い出し、会計台の前に置いて売ろう、と提案した。ついでに買っていこうかな心理をついた、おなじみの商品陳列だ。今のところ余ることもなく順調に売れていて、売上が上がったと感謝された。僕の功績じゃないですよ。モノが良いから上がったんです。
「できた。即席だから果物は少ないが。切るぞー」
「ひゃー、もったいない。しばらく飾っておきたいなー」
オルフェくんは『どこにだよ』と言いながら、容赦なく出来立てケーキに刃を入れた。あまりにも僕がヒーヒー言うので笑われた。だってさあ、こんなに綺麗に出来てるのに。
「もう材料的には死んでるから。遠慮なく食べてくれ。おかわりもあるぞ」
「死んでるとか言わないでよー。むしろたったいま生を受けてるよ。見てよこの美しい断面。芸術作品なんだけど」
などと言いながら、僕も容赦なくサクッとフォークを入れている。うわー、ふわふわ。このスポンジ部分も最初と比べて進化している。いつも調理に使っている小麦ではなく、製菓向きの小麦に変えてあるそうだ。
ここの食事はどれも味わいが深く、滋味がある。おおむね食材や調味料が良いのだ。農薬などが違うのか、農法からして違うのか。僕の故郷で使われている食材よりも栄養分がたっぷり残っている感じがする。
それをわざわざ精製し、雑味をなくし、味と形を整えているのは故郷で知った贅沢よりも、さらに上をゆく贅沢に思えてくる。
「別れは無事に済んだのか? 怖いことは言われなかったか?」
「ううん、また来てねーって友好的に。みんなは犬の獣人さんだからか人懐っこくて、いつも元気に話しかけてくれてたけどそれだけだったよ。タピオさんもあっさりしたもんだった。あの人は熊の獣人さんなんだって。だからみんなと比べてあんなに落ち着きがあったのかも」
「あっさりねえ……今後はあまり頻繁に行かないほうがいいぞ」
「行かないよー。話せる僕がブラッキーくんと距離を詰めすぎるとさ、また甘えたに戻っちゃいそうだし。かといってここで二頭は難しいからね」
「いや、そっちじゃない。タピオとかいう奴の話」
「あっ、さては浮気を疑ってるね。心外だなー。うちのおじいちゃんみたいでいい人だなーって思ってただけだよ」
「それは疑っちゃいない。ただな、熊だと言ったな。匂いでなんとなく察しはついてたけどな、あれは獲物に対する執着心が強い。まあ本物の動物じゃないからな、その性質そのままを受け継いでいるとまではいかないが」
「僕は食べ物じゃないでしょー。見てよ、この薄っぺらい身体。食べられるところが少なすぎるよ」
「…………いや。睡眠欲と違って、食欲と性欲は近いところにあるらしい。それを欲したときの現れ方も双方似ている。理性をねじ伏せる強い本能だ。カイ、相手は人間じゃないぞ。獣人だ。口を開いてお前に近づいてくる獣はお腹が空いているのか、子種を注ぎたい欲にかられているのか、見分ける自信はあるか?」
「………………ないです」
僕は目の前に座ったこの青年に、ベッドの上で首筋に歯を立てられたときのことを思い出した。食欲と性欲の関係性。ミルクのような、果物のような、花のような香りだという僕から発せられているらしき匂い。
食べたい。もしくはヤリたい。どちらにせよ、それはけっして思考とはいえない欲望そのもの。獣の本性を僅かでも持っている彼らに、説得など効くと思うか、とも問われているのだ。
甘い香りを放ちながら。食べないでー、なんて聞いてもらえると思うのか、と。
僕は、皿の上に盛られたケーキが『食べないでー』と懇願しているところを想像した。お腹をすかせているときや、甘いものが食べられず飢えているときなんかに。『おねがい、おねがい、食べないでー』。
「うん、そうだね。刺激しないように気をつけないとね……」
「わかってくれたならそれでいい」
命乞いむなしく、ケーキは身体を欠けさせられ、僕の口へと次々に運ばれ潰され溶かされた。これを目の前に出されて我慢できるような人間はいない。獣人にもいない。誰もいない。本能なくしては生きられないのだ。
ケーキを可哀想だと思う気持ちはあれど、生き物は総じて自分の命を惜しむものだ。三大欲求という大きなものを極力優先してきたからこそ、今日がある。種の存続に繋がっている。
僕は誰にも責められてはいないのに、内心でそう言い訳しながらぺろっと平らげおかわりした。君にとっての僕はこのケーキみたいなもんだよね、と言ったら真面目な顔でケーキをお皿に取り分けていた彼はニヤリと笑い『そうだな。母さんがすげえ可愛いケーキを連れてきたと思ったよ。あのときは死ぬほどびっくりした』と、話にノッてくれた。
ふざけた調子で最初にしたのは味見でしょ、と聞くと彼は茶色い耳をくるっと動かし『バレたか』と小さく呟いて、ケーキにフォークを迷うことなく突き立てた。口を大きく開け、当然だとばかりにがぶりと噛みつき咀嚼している。
ふーん。やっぱり安全のために匂いをつけるなんて、その場しのぎの言い訳だったか。僕のお馬さんは油断も隙もない人だ。
いまも僕から発せられているという甘い香り。澄ました顔をしているこの獣人の本性を、白日のもとに晒す罪深い芳香は、キッチンに充満していた香りに反応するのと似たようなものかもしれない。
あの香りを一度嗅いでしまうと、いくら満腹でもそれを無理やりにでも押し込もうと、腹が隙間を作ってしまうらしい。おそらくそういうことなのだ。僕はまたひとつ、彼の気持ちがわかったような気がしていた。
「……なあ。そいつのツラはどうだった」
「どうだったって? んー……イケメンだった。顔を洗ってたときに初めてちゃんと見れたんだけどさ、隠してる意味がわかんないくら……オルフェくんほどじゃないよ。全然だよ。君の方が百倍かっこいいよ! 僕が一番好きな顔だよ!」
「ふーん…………そうか」
危ない危ない。またいらない嫉妬の炎にせっせと焚き木をくべてしまうところだった。気持ちがわかった、なんてとんでもない。僕はまだまだ修業が足りていない。
彼はそうか、なんて短く言いながらも相当嬉しそうにしている。耳をめちゃくちゃこっちに向けて立てているし、口角も上がっている。明らかに機嫌が良くなった。ひとまずの消火活動は有効だ。
以前、マウラさんに言われたことがある。『あんたが来てからあの子はずいぶん大人になった。そうなんだよ! あれでもよお!』と、あの小さな手を前に出し、おいでおいでするようにパタパタと動かしながら。
守るものができると人は強くなる。大人として振る舞えるようになるというのもその一環だろう。守る対象は僕である。僕のために彼は前へと進んでくれている。
僕は騎手として名乗りを上げた以上、妙な方向へ進ませ怪我をさせるわけにはいかない。かといって進む意欲を削ぐようなこともしてはならない。その塩梅は僕のこの手に委ねられている。
魔獣通訳士兼、調教師としてのプライドにかけて頑張ろう。この先もずっと、と思いながら僕は最後の甘い一口をそっとすくい取り、舌に乗せては味わった。
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