上 下
15 / 87

15 可愛いお家と初仕事

しおりを挟む
「すげ、結構でかい。思ってたより。あとなんか、やけに……」
「うん。可愛いね。やたら可愛い。屋根が三角…いや、円錐か。見てジルくん、入り口にわんこの置物があってオシャレ」

 白い漆喰壁の上にポンと乗せたような円錐形の屋根には、うろこ状に石か焼き物らしき屋根材が並べてある。大きめの木が近くに佇み、木陰が白い壁へと届き、自然と模様を作っている。もう使っていないのであろう蒸気管には植物が這わせてあり、桃色の花が満開だ。溢れんばかりに咲いている。

 うわあ可愛い、いちいち可愛い、と呟きながら中に入った。靴をもこもこした部屋履きに替え歩き回ると、まだあまり物がないため部屋履きの音がパタパタと反響する。

 内壁は一部水色に塗られていたり、白だと思ってよく見てみると細かい模様が描かれていたり、造り主の細部にまで行き渡った拘りを感じる家だ。

「見てジルくん。あれ飛行長杖っていうやつだよ。飛ぶときに使うやつ。凄いな、どれも使い込んである。歴代の長杖だろうね」
「大体先の方に鳥の頭がついてますね。これは飾りですか? 流行ってるやつ?」

「衛兵や兵士が乗ってるあの魔獣を象ってあるんだよ。よほどのことがなければ落ちないのが魔獣たる飛馬ちょうばの強さ。その強さにあやかってこの造形を採用してる」

 リビングの壁にずらりと飾られていた長い杖。それを検分していたクラースさんが目を輝かせながら教えてくれた。まるで絵本の世界。御伽話の世界である。実際に魔術師が住んでいたこの家からは、そこかしこから説得力を感じられる。

「水道も、魔力線もしっかり通ってるみたいだね。今日からでも住めるなあ。ていうかただの掃除夫がさあ、こんないいとこに住んじゃっていいのかなあ」
「えっ? 家主の許可が得られたんだからいいでしょう。家賃も先払いしてあるし」

「うーん、そうじゃなくて。オレなんかが住んでいいのかなーってこと」
「?? よくわかんないけど、似合ってると思います」

「えー、それこそよくわかんないよ。似合わないよー」
「似合いますよ。お似合いですよお客様。ぴったりです。まるで誂えたかのようです。この家はあなたのために存在します」

『なんなの、その売り込み文句はー』と言いながら慌てて顔を隠すクラースさんが面白くて、持ち主でもないのに褒め言葉をたっぷり混ぜた営業文句を羅列した。

 罪はもう償っているのだ。元々、人に背負わされた荷物である。早く下ろしてしまえばいい。それに、こいつとの暮らしは案外悪くないと思ってほしい。なんなら彼の人生の最後まで側にいて、助けてあげたい。その感情につく名前は父性を求める気持ちや、憐憫や厚意だと、このときまで思っていた。

 あんな夢を見ておいて。しかしクラースさんをそういう対象にする気など、そのときは欠片もなかった。あの夢は、恋人に縁のない俺が勝手に作り上げたもの。欲望の変化球だと思い込もうとしていたのである。



 ──────



 荷馬車を借りて荷物を運び、やっと少し音の響かなくなった家から初出勤の日を迎えた。寝坊しても間に合いそうなほど近い距離にある豪華な宿泊施設。面談のときの雇い主は俺の顔をみて少々たじろぎ、雇いたくはなさそうな様子だった。

 しかし住んでいる家の住所を伝えると『魔法使いさんの知り合い?』と食いつかれたので知人だと伝えると『じゃあ採用。いつから来れる?』と、途端に乗り気になってくれた。ここでも道楽亭の店主の威光に助けられることになってしまった。

 クラースさんの方はといえば、人好きする容姿と物腰の柔らかさを見た雇用主は『罪歴あり……でも元魔術師、それって利用されたわけだよね? 前に出て欲しいけどなあ、でも……』と悩み始め、話が進まなくなったので掃除係としてとりあえず雇ってくれれば良いからと、立場を逆転させる形での懇願をするはめになったそうだ。

 職場が離れてしまうかも、とハラハラしたがなんとか希望が通って良かった。そのうちまた引き抜き話が来るかもしれない不安はまだ残っているのだが。



「え!? クラースくん、これをこの短い時間でやったわけ!? どうやって……元魔術師さんだもんなあ。なんか色々秘訣があるんだ。そこは聞かないよ、ほら個人の情報は明かしちゃいけないでしょうから。知ってる知ってる。君、辞めないでね。絶対ね! フロントには行かせない!!」

 清掃長の台詞がフロアに響いた。俺の耳にも届くくらいの声量で。現在は客入れ前の清掃時間。気になってちょっとだけと思い見に行くと、凄い光景が広がっていた。

 それなりに歴史のある宿泊施設だ。どうしても取れない汚れは出てきてしまう。経年劣化によるものや、酒を零した、インクを零したなどの汚れは蓄積してゆくものだ。それが全てまっさらになっていた。まるで今、改装したばかりであるかのように。

 同じく気になったのであろう仲間も集まってきて、口々に『ここだけ新築じゃん!!』『なんということでしょう!!』などと、口々に感想を述べている。

 清掃長の口から元魔術師、という言葉が出たからか、後から入った新人相手とはいえどうやったのかは迂闊に聞いたりしないようだ。みんな教育が行き届いている。

 魔術師も泊まることの多い場所柄、口にしない方が良い台詞は頭にしっかり入っている。独占商品の作り方を聞くのと同じで結局は、従業員風情が教えてもらえるようなことではないし、お客様が返事に困る類のことは最初っから聞かないというのが接客をするしないに関わらず、ここでは常識とされている。

「ほら見てよ。この硝子。鳥が間違えて飛び込んで来そうじゃない?」
「このシーツ、こんなに真っ白でしたっけ。驚きの白さなんですけど」
「いや一番凄いのは床でしょう。毛足が復活してますよ。こんなん張り替えてるでしょ確実」

 またみんなで口々にここが凄い、いやここも凄いと言い合う中、クラースさんが周りの空気ごと移動してきたかのようにふわりと側へ近づいてきた。

「オレ今さ、ぶっちゃけちょっと気分いい。……ほんとはナイショだけどさあ、何したのかは帰ったら教えてあげるよ。特別に」

 その内緒話と一緒に飛んできた甘い香りに鼻をくすぐられ、ちょっと挙動が狂った気がした。クラースさんは爽やかでほんのり甘い、瑞々しい花の香りを纏っていた。国花であるキング・クラルティーの香水の香りである。

 掃除夫といえどここで働く立派な従業員であり、館内ではお客様とすれ違うこともある。高い階級のお客様に少しでも良い印象を与えるために、末端の従業員にも清潔感が求められる。

 指導役の清掃長に『はい、これを最後につけてー』と吹きかけられたときは驚いた。こんな演出があるのかと。残り香まで爽やかにするためあまり調合は複雑ではないそうだが、そのせいか人それぞれ香り方に微妙な違いが出てくるらしい。

 俺は時間が経つと教会の中に入ったときのような不思議な香りがしてくるが、クラースさんは甘い花の香りが常に漂い、それがまるでお風呂上がりの匂いのようで、何だか妙に気になっていた。

 俺がもっと、はしゃいでふざけていても仕方ないなと許されるような明るい人間だったなら、襟首を掴んでいい匂いするー、と嗅ぎまくっていたことだろう。やっぱりこの顔、不利だなあ。便利なこともあったけど。



しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

(人間不信の悪態エルフ奴隷しか頼れない)追放後の悪役聖女に転生したので

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:2,083pt お気に入り:220

輿入れからのセカンドライフ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:44

女王特権で推しと結婚するなんて、はしたないですか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:163pt お気に入り:14

ブラック企業社畜がアイドルに成り代わり!?

BL / 完結 24h.ポイント:284pt お気に入り:2,313

【異端ノ魔導師と血ノ奴隷】

BL / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:48

脇役転生者は主人公にさっさと旅立って欲しい

BL / 連載中 24h.ポイント:14,538pt お気に入り:276

ひとりぼっち獣人が最強貴族に拾われる話

BL / 完結 24h.ポイント:2,302pt お気に入り:1,986

処理中です...