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1巻

1-3

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 バレット様の授業は毎日行われた。あ、土日はお休みで。
 曜日設定も覚えやすい。月の曜日、火の曜日と、元の世界とあまり変わらないのだ。
 彼は賢者だけあって幅広い知識があり、話が尽きなかった。
 俺の一週間は、午前はみっちり講義を受けて、庭を少し歩いてから書庫で大量に借りた本を自室で読んで、メモを取るの繰り返し。離宮内の散歩は可能な限りしなかった。
 冷たい視線も、ヒソヒソと噂されるのも苦痛だ。そもそも離宮で歩いて良い場所がサロン、書庫、庭だけだったし、外出も許可が出ていない。事実上の軟禁だが、監禁よりはマシと思うしかない。
 仕方ないので黙々と勉強にいそしんだ。部屋を出るのは最低限に抑え、運動は室内でトレーニングしたが、食欲がなく食べられないし、疲れやすくなってしまったのが悩みだ。ストレスかな。
 ちょっとせてしまったので、エルビスさんと、新たに加わったノーマさん、ヴァインさんという侍従に心配され少し困っている。
 今日の授業では、カルタスの歴史と金銭の価値、物価などを学んだ。元々土地はかなり豊かなので、農作物の種類も豊富らしい。
 だが、数年前から不作や水の汚染が進み、輸出量も減っているという。それをトラージェは経済的な締めつけだと感じているようだが、実際には収穫量の激減が原因だ。

「カルタスの不作が続く原因に、心当たりはあるんでしょうか?」
「聖なる泉がにごり始め、河はまだ良いのですが、各地の沼や湖も汚染されつつあります。特に小さな水場は瘴気しょうきにあてられ、使用できなくなっているのですよ。雨頼みとなった地域では水不足が進んでおります」
瘴気しょうきとは、どうにかできるものですか?」
神子みこ様の祈りの力で浄化できると言われておりますが、呪われた山の民の仕業と言う者もおります」
「祈りと、呪われた山の民?」

 祈りでどうにかなるなんて正直思えないが、ただの水質汚染じゃないということだろうか。見てみないと分からないし、下手なことは言えないな。

「基本、水は神子みこの浄化で解決するとお考えなんですね? それと、山の民とは?」
「初代様は戦の術と人心をまとめる力、二代目様は浄化の力を持ち合わせて、その時代の争いや病を鎮めてくださいました。山の民の話は長くなりますので、今度にいたしましょう」
「俺が泉を見るのは難しいでしょうか?」
「そもそも外出が難しいでしょうな。恐らく許可されんでしょう。何かあってはなりませんからの」
「う~ん、髪色だけでもなんとかしないと出られないんですね?」
「まぁ、フードを被るという手もありますがの。ただ、今はジュンヤ様を誤解している者が多い。慌てずお待ちくだされ」

 そうなだめられ、俺は素直に頷く。それから、食べ物について学んでいくと、作物は日本の物とそっくりだった。
 ゲームを作った人は手を抜いたのか? まぁ、分かりやすくていいけど、なぜ味は微妙なんだろう。不味まずくはないが美味しくもない。ゲームだから味つけは反映されていないってこと?
 農工具など道具類は中世期の文明と似ている。
 魔法は貴族や魔導士、神官など、ほんの一部の者しか使用できないらしい。
 とはいえ、庶民が全く魔法に親しんでいないかというと、そういうわけではない。
 例えば、火は魔石に力を溜めたもので起こすという。火起こしの魔石は比較的安価で売られているそうだが、消耗しょうもうが激しい。一度湯を沸かすなどしたら、あっという間に使い果たしてしまうらしく、そのため風呂は贅沢ぜいたくとされているとか。
 どこの世界でも、庶民とセレブの差は大きいのだなぁと実感する。

「お風呂の我慢は辛いけど、他は頑張れそうです」
「おや、入浴がお好きとは、ジュンヤ様はもしかして貴族の出ですかの?」
「とんでもない! 俺達の世界は魔法がない分、科学が発展してたんです。みんな風呂が大好きで、ほとんどの家にお風呂があって、毎日入りますから」
「ほほう、そこまで普及しているとは。ところで、ジュンヤ様。本当はご自分を『俺』とお呼びになるのですなぁ」

 ホッホッとバレット様が軽快に笑う。
 指摘されて初めて気づいた。頬に熱が集まるのを感じながら、俺は目を泳がせる。

「し、失礼しました、つい」
「いやいや、嬉しいですぞ。それだけこの老人に気を許していただけたのですから。最近神子みこ様は神殿で浄化の練習に集中しているようで、わしとの授業もなくなり、年寄りの出番は終わりかと寂しかったのですよ」
「どんな練習なんですか?」
「神殿の儀式は極秘でしてな、わしにも分かりません。あまり上手くいっていないのは確かでしょうな。少々、上の者達が苛立いらだっております」
「そうですか……」

 バレット様との授業も一段落し、俺は庭へ出た。最近、お昼を自室で食べてから出ることが多いのだが、今日はその前に歩きたい気分だった。ちょっと汗ばむくらいの陽気が心地いい。
 この国は温暖で、季節は日本でいうと初夏と秋の繰り返しらしい。北へ行けば山があって、それを越えればトラージェに辿り着く。山では雪が降るそうだ。
 山の向こうのトラージェは常夏の国らしい。山を越えれば夏の国……? 気候がよく分からない。海を越えた先にも大陸があるのだとか。
 見たことのない国に想いをせつつ、浄化のことを考える。水が汚染されれば作物に影響があるのは当然だ。歩夢君は頑張ってるかな? あれから会わないけど、元気にしてるのかな?
 考え事をしつつ庭を歩いていると声が聞こえた。

「あ~あ、俺も神子みこ様のお世話したかったなぁ~。こっちはおまけなんだって? しかも殿下達に色目を使ってるって聞いたぜ?」
「お前、おまけを見たのか?」
「遠目でな。確かに黒髪だったけどさぁ。近くで見た奴が言うには、妙に色気があって男娼なんじゃないかって話だ」
「本当かよ! 金出せばやらせてくれるかもな~」

 俺は建物の角で立ち止まって、動けなかった。血の気が引くほどの怒りを静かに抑え込む。
 護衛として近くに控えている騎士は無言だ。味方ではないから仕方ない。
 エルビスさんは、歩夢君に呼ばれ王宮に行き、一緒にいなかった。いれば何かしら言ってくれたかもしれないが。
 いやらしく笑っている奴等の前を通らないと書庫には行けない。書庫は諦めてくるりとUターンした。あの前を通るのは無理だ。先程までバレット様と楽しく話をしていた分、こたえる。
 無言のまま部屋に戻り、具合が悪いとノーマさんに謝り昼食は辞退した。
 ベッドに入ってシーツにくるまり、絶対に自立してやると決意する。
 悔しくて泣くのを我慢していたけど、涙が込み上げてきた。でも、泣くのは今日でお終いだ。明日からはもう泣かない、絶対に。
 窓辺に置いておいたスマホを取り出し電源を入れると、当然ネットは不通だった。
 残り少ない電池を大切に使いながら、スマホの中に入っている音楽を再生する。お気に入りの曲が流れ出し、俺は鼻をすすりながら小さな声で歌ってみた。
 そうだ、いつもこの歌に元気をもらっていた。俺は負けない。この歌のように、いつか分かってくれる人が見つかるよう、誠意を持って行動しよう。信頼を勝ち取る努力をするんだ。
 ばぁちゃん。俺、諦めないから。頑張るよ。


   ◇


 ある日、授業が休みになり、珍しく庭に一人で出ていた。離宮の中だから、護衛も侍従さんも必要ないと供は断った。
 でも、俺はその判断をさっそく後悔した。突然目の前に知らない男達が立ちはだかったからだ。
 相手は四人。ぐるりと周りを囲まれてしまった。服装から見て、おそらく聖職者だろう。

「こちらへ来い」
「なぜですか?」
「黙ってくれば良い」
「侍従達に……」

 みんなに声をかけようと身をひるがえした瞬間、腕を掴まれ、口をふさがれた。

「うぐっ! ううっ‼」

 そして、軽々と肩にかつがれてしまう。足をバタバタと振って暴れると、バランスが崩れて地面に落ちた。

「「「ジュンヤ様⁉」」」

 その時、いくつもの声がこちらに向かってきた。すると、男達は口惜しげに舌を打って、きびすを返して去って行った。
 彼らがいなくなったと同時に、エルビスさんと護衛達がやってきたが、俺は「転んでしまった」と誤魔化した。連れ去られそうになったなんて言えない。
 しかも聖職者らしいなんて……厄介やっかいなことに違いない。彼らの目的はなんだろう。
 不安な気持ちを振り払うように、そのまま東屋あずまやに向かう。しかし、途中で急に浮遊感に襲われてしゃがみこんでしまった。目の前がグラグラして、冷や汗が流れる。

「ジュンヤ様!」

 エルビスさんが慌てて飛んできて、俺を軽々と横向きに抱き上げた。お姫様抱っこじゃん!
 下ろして欲しいが声も上手く出せなくて、猛ダッシュでベンチに横にされる。

「すみません」

 声を絞り出して謝ったが、それが限界で、目の前が真っ暗になった。


 目が覚めたら自室のベッドだった。エルビスさんが運んでくれたのかもしれない。
 室内が茜色に染まっている。もう日が暮れるところのようだ……
 体を起こしたら、またエルビスさんが飛んできて、背中を支えて起こしてくれた。ノーマさんとヴァインさんもクッションとガウンを抱えてやってくる。頭を起こしたら、まだふわふわするので、クッションで背もたれを作ってくれたのは助かった。

「ジュンヤ様、ゆっくりです。無理に起きないでください」
「すみません、もう大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑などと思っておりません。治療師によると、栄養と血が足りず、体に負担がかかっているとか。確かにおせになりましたから」

 そう言ってうつむいた後、エルビスさんはベッドの横にひざまずいた。そして、両手でそっと俺の手を包み込む。

「ジュンヤ様、たくさん我慢しておられるのは分かっています。我らに気を使ってくださっていることも。しかし、正直に仰ってください。食事がお口に合わないのには気がついておりますが、どういったものなら召し上がっていただけるのか教えてくださらなければ、直すこともままなりません。我々は決して裏切りません。毎日私達に優しく声をかけ、いたわってくださるジュンヤ様の御心に報いたいのです」

 気がつくと、ノーマさんやヴァインさんもエルビスさんの後ろで両膝をついていた。その眼差しはどこまでも真摯しんしだ。

「そうですね。俺も意地になっていたかも……これから三人には正直になります。それと、心配かけてごめんなさい」

 そう。俺は三人が心から心配してくれていることを知っていた。でも、裏切られてショックを受けるのでは、と怖かったのだ。優しく見守ってくれていたのに。

「それと……ありがとう……」

 俺はこの世界に来て初めて心から笑った。
 そして、泣いていた。ノーマさんがそっと涙を拭いてくれて気がついた。

「いい年をして泣くなんて恥ずかしいな」
「そんなことはございません。ですが、これからは辛くなる前に、我々に打ち明けてください」

 俺は泣き笑いで頷いていた。少しして落ち着いてから、どうしても耐え難い問題について告白した。

「食事が、その、味つけが合わなくて。パンも硬くて食べるのが大変で。でも、料理人に失礼なので言い出せなくて」
「ご希望を仰ってください。どのようにしたらいいですか?」
「それですが、厨房を使わせてもらえますか?」
「えっ?」

 俺の申し出に、エルビスさんは目をまたたく。

「作ってみるので、皆さんにも食べてみてほしいんですよ。ただ、料理人には気分が悪い話だと思うので、断られたら諦めます」
「分かりました、厨房には話を通しておきます。確かに頑固者ですが、新しい料理を知る機会だと説得して、明日使えるように手配いたします。夕食は柔らかいものをご用意しますね。果物などはいかがですか?」
「はい、お願いします。あと、恥ずかしいんですが、一人で食べるのが寂しいんです。会話もできないし。向こうでは、よく誰かと一緒に食べていたので。だから、誰か一緒だと嬉しいんです……」

 エルビスさんは考え込んでいた。そんなに難しい頼みなのかな。侍従は仕えるのが役目なんだろうけど、俺は神子みこでも貴族でもないから友達になりたいな。

「私達が一緒にお食事をするときっと罰を受けます。ですが、殿下に相談いたしますので、もう少し我慢してください。その代わりお食事の際は、必ずお傍についておりますから」

 なんとかしようと思ってくれることが嬉しい。でも……

我儘わがままを言ってすみません。でも、無理はしないでください。それと……難しいのかもしれないけど、皆さんとは友達になれたら嬉しいな」

 エルビスさんは一瞬驚いたようにこちらを見つめた。それから頷いて、ニッコリと頼もしく笑ってくれる。
 その後は三人に安静にするようにと言い渡され、大人しく本を読んだ。
 夕食の前に扉をノックされ、エルビスさんが入ってきた。

「エリアス殿下がいらっしゃいました。そのままでよろしいそうです」

 えっ? 殿下? なんで?
 俺は寝巻きのままだったので、ベッドから降りて慌てて着替えようと立ち上がったが、ふらりと力が抜けてベッドの横に座り込んでしまった。気を抜くと横に倒れそうなので、床に両手をついて踏ん張る。
 エルビスさんが名前を呼んで駆け寄ってくる気配を感じたが、その前に別の大きな影が近づき、抱きかかえるように立たされた。俺の腰に片腕が回され、力強く抱き込まれる。
 まさかな、と思いつつ見上げると、きらびやかな金色の美貌が目の前にあった。なんという攻撃力。美形は世界を救うかもしれない。ちょっとドキドキしたのはヒミツだ。

「殿下! 大丈夫ですからお離しください!」

 正気に返り慌てて手を突っ張るが、ビクともしない。顔がちょうど肩に密着しているため、首が太く、体にも筋肉がしっかりついているのが分かった。
 と言うか、くっつき過ぎ! 男でもイケメンと密着すると流石さすがにドキドキするんだな!
 俺の動揺はバレていないようで、ヒョイと横抱きにされてベッドに戻された。エルビスさんが上掛けをかけてくれる。

「殿下、こんな格好で申し訳ありません」
「いや、先触れを出すべきだった。無理をさせるつもりではなかった。倒れたと聞いて来たのだ。執務に追われ、ジュンヤのことを人任せにしていたからな」
「お気遣いありがとうございます。少し休めば治ると思います」
「侍従に聞いたが、食事が合わないそうだな」

 エルビスさん! そんなにハッキリ言っちゃダメ! 背中に冷や汗が流れる。

「そんな顔をするな。実は神子みこも同じことを言っているらしく、王宮の料理長もほとほと困っているのだ」
「そうですか」
「そこで、ジュンヤの作る料理を王宮の料理長にも教えてほしい。良ければ神子みこの分も作って王宮に届けてほしいのだ。それから、必要な素材を探すために外出できるように陛下に許可をいただいた。もちろん、体調が戻ってからだがな。それまでは、ほしいものを伝えてくれれば仕入れさせよう。侍従が食事に同席するのも許可する」
「外に行けるんですか⁉」
「もちろん護衛と侍従はつけるぞ」
「十分です! 嬉しいです! ありがとうございます」

 外出ができるだけでも嬉しいのに、買い物も?
 俺は笑顔で頭を下げた。顔を上げると、微妙な表情を浮かべる殿下と視線がかち合う。
 あ、殿下、呆れてる? 冷たーい目で見てますね。良い大人がテンション上がってるのは、見苦しかったでしょうか。

「それと、もう一つある。私には報告はなかったが、陛下が護衛騎士達にジュンヤとの会話を禁じていたそうだ。話しかけられても挨拶を交わすことも許されなかったので、ジュンヤに不快な思いをさせたろう。今後は外出時の警護について話し合う必要もあるし、その命令は撤回していただいた。騎士達は嫌っておらぬので、今後は安心して話しかけてやってくれ」
「そうだったんですか。でも、なぜ禁止されたんでしょう?」

 首を傾げて考えている俺を、殿下は無表情で見つめていた。

「言いにくいのだが……誘惑して味方にし、神子みこを害するのではと思われていたようだ」
「……恐れ入りますが、もう一度よろしいですか?」

 殿下は溜息をついて、俺に顔を寄せてきた。おぉぅ、近いです!

「バレット殿も言っていたが、自覚がないので私からも言うべきだな。ジュンヤは、我が国にいない容貌だ。神子みことも違う。神子みこがヒマワリならばジュンヤはとげのある薔薇ばら。しかし、とげが危険と分かっていても、人は薔薇ばらで、触れずにいられない。そなたの美しさはそういうたぐいのものだ。外出時はフードを被り、決して顔をさらさぬように気をつけてほしい。分かったな? 騎士達は訓練された忠実な者だから無事でいられるのだ」

 全然分かりませんが! でも、とりあえず頷くべきところなので全力で頷きましょう!
 外出してみて大丈夫と分かれば拘束も緩やかになるはず。とりあえず貧血らしい体を復活させねば。夕食はしんどくても全部食べて、明日には復活を目指す!
 と、気合いを入れたものの、ちゃんと考慮された夕食が出て、あごの心配もなく食べられたのだった。それだけでもほんと助かる!
 あ、そういえば男達に囲まれたこと、殿下には報告すべきだったのか? いや、そんなことしたら軟禁生活が復活しそうだから黙っておこう。



   side エルビス


 神樹が花開いたと王宮が騒然となったあの日。私の運命は変わったのだと思う。
 神子みこと共にやってきた、生まれながらに黒をまとった方。
 私は伯爵家の三男で、爵位を継ぐのは絶望的な立場だった。そのため、独立して生きていけるよう幼い頃から鍛えられた。
 母方の伝手つてを頼り十歳で、当時五歳のエリアス様に仕えてからは、彼のために生きてきた。
 そのエリアス殿下が私を見込んで「守り、世話をして欲しい」と任せてくださったのがジュンヤ様だ。呼び出され離宮に向かった私は、気を失っているジュンヤ様を初めて見た時、衝撃を受けた。黒髪と黒い睫毛まつげ、瞳も黒だと殿下が仰っていた。

「彼は神子みこと共にやってきた。だが、先程の様子では神子みこではないとしいたげられる可能性が高い。私は彼を守ろうと思っている。そして、その命を全うできるのはそなたしかいない」

 全幅の信頼を示されて、断れる者がいるだろうか。

「命に代えてもお守りします」

 私は迷いなく返事をしていた。殿下は普段表情が余り動かないが、大変心根の優しい方だ。彼が、王妃様と第二王子の母から、心無い言葉をかけられていることを陛下は知らない。殿下は告げ口のような真似をしないからだ。
 王子を出産できなかった王妃様は、特にいじめ抜いておられる。殿下の母君のご実家の爵位の低さや、陛下の寵愛ちょうあいを一身に受けられたことへのねたみがない混ぜとなり、エリアス殿下を疎んでおられる。
 殿下の優秀さも鼻につく、といった具合だ。
 私にだけは弱音を吐いてくださるのが嬉しい。その信頼に応えるため、使命を全うしようと心を新たにした。

「まだ彼の名前を知らぬ。目覚めたら聞いてくれ。心しておけ……彼は恐ろしく美しい。世話係となる侍従はそなたが厳選せよ。護衛はダリウスに任せてある」

 黒をまとう方に無体をするなどあり得ないが、それほど魅了されてしまうようなお方なのだろうか。
 私は平伏し、頭の中で適任者を数人ピックアップする。

「それから。手足のかせは自害防止だ。重大な任務の途中でこちらへ来てしまったらしく死のうとした。今後も目が離せないのでくさりに繋いでいる。室内は動ける範囲にしているが目を離すな。異変は深夜でも知らせよ」
かしこまりました」

 日が暮れようとした頃、目が覚めたジュンヤ様は、手足のかせと足首のくさりに驚き、悲しそうな顔をしておられた。
 心が張り裂けそうだった。濡れたような黒い瞳に吸い込まれそうになりながら、エリアス殿下の言葉を思い出す。恐ろしいほどの美しさと評された、その言葉は正しかった。
 涼やかな切れ長の目を伏せると、とてもあでやかな色香が漂うのだ。冷静でいなければと己をいましめたが、悲しげに微笑むのもまた美しく目を奪われた。

「お名前を教えていただけますか?」

 そう言う私に、ミナト・ジュンヤと名乗り、ジュンヤと呼ぶように仰った。しかも、かせを外せないと謝罪する私を気遣い、いたわってくれさえした。私は心が震えるのを感じた。
 侍従が仕えるのは当然。礼など言われなくて当たり前だからだ。ほんの少しの気遣いがこんなに嬉しいとは。
 それに所作や言葉づかいも優雅だ。もっと彼と二人で話をしていたくなる。
 しかし、今は殿下に目覚めをお伝えしなくては。急ぎ連絡したところ、殿下は早々に離宮へといらした。そのあまりの早さに、私は内心驚いていた。
 殿下がいらして、私は影のように隅に控えていた。
 長年侍従として重要な場面にも立ち会い、どんな状況でも動揺を面に出さない自信がある。
 しかし、今回は危うく顔に出そうになった。ジュンヤ様が市井しせいに出るつもりであると仰ったからだ。加えて、その時は資金を提供すると殿下が提案した時――

「それはご辞退申し上げます」
「なぜだ?」
「私の祖国にはただより高い物はない、という格言がございます。苦労せず得た金銭、物にはいずれ対価を求められることもございますから。私はお邪魔なようなので今すぐ出て行きたいところですが、生活様式が明らかに違うので、せめて学ぶ時間をください」

 清々すがすがしいほど、きっぱりと殿下へ断りを述べる。その場にいた方々が息を呑まれたのが分かった。
 誰だって、大金を差し出されたら心が揺れるだろう。しかし、迷いなくそれを切り捨てた。その姿に崇高さすら覚える。
 ああ、なんということだろう。エリアス様のおかげで、私はこの誇り高い貴人のお世話をさせていただけるのだ。
 その後、ジュンヤ様は神子みこ様と面会した。
 二人は同じ黒をまといながらも正反対であった。
 神子みこ様も明るく素晴らしい方なのだろうが、やはり私はジュンヤ様に仕えたい。そう改めて感じたが、のちに神子みこ様に仕えたほうが良いだろうと言われ、私は酷く傷つくのだった。
 もう一つ驚いたのは、彼が年上だったことだ。
 体格や容貌から、十五歳を超えたくらいだろうと思ったのだが、まさか年上とは。
 ジュンヤ様はニホンジンというらしいが、小さい民族らしい。殿下も皆様も、非常に驚いておられた。
 その後、部下としてノーマとヴァインを選んだ。私が一から仕込んだ優秀な侍従だ。神子みこ様ではないからと、少しでも渋る者は外した。思いの外そういう者が多く閉口した。
 害されるかもしれないと言う殿下の心配は正しい。それは暴力もあるが、あの色香に惑わされるのではという懸念もある。
 ジュンヤ様はそんな方ではないのだが、光に集まる害虫は多いものだ。油断してはならない。
 それからもなかなか心を開いていただけず、食事も合わない様子でありながら一切不平不満を仰らないせいで、どこを変えるべきなのか分からない。
 我々に「大丈夫です」と答えながら、日々せていかれるのを忸怩じくじたる思いで見守っていた。
 しかも、使用人達の心ない噂話も聞いてしまったらしい。後で騎士から報告があったのだが、無理をしてでもお傍にいるべきだったと後悔した。
 そんなある日、とうとう庭で散策中、お倒れになった。失礼を承知で抱き上げたが、真っ白になった顔色と、軽さに血の気が引く思いがした。
 なんとか我々三人を信じていただかなくては。そう思い、目覚めたジュンヤ様に訴えた。

「我々は決して裏切りません。毎日私達に優しく声をかけ、いたわってくださるジュンヤ様の御心に報いたいのです」
「そうですね。俺も意地になっていたかも……これから三人には正直になります。それと、心配かけてごめんなさい」

 我々の想いが通じ、黒い瞳から涙を零しながら輝くような笑顔を見せてくださった。そして、ありがとう、と……
 またたく間に心の中に喜びが広がっていく。
 そして私は、これからは決して悲しい涙は流させまいと、思いを強くしたのだった。


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