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第5話 夢の終わり
「うーん、離婚が決まったからってウキウキし過ぎてた自分を少し反省しないとな。これからは大人の余裕のある伯爵様っぷりを見せないと彼女に愛想をつかされるかも、なーんて!」
先日、一方的に「離婚」の報告だけは済ませておいた。だが、よくよく思い返してみれば、イザベラとの離縁後に具体的にどう彼女を迎え入れるか、まともな話し合いはできていない。
今回の訪問では、単なる肉欲に溺れるのではなく、その将来について改めて真面目に話す必要があるだろう。
もし仮にモンモランシーに商館への借財があるのならば、身請け金のことについても考えなければならないからだ。
だが、こうしたフランクの考えはすべて、滑稽なまでの杞憂に終わることとなる。
というのも――。
「フランク様、モンモランシー……いえ、彼女は、つい先日当館をお辞めになりました」
「は?」
支配人の冷淡な言葉に、フランクは間抜けた声を漏らすことしかできなかった。
耳に届いた言葉の意味が理解できず、フランクは立ち尽くす。モンモランシーが辞めた?
口振りの鈍い支配人によれば、それも源氏名で本名は別にあるというが、そんなことはどうでもいい。
なぜ彼女は急に辞めてしまったのか。知りたいのはそれだけだ。むしろ、それ以外にない。
なにせ彼女だって、一緒になる上で最大の障害である妻との離婚報告に、あんなにも喜んで笑ってくれていたはずなのだから。
「辞めたってどういうことだ」
「それに関してはわたくしの方からはなんとも。ただ、お得意様であるフランク様には本人から手紙を預かっております」
「――よこせ!」
支配人が懐から取り出した手紙を、奪い取るように引ったくる。
逸る気持ちそのままに乱暴に封を切り、そこに綴られた文章に理解が及ぶと、フランクは絶望で目の前が真っ暗になったような錯覚に陥った。
薄暗い店内の照明の下で、その文字は残酷なまでに明瞭だった。
『親愛なるフランクへ。
貴方がこの手紙を読んでいる時はきっと、わたしが何も告げずにいなくなっている頃でしょう。
きっと貴方は「なぜ急に?」と思っているかもしれません。
ですが、貴方がわたしに抱いている想いに自惚れがなければ、あくまでこれは自己保身だと言わざるを得ません。
なにせわたしにとって貴方は、淡い恋心を抱く身分違いの異性などではなく、弟を養うためのただの金のなる木でしかないのだから。』
「……っ、そんな、嘘だ。冗談だろう……?」
フランクの指が小刻みに震え、手紙がカサカサと乾いた音を立てる。だが、紙面上の言葉は、さらに深く、容赦なく彼の自尊心を抉り抜いていく。
『もし何も語らずにわたしが失踪したのならば、きっと貴方は納得のいく答えを求めてわたしの所在を探ろうと躍起になったことでしょう。
また、本心を告げずに曖昧な表現で筆を残しても同じく、貴族としての財力を賭して捜索されていたことでしょう。
それらはお互いに本意ではなく、ただ徒労するだけです。
だから誤解を招く余地がないように、わたしは貴方に絶縁宣言を叩きつけることにいたしました。』
フランクの視界が不意に歪む。愛の語らいだと思っていた時間は、彼女にとっては「効率的な集金作業」でしかなかった。
彼は「愛される伯爵」を演じていたつもりで、実際は「都合の良い財布」として踊らされていたに過ぎない。
『まずもって貴方は現在の奥方と離婚後、果たしてしがない売女であるわたしのことを、本当に貴族の後妻として迎え入れるつもりなのでしょうか。
もしそうであるのなら、信用が置けません。
娼館とは、娼婦とは、あくまで余裕のある殿方の火遊びの延長線上にあるもの。
だというのにそこの取るに足らない人間に入れ込み、あまつさえ分不相応の地位を与えようとするのなら、その後のお家騒動は必至。』
モンモランシーの筆致は、どこまでも冷徹だった。彼女は、フランクが思っている以上に「自分の立場」を理解し、そして「フランクという男の底の浅さ」を見抜いていた。
『加えて、もし仮に本当に後妻の地位に収まったとしても、一度妻を裏切り、若い女に走った男が果たしてもう一度同じことをしないと、誰が保証できるのでしょうね。
少なくともわたしにはこれまでのやり取りの中で、ついぞ貴方に誠実さを見いだすことは叶いませんでした。』
「誠実さ、だと……? 僕は、お前のために、家も、妻も……!」
と叫びたかったが、声にならない。手紙を読み進めるほどに、自分がどれだけ滑稽で、愚かで、無価値な男であったかを突きつけられる。かつてイザベラを「出来損ない」と罵ったその口が、今は屈辱に震えている。
『ですからお互い後腐れなく関係を終わらせる方法として、今回の策を用いることにいたしました。
きっと貴方には恨まれると思います、憎まれると思います。けれどもやはり、こうすることが最善の手だと勝手ながらわたしは信じております。
ですからどうか、もはやこの世に存在しないモンモランシーのことは、男に都合のいい泡沫の夢であったとお思いください。
それだけが、わたしが貴方に最後に望む、たった一つの願いなのですから』
手紙を読み終えたフランクの膝から、カクンと力が抜けた。
あの女、モンモランシーは、フランクが自分を追ってこないように、あえて「嫌悪」と「侮蔑」という最も効果的な毒を文面に込めたのだ。
彼はすべてを失った。自分から捨てた妻。そして、自分を捨てた愛人。
手元に残ったのは、愛など一片も存在しなかったことを証明する、冷え切った紙切れ一枚だけ。
「……ひ、っく、う、う、うおっ、うおおおおおおおおおおん」
人目も憚らず、店内に大きく響く声で、ただ馬鹿な男の無様な慟哭だけが、いつまでも、いつまでも響き渡っていた。
先日、一方的に「離婚」の報告だけは済ませておいた。だが、よくよく思い返してみれば、イザベラとの離縁後に具体的にどう彼女を迎え入れるか、まともな話し合いはできていない。
今回の訪問では、単なる肉欲に溺れるのではなく、その将来について改めて真面目に話す必要があるだろう。
もし仮にモンモランシーに商館への借財があるのならば、身請け金のことについても考えなければならないからだ。
だが、こうしたフランクの考えはすべて、滑稽なまでの杞憂に終わることとなる。
というのも――。
「フランク様、モンモランシー……いえ、彼女は、つい先日当館をお辞めになりました」
「は?」
支配人の冷淡な言葉に、フランクは間抜けた声を漏らすことしかできなかった。
耳に届いた言葉の意味が理解できず、フランクは立ち尽くす。モンモランシーが辞めた?
口振りの鈍い支配人によれば、それも源氏名で本名は別にあるというが、そんなことはどうでもいい。
なぜ彼女は急に辞めてしまったのか。知りたいのはそれだけだ。むしろ、それ以外にない。
なにせ彼女だって、一緒になる上で最大の障害である妻との離婚報告に、あんなにも喜んで笑ってくれていたはずなのだから。
「辞めたってどういうことだ」
「それに関してはわたくしの方からはなんとも。ただ、お得意様であるフランク様には本人から手紙を預かっております」
「――よこせ!」
支配人が懐から取り出した手紙を、奪い取るように引ったくる。
逸る気持ちそのままに乱暴に封を切り、そこに綴られた文章に理解が及ぶと、フランクは絶望で目の前が真っ暗になったような錯覚に陥った。
薄暗い店内の照明の下で、その文字は残酷なまでに明瞭だった。
『親愛なるフランクへ。
貴方がこの手紙を読んでいる時はきっと、わたしが何も告げずにいなくなっている頃でしょう。
きっと貴方は「なぜ急に?」と思っているかもしれません。
ですが、貴方がわたしに抱いている想いに自惚れがなければ、あくまでこれは自己保身だと言わざるを得ません。
なにせわたしにとって貴方は、淡い恋心を抱く身分違いの異性などではなく、弟を養うためのただの金のなる木でしかないのだから。』
「……っ、そんな、嘘だ。冗談だろう……?」
フランクの指が小刻みに震え、手紙がカサカサと乾いた音を立てる。だが、紙面上の言葉は、さらに深く、容赦なく彼の自尊心を抉り抜いていく。
『もし何も語らずにわたしが失踪したのならば、きっと貴方は納得のいく答えを求めてわたしの所在を探ろうと躍起になったことでしょう。
また、本心を告げずに曖昧な表現で筆を残しても同じく、貴族としての財力を賭して捜索されていたことでしょう。
それらはお互いに本意ではなく、ただ徒労するだけです。
だから誤解を招く余地がないように、わたしは貴方に絶縁宣言を叩きつけることにいたしました。』
フランクの視界が不意に歪む。愛の語らいだと思っていた時間は、彼女にとっては「効率的な集金作業」でしかなかった。
彼は「愛される伯爵」を演じていたつもりで、実際は「都合の良い財布」として踊らされていたに過ぎない。
『まずもって貴方は現在の奥方と離婚後、果たしてしがない売女であるわたしのことを、本当に貴族の後妻として迎え入れるつもりなのでしょうか。
もしそうであるのなら、信用が置けません。
娼館とは、娼婦とは、あくまで余裕のある殿方の火遊びの延長線上にあるもの。
だというのにそこの取るに足らない人間に入れ込み、あまつさえ分不相応の地位を与えようとするのなら、その後のお家騒動は必至。』
モンモランシーの筆致は、どこまでも冷徹だった。彼女は、フランクが思っている以上に「自分の立場」を理解し、そして「フランクという男の底の浅さ」を見抜いていた。
『加えて、もし仮に本当に後妻の地位に収まったとしても、一度妻を裏切り、若い女に走った男が果たしてもう一度同じことをしないと、誰が保証できるのでしょうね。
少なくともわたしにはこれまでのやり取りの中で、ついぞ貴方に誠実さを見いだすことは叶いませんでした。』
「誠実さ、だと……? 僕は、お前のために、家も、妻も……!」
と叫びたかったが、声にならない。手紙を読み進めるほどに、自分がどれだけ滑稽で、愚かで、無価値な男であったかを突きつけられる。かつてイザベラを「出来損ない」と罵ったその口が、今は屈辱に震えている。
『ですからお互い後腐れなく関係を終わらせる方法として、今回の策を用いることにいたしました。
きっと貴方には恨まれると思います、憎まれると思います。けれどもやはり、こうすることが最善の手だと勝手ながらわたしは信じております。
ですからどうか、もはやこの世に存在しないモンモランシーのことは、男に都合のいい泡沫の夢であったとお思いください。
それだけが、わたしが貴方に最後に望む、たった一つの願いなのですから』
手紙を読み終えたフランクの膝から、カクンと力が抜けた。
あの女、モンモランシーは、フランクが自分を追ってこないように、あえて「嫌悪」と「侮蔑」という最も効果的な毒を文面に込めたのだ。
彼はすべてを失った。自分から捨てた妻。そして、自分を捨てた愛人。
手元に残ったのは、愛など一片も存在しなかったことを証明する、冷え切った紙切れ一枚だけ。
「……ひ、っく、う、う、うおっ、うおおおおおおおおおおん」
人目も憚らず、店内に大きく響く声で、ただ馬鹿な男の無様な慟哭だけが、いつまでも、いつまでも響き渡っていた。
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