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聖女と救世主

もう一つの暗闇の先 1

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「ぁぁぁぁぁぁぁぁ、あうっ!?」

 無理やり引っ張りこまれ、そのまま適当に放り捨てられたクルスは、その勢いのままに強かに背中を打ち付ける。
 その途中に、クルスは扉が閉められカギを掛けられる音を聞いていた。

「おい、大丈夫か?」

 その扉からは、激しく叩きつける音が響いてきており、ここに来るのが一歩遅れていれば危なかった事実を伝えている。
 それはクルスをこの部屋に引き込んでくれた人物が、彼を助けてくれたことを示している。
 事実、その人物である灰色の髪をした屈強な男は、クルスを心配するように手を差し出していた。

「げほっ、げほっ、げほっ!!は、はい・・・だ、大丈夫です」
「そっか、ならよかった。ったく、馬鹿だねあんた。こんな所にまで足を踏み入れちゃって、こういう所は危ないって母ちゃんに教わらなかったのかい?」

 背中を打った衝撃に激しく咳き込んだクルスは、何とかその手を取ると立ち上がる。
 クルスがどうにか自力で立てている様子を目にした男は、軽く安堵するように頷くと彼に諭すように語りかけてきていた。

「っ!え、えっと、それは・・・あははは」

 母親の話題が出た瞬間に、僅かに頭に鈍い痛みが奔った。
 それとは関係なしに、過去の記憶を失ってしまっているクルスには男の質問に答える術はない。
 そのため彼は、誤魔化すように言葉を濁し、適当に笑って見せるしかなかった。

「ま、別にいいけどよ。こっちも他人の事は言えねぇしな・・・おっと奴さん、今日もご機嫌にキマってんなぁ」

 クルスのその不自然な反応に、男は目を細くしては疑いの視線を向けていたが、やがて嘆息を漏らして適当に流していた。
 彼はそれ以上の追及は面倒臭いと、雑な手つきで頭を掻いている。
 その後ろでは、アドルフが激しく扉を叩きつけながら、何やら訳の分からない言葉を叫んでいた。

「ま、どっか行くなり、適当に休むなり、好きにしてくれや。俺も適当にしてっからよ。えーっと・・・」
「あ、クルス・ジュウジーです。その、助けてくれて、ありがとうございました」

 激しく暴れる扉から退散するように軽い調子で離れた男は、同じような軽さでクルスにも声を掛けている。
 その最後に男が言葉に詰まってしまったのを見て、クルスはすぐに自ら名前を名乗る。
 それはこの建物が何であるかを考えれば危険なことかもしれなかったが、自らを助けてくれた男に対して、クルスは余り警戒心を抱いていなかった。

「ま、気にすんなって。あぁ、俺はチェスター・ウィンストンっつう、まぁ・・・しがない、解体業者ってところか?」

 助けてくれたことに礼を述べるクルスに、男は軽く受け流してそのままどこかへ行こうとしている。
 しかし流石にそれでは不味いと思い直したのか立ち止まった男は、自らをチェスターと名乗っていた。

「・・・ん、クルスだって?へぇ、じゃああんたがあの?ふぅ~ん・・・」
「な、何ですか!?」

 名乗りも終えてそのまま立ち去ろうとしていたチェスターはしかし、その途中に目の前の人物がただの通りすがりの誰かさんではないと気づいていた。
 振り返り、乱暴な足取りで近づいてくるチェスターは、上から見下ろすようにしてクルスの事を観察している。
 それは圧力を感じさせる距離感であり、それに今更危険を感じたクルスが声を上げても、それはもう遅い。
 チェスターはまるで逃げ道を塞ぐかのように、クルスの周りをグルグルと回っていたのだから。

「・・・いや、全然普通じゃん!何だよ、期待して損したぜ」

 奔った緊張に、何かが破裂するような衝撃音が響く。
 それはチェスターが、クルスの背中を乱暴に叩いた音であった。
 クルスを一通り観察して満足したのか、チェスターはそのまま部屋の奥へと去っていく。

「えふっ、えふっ・・・!な、何をしてるんですか、チェスターさん?」

 叩かれた強い衝撃に軽く咳き込んでいたクルスは、何となくチェスターの後ろを追い、彼が向かっていった部屋の奥へと足を運んでいた。
 そこは暗く、空気が淀んでいるように感じる。

「あー?別に大したことじゃねーよ、趣味っつうか、遊びっつうか・・・まぁ、そんな感じの奴さ。あぁ、何ならやってみるか?」
「えっ?あ、あの・・・」

 何かの作業の途中だったのか、クルスに声を掛けられたチェスターは、心底面倒臭そうに振り返っている。
 彼は尋ねられた事に何とか答えようと試行錯誤するが、どうやらうまく言葉が出てこないようで、やがて諦めると実際に触って確かめさせようとクルスの手を取っていた。

「ほら、こいつを手に取るんだ」
「これを・・・?ひっ!?」

 立ち上がったチェスターは、今やクルスの背後へと回っている。
 そうして完全逃げ場を塞いだ彼は、クルスにあるものを握らせていた。
 それはまさに今、付着したばかりという血痕がべったりついたナイフであった。

「そいつを、そこに刺すんだ。分かるか?あそこだぞ、あそこ。間違えるなよ?外すと、苦しませちまうからなー」
「チェ、チェスターさん!?あ、あれ・・・!?」
「あぁ?心配すんなって、死んではいないから。俺は得意なんだよ、そういうの・・・何て言うの?生かさず殺さずって奴?なんたって、大勢殺ってきたからな。はははっ」

 チェスターの口調は、相変わらず優しく気安い。
 しかしその口調で指し示しているのが、もはや虫の息の人であるならば、それは恐怖にもなる。
 戸惑うクルスに、チェスターは彼に握らせたナイフをそれへと差し向けようとしている。
 その腕は強く、とてもではないが抗えそうもない。

「そーら、もう刺さるぞー。楽しい楽しい、殺人の時間だ。いやー、何べんやってもこの瞬間が一番興奮するなー。なんつーの、他人の全てを奪う全能感って奴?ま、学がねぇからうまく言えねぇんだけど・・・とにかく最高だからさ。ほら、お前もやってみろって」

 強い力で掴まれたクルスの腕は、ゆっくりとだが確実な速度でその刃先を目標へと近づけている。
 迫る刃先に、その瞬間はもう間近だろう。
 淡々とした、どこか他人事のようなチェスターの口調も、その瞬間が近づくにつれ僅かに熱を帯び始めており、近く耳元で囁く彼にその鼻息が頬へと掛かっていた。

「い、嫌だ!!僕はやらない、やらないからな!!」
「何だよー、つれないこと言うなよなー。大丈夫だって、こういうのは食わず嫌いだから。一遍やりさえすれば、皆嵌まってくんだよ。だから―――」

 頭を動かす抵抗すら、押し付けられた身体に動きが制限されてしまっている。
 それでも必死に抗おうとするクルスの抵抗は、チェスターにとっては問題にもならない。
 しかしそんなクルスの反応に、彼はとても残念そうにしょげた様子を見せている。
 しかしそれも、じきに終わる。

「―――な、楽しいだろ?」

 何故なら、そのナイフはもう被害者に刺さってしまったのだから。

「あぁ・・・ああぁぁぁ・・・ああああぁぁぁぁああぁあぁあっぁぁぁっ!!?」

 始めから虫の息だった被害者に、特段大きな変化はない。
 しかしそれでも、何かが、決定的な何かが流れて消えていくような、そんな感触はあった。
 そんな感触を、感じてしまったのだ。

「はははっ、そうかそうか楽しかったか!!分かってくれて、俺も嬉しいよ!!」

 人をこの手で殺めてしまった、その絶望に打ちひしがれ悲鳴を上げるクルスの姿に、チェスターは両手を叩くと、嬉しそうに笑い声を上げる。
 そうして一頻り満足いくまでその両手を叩いたチェスターは、まるで親しい友人にするようにクルスと肩を組む。

「―――これでお仲間って訳だ。な、人殺し」

 そして彼は囁いた、これでお前も同類だと。

「ち、違う!!僕は・・・僕は、お前に無理矢理―――」

 それを受け入れる事は、クルスには出来ない。
 彼はようやく解放された両手を振りかざして、それを否定しようとする。
 その返り血で濡れた、両手を振りかざして。
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