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三月の桜を待ちながら
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仮設住宅の角部屋。
鉄骨の壁に、翔太が自分で描いた「おうちの絵」が貼られていた。
窓の外には、まだ芽吹かない桜の枝。
でも、少しずつ風が温かくなっていた。
恵子はガスコンロの前で湯を沸かしながら、翔太の朝の様子を見ていた。
「ねえママ、もうランドセルって買っていいの?」
「えっ?」
「春から、4年生になるやろ。ボクの、前の、燃えちゃったから……」
恵子はお湯を注ぐ手を止めた。
震災から1か月以上経って、初めて「前に進む準備」を子どもから告げられた気がした。
「……そうやね。買おっか、ランドセル。今度は青いやつ?」
翔太は笑った。
「うん。でも今度は、燃えへんとこに置くで」
慎吾は、あの日のまま残された焼け跡に再び立っていた。
手には、ボランティア仲間がくれたスケッチブック。
彼は、焼け落ちた自宅の外観を、記憶だけを頼りに描いていた。
「ここが、勝手口やった……
ここに、お母さんが好きやった植木鉢があって……」
背後から、奈々の声が聞こえた。
「それ、描いてるの? お母さんのことも?」
慎吾は驚いたように振り返る。
「……記者さん、何でここに?」
「きっと、あなたが戻ってくると思ったから」
しばし沈黙。
慎吾はスケッチブックを見せた。
「ここが、俺の“証拠”や。もう戻れへんけど、ここに住んどったって、忘れたくない」
奈々は、その絵を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「わたし、あんたの絵も“記事”にしたい。
文字じゃ書けへん想いが、ちゃんと伝わる気がする」
慎吾は初めて、少しだけ笑った。
「……そんなんで、誰かが救われるんやったら、やって」
その日の夕方。奈々は遺族会の集まりに参加していた。
神戸市が開いた小さな会議室。壁に「1.17をわすれないために」の文字。
ある初老の女性が言った。
「私、あの日、息子をひとりで死なせたんです。
あの子の名前は新聞にものらなかった。
何百人のうちの一人として、もう“数字”なんですよ」
奈々は静かに、その言葉を胸に刻んだ。
震災後初めて、目の前で“記者”ではなく、“人”として涙をこぼした。
「……すみません。私は、数字でしか語れなかったかもしれません。
でも、これからは違います。
お名前を、ちゃんと残します。声として。」
会場の空気が少し変わった。
“新聞記者”が涙を見せたことに、誰かが心を許したように。
仮設住宅の夜。
翔太は、ランドセルの代わりに、支援でもらったノートに**“3月のにっき”**を書いていた。
「きょうは、またキャンドルつけた。
ひがしの家のおばあちゃんが、“春はくるよ”って言ってた。」
「しんごくんと話した。ママと笑った。
おうちは、にばんめ。
でもボクの“ともだち”は、いちばんの宝ものです。」
ノートの一番下に、小さく名前を書いた。
「ともだち:しんご、なおき、かなえちゃん、ななさん、ママ」
夜風が、ページをそっとめくった。
鉄骨の壁に、翔太が自分で描いた「おうちの絵」が貼られていた。
窓の外には、まだ芽吹かない桜の枝。
でも、少しずつ風が温かくなっていた。
恵子はガスコンロの前で湯を沸かしながら、翔太の朝の様子を見ていた。
「ねえママ、もうランドセルって買っていいの?」
「えっ?」
「春から、4年生になるやろ。ボクの、前の、燃えちゃったから……」
恵子はお湯を注ぐ手を止めた。
震災から1か月以上経って、初めて「前に進む準備」を子どもから告げられた気がした。
「……そうやね。買おっか、ランドセル。今度は青いやつ?」
翔太は笑った。
「うん。でも今度は、燃えへんとこに置くで」
慎吾は、あの日のまま残された焼け跡に再び立っていた。
手には、ボランティア仲間がくれたスケッチブック。
彼は、焼け落ちた自宅の外観を、記憶だけを頼りに描いていた。
「ここが、勝手口やった……
ここに、お母さんが好きやった植木鉢があって……」
背後から、奈々の声が聞こえた。
「それ、描いてるの? お母さんのことも?」
慎吾は驚いたように振り返る。
「……記者さん、何でここに?」
「きっと、あなたが戻ってくると思ったから」
しばし沈黙。
慎吾はスケッチブックを見せた。
「ここが、俺の“証拠”や。もう戻れへんけど、ここに住んどったって、忘れたくない」
奈々は、その絵を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「わたし、あんたの絵も“記事”にしたい。
文字じゃ書けへん想いが、ちゃんと伝わる気がする」
慎吾は初めて、少しだけ笑った。
「……そんなんで、誰かが救われるんやったら、やって」
その日の夕方。奈々は遺族会の集まりに参加していた。
神戸市が開いた小さな会議室。壁に「1.17をわすれないために」の文字。
ある初老の女性が言った。
「私、あの日、息子をひとりで死なせたんです。
あの子の名前は新聞にものらなかった。
何百人のうちの一人として、もう“数字”なんですよ」
奈々は静かに、その言葉を胸に刻んだ。
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「……すみません。私は、数字でしか語れなかったかもしれません。
でも、これからは違います。
お名前を、ちゃんと残します。声として。」
会場の空気が少し変わった。
“新聞記者”が涙を見せたことに、誰かが心を許したように。
仮設住宅の夜。
翔太は、ランドセルの代わりに、支援でもらったノートに**“3月のにっき”**を書いていた。
「きょうは、またキャンドルつけた。
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「しんごくんと話した。ママと笑った。
おうちは、にばんめ。
でもボクの“ともだち”は、いちばんの宝ものです。」
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