能登半島地震

早川座水

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四月の始まりに

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四月五日。
仮設住宅の小さな一室、翔太は新品の青いランドセルを背負い、鏡の前でポーズを決めていた。

「……うん、カッコええ」

恵子は涙をこらえながら、その姿をカメラにおさめた。
まるで“最初の家族写真”を撮るように。

「翔ちゃん、緊張してる?」

「ううん。……でも、“いちばんうしろ”の席やったらちょっとイヤかも」

「それなら、友だちができたらいいね」

翔太は頷いた。そして、ドアを開けて走り出す。

玄関に貼られたカレンダーには、**「入学・始業式」**と赤ペンで丸がつけられていた。

春の空気が、あの日よりも明るく感じられた。

同じ日。奈々は市役所の会議室で行われる「震災復興フォーラム」の取材に来ていた。
だが、今日の彼女は“記録する側”ではなかった。

主催者のひとりが奈々に言う。

「木下さん。新聞の連載、とても反響がありました。
今日の最後に、“被災地からのことば”として、あなたの寄稿を朗読させてください」

奈々は戸惑った。

「私の言葉じゃなくて……あの人たちの声をまとめただけです」

「でも、それがなかったら、誰にも届かなかったんです」

会場には、以前遺族会で出会った女性の姿もあった。
そっと頷きながら、目が合った。

奈々は、メモ帳の最終ページをめくった。

午後。慎吾は、足を止めていた。

「神戸市立西中学校」
——彼の母校。震災後、避難所になっていたが、今はふたたび“学び舎”として機能し始めていた。

「中退してても、入れるんかな……」

炊き出し仲間の青年が言った言葉が、頭をよぎる。

「オレらの町、もう一度つくるためにはさ、
俺たちが“ちゃんと生きる”ってのが一番の復興なんちゃう?」

慎吾はポケットから、小夜子(母)の指輪を取り出した。
親がくれたもの。もう、届ける相手はないけれど、自分の中にずっとある。

「……よし」

ゆっくりと、校門をくぐった。

その夕方。避難所で行われた“春のお別れ会”に、翔太と恵子、奈々、そして慎吾が偶然揃った。

みんな、何かを「卒業」する日だった。

翔太が慎吾を見つけて走り寄る。

「しんごくん! ボク、今日ランドセルしょったで!」

「うん、似合ってたわ。……見に行ってへんけど、わかった」

恵子と奈々も、目を合わせて小さく笑った。

奈々が慎吾に訊いた。

「進学、決めたんやって?」

「まぁ、名前だけでも残しとこうかなって。
家も、家族も残せへんかったけど……“西本慎吾”っていう名前だけでもな」

翔太が言う。

「じゃあボクも“西本翔太”って書くわ、友だちのとこに」

「それは、やめとこか」

みんなが、笑った。

春の風が、広場の桜の枝を揺らす。
つぼみがふくらみ、小さく開きはじめていた。

「わたしたちは、ここにいます。」

瓦礫の下で、名前を呼ぶ声があった。
火の中で、誰かの背中を押した手があった。
泣きながら灯を配る子どもたちがいた。

家がなくても、家族がいなくても。
言葉があれば、つながれる。
声を上げる限り、町は死なない。

わたしたちは、ここにいます。
生きて、呼び合っています。

読み終えたあと、会場には深い静寂が訪れ、
やがて、ひとり、ふたりと拍手が起こった。

奈々は、その中でゆっくり目を閉じた。
震災は終わらない。でも、物語はつづいていく。

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