10 / 12
四月の始まりに
しおりを挟む
四月五日。
仮設住宅の小さな一室、翔太は新品の青いランドセルを背負い、鏡の前でポーズを決めていた。
「……うん、カッコええ」
恵子は涙をこらえながら、その姿をカメラにおさめた。
まるで“最初の家族写真”を撮るように。
「翔ちゃん、緊張してる?」
「ううん。……でも、“いちばんうしろ”の席やったらちょっとイヤかも」
「それなら、友だちができたらいいね」
翔太は頷いた。そして、ドアを開けて走り出す。
玄関に貼られたカレンダーには、**「入学・始業式」**と赤ペンで丸がつけられていた。
春の空気が、あの日よりも明るく感じられた。
同じ日。奈々は市役所の会議室で行われる「震災復興フォーラム」の取材に来ていた。
だが、今日の彼女は“記録する側”ではなかった。
主催者のひとりが奈々に言う。
「木下さん。新聞の連載、とても反響がありました。
今日の最後に、“被災地からのことば”として、あなたの寄稿を朗読させてください」
奈々は戸惑った。
「私の言葉じゃなくて……あの人たちの声をまとめただけです」
「でも、それがなかったら、誰にも届かなかったんです」
会場には、以前遺族会で出会った女性の姿もあった。
そっと頷きながら、目が合った。
奈々は、メモ帳の最終ページをめくった。
午後。慎吾は、足を止めていた。
「神戸市立西中学校」
——彼の母校。震災後、避難所になっていたが、今はふたたび“学び舎”として機能し始めていた。
「中退してても、入れるんかな……」
炊き出し仲間の青年が言った言葉が、頭をよぎる。
「オレらの町、もう一度つくるためにはさ、
俺たちが“ちゃんと生きる”ってのが一番の復興なんちゃう?」
慎吾はポケットから、小夜子(母)の指輪を取り出した。
親がくれたもの。もう、届ける相手はないけれど、自分の中にずっとある。
「……よし」
ゆっくりと、校門をくぐった。
その夕方。避難所で行われた“春のお別れ会”に、翔太と恵子、奈々、そして慎吾が偶然揃った。
みんな、何かを「卒業」する日だった。
翔太が慎吾を見つけて走り寄る。
「しんごくん! ボク、今日ランドセルしょったで!」
「うん、似合ってたわ。……見に行ってへんけど、わかった」
恵子と奈々も、目を合わせて小さく笑った。
奈々が慎吾に訊いた。
「進学、決めたんやって?」
「まぁ、名前だけでも残しとこうかなって。
家も、家族も残せへんかったけど……“西本慎吾”っていう名前だけでもな」
翔太が言う。
「じゃあボクも“西本翔太”って書くわ、友だちのとこに」
「それは、やめとこか」
みんなが、笑った。
春の風が、広場の桜の枝を揺らす。
つぼみがふくらみ、小さく開きはじめていた。
「わたしたちは、ここにいます。」
瓦礫の下で、名前を呼ぶ声があった。
火の中で、誰かの背中を押した手があった。
泣きながら灯を配る子どもたちがいた。
家がなくても、家族がいなくても。
言葉があれば、つながれる。
声を上げる限り、町は死なない。
わたしたちは、ここにいます。
生きて、呼び合っています。
読み終えたあと、会場には深い静寂が訪れ、
やがて、ひとり、ふたりと拍手が起こった。
奈々は、その中でゆっくり目を閉じた。
震災は終わらない。でも、物語はつづいていく。
仮設住宅の小さな一室、翔太は新品の青いランドセルを背負い、鏡の前でポーズを決めていた。
「……うん、カッコええ」
恵子は涙をこらえながら、その姿をカメラにおさめた。
まるで“最初の家族写真”を撮るように。
「翔ちゃん、緊張してる?」
「ううん。……でも、“いちばんうしろ”の席やったらちょっとイヤかも」
「それなら、友だちができたらいいね」
翔太は頷いた。そして、ドアを開けて走り出す。
玄関に貼られたカレンダーには、**「入学・始業式」**と赤ペンで丸がつけられていた。
春の空気が、あの日よりも明るく感じられた。
同じ日。奈々は市役所の会議室で行われる「震災復興フォーラム」の取材に来ていた。
だが、今日の彼女は“記録する側”ではなかった。
主催者のひとりが奈々に言う。
「木下さん。新聞の連載、とても反響がありました。
今日の最後に、“被災地からのことば”として、あなたの寄稿を朗読させてください」
奈々は戸惑った。
「私の言葉じゃなくて……あの人たちの声をまとめただけです」
「でも、それがなかったら、誰にも届かなかったんです」
会場には、以前遺族会で出会った女性の姿もあった。
そっと頷きながら、目が合った。
奈々は、メモ帳の最終ページをめくった。
午後。慎吾は、足を止めていた。
「神戸市立西中学校」
——彼の母校。震災後、避難所になっていたが、今はふたたび“学び舎”として機能し始めていた。
「中退してても、入れるんかな……」
炊き出し仲間の青年が言った言葉が、頭をよぎる。
「オレらの町、もう一度つくるためにはさ、
俺たちが“ちゃんと生きる”ってのが一番の復興なんちゃう?」
慎吾はポケットから、小夜子(母)の指輪を取り出した。
親がくれたもの。もう、届ける相手はないけれど、自分の中にずっとある。
「……よし」
ゆっくりと、校門をくぐった。
その夕方。避難所で行われた“春のお別れ会”に、翔太と恵子、奈々、そして慎吾が偶然揃った。
みんな、何かを「卒業」する日だった。
翔太が慎吾を見つけて走り寄る。
「しんごくん! ボク、今日ランドセルしょったで!」
「うん、似合ってたわ。……見に行ってへんけど、わかった」
恵子と奈々も、目を合わせて小さく笑った。
奈々が慎吾に訊いた。
「進学、決めたんやって?」
「まぁ、名前だけでも残しとこうかなって。
家も、家族も残せへんかったけど……“西本慎吾”っていう名前だけでもな」
翔太が言う。
「じゃあボクも“西本翔太”って書くわ、友だちのとこに」
「それは、やめとこか」
みんなが、笑った。
春の風が、広場の桜の枝を揺らす。
つぼみがふくらみ、小さく開きはじめていた。
「わたしたちは、ここにいます。」
瓦礫の下で、名前を呼ぶ声があった。
火の中で、誰かの背中を押した手があった。
泣きながら灯を配る子どもたちがいた。
家がなくても、家族がいなくても。
言葉があれば、つながれる。
声を上げる限り、町は死なない。
わたしたちは、ここにいます。
生きて、呼び合っています。
読み終えたあと、会場には深い静寂が訪れ、
やがて、ひとり、ふたりと拍手が起こった。
奈々は、その中でゆっくり目を閉じた。
震災は終わらない。でも、物語はつづいていく。
10
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる