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四章 アルバイト編

56話 希望

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 アルバはクレアが話をしている時、微かに人の気配を感じた。彼の相槌が無くなった事に、クレアが疑問を抱き緊張で押し黙る。
 カレンが戻って来たかと思った彼は、心の何処かで観念した様に笑ったが、現れたのは予想もしていなかった人物だった。

「アルバ様……?」

 小さな声だった。

 洞窟の奥の方、暗闇の中から1人の少年が鉱石の光の下に浮き出る。彼はアルバを見て、その大きな目を瞬かせ見開いた。

「アルバ様ッ!?」

『、メルじゃないか…』

「だ、誰ですかこの子…」

 突然現れた巻角の少年に、クレアは驚いている。メルディンはアルバに素早く駆け寄り、鉄格子をガシャリと掴んだ。

「その血は…一体、如何したの、です!?」

『はは、大丈夫だよ。それよりメルはどうして』

「アルバ様に、訓練して…頂けると聞いて、少し早かった、ですが騎士が使ってるアジトに行ったです!そしたら微かに血の匂いがして…辿ったら此処に」

 メルディンに訓練を付けるなど初耳なアルバは、リリアスに頼んだ伝言を再度思い出そうとした。

 余程動揺しているのか彼は、普段アルバにだけは正しい敬語を使おうと必死だが今に限っては早く口を動かす。

 アルバに思い当たるとするなら、討伐大会の翌日にメルディンと出掛ける約束をしていた。それが如何して訓練を施す事になったのか、幾ら考えても答えが出ない。

「これは如何言う訓練、です?血の匂いが、アルバ様からも…」

『心配ないよ、これは僕の血じゃない』

 アルバは情け無い顔でへにゃ、と笑った。クレアにも見せた腕をメルディンにも見せるが、彼は訝る様に鉄格子越しに匂いを嗅いでいる。

『メルにお願いがあるんだけど』

「!!、何なりと、お申し付け…下さい」

 姿勢を正す巻角の少年は頭を垂れた。

『僕が此処から連れ出されたら、直ぐ彼女とラーク先輩を連れて洞窟を出て欲しい。安全な所まで送ってあげて』

「……でしたらアルバ様を先に」

『僕は後で良いよ。僕が脱出したと分からない方が彼女達が安全に出れると思うんだ』

「し、しかし…!」

 メルディンは主人に嵌められた魔力封じの指輪に目をやる。

「ゆる、許せないです…!こんな指輪の枷をして、至高の御身を捕らえる、など…」

 ザワ、とクレアは産毛が逆立つ様な気がした。少年から発される異様な空気に悪寒が走る。

「…はぁ、はぁ…、アルバ様それは命令、です?」

『命令と言うか、お願いかな?』

「その…言い方はズルい、です…」

 メルディンはアルバの言葉に従順に従うべきか迷っていた。気高い存在を、こんな薄汚れた地下牢に幽閉しておくなど本来あってはならない。

『……これは訓練だよ、メル』

 訓練を課せられると誤解していたメルディンに、そう言う事にしたままの方が良いと判断したアルバは顔を伏せたままの彼の頭を優しく撫でた。

 迷っていたメルディンにとって残酷な言葉だった。全て主人の掌の上だと言う事は分かっている。分かっているが、アルバの憔悴した顔を目の当たりにして判断能力が鈍っていた。

 目を瞑ったメルディンは爪が食い込む程に硬く拳を作る。

『頼りにしてるよ』

「アルバ様の、お望みのままに」

 2人の遣り取りを鉄格子に張り付いて聞いていたクレアは、「アルバ…?それにメル…」と呟く。
 明らかに侍従関係が漂う彼らに当て嵌まる名前を彼女は知っていた。知らない訳がなかった。

『メル、もう直ぐ女の人が此処に来るんだ。やり過ごせるかい?』

「…一度少し、此処から…離れ、ます」

『分かった。音を立てない様に鉄格子を開けれる?極力僕も時間を稼ぐけど、場合によっては長くはもたないかもしれない』

「オリハルコン製の檻など、捻じ曲げてやり、ます!」

 頼もしいメルディンの言葉に安心する。

『そろそろ時間かな?じゃぁメル、彼女達を頼むね』

「…畏まり、ました」

 彼は名残惜しそうにアルバから離れ、再び闇に溶けた。気配を完全に絶ったのか、もう何も感じ取る事は出来ない。

『クレア先輩、聞いていたね?もう直ぐメルが此処から出してくれる。後少しの辛抱だよ』

「し、シロさんも一緒に…っ」

『僕は残るよ。皆で逃げたら必ず追手が来るだろうし、リスクは減らさないとね』

 コツコツと、ヒールの音が響いて来た。アルバの顔色は此処へ入れられた時より格段に良くなっている。
 暗闇に一筋の光が見えた気がして、この後この身に起こるであろうどんな残虐な仕打ちにも耐えられる気がした。






























「放ったらかしにしてごめんなさいね?ちょっと趣向を広げてみようかと思ったの」

 再びあの部屋の椅子に拘束されたアルバに、カレンはゆっくりと近付く。その手には刺突武器が握られていた。

 シャワーでも浴びて来たのか、石鹸の匂いが鼻を掠める。彼女の着ていたドレスも細かな所が変わっていたが、相変わらず胸元は広く開いて毒々しい蜘蛛が此方を見ていた。

「これ…炎属性の魔法が付与されているのよ」

『…へぇ』

「痛いと熱いが同時に味わえるの。素敵な武器でしょう?」

 そう言った彼女はアルバの手の甲へ、尖った刃先を突き立てる。

『…っ…くッ、…』

 骨をズラし肉を押し抜けゆっくりと貫通した。(ダメだ…)声を出せば、メルディンが心配して此方に来てしまうかもしれない。
 ただ自分に出来る事はただ只管声を抑えて耐え忍び、クレアとラークの無事を祈る事だけだ。

 湿った息を吐いたカレンが取手の部分を回すと、抉られる痛みと共に炎が燃え上がった。

『ッ!…   、っっ』 

「嗚呼、唇を噛んじゃダメよォ。切れてしまうわ」

 カレンはアルバの唇に人差し指を押し付け、形をなぞる。

「痛かった?熱かったかしら?」

『…は、…はぁッ はぁ、…どっちもだね』

 掌には風穴が空いていた。炎で焼けて止血されたのか、血はあまり出ていない。

「シロくん私ね、小さい頃から何かを作るより壊す方が楽しかったのよ」

 カレンはアルバの反対の手を撫でながら、刺突武器をチラつかせぼんやりと話し始めた。

「積み木も積むより壊す方が得意だった…。友達の作った砂のお城を壊して泣かした事もあったわ」

『…嫌われちゃいそうだ』

「ふふ、そうね…。でもある時、暴漢に襲われた事があったの」

『… ッ …、』

 昔話をしながらカレンは器用に、アルバの爪を1枚1枚剥がしていく。

 逃げて、追い詰められて、押さえ込まれた時に偶然手元にあった石礫で暴漢を殴った。その鈍い感触と、男の悲痛な悲鳴が耳に付いて忘れられなかったと。
 無我夢中で殴り続け、気付いた時には暴漢は息絶えて、周りは血の海になっていた。
 その時彼女が感じたのは、相手を屈服させ支配した様な充実感と快感だった。

「それから国を渡って、連邦で技を磨いて…色々したけどやっぱりこうしてる時が1番生きてる感じがするわ」

『…ぐッ…、っア…、』

「嗚呼、良い声だわ…!あは!…ッはぁ、はぁ、何だかいけない事をしている気分になるわ…素敵」

 頬を赤くしてアルバの腕の上に座った彼女は、彼の眼鏡を外す。
 覗き込まれたアルバは思わず目を逸らしたが、カレンが彼の頬に迸った血を舌で舐め取った。

「シロくんの瞳は不思議ね。金色に輝く、まるで宝石みたいだわ」

 アルバの瞳の色は魔法で黄色に見える様にしている。しかし、緻密なカットを施された巧緻な宝石の様に見える光沢は変わっていない。

「綺麗な瞳だわ。嗚呼、とても欲しい…!良いわよね?」

 強請る様に言うが、拒否出来ない事を彼は知っている。

 唇を舐めたカレンの指から眼鏡が捨てられ、足元で嫌な音がした。



































 アルバがカレンと共に出て行った後、地下牢は異様な静けさに包まれていた。

 クレアは少年が何処かに潜んでいるのかと気が気じゃ無く、周囲を注意深く見ている。
 メルディンが消えた暗闇に目を凝らしていると、直ぐ近くで鉄が歪む音がして驚いて振り向いた。

 先程まで居なかった筈の巻角の少年がクレアの入れられた牢の鉄格子を素手で捻り隙間を作っている。

「さっさと出て来るです」

「あ、は…はい!有り難う御座いますっ!」

 メルディンは眉間に皺を刻みながらその隣の牢屋の格子も歪めた。寝ているラークの腕を派手に蹴飛ばし、彼を起こす。

「ひ、ひぃッ!?」

 飛び起きたラークはパニックになり、次は遂に自分の番かと青冷めていた。見知らぬ小さな少年を見上げ、意味が分からず呆気に取られた彼に、クレアが説明をする。
 助けが来た事に安堵の表情を浮かべたラークは、「し、シロは?」とアルバの安否を確認した。

「お前達がもたもたしてると、アルバ様にご迷惑が掛かるです!さっさとこっちに来いです!」

 不機嫌そうなメルディンに急かされ、クレアとラークは彼に続く。

「だ、誰なんだ?」

 ラークの質問を当然の如くメルディンが無視したので、クレアが小声ですかさずフォローを入れた。

「五天王の、メルディン・オバーグラスト様です」

「な、何!?ブルクハルトの【粗暴羊ブルートゥル・シープ】だと?こんな、…子供が…」

 他国から来たラークは、五天王の面子の顔を見た事が無かったが、噂は嫌と言う程聞いていた。【粗暴羊】は種族名と異名の通りの人物だと聞く。
 此処は大人しく彼に従った方が身の為だ。そして国が誇る団長に擁護された事により、些か心に余裕が生まれてホッとした様に笑った。

「いやぁ、王陛下に感謝だな。こんな国の精鋭を、救出に向かわせて下さるなんて…」

「……、」

 クレアは先程目の当たりにした、信じられない光景を彼に告げるか迷った。

「アルバラード様は神算鬼謀だと聞いた事がある。ダチュラの思惑に勘付き、此処に竜騎士を送っていたらしいしな」

「おい、アルバ様の御尊名をお前などが気安く口にするなです」

 我慢ならないと言った様子のメルディンの目があまりに冷たく、ラークは口を噤んだ。
 クレアはアルバの前での彼と、今の彼の違いに少々狼狽ている。

「そもそも、お前達などアルバ様のご命令でなければ僕は助けないです」

「はは…」

 あまりの言い様にクレアは笑う事しか出来なかった。余程気が急いているのか、メルディンはブツブツ言いながら早足で進んで行く。

 鉱石が照らす洞窟の道を迷う事無く淡々と進んでいた巻角の少年の足が開けた場所で初めて止まった。後ろに続いていたラークが止まり、その後ろのクレアが彼の背中にぶつかる。

「一体…」

 打ち付けた額を抑えて小声で何事かと不満を漏らすが、前方の景色に沈黙した。青い髪の長髪の男と、五天王の少年が対峙している。

「おやおや、これはこれは」

 態とらしく言って、読んでいた本をパタンと閉じる男はメルディンを一瞥した。

「魔王を守護する五天王の御仁が如何して此方に?」

「……アルバ様に命じられたからに決まってるです」

「くふふ、成る程。何処までも我々の邪魔をするのですね」

 サイモンは魔力で長剣を生成し、その手に握る。メルディンは黙って身の丈程のハンマーを背負った。

「アルバ様は僕に訓練を付けて下さってるです。その教練の場として選ばれた事を誇りに思うが良いです」

「訓練ですと?このダチュラの幹部を担う私を舐めて貰っては困ります」

 サイモンの顔に苛立ちが、メルディンの顔に嘲笑が生まれる。クレアとラークは石壁に背を押し付けたまま息を殺して見守った。

「僕は急いでるです!邪魔をするならぶっ殺すです!」

「それは此方の台詞ですよ!後ろの2人も纏めて消してあげます!」

 凶悪な表情で互いを牽制し、先に動いたのはメルディンだった。



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