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第一章
乗馬用の短鞭
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屋敷に帰るとカレルが出迎えの挨拶もそこそこに「あの……」と逡巡したように切り出した。
「どうかしたか? ああ、またルカが何かしたのか?」
昨日は食堂で、今日はなんだ?
「いえ、実は息子が」
「ボブか? どうかしたのか?」
「悪気はなかったんです。本人もそう言っています」
歯切れの悪いカレルだ。そこへ、当のボブが姿を見せた。
「ユリウス様。お帰りなさいませ。実は――」
ボブは夕方、馬の世話を終え、乗馬用の短鞭を手に持って廊下を歩いていた。その時ルカと擦れ違った。ボブははじめて会うルカに挨拶をしようと近づいた。ルカはボブの持つ短鞭に顔色を変え、部屋に駆け込んで、そこからいくらリサが呼んでも掛布を被って出てこないのだという。
「鞭で打たれた傷があったからな。鞭が怖いんだろう」
「母にも言われました。すみません、気が利かなくて」
「いや、仕方ないさ」
むしろ何でも怖がるルカを、なんとかしなければならないのだろう。この先一体いくつ怖いものが出てくることか。
ユリウスはルカの寝起きしている部屋に向かった。
「ユリウス様」
ベッドの前で途方に暮れた顔をしたリサがいて、ユリウスの姿を見ると、「うちの馬鹿息子が申し訳ございません」と頭を下げる。
それを片手で制し、ユリウスは「ルカは?」と訊いた。ベッドの上にルカの姿がなかったからだ。
「ベッドの向こう側ですわ、ユリウス様」
リサに言われ、ベッドの向こう側へまわると、床に掛布を被ってこんもり丸くなったものを見つけた。
「おい、ルカ」
声をかけると、盛り上がりがびくりと震えた。
「乗馬用の短鞭に驚いたそうだな。おまえの背中と大腿の傷は、短鞭でやられたのか?」
「ユリウス様。そのようなことをきいては、余計にルカを怖がらせるのでは?」
「一度ちゃんと吐き出したほうがいいだろう。一人で抱えているからつらくなるんだ。ほら、ルカ。顔を見せろ」
しつこいくらいに呼びかけると、ルカがやっと掛布の間から顔を出した。せっかくユリウスを見る目に怯えがなくなってきていたのに、また元通りだ。
ユリウスは掛布をルカから奪い、ベッドに腰掛けるとルカを抱き上げた。また暴れられるかと思ったが、ルカは大人しい。膝の上に座らせ、髪を梳いてやる。しばらくそうして続けていると、ルカが腰を浮かせ、ユリウスの首にぎゅっと抱きついてきた。
***
ユリウスの呼びかけに、ルカは根負けした。
絶対にここから出たくなかったが、ユリウスが何度も何度も呼びかけてくるので、仕方なく顔を出した。目が合うと、掛布を奪われ膝に抱き上げられた。
暴れてやろうかとも思ったが、なぜかそんな気にはなれない。髪を撫でられ、すぐ側にある金糸の髪に触れたくて、自分からユリウスに抱きついた。
ユリウスはルカを宥めながら、短鞭で打たれた経緯を聞き出し、ボブの持っていた短鞭は乗馬用であること、人に使うことは決してないことを繰り返しルカに話した。
「ルカ、おまえ王宮を逃げ出して、隣国に逃亡するつもりだったのか? 何か向こうで伝手はあるのか?」
ルカはユリウスの髪から顔を上げた。
「伝手?」
とにかくこの国から、ライニールとオーラフ宰相の元から逃げることしか考えていなかった。
「逃げたあとのことは考えていなかったようだな」
ユリウスは苦笑しつつも、「まぁそこまで考える余裕はなかったんだろうな……」と呟く。
確かに言われてみれば、隣国に逃げたその先のことは何も考えていなかった。
「逃げるにしても、生計をたてる術を考えておかないと、向こうで飢え死にするぞ。ルカは何か得意なことはあるのか?」
「得意……」
一応読み書きはできる。もっと小さい頃、教師と名乗る男が教えてくれた。あとは、林に自生する植物については詳しい。そんな知識がお金を生むだろうか。
「まぁ、ゆっくり考えるといい。どうせ今は領内を王宮騎士団がうろうろしているしな。ここから隣国に渡ろうと思えば、どうしても川越えのため渡しを利用することになる。おそらくそこも王宮騎士団がおさえているだろう。怪我だって治してからの方がいい。……それにおまえさえよければずっとここにいるという選択肢もある」
「そうですわよ。ここにいたらいいわよ。名案ですわ、ユリウス様」
リサの声に、そういえば部屋にはリサも居たのだったと思い出す。ルカはなぜか急に恥ずかしくなってきて、ユリウスの膝の上からいそいそとおりた。
「ここにずっといなさいよ、ルカ。もともとこの屋敷は人手が足りてないんです。怪我が治ったら色々教えてあげるから、ここで働きましょうよ」
リサはすっかりその気だ。
「私ね、娘が欲しかったのよ。ルカがここにいてくれたら、きっと楽しいわ。街に一緒にお買い物に行ったり、かわいいお洋服を作ったり。ああ、考えただけでもうきうきしちゃう」
「待て待て、リサ。まずはルカの意思を確かめてからだ。それにここにいるとして一つ問題がある。希少種は目立つからな。街には簡単には行けまい」
「そんなの染めるか隠しちゃえば簡単ですわよ」
「なるほど」
ルカだってどうしても別に隣国に行きたかったわけではない。ただ、逃げる手段としてそう思っただけで、ライニールとオーラフの手を逃れられるなら、居場所はどこだっていい。
もし、ここにいられるなら……。
ユリウスがいつも側にいる毎日だ。この金糸の髪を毎日側で見られるなら、それも悪くない。
ルカはじっとユリウスの髪を見つめた。
「どうかしたか? ああ、またルカが何かしたのか?」
昨日は食堂で、今日はなんだ?
「いえ、実は息子が」
「ボブか? どうかしたのか?」
「悪気はなかったんです。本人もそう言っています」
歯切れの悪いカレルだ。そこへ、当のボブが姿を見せた。
「ユリウス様。お帰りなさいませ。実は――」
ボブは夕方、馬の世話を終え、乗馬用の短鞭を手に持って廊下を歩いていた。その時ルカと擦れ違った。ボブははじめて会うルカに挨拶をしようと近づいた。ルカはボブの持つ短鞭に顔色を変え、部屋に駆け込んで、そこからいくらリサが呼んでも掛布を被って出てこないのだという。
「鞭で打たれた傷があったからな。鞭が怖いんだろう」
「母にも言われました。すみません、気が利かなくて」
「いや、仕方ないさ」
むしろ何でも怖がるルカを、なんとかしなければならないのだろう。この先一体いくつ怖いものが出てくることか。
ユリウスはルカの寝起きしている部屋に向かった。
「ユリウス様」
ベッドの前で途方に暮れた顔をしたリサがいて、ユリウスの姿を見ると、「うちの馬鹿息子が申し訳ございません」と頭を下げる。
それを片手で制し、ユリウスは「ルカは?」と訊いた。ベッドの上にルカの姿がなかったからだ。
「ベッドの向こう側ですわ、ユリウス様」
リサに言われ、ベッドの向こう側へまわると、床に掛布を被ってこんもり丸くなったものを見つけた。
「おい、ルカ」
声をかけると、盛り上がりがびくりと震えた。
「乗馬用の短鞭に驚いたそうだな。おまえの背中と大腿の傷は、短鞭でやられたのか?」
「ユリウス様。そのようなことをきいては、余計にルカを怖がらせるのでは?」
「一度ちゃんと吐き出したほうがいいだろう。一人で抱えているからつらくなるんだ。ほら、ルカ。顔を見せろ」
しつこいくらいに呼びかけると、ルカがやっと掛布の間から顔を出した。せっかくユリウスを見る目に怯えがなくなってきていたのに、また元通りだ。
ユリウスは掛布をルカから奪い、ベッドに腰掛けるとルカを抱き上げた。また暴れられるかと思ったが、ルカは大人しい。膝の上に座らせ、髪を梳いてやる。しばらくそうして続けていると、ルカが腰を浮かせ、ユリウスの首にぎゅっと抱きついてきた。
***
ユリウスの呼びかけに、ルカは根負けした。
絶対にここから出たくなかったが、ユリウスが何度も何度も呼びかけてくるので、仕方なく顔を出した。目が合うと、掛布を奪われ膝に抱き上げられた。
暴れてやろうかとも思ったが、なぜかそんな気にはなれない。髪を撫でられ、すぐ側にある金糸の髪に触れたくて、自分からユリウスに抱きついた。
ユリウスはルカを宥めながら、短鞭で打たれた経緯を聞き出し、ボブの持っていた短鞭は乗馬用であること、人に使うことは決してないことを繰り返しルカに話した。
「ルカ、おまえ王宮を逃げ出して、隣国に逃亡するつもりだったのか? 何か向こうで伝手はあるのか?」
ルカはユリウスの髪から顔を上げた。
「伝手?」
とにかくこの国から、ライニールとオーラフ宰相の元から逃げることしか考えていなかった。
「逃げたあとのことは考えていなかったようだな」
ユリウスは苦笑しつつも、「まぁそこまで考える余裕はなかったんだろうな……」と呟く。
確かに言われてみれば、隣国に逃げたその先のことは何も考えていなかった。
「逃げるにしても、生計をたてる術を考えておかないと、向こうで飢え死にするぞ。ルカは何か得意なことはあるのか?」
「得意……」
一応読み書きはできる。もっと小さい頃、教師と名乗る男が教えてくれた。あとは、林に自生する植物については詳しい。そんな知識がお金を生むだろうか。
「まぁ、ゆっくり考えるといい。どうせ今は領内を王宮騎士団がうろうろしているしな。ここから隣国に渡ろうと思えば、どうしても川越えのため渡しを利用することになる。おそらくそこも王宮騎士団がおさえているだろう。怪我だって治してからの方がいい。……それにおまえさえよければずっとここにいるという選択肢もある」
「そうですわよ。ここにいたらいいわよ。名案ですわ、ユリウス様」
リサの声に、そういえば部屋にはリサも居たのだったと思い出す。ルカはなぜか急に恥ずかしくなってきて、ユリウスの膝の上からいそいそとおりた。
「ここにずっといなさいよ、ルカ。もともとこの屋敷は人手が足りてないんです。怪我が治ったら色々教えてあげるから、ここで働きましょうよ」
リサはすっかりその気だ。
「私ね、娘が欲しかったのよ。ルカがここにいてくれたら、きっと楽しいわ。街に一緒にお買い物に行ったり、かわいいお洋服を作ったり。ああ、考えただけでもうきうきしちゃう」
「待て待て、リサ。まずはルカの意思を確かめてからだ。それにここにいるとして一つ問題がある。希少種は目立つからな。街には簡単には行けまい」
「そんなの染めるか隠しちゃえば簡単ですわよ」
「なるほど」
ルカだってどうしても別に隣国に行きたかったわけではない。ただ、逃げる手段としてそう思っただけで、ライニールとオーラフの手を逃れられるなら、居場所はどこだっていい。
もし、ここにいられるなら……。
ユリウスがいつも側にいる毎日だ。この金糸の髪を毎日側で見られるなら、それも悪くない。
ルカはじっとユリウスの髪を見つめた。
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