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第一章

ずっとここで暮らす

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 また明け方に目が覚めた。
 昨夜もあんなに夕飯をいっぱい食べたのに、またお腹がきゅるるると鳴る。お腹が空いているのなんて、王宮にいた頃は当たり前だった。
 それがここに来てまだ二日しか経っていないのに、食べ物があると思うとお腹が減る。浅ましいお腹だ。

 ルカはすとんっとベッドをおりた。足が痛まないことは昨日でわかった。すたすたと歩いて厨房に向かう。
 厨房は思った通り明かりが灯り、ばんっばんっとパンの生地を捏ねる音が聞こえる。

「よお、坊主」

 厨房を覗くとアントンがすぐにルカに気がついた。手を洗うとルカをひょいっと持ち上げ、昨日と同じスツールを取り出し、座らせてくれる。

「今朝一番に焼いたんだ。食いな」

 作業台に皿を差し出す。ルカは出された物をつまみ上げた。丸や四角や星型、色々な形がある。ところどころ黒い何かが入っている。

 ルカはしげしげとそれらを眺め、口に放り込んだ。サクッとした歯ごたえ、一度噛むとほろほろと口の中で崩れる。そして何より甘い。

 ルカの顔がぱぁと明るんだ。

「……甘くておいしい」

 ルカの食べる様子を見ていたアントンは、口元をちょっと得意げに歪ませながらも、あくまでぶっきらぼうに、

「当たり前よ。俺が作ってんだ。うまいに決まっている。全部食っていいぞ。まだたくさんある」

「これは何?」

 アントンはオーブンにパン生地を並べていた手を止め、ルカを振り返った。

「クッキーだ。知らねぇのか? その黒いのはチョコレートって言ってな。ほら、もとはこんなだ」

 アントンは棚から茶色くて四角いものを取り出し、ぱきっと割ってルカにくれる。食べてみろとアントンは言うが、硬いし色は茶色だし、美味しくなさそうだ。眉をしかめるルカにお構いなしに、アントンは早く食えとルカを急かす。

 えいっと口に入れ、噛むとぱきっと硬い。それでも噛んでいると、溶け出してとろりと甘い。クッキーより断然甘い。

「なにこれ……。すごくおいしい…」

「だろう?」

 アントンはまた牛乳を出してくれる。作業を眺めながら、クッキーをもそもそ食べた。

 アントンは笑わないし、ぶっきらぼうだけれど、ルカに優しい。そう思うとほんわり胸の辺りが温かい。ルカはクッキーを食べ終わっても、足をぶらぶらさせながらスツールに腰掛け、アントンの作業を見守った。

「あら、こんなところにいた」

 リサがルカを見つけ、厨房に入ってきた。

「何か食べていたの?」

 空になった皿を覗き込む。

「クッキー。甘くておいしかった。アントンが焼いてくれたの」

 答えると、リサは「へぇ、アントンがねぇ」と不思議そうにアントンを見やり、「よかったわね」とルカの寝癖のついた髪を撫でた。

「包帯を替えましょう、ルカ。ノルデンが待ってるわ」

「はい」

 返事をして、皿をアントンに返した。

「ありがとうございました」

「こういうときは、ごちそうさまでしたって言うのよ、ルカ」

 リサが教えてくれる。
 ルカは「ごちそうさまでした」と皿をアントンに渡した。

「おうよ」

 アントンはルカとは目を合わせず皿を受け取る。でも怒っているわけではないことはわかる。照れているだけだ。

 床に足をつけようとして、下が硬いタイルだったことを思い出す。躊躇しているとすぐにアントンが気がつき、手を洗うとルカをひょいっと持ち上げ、廊下の絨毯の上におろしてくれた。

「まぁまぁ。アントンったら。すっかりルカのことを気に入ったのね」

 そういうリサも、ルカの手を引きながら部屋に向かう。昨日も部屋から厨房まで行ったし、屋敷の中も歩いて場所は覚えている。今更迷うわけもないのに、リサはしっかりとルカの手を握る。
 リサの手は、少しかさかさしていて冷たい。でも嫌じゃない。ルカは、繋いでいない方の自分の手をじっと見た。
 
 わたしの手は、どんな風なんだろう。聞いてみたいけれど、なんとなく気恥ずかしい。

 部屋にはノルデンが待っていた。今日は白衣は着ていない。あれ?と思ってノルデンを見たら、ノルデンはふっと笑った。

「あれは別に絶対着なきゃならんもんでもないしね。ルカが怖がるからやめた」

「まぁ。珍しいこと。アントンといい、ノルデンといい、みんなルカのことかわいいのね」

 よくわからないけれど、大事にしてくれていることはわかる。ルカは自分でベッドにあがり、ワンピースを脱いだ。背を向けてノルデンに、「お願いします」と言うと、ノルデンは昨日と同じように手早く包帯を替えてくれた。

「朝食までまだ時間があるから、少し休んでなさいね」

 リサはルカをベッドに寝かせるとノルデンと部屋を出ていった。
 朝食、といってもさっきクッキーを食べたところだ。お腹はいっぱいだ。こんなに寝て食べてばかりいたら、そのうちアントンみたいにお腹が膨れるかもしれない。
 それはちょっと嫌だな。

 そう思っているうちに、うとうとしていた。

 さらりと誰かに髪を撫でられ、ルカは目を開いた。ユリウスの碧い瞳が優しくルカを見下ろしている。

「おはよう、ルカ。リサから聞いたぞ。今日も朝からつまみ食いをしていたそうだな。今から朝食だが、お腹は空いていないか?」

 寝起きでよくわからない。ちょっと考えていると、

「スープだけでも飲むか? ほら、連れてってやる」とユリウスはルカを抱き上げる。

「もう歩けるよ?」

「かもしれんが、俺がいる間はいいだろう?」

 そう言われるとそうかもしれない。ルカはユリウスの首に抱きついた。この金糸の髪が頬を撫でる感覚は好きだ。

 食堂に向かっていると途中でボブに行きあった。

「おはようございます、辺境伯。それにルカ。昨日はその、悪かったな」

 ルカはユリウスの髪から顔を上げた。今日のボブは短鞭を持っていない。その代わり、手のひらに小さなシマリスを載せている。林でたまに見かけた。尻尾がふさふさで、背中から尻尾にかけて模様がある。

「まだ子供だな。どうしたんだ?」とユリウス。

「昨日森で拾ったんです。母親が近くにいなかったんで、連れて帰ったんです。あのままだとたぶん生きられないでしょうからね。アントンにミルクでももらおうかと思っているんです」

「育てるのか? おまえはほんとに動物が好きだな」

「ルカもよかったらあとで見においでよ。慣れたら手のひらに載ってくれるんだ。かわいいよ」

 キキとシマリスが鳴いた。真っ黒な目がかわいい。
 このシマリスも森で拾われたのかと思うと、妙な親近感が湧いた。おまえも、わたしも、優しい人に拾われてよかった……。

 ルカは間近にあるユリウスの顔を見つめた。
 本当にずっとここにいてもいいのだろうか。昨日ユリウスが言ってくれた言葉を思い出す。王宮からは逃げ出したけれど、本当は一人で知らない場所に行って生きていくことは怖い。どうやって生きていけばいいのかもわからない。でもここでなら。優しい人たちのいるこの場所でなら、生きていけるような気がする。
 この居心地のいい空間に、ずっといさせてもらえるんだろうか。

「どうした?」

 ルカがじっとユリウスを見ていると、気がついたユリウスがルカを見る。

「あの……」

 ルカは言葉に詰まってユリウスの髪に顔を埋めた。言っていいんだろうか。ここに居たいと願ってもいいんだろうか。言って断られたら、どうしよう。でも昨日はここにいてもいいとユリウスは言った。

「……わたし、ここにいたい」

 消え入りそうに小さな声で願いを口にしてみる。小声でも、ユリウスの耳もとにしがみついているルカの声は、ユリウスにちゃんと届いた。

 ユリウスはルカの髪を撫で、「ああ、ずっといればいい。俺がおまえを守ってやる」と言ってくれた。




 
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