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第六章

何事もないが珍客が来た

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「あとはそこの野菜を洗っといてくれ」

「うん、アントン。これ全部?」

「おう、頼んだぞ」

 屋敷の厨房で、ルカはアントンの指示のもと、夕食の準備を手伝っていた。そろそろユリウスの帰宅する時間だ。最後の仕上げに入ったアントンは、付け合せの野菜を洗うようルカに指示した。
 ルカは蛇口をひねり水を出すと桶に入った野菜を丁寧に洗い出した。
 リサと市場に行った日から今日で一週間。その間ルカは庭にも出ず、ずっと屋敷の中で過ごしている。
 ユリウスは念のため、屋敷を出入りする者も制限し、これまで自由に出入りしていたディック達も、今は屋敷には入れない。カレル、リサ、ボブ、ノルデン、アントン以外の者の出入りをユリウスは完全に遮断した。
 ただ、フォリスだけはノルデンの診察を受けるため、出入りを許された。フォリスのお腹の子は順調で、昨日も診察を受けに来たフォリスと、診察の後、リサと三人でお茶をした。フォリスは林での生活は快適だと話し、ディックは生まれてくる子供のために、今はベビーベッドを作ることに専念しているという。フォリスはにこやかに話しながらも、少し疲れた様子だった。リサは、つわりかしら?と心配していたが、フォリスはそうではない、何でもないんですと気丈に笑っていた。でも、あまり長居せず、早々に帰っていったので、やっぱりあまり体調がよくないのかもしれない。
 
 屋敷に籠もっていれば、ドリカの目につくことはない。今のところ、ルカは何事もなく無事にやり過ごしている。ユリウスと朝の散歩に行けないのは残念だけれど、ドリカが去るまでの辛抱だ。王宮に連れ戻されるのはもう絶対に嫌だった。
 ここに逃げてきた頃は、王宮に帰るのが恐くて嫌だった。でも今は、王宮に帰ることが恐いというより、ユリウスと離れ離れになることが恐かった。もちろん王宮に連れ戻されることも恐いが、それ以上にユリウスのいない毎日は耐えられない。
 それにルカが見つかれば、レガリアを持ったユリウスが狙われる可能性も忘れてはならない。これはもう、ルカだけの問題ではなくなっているのだ。
 不安で眠れないルカを、ユリウスは毎夜のように激しく抱いた。何度も達かされ、ルカは疲れて何も考えられずに泥のように眠った。ユリウスは、眠っている間にルカを浴場で清めてくれ、夜着を着せかけてくれる。起きたらいつもユリウスの腕の中だ。
 何事もなく一日、一日と過ぎていき、ルカは不安な気持ちを少し和らげた。このまま大人しく屋敷にこもっていればきっと大丈夫。
 もうすぐ今日もユリウスが帰ってくる。ユリウスがいればなおのこと心が落ち着く。
 ルカはアントンに頼まれた野菜を洗い終え、ユリウスを出迎えるため玄関ホールのベンチにいつものように座った。ポポが肩に乗ってくる。お利口なポポは、厨房には入ってこない。
 程なくカレルが出迎えに外へ出ていき、すぐにユリウスが姿を見せた。

「ユリウス! おかえりなさい」

 ぱっと立ち上がって駆け寄ろうとしたが、ユリウスは見知らぬ者を一人連れていた。グレーの髪と瞳、ローブをまとった男で、感情の見えない目でルカを見下ろす。

「ルカ。紹介する。寄宿学校時代の友人で、神秘局局長のシミオン・エンジェルだ」

 ユリウスの友達? 
 はじめて見る顔にルカはじっとシミオンの顔を見つめた。が、はっと思い出してワンピースを摘むと頭を下げた。

「ルカです」

「そのようだな」

 シミオンは冷たい声で答えると、ルカの肩に乗るポポに目を向けた。

「ほう。珍しいものを連れているな」

 ただのシマリスの何が珍しいのだろう。首を傾げるルカと、屋敷の主であるユリウスも置いて、シミオンはさっさと奥へと歩いていく。

「変わり者なんだ。気にするな」

 ユリウスが片目をつむってルカに小声で囁く。

「聞こえてるぞ。堅物辺境伯。内輪の話ならば、客人に聞こえぬように配慮しろ」

「何が客人だ。こちらの事情も考慮せず、いきなりやって来て一晩泊めろとは。第一、神秘局長がこんな辺境で油を売っていていいのか?」

「己の興味と関心を突き詰めるのが神秘局の仕事だ」

「どうとでも言ってろ」

 ユリウスは友人と言ったけれど、本当に仲がいいのかと疑いたくなる応酬だ。けれど、カレルは気にした様子もなく、いそいそとユリウスの剣やカフスボタンなどを受け取り、いつもと変わらぬ様子だ。
 シミオンは、勝手知ったる様子でずかずかと廊下の奥へと消えた。











***










「寝酒を持ってきてやったぞ」

 いつものようにルカを抱いて清めたあと、ユリウスが、酒を持ってシミオンの部屋を訪れると、シミオンは「はんっ」と鼻を鳴らした。

「客をもてなすにはずいぶんと遅い時間だな」

「おまえのことだからどうせ起きてるだろうと思ったんだ。飲むだろう?」

「無論、酒は嫌いじゃない」

「素直に好きだと言え。このひねくれ者が」

 ユリウスはデキャンタからグラスへと葡萄酒をいれるとシミオンに差し出した。部屋の中でもフードを被ったままのシミオンは、グラスを受け取るとうまそうに飲んだ。

「辺境のわりに、なかなかいい酒だ」

「他国のものを仕入れているからな。知っているか? この大陸の西海岸沿いではいい葡萄がとれる。そこで作られた葡萄酒は、このバッケル王国内で作られる葡萄酒より安くてうまい」

「昼間モント領館沿いの市場を見てきたぞ。葡萄酒はじめ、ここにはかなり他国の物品が入ってきているな。王都でも見かけぬ珍しいものがあって、なかなかに興味深かったぞ」

「ここはバッケル王国内からすれば北の辺境だが、もっと大きな目で見れば、他国との交易には有利な立地だからな。豊富な森林資源を活用し、王国内だけで商売をするより、他国と取引したほうが高値で取引できることもある」

「なるほどな。そうやって得た資金が何に化けているのやら。膨れ上がっているモント騎士団といい、その装備といい、管理している武器庫の大きさといい、見る者が見れば、この北の辺境地が相当な力を蓄えていることはすぐにわかるぞ」

「めったなことは言うな」

 ユリウスは空になったシミオンのグラスに酒をついだ。

「あくまで隣国ルーキング国に備えてのことだ」

「そういうことにしておこう。首はつっこみたくはないからな」

 シミオンはグラスの酒をあおると、ユリウスの左肩をいきなりぐっと掴んだ。

「それで? レガリアは無事に貴様の方へと移ったようだな。見せてみろ」

 ユリウスはシャツを脱ぎ、左肩の紋章をシミオンに見せた。

「ほう。これがそうなのか。この文様、とこかで見覚えがあるな」

「王家に関わる何かではないのか?」

「いや、違うな。禁書の棚にあった古い書物だ」

 シミオンは紋章を見ながらぶつぶつ呟いていたがやがて思い出したのか、「そうか」と頷いた。

「地下水路だ。その設計図にこれと同じ文様があったな。確か地下水脈の湧き出る場所に描かれていたはずだ」

「地下水路の設計図が禁書の棚に?」

 青の紋章がそんなところにあるのも不思議だが、その設計図が禁書扱いとは。

「地下水路ならびにそれを流す水路は王都中を縦横無尽に走っているからな。防衛の観点から、禁書扱いなんだろうよ」

「なるほどな」

 水が豊富に流れていた頃ならまだしも、今は枯れてただの通路と化している。実際ハルムはその水路を使って王宮の敷地内へと侵入していた。

「それで? 今回おまえがここに来た理由はなんだ?」

 ただの気まぐれでこんなところまでシミオンが出ばってくるわけがない。シャツを直しながら、探るようにシミオンを見ると、シミオンは「ティルブ山だ」と言う。

「またあの山に登ろうかと思ってな」

「おまえも相当な物好きだな」

 冬場よりは夏場の今の方が登山には適しているが、あのティルブ山だ。ハーグ山脈の最高峰となる山がティルブ山で、大変な難所続きの山だ。

「どうしてそうあの山にこだわるんだ?」

 隊列を組んでの登山でも大変なのに、それを単独で二度目の登山だ。危険を冒してまで、このいかにもそういうことには不向きなシミオンが挑むからには、何か理由があるのだろう。

「確証をつかめていないことは、言えないがな。ただおまえにだけは言っておくが、おそらくあの山には、およそ我々が信じいてること以上の存在があるのは確かだぞ。山は頑固で、なかなか真実の姿を見せようとはせんが、感じるものはある」

「おまえの言うことはさっぱりわからん」

「堅物め。目に見えることだけを見ていては、多くのことを見逃すぞ。例えばあのシマリス」

「ポポのことか? あれがどうした」

「あれは、ただのシマリスではないぞ。気をつけろ」

 まさかとユリウスは思ったが、妙に人くさい何かを感じることは確かにある。けれど見かけはただのシマリス。そう思っていたが。
 シミオンの言う通り、目に見えることだけを見ていては見えないものがあるのかもしれない。

「心に留めておこう」

「なかなか素直じゃないか」

 シミオンは久しぶりににやりと口端を吊り上げて笑った。


 
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