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終幕
フロールとのキス
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明かりが戻り辺りを見回すと、ハルムと別れた場所に戻ってきていることにユリウスは気がついた。
「あれ? ここってさっきの場所だよね」
ルカも辺りを見回し、同じことに気がついたようだ。「でも見て」とルカは水路の先を指差す。
「さっきはなかったのに右手に入れる三本目の水路があるよ」
シミオンが正しい道として示した水路だ。
「どうやら俺達はフロールの体に認められたようだぞ。行こう」
ユリウスはそう言って三本目の水路を進んだ。いくらも行かないうちに、シミオンと行き会った。
シミオンもまた夢から覚めたような顔をしている。
「シミオン?」
ユリウスが呼びかけても反応がなく、その背を軽く叩くとはっとしたようにシミオンはユリウスの顔を見た。
「なんだ。堅物じゃないか。やっとここまで追いついたか」
いつもの口調ながらどこか覇気がない。シミオンもまた何かを見たのかもしれない。どのようなものを見たのか。聞いてみたい気もしたがいつになく蒼白な顔を見ていたらそんな気は失せた。だれしも踏み込まれたくない領域はある。
「先を急ごう。地図は持っているか?」
ユリウスは現実的な方向へと舵をきった。
「当たり前だ。たとえどんなことが起ころうと、私は私だ」
「地図一つにおおげさだな」
友の肩を叩いて笑ってやると、シミオンは珍しくバツが悪そうな顔をした。
「精霊の体というのは、やはり人知を超えた存在なのだな。いい勉強になった」
「めずらしく殊勝じゃないか、シミオン」
「馬鹿者。私はいつでも何に対しても素直な人間だ」
軽口を言い合っていると、お互いいつもの調子を取り戻した。地図を確認しながら先へと急いだ。
足首まで水に浸かりながら、ユリウスはルカを抱いたまま、シミオンと迷路のような水路を進んだ。ハルムに案内された表側の水路と違い、この辺りは外気に触れないせいか崩れがなくきれいな状態のままだ。水路は難なく進めたが、噴き出し口に近づくに連れ、水嵩が増していく。上背のあるユリウスでもすでに大腿の半ばほどまで水に浸かっている。
「これ以上水嵩が増せば、先へは進めないな」
ユリウスは危惧するところを口にした。シミオンは無言で頷く。そのシミオンは腰の辺りまで水に浸かっていた。流れは緩やかだが逆行する向きに歩いている。水の抵抗を受けて、シミオンは何度ももたついた。足を取られて態勢を崩せば命取りになる。
「おまえは戻れ、シミオン。これ以上は危険だ」
「ふんっ。そうしたいのは山々だが後ろを見てみろ」
言われて後ろを見ると、通ってきたはずの水路はなく、壁が立ちはだかっている。
「ユリウス…。戻る道がなくなってるよ…」
ルカが不安そうに後ろを振り返り、ユリウスの首に回した腕に力を入れてしがみついた。このまま薄暗い水路の奥に取り残されるような恐怖はユリウスも感じたが、先へ進むしかルカからフロールを切り離すことができないならば進むしかない。
「大丈夫だ。このまま進めということだ、きっと。戻る道はフロールの体を見つければ自ずと開かれるはずだ」
この妖かしを見せている本人が体を取り戻せば全ては現実へ立ち返るに違いない。
ユリウスがそう言うと、存外冷静なシミオンはふんと鼻を鳴らした。
「そう悲観することもない。その先を曲がったところがもう目指す噴出口だ。目的地は目と鼻の先ということだ。行こう」
じゃばじゃばと派手に水音をたててシミオンが先導する。ユリウスはルカが濡れないよう抱え直すと、水を含んで身動きの取りづらくなったトラウザーズに足元を取られぬよう気をつけながら、シミオンに続いた。
角を曲がると地下とは思えない空間が広がっていた。ドーム状の天井は高く、円形広場の中心を起点として幾筋もの水路が外へ向かってつながっている。
その中心、噴水のような石造りの台座に、白く発光する黒髪の女性が目を瞑って佇んでいた。女性の足元には、姿を見失っていたラウがとミヒルがいて、女性を見上げていた。
「やっと来たか。ずいぶん遅かったじゃないか」
言われるだろうなと思った通りのことをラウが言うので、ユリウスはおかしかったが、ユリウスが何か言うより先にシミオンが感嘆の声を上げた。
「一体全体これはどうやってこのような姿勢で静止できているのだ?」
シミオンの疑問は最もなものだった。
噴水の台座の女性は、大腿まである長い黒髪で裸身を覆われ、瞑想するかのように軽く顔を上げ、つま先で立っている、というより上から吊るされているごとくふわりとその場に浮かんでいる。
「フロールだ……」
ルカが、台座の女性を見て言った。意識の底でフロールと言葉をかわしたルカには、本来のフロールの姿がわかったようだ。
シミオンはまだ興味津々といった様子でフロールの体の周りを一周した。
「このつま先でおさえている箇所が噴出口ということか? 案外小さな噴き出し口なのだな。たったこれだけの穴で、かつて王都中に水が巡っていたとは信じられんな」
「ここはフロールの作った特別な場所だからな。噴出口の大きさは問題ではない。思い入れのあった分、無意識に体はこの場所に辿り着いたのだろうな」
ラウはシミオンの疑問に答え、じっと動かないフロールの姿を見つめた。ラウからしてみれば、フロールを失ってから長すぎる年月が経っている。フロールの姿を見つめるラウの目に、万感の思いが滲み出ていた。
しかしユリウスは、また違った感慨にふけっていた。
たったこれだけのことで王都中が水不足になり、争いまで起きたとは。王都にいる多くの人々を窮地に立たせたのは、精霊のつま先ひとつ。精霊の力で開かれた水路が、また精霊の力で塞がれた。道理で自分たち人がどう足掻こうと、王都に水を取り戻すことが困難だったはずだ。
けれどアルメレ川の水量が少ない理由はわからないままだ。
「お前たちは、川の水量も変えられるのか?」
ふと疑問に思ってラウに聞くと、ラウはまさかと皮肉げに頬を歪めた。
「アルメレ川の水量のことを言っているのだろう? やろうと思えばやれないこともないが、何の意味もないそんなことを俺達精霊はしない。大方、水の流れを変えた河川工事が原因だろうな。川は一本の流れに見えるが、途中で多くの筋と合流しながら海へ注ぐんだ。むやみに流れを変えれば、合流していた川筋が変わり、水量に影響が出るのは当たり前だ」
十年前の父とオーラフ宰相との争いはオーラフ宰相が勝ったが、巨額の投資をして行われた河川工事には何の意味もなかったとは皮肉な話だ。しかも正しい判断をした父が中央を追われ、間違った判断を下したオーラフ宰相が勝者とは。
今更真実がわかったところで、何がどうなるものでもない。けれど。中央政界でのそんな争い事は今でも日常茶飯事に行われているのかと思うと、鼻白む思いだ。
「ユリウス?」
複雑な思いにとらわれていると、ルカが心配そうにこちらを見ていた。黒い瞳に見つめられ、ユリウスは何でもないと首を振った。
全ては過ぎ去ったことだ。
今ユリウスが守るべきものはこの腕の中にある。
「ユリウス。フロールのところに連れて行ってくれる?」
ルカの要望通り、ユリウスはルカを抱いたままフロールの体に歩み寄った。ルカはユリウスの首から腕を離すとフロールの頬に手を添え、顔を近づける。
「何をする気だ?」
ユリウスが聞くと、ルカは「見てて」と告げ、フロールの唇にそっと口づけた。
「あれ? ここってさっきの場所だよね」
ルカも辺りを見回し、同じことに気がついたようだ。「でも見て」とルカは水路の先を指差す。
「さっきはなかったのに右手に入れる三本目の水路があるよ」
シミオンが正しい道として示した水路だ。
「どうやら俺達はフロールの体に認められたようだぞ。行こう」
ユリウスはそう言って三本目の水路を進んだ。いくらも行かないうちに、シミオンと行き会った。
シミオンもまた夢から覚めたような顔をしている。
「シミオン?」
ユリウスが呼びかけても反応がなく、その背を軽く叩くとはっとしたようにシミオンはユリウスの顔を見た。
「なんだ。堅物じゃないか。やっとここまで追いついたか」
いつもの口調ながらどこか覇気がない。シミオンもまた何かを見たのかもしれない。どのようなものを見たのか。聞いてみたい気もしたがいつになく蒼白な顔を見ていたらそんな気は失せた。だれしも踏み込まれたくない領域はある。
「先を急ごう。地図は持っているか?」
ユリウスは現実的な方向へと舵をきった。
「当たり前だ。たとえどんなことが起ころうと、私は私だ」
「地図一つにおおげさだな」
友の肩を叩いて笑ってやると、シミオンは珍しくバツが悪そうな顔をした。
「精霊の体というのは、やはり人知を超えた存在なのだな。いい勉強になった」
「めずらしく殊勝じゃないか、シミオン」
「馬鹿者。私はいつでも何に対しても素直な人間だ」
軽口を言い合っていると、お互いいつもの調子を取り戻した。地図を確認しながら先へと急いだ。
足首まで水に浸かりながら、ユリウスはルカを抱いたまま、シミオンと迷路のような水路を進んだ。ハルムに案内された表側の水路と違い、この辺りは外気に触れないせいか崩れがなくきれいな状態のままだ。水路は難なく進めたが、噴き出し口に近づくに連れ、水嵩が増していく。上背のあるユリウスでもすでに大腿の半ばほどまで水に浸かっている。
「これ以上水嵩が増せば、先へは進めないな」
ユリウスは危惧するところを口にした。シミオンは無言で頷く。そのシミオンは腰の辺りまで水に浸かっていた。流れは緩やかだが逆行する向きに歩いている。水の抵抗を受けて、シミオンは何度ももたついた。足を取られて態勢を崩せば命取りになる。
「おまえは戻れ、シミオン。これ以上は危険だ」
「ふんっ。そうしたいのは山々だが後ろを見てみろ」
言われて後ろを見ると、通ってきたはずの水路はなく、壁が立ちはだかっている。
「ユリウス…。戻る道がなくなってるよ…」
ルカが不安そうに後ろを振り返り、ユリウスの首に回した腕に力を入れてしがみついた。このまま薄暗い水路の奥に取り残されるような恐怖はユリウスも感じたが、先へ進むしかルカからフロールを切り離すことができないならば進むしかない。
「大丈夫だ。このまま進めということだ、きっと。戻る道はフロールの体を見つければ自ずと開かれるはずだ」
この妖かしを見せている本人が体を取り戻せば全ては現実へ立ち返るに違いない。
ユリウスがそう言うと、存外冷静なシミオンはふんと鼻を鳴らした。
「そう悲観することもない。その先を曲がったところがもう目指す噴出口だ。目的地は目と鼻の先ということだ。行こう」
じゃばじゃばと派手に水音をたててシミオンが先導する。ユリウスはルカが濡れないよう抱え直すと、水を含んで身動きの取りづらくなったトラウザーズに足元を取られぬよう気をつけながら、シミオンに続いた。
角を曲がると地下とは思えない空間が広がっていた。ドーム状の天井は高く、円形広場の中心を起点として幾筋もの水路が外へ向かってつながっている。
その中心、噴水のような石造りの台座に、白く発光する黒髪の女性が目を瞑って佇んでいた。女性の足元には、姿を見失っていたラウがとミヒルがいて、女性を見上げていた。
「やっと来たか。ずいぶん遅かったじゃないか」
言われるだろうなと思った通りのことをラウが言うので、ユリウスはおかしかったが、ユリウスが何か言うより先にシミオンが感嘆の声を上げた。
「一体全体これはどうやってこのような姿勢で静止できているのだ?」
シミオンの疑問は最もなものだった。
噴水の台座の女性は、大腿まである長い黒髪で裸身を覆われ、瞑想するかのように軽く顔を上げ、つま先で立っている、というより上から吊るされているごとくふわりとその場に浮かんでいる。
「フロールだ……」
ルカが、台座の女性を見て言った。意識の底でフロールと言葉をかわしたルカには、本来のフロールの姿がわかったようだ。
シミオンはまだ興味津々といった様子でフロールの体の周りを一周した。
「このつま先でおさえている箇所が噴出口ということか? 案外小さな噴き出し口なのだな。たったこれだけの穴で、かつて王都中に水が巡っていたとは信じられんな」
「ここはフロールの作った特別な場所だからな。噴出口の大きさは問題ではない。思い入れのあった分、無意識に体はこの場所に辿り着いたのだろうな」
ラウはシミオンの疑問に答え、じっと動かないフロールの姿を見つめた。ラウからしてみれば、フロールを失ってから長すぎる年月が経っている。フロールの姿を見つめるラウの目に、万感の思いが滲み出ていた。
しかしユリウスは、また違った感慨にふけっていた。
たったこれだけのことで王都中が水不足になり、争いまで起きたとは。王都にいる多くの人々を窮地に立たせたのは、精霊のつま先ひとつ。精霊の力で開かれた水路が、また精霊の力で塞がれた。道理で自分たち人がどう足掻こうと、王都に水を取り戻すことが困難だったはずだ。
けれどアルメレ川の水量が少ない理由はわからないままだ。
「お前たちは、川の水量も変えられるのか?」
ふと疑問に思ってラウに聞くと、ラウはまさかと皮肉げに頬を歪めた。
「アルメレ川の水量のことを言っているのだろう? やろうと思えばやれないこともないが、何の意味もないそんなことを俺達精霊はしない。大方、水の流れを変えた河川工事が原因だろうな。川は一本の流れに見えるが、途中で多くの筋と合流しながら海へ注ぐんだ。むやみに流れを変えれば、合流していた川筋が変わり、水量に影響が出るのは当たり前だ」
十年前の父とオーラフ宰相との争いはオーラフ宰相が勝ったが、巨額の投資をして行われた河川工事には何の意味もなかったとは皮肉な話だ。しかも正しい判断をした父が中央を追われ、間違った判断を下したオーラフ宰相が勝者とは。
今更真実がわかったところで、何がどうなるものでもない。けれど。中央政界でのそんな争い事は今でも日常茶飯事に行われているのかと思うと、鼻白む思いだ。
「ユリウス?」
複雑な思いにとらわれていると、ルカが心配そうにこちらを見ていた。黒い瞳に見つめられ、ユリウスは何でもないと首を振った。
全ては過ぎ去ったことだ。
今ユリウスが守るべきものはこの腕の中にある。
「ユリウス。フロールのところに連れて行ってくれる?」
ルカの要望通り、ユリウスはルカを抱いたままフロールの体に歩み寄った。ルカはユリウスの首から腕を離すとフロールの頬に手を添え、顔を近づける。
「何をする気だ?」
ユリウスが聞くと、ルカは「見てて」と告げ、フロールの唇にそっと口づけた。
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