【完結】戦争から帰ったら妻は別の男に取られていましたが 上官だった美貌の伯爵令嬢と恋をする俺の話

イヴェン

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事件③ side エデル・カウフマン

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 エデル・カウフマン =王都の貧民街に住む若者視点の回です。

幼児虐待及び暴力的な行為の描写、残酷な描写が出てきます。苦手な方はご注意下さい。





~エデルが見ている夢の中~

 痛い…痛い…黒くて大きな獣に何度もぶちのめされる。俺は血だらけになった肩を抑えて立ち上がろうとするが その黒い獣がまた俺を持ち上げて地面に叩きつける。ウォーウォーと獣の咆哮が辺りに響く。
 汗と涙と体液と獣の涎と、歯が折れているのか血の味と。

 そうだ、こういう時は自分の心を「凍らせて」ーーーーー、自分を「切り離して」 ────ダメだ、今日は間に合わなかった…

〓〓〓

 目が覚めた。夢か…。

 「こちら」に戻ってきた。俺は小汚い自室のベッドの上で目を覚ました。汗びっしょりだ。悪夢を見た時はいつもこの嫌な汗をかいている。

 ハー ハー ハー …息が上がる…まだ苦しい。なんで夢の中なのにあんなに痛いんだよ…ったく。
 両手でぐしゃぐしゃに頭を掻く。頭皮までベトベトする。

 洗面所に行き曇って汚れた鏡を見ると、目の下には隈、目は充血…死神か幽鬼のような俺が映っていた。顔色が良かったことなんかないけど。

 洗面所の脇には、帰宅してから脱いだ俺の服。ここで脱いでそのままにしてたのか。

 オヤジは家にはいないようだ。一日中開いてるあの店でツケで飲んでクダ巻いてるんだろうどうせ。賭け事もやってるかもしれない。カモにされるだけなのに。

 コンコンコン ノックの音がする。のっそりとドアに近づき覗き窓から来客を確かめると
隣の部屋に住むマルファ姉さんだった。実の姉ではなく、「面倒見の良い近所のお姉ちゃん」だ。
 俺の事を、昔から何かと構ってくれる。

 ぶっちゃけ、マルファ姉さんがいてくれなかったら俺は今ごろ飢え死にしていたかもしれない。
 恩人だ。

 ここは貧民街。今にも倒れそうなボロボロの建物は、カネの無い貧乏人らが家族や単身でぎっしり埋まっている。
 俺はここの汚ねえ部屋に、父親…オヤジと2人で住んでいる。

 マルファ姉さんは、病気の母親との2人暮らし。歳は30歳。俺よりすこし上だ。ウエーブのかかった明るい茶色の髪は短く切り揃えられている。ふっくらとした体型は昔から変わらない。近所の工場で働いて家計を支えている。マルファ姉さんの父親は姉さんがうんと小さい頃に病気で亡くなったとか。
 王都は、戦争の時の爆撃であちこち虫食い状態だが、ここの貧民街は奇跡的に焼け残った。だから昔なじみの貧乏人仲間たちはそのままここに住んでいる。

「はい コレ。あんたの分もついでに買ってきたから…ってひどい顔色よ?エデル」

 マルファ姉さんは、いつも仕事終わりに俺の分のパンも買ってきてくれる。俺は時々、その代金をまとめて払おうとするのだがいつも遠慮される。「あたしが勝手に買ってくるんだからいいのよ」と言って。だから俺は給料が出たらそれで油や塩や芋を買って届けたりしている。

 オヤジは酒ばかり飲んで働かない。俺が近所の『何でも屋』爺さんちの下働きをして僅かな給料を貰い、なんとか2人で食っている。

 籠に入ったパンを渡しながら、マルファ姉さんが心配そうに顔を覗き込んでくる。前髪を上げようと、手が伸びてくる。

「またこんなに目の下にクマを作って…それに真っ青じゃないの」

「なんでもない ちょっと夢見が悪かっただけ」

 俺は姉さんが伸ばしてきたその手を避けるように頭を後ろに逸らせた。

 姉さんはいつも俺のことを「弟」だと言う。本当の弟ではないのに。
「弟みたいなもんでしょ、20年も顔突き合わせていたら」と。きょうだいや姉ってやつがどんなものなのか知らない。家族が「ふつう」はどういうものなのか俺は知らない。

 ただマルファ姉さんが笑って話しかけてくれると安心出来るんだ。近くにいると、「こわいもの」の怖さが薄れるような気がする。

 マルファ姉さんが何かで1ヶ月不在だった時は、五割増しの悪夢ばかり見てロクにものも食えなかった。

 俺を産んだ実の「ははおや」は俺が3歳になる前に俺と父親を置いて家を出ていった。オヤジがそう言っていた。
 だから俺には「ははおや」の記憶がない。写真も無い。オヤジは悪口しか言わない。

 マルファ姉さん達と出会った時は5歳。「ははおや」というものを、物語で読んだことがあるが何やらこどもの世話をしたり、メシを作ったり、こどもに笑いかけたり、守ってくれたりするものらしい。

 なんだ、それってマルファ姉さんそのものじゃないか。

 5つしか離れてないのに「ははおや」扱いすると多分怒ると思うから言わないが、俺にとってマルファ姉さんは姉であり「ははおや」でもあるんだと思う。

 誰かに、俺がマルファ姉さんと「良い仲」「男女の仲」なのか?と聞かれたことがあるが、そういうんじゃない。ガキの頃から世話をして貰ってそれが今も続いてるだけだ。

 もし姉さんに恋人が出来たら、俺は邪魔にならないようにどっかに消えようかなと考えていたのだが今までそんな気配は無かった。

 もしかして俺みたいなのが隣に住んでいたから?ーーーー分からない。

================

 姉さんの話は、ここを出ていくというものだった。姉さんとおばさんは、山にある療養所に行くらしい。
 ここからいなくなるのか。おばさん、具合が悪かったもんな。空気のいい療養所に行ったほうがいいのかも。姉さんは療養所に住み込みで仕事を得る。

 姉さんが、居なくなる。
 でも、仕方ない…。

 ーーーーやだな、姉さんが泣きそうになんないでよ。泣きたいのは俺のほうだってば。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

~数時間前~裏路地にて

 道に、なにか真っ黒なものが動くのが見えた。ゴスッ ドッ ゲボッ 

 デカい男と、細っこい男がケンカしてるのか?…いいや、ケンカじゃねえなあれは。一方的に殴られてる感じだ。

 ほっとこう……ゴロツキかチンピラの内輪揉めか、難癖でも付けて殴ってんのか、借金取りか、理由は分からねえが関わり合いにならないほうがいい。

「やめっ… ごふっ  なあ、頼…むよ?もう殴らないでくれ…」

 殴られていた金髪の若い男が声を発した。自らに加えられている暴行を制止しようとでもしたのか、上げかけた手はぶるぶる震えている。

「へへっ」

 その弱々しい嘆願を聞いても尚、大男は殴るのをやめようとしない。
 金髪の若い男は、大男ほどではないが身長が高い。棒っきれみたいな長い足。

 大男はざんばらの茶色い長髪をぶんぶん上下に振りながらブツブツ何かを呟き続けていた。

 俺は彼らを一瞥し その場を立ち去ろうとした。が、その時。

 黒い上着を着た大男が殴っていた若い男が、幼いこどもの姿に変わった。

(え…このイカれたおっさんに殴られてたのは若い男だったろ?……どこから来たんだ?このガキ…)

「やめてやめて…痛いよ痛いよ…殴らないで…」甲高い声はこどもの声だ。まだ幼い子のようだ。3歳ぐらいだろうか……?

 そして激しい頭痛が来た。
「うあああああーーーーっっ」

 思わず俺はその場にうずくまって頭を押さえた。頭痛は俺の持病だが、ここ最近で一番強烈なやつが来た。
(ズキズキする…血管が…脈打つっ…)

 とにかく、このおっさんの暴行を止めなきゃ。こいつぁチンピラの内輪揉めなんかじゃない、借金取りでもない、ただのクズ人間。

「やめろ」
 黒い上着を着たおっさんの肩を掴んで振り向かせる。酒の匂いがぷんとする。
「あぁ?なんだてめえ…」

「ーーーーオヤジ…?」

 顔を見て吃驚した。ガキを殴っていたおっさんはオヤジの顔をしていた。

 オヤジ。俺の父親。いつも俺を殴るか罵倒してた。酒でどろりとした赤い眼をして、口も身体もくっせえオヤジ。

 俺はしばし固まった。なんでオヤジが…と思っていたら、そのオヤジの顔に別人の顔も重なる。

「オヤジ、なの…か?」
「はあ?なんだおめえ…知らねえよ 離せよ」

 ーーーオヤジじゃない。さっきのは何だ?

 大男は俺を振り払い、また目の前のガキを殴りつける。

「やめろ!いくらなんでもそんな小さな子を…」

 俺は大男につかみかかった。
 また振り払われ、こどもを殴り続けようとする大男。

「やめろっつってんだろ!!!」

 俺は護身用のナイフを取り出した。

「…はっ そんなもん屁でもねえーーーー…随分とチャチなシロモンだなあ?おにーさんよぉ…」

「その子を殴るのを今すぐやめろ」

「ーーーそんな持ち方で刺せっかよ…へっぴり腰だなあ~ いいか、教えてやらあ、実戦じゃな、お前みたいな弱っちいやつが真っ先に敵に殺されるんだ」

 大男はヘラヘラしながら嗤う。実戦…?コイツ、軍人上がりかなにかか?
 大男はオヤジの顔になったり、別人の見知らぬおっさんの顔になったり…
 なにがなんだか分からない。

 俺は貧民街の住人らしく、もちろんここに棲むチンピラやゴロツキと喧嘩したこともあるが決して強くはない。

 だが、オヤジの背を越した頃からオヤジは俺を殴れなくなった。その頃はオヤジも弱ってきていたし。 その代わりモノに当たり散らすのだが。

 ガキは、殴られ過ぎてもう起き上がれず、ぐったりしている。

「やめろ やめないと…」
「おーおー 刺してみろよ?ホラ、度胸があるならな?」

 大男は両手を広げて俺を挑発した。口の片方だけをあげてニヤリと笑った。その刹那、顔がオヤジに変わった。
 その笑い方はオヤジの笑い方だった。

 頭の芯がすう…と冷えた。

 俺は躊躇なくナイフを、自分の体重をかけ大男の胸に押し込んだ。

「ぐうッッ…」

 その勢いで、大男と俺は地面に倒れ込む。

 ガキが、声を発する。

「あ…あ…ああああ…」

 俺は大男オヤジの胸に刺したナイフを引き抜いた。傷口から血がじわぁと溢れ出てくる。

 ああ、オヤジを…、俺はずっとこうしたかった。なにもしてねえのにオヤジは俺を、日課みたいに殴ってきた。

 だって いま オヤジに殴られてるこの子を助けなきゃ。そうだろ?この子は誰だ?この子は俺だ。いや違う、誰なのか?ーーーー…よくわからない。

「大丈夫か…?いま手当てしてやるからな…」

 そのこどもに血だらけの手を伸ばすと、何故かこどもは怯えて身体を引いた。ーーーー…これは、俺が怖がられているのか?
「さっきの、金髪の兄ちゃんはどこ行った?お前はどこから来たんだ?」

 こどもは、俺のその言葉を聞いてビクッとし、なぜかますます怯えた。イヤイヤをするように首を左右に振る。
 俺を見る目が、不審でいっぱいだ。

 その時、通りの向こうにマルファ姉さんの姿が見えたような気がした。そうだ、姉さんに頼んでこの子をなんとかしよう。姉さんならこの子が怖がらないかも。

 それはとても良い思い付きに思えた。かつて俺を助けてくれた姉さんなら。

「いいか、ここで待ってろ。な?」

 俺はマルファ姉さんだと思った女の人の背中を追いかけて、その場を後にした。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

 ーーーーーその後の記憶。マルファ姉さんだと思った人は別人だった。なんとなく姿が似ていただけだった。
 俺はさっきの路地に戻ろうとしたが、探しても探しても、さっきのこどもが待つあの路地にはたどり着けなかった。

 あの子を助けなきゃ。そう思うのに、またひどい頭痛がやってきて、俺を苛さいなむ。

 仕方なく、俺は家に帰った。

 服が血だらけだった。脱いで洗面所に脇に放る。シャワーを浴びる。流れる水に、血が混じっている。
 あれっ そういえばナイフはどこへ行った…?どこかに落としてきたのかもしれない。どうでもいい…頭が痛いーーーー…。

 なんだろう 妙に眠い…眠い…いやだ、いやだ、夢魔がまたやってくる…もう悪い夢を…見たくない………
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