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第一章 回り出した歯車
今生の別れ
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「ラズリ!!」
それは、最近ではあまり聞くことのできなくなった、大好きな声だった。
久し振りに聞く、祖父の声。口数が減り、ほぼ喋らなくなってしまってからは、聞く事のなくなった、自分を呼ぶ声。
もう一度呼んでほしい。できる事なら、何度だって。
そんな気持ちを込めて、ラズリは祖父の声に答えるように、精一杯の声を出す。
「んんーーっ!」
口に布を詰められている為、発せられたのは、言葉にもならぬ声だけだったけれど。
「ラズリ!」
それだけで、祖父は気付いてくれた。
このところ、あまり接点を持っていなかったとしても、やはり祖父は祖父だ。自分の異変に、ちゃんと気付いてくれた。
その事が嬉しくて、祖父の姿を一目見ようと、ラズリは足をばたつかせてしまう。
けれど、想い合う二人の再会に、水を差す人物がいた。
「これはこれは、先程のご老人ではありませんか。私どもに何か用事でも?」
道幅を利用して老人の行く手を塞ぎ、ミルドは穏やかな声で問い掛ける。
「……き、貴様ら、儂の孫をどこへ連れて行くつもりじゃ!」
「無論王宮に決まっているではありませんか。私は先程王宮から来たと、きちんと貴方に申し上げましたよ?」
ここまで走ってきたのだろうか。
肩で息を吐いているかのように話す祖父の声に、ミルドが冷静に言葉を返す。
「そんなに心配せずとも、用が済めば娘さんは村に帰して差し上げます。ただ一度だけ、私の主君に謁見していただければ良いだけですので」
「それは本当か?」
えっ、そうなの?
老人の声と、ラズリの心の声が重なる。
「本当です。私は栄えある王宮騎士の小隊長をも任される人間ですよ。誓って嘘など申しません」
「そ、そうか。それならば、まだ……」
逡巡しつつも祖父の声に安堵の響きが宿ったが、残念ながらミルドの言葉は、それだけで終わらなかった。
「ですが先程貴方は、この村に娘さんは一人もいないと仰いましたよね。なので我々が見付けた此方の女性は、村の侵入者として排除しておきますね」
「なっ!? ま、待て! 待ってくれ! その娘は儂の……」
「連れて行け」
慌てる老人を無視する形で、ミルドがラズリを抱きかかえている部下に指示を出す。
「ううっ!? うぅぅ~っ?」
侵入者ってどういう事なの!? この村に娘はいないって……本当におじいちゃんがそんな事を?
何故祖父がそんな事を言ったのか理解できず、ラズリは思わず声をあげる。
だが、呻き声しか出せない状態で返答がなされるわけはなく、部下の男はそのまま速やかに歩き出した。
嫌! 私はまだおじいちゃんに聞きたい事があるのに!
首だけを懸命に後ろへ向けるが、屈強な体躯を持つ騎士の身体に阻まれては、祖父の姿を視界に捉える事はできず。
そうして、ラズリと老人──二人は別れの言葉を交わす事すらできないまま、強制的に引き離された。
これが二人の今生の別れとなる事も知らずに──。
※※※
娘を託した部下の姿がある程度遠のくと、ミルドは改めて老人へと向き直った。
「ラ、ラズリ……!」
ミルドに阻まれながらも、何とかして後を追おうとする老人の、健気ともいえる姿に笑いが込み上げる。
こんな風に追いかけてくるぐらいなら、最初から嘘など吐かなければ良かったのだ。そうすればまだ、別れの言葉を交わす機会ぐらいは与えてやっても良かったのに。
「ラズリ! ……頼む、退いてくれ! ラズリ!」
あまりにも必死な老人の姿を見て、ミルドはふと意地悪をしてやりたくなった。我ながら性格が悪いと思うが、悪いのは自分ではない。王宮騎士である自分を騙そうとしたこの老人が悪いのだ、と心に言い聞かせる。
「……はて? ラズリとは一体どなたの事を仰っておられるのですか? 先程私の部下が連れ出した娘は、この村の者ではなかった筈ですが」
わざとらしく首を傾げ、心底不思議そうに言ってやった。
お前の嘘のせいでこうなっているのだと、老人を内心で嘲笑いながら。
「い、いや、あの娘は……」
ミルドの言葉に心当たりがあったのだろう。言い返す事もできず、言葉に詰まった老人は俯き、拳を握りしめた。明らかに、強者が弱者を虐げている光景だ。
通常であれば、このような姿を他者に見られるわけにはいかないため自重しているのだが、今いるのは人の目の届かぬ辺鄙な場所にある閉ざされた村だ。何をしようと要らぬ噂をされる心配はない。
故にミルドは、老人を更に口撃した。
「この村に娘さんがいないと伺った時は残念でしたが、代わりに怪しい娘を捕らえられた事については僥倖でした。そしてそれは、この村の皆さんにとっても同じですよね? なにせ身元の分からぬ怪しい娘を村内から見つけ出し、無駄な労力を使うことなく追い出すことができたのですから」
その点は私達に感謝して欲しいものですね、と感謝などされぬ事を知りながら、敢えて口に出し、相手の不快感を誘う。
悔し気に肩を落とす老人の姿が、堪らなく滑稽だった。
恐らく老人は、娘の存在がバレているなどとは思ってもいなかったのだろう。いないと言いさえすれば、すぐにミルド達が村から出て行くに違いないと、高を括っていた。
だが、そもそもそれが間違いであったのだ。
この村に住む人間は、祖父と孫娘の二人だけではない。
実際ミルドはラズリに出会う前に、村へ入って最初に出逢った村人から、娘の話を聞いていた。だから村長宅へ向かう道中で偶然ラズリに出逢わなくとも、老人に娘はいないと嘘を吐かれようとも、村内に必ず一人は娘がいるということを知っていたのだ。
「まさか本当に一人だけだったというのは、予想外であったが……」
一人だけでも捕まえられたのだから、まあ良いとする。他は概ね予想通りだ。
否、この村に何か得体の知れない秘密がありそうな分だけ、予想よりも上出来だろう。
残る課題は、目の前の老人に村の秘密を喋らせることだけだ。それさえ終われば、後は──。
真っ青な顔で地面に頽れる老人を見ながら、ミルドは口角を吊り上げた。
それは、最近ではあまり聞くことのできなくなった、大好きな声だった。
久し振りに聞く、祖父の声。口数が減り、ほぼ喋らなくなってしまってからは、聞く事のなくなった、自分を呼ぶ声。
もう一度呼んでほしい。できる事なら、何度だって。
そんな気持ちを込めて、ラズリは祖父の声に答えるように、精一杯の声を出す。
「んんーーっ!」
口に布を詰められている為、発せられたのは、言葉にもならぬ声だけだったけれど。
「ラズリ!」
それだけで、祖父は気付いてくれた。
このところ、あまり接点を持っていなかったとしても、やはり祖父は祖父だ。自分の異変に、ちゃんと気付いてくれた。
その事が嬉しくて、祖父の姿を一目見ようと、ラズリは足をばたつかせてしまう。
けれど、想い合う二人の再会に、水を差す人物がいた。
「これはこれは、先程のご老人ではありませんか。私どもに何か用事でも?」
道幅を利用して老人の行く手を塞ぎ、ミルドは穏やかな声で問い掛ける。
「……き、貴様ら、儂の孫をどこへ連れて行くつもりじゃ!」
「無論王宮に決まっているではありませんか。私は先程王宮から来たと、きちんと貴方に申し上げましたよ?」
ここまで走ってきたのだろうか。
肩で息を吐いているかのように話す祖父の声に、ミルドが冷静に言葉を返す。
「そんなに心配せずとも、用が済めば娘さんは村に帰して差し上げます。ただ一度だけ、私の主君に謁見していただければ良いだけですので」
「それは本当か?」
えっ、そうなの?
老人の声と、ラズリの心の声が重なる。
「本当です。私は栄えある王宮騎士の小隊長をも任される人間ですよ。誓って嘘など申しません」
「そ、そうか。それならば、まだ……」
逡巡しつつも祖父の声に安堵の響きが宿ったが、残念ながらミルドの言葉は、それだけで終わらなかった。
「ですが先程貴方は、この村に娘さんは一人もいないと仰いましたよね。なので我々が見付けた此方の女性は、村の侵入者として排除しておきますね」
「なっ!? ま、待て! 待ってくれ! その娘は儂の……」
「連れて行け」
慌てる老人を無視する形で、ミルドがラズリを抱きかかえている部下に指示を出す。
「ううっ!? うぅぅ~っ?」
侵入者ってどういう事なの!? この村に娘はいないって……本当におじいちゃんがそんな事を?
何故祖父がそんな事を言ったのか理解できず、ラズリは思わず声をあげる。
だが、呻き声しか出せない状態で返答がなされるわけはなく、部下の男はそのまま速やかに歩き出した。
嫌! 私はまだおじいちゃんに聞きたい事があるのに!
首だけを懸命に後ろへ向けるが、屈強な体躯を持つ騎士の身体に阻まれては、祖父の姿を視界に捉える事はできず。
そうして、ラズリと老人──二人は別れの言葉を交わす事すらできないまま、強制的に引き離された。
これが二人の今生の別れとなる事も知らずに──。
※※※
娘を託した部下の姿がある程度遠のくと、ミルドは改めて老人へと向き直った。
「ラ、ラズリ……!」
ミルドに阻まれながらも、何とかして後を追おうとする老人の、健気ともいえる姿に笑いが込み上げる。
こんな風に追いかけてくるぐらいなら、最初から嘘など吐かなければ良かったのだ。そうすればまだ、別れの言葉を交わす機会ぐらいは与えてやっても良かったのに。
「ラズリ! ……頼む、退いてくれ! ラズリ!」
あまりにも必死な老人の姿を見て、ミルドはふと意地悪をしてやりたくなった。我ながら性格が悪いと思うが、悪いのは自分ではない。王宮騎士である自分を騙そうとしたこの老人が悪いのだ、と心に言い聞かせる。
「……はて? ラズリとは一体どなたの事を仰っておられるのですか? 先程私の部下が連れ出した娘は、この村の者ではなかった筈ですが」
わざとらしく首を傾げ、心底不思議そうに言ってやった。
お前の嘘のせいでこうなっているのだと、老人を内心で嘲笑いながら。
「い、いや、あの娘は……」
ミルドの言葉に心当たりがあったのだろう。言い返す事もできず、言葉に詰まった老人は俯き、拳を握りしめた。明らかに、強者が弱者を虐げている光景だ。
通常であれば、このような姿を他者に見られるわけにはいかないため自重しているのだが、今いるのは人の目の届かぬ辺鄙な場所にある閉ざされた村だ。何をしようと要らぬ噂をされる心配はない。
故にミルドは、老人を更に口撃した。
「この村に娘さんがいないと伺った時は残念でしたが、代わりに怪しい娘を捕らえられた事については僥倖でした。そしてそれは、この村の皆さんにとっても同じですよね? なにせ身元の分からぬ怪しい娘を村内から見つけ出し、無駄な労力を使うことなく追い出すことができたのですから」
その点は私達に感謝して欲しいものですね、と感謝などされぬ事を知りながら、敢えて口に出し、相手の不快感を誘う。
悔し気に肩を落とす老人の姿が、堪らなく滑稽だった。
恐らく老人は、娘の存在がバレているなどとは思ってもいなかったのだろう。いないと言いさえすれば、すぐにミルド達が村から出て行くに違いないと、高を括っていた。
だが、そもそもそれが間違いであったのだ。
この村に住む人間は、祖父と孫娘の二人だけではない。
実際ミルドはラズリに出会う前に、村へ入って最初に出逢った村人から、娘の話を聞いていた。だから村長宅へ向かう道中で偶然ラズリに出逢わなくとも、老人に娘はいないと嘘を吐かれようとも、村内に必ず一人は娘がいるということを知っていたのだ。
「まさか本当に一人だけだったというのは、予想外であったが……」
一人だけでも捕まえられたのだから、まあ良いとする。他は概ね予想通りだ。
否、この村に何か得体の知れない秘密がありそうな分だけ、予想よりも上出来だろう。
残る課題は、目の前の老人に村の秘密を喋らせることだけだ。それさえ終われば、後は──。
真っ青な顔で地面に頽れる老人を見ながら、ミルドは口角を吊り上げた。
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