世界最強の公爵様は娘が可愛くて仕方ない

猫乃真鶴

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南の国編

幕間 デリック、拾われる②

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 シルヴィアはリリアンを背に叫ぶ。

「ここには現在、トゥイリアース王国筆頭公爵家、ヴァーミリオン家の御一家が滞在しています。なにを相手にしているのか分かっているのですか」

 エル=イラーフ王国の王都ジュード。貴族向けに貸し出されている中でも、特に贅を凝らした屋敷に滞在していたヴァーミリオン家。そこへよもや、賊が侵入しようとは。
 こういう時の為にシルヴィアは戦闘訓練を受けており、また屈強なボーマンが警備として残っていたのだが、この時襲撃してきたのは三十人ほど。室内なので一度に相手取るのは数人だったが、今この場には幼いリリアンが居る。

(まったく、なんて無礼な……!)

 庇ったリリアンは騒ぎ立てたりしていないが、動揺しているに違いない。せっかくのお茶の時間を邪魔された主人が不憫でならなかった。驚き恐怖を滲ませるリリアンの姿が思い出され、シルヴィアは手にしたナイフをきつく握り締める。
 宿として貸し出されている屋敷は貴族専用という触れ込みだったはずだ。確かに内装は豪奢だったが、警備の方は不十分だったらしい。賊がなだれ込む宿など即刻立ち去るべきだ。そうは思うが、まずはこの賊らめを排除しなければ逃げる事もできない。すでに数名を戦闘不能にしたシルヴィアとボーマンは、隙無く入り口を睨み付ける。

「ドルマぁ、どうすんだよあれ!」
「き、聞いてないぞ、こんな手練れがいるなんて」
「ちっ」

 狼狽える手下共を前に、ドルマは舌を打った。

「馬鹿野郎。まだ少しやられただけだろ。一人でだめなら数人掛かりでやりやがれ!」
「お、おお!」

 ドルマの号令で、六人が駆け出す。宿とは言え、立派な屋敷丸ごと貸し切りである。それなりの広さの部屋は、しくも荒事にも向いていた。
 突進してくる荒くれ者の姿に、リリアンが小さく息を呑んだ。シルヴィアの中では、それは悲鳴と同等だ。くわっと目を見開き賊に立ち向かう。
 六人のうち、二人がシルヴィア目掛けて駆けてくる。お互いの手のナイフが照明できらりと光った。
 シルヴィアの左側から男がナイフを振り翳す。それを受け流し、股間を膝で強打してやれば、男は悲鳴とも絶叫ともつかない雄叫びを上げた。
 右側から攻撃をしようと近付いていた男は、そんなヘマをした相方を鼻で笑った。自分はそんな失敗はしない、急所への攻撃も対策済みだと、あえて同じように振りかぶってみせた。シルヴィアは、やはりナイフは受け流して躱し、続けて攻撃を加える。狙いはやはり急所のようで姿勢を低くしている。男が内心にやけていると、ズグンと腹に衝撃が走った。

「えっ」

 直後、熱を感じて見下ろすと、腹からナイフの柄が突き出ている。
 おかしい。女の手には注目していて、ナイフには気を配っていた。現に女の手にはまだナイフが残っている。
 そこまで思い至って、男ははっと床を見る。さっき相方が取り落としたはずのナイフを探したが、それは床に見当たらなかった。

「く、くそ」

 なんたる不覚だ。女だからと言って少しばかり油断し過ぎたかもしれない。相方と同時に仕掛けるべきだったと膝をつく男の耳に、後ろの方からどしゃりと何かが倒れる音が届いた。
 痛みで朦朧とする中、男が目にしたのは、同時に駆け出した四人が派手に投げ飛ばされる姿だった。
 ボーマンは、自分に向かってくるのが四人であったのに拍子抜けした。が、油断する事なく侵入者を睨み付ける。ボーマンの目は細いので、睨んでいると理解されるのかは分からなかったが。
 細いながらも鋭い視線は賊を逃さない。まず突っ込んできた二人のうち、片方のナイフを躱して腕を上腕で挟む。そのまま腕の関節を壊してやった。

「ぎゃあ!」

 腕を掴んだまま、悲鳴を上げた男の体の下へ巨体を滑り込ませる。ボーマンは、背負うようにした男の体を、残った三人目掛けて投げ飛ばした。

「うわあ!」
「ぐえっ」

 投げられた一人に吹き飛ばされた三人は、更にその後ろに控えていた賊も弾き飛ばす。男達の体は壁まで飛んでいって、豪奢な装飾に傷を付けた。床石と壁が割れて派手な音がして、ボーマンの後ろでリリアンがびくりと肩を跳ね上げる。

(お嬢様……!)

 そんなリリアンの姿にボーマンはぐっと奥歯を噛んだ。リリアンは悲鳴を堪え、その場でじっとしている。護衛の動きを阻害しないようにしているのだ。
 そんな姿はいじらしく、同時に腹立たしい。
 リリアンにそんな真似をさせている賊は即刻排除せねば。ボーマンとシルヴィアは視線を合わせる。
 そうしている間に、賊は次の作戦を立てたらしい。集団のほとんどがこちらへ向いてじりじりと距離を詰めている。数で押すつもりのようだ。首謀者もそれに混じっている。
 賊のほとんどは大した腕ではない。だが、首謀者だけは違った雰囲気を纏っている。警戒すべきは首謀者だろうと、二人の認識は一致していた。

「行け! ガキは俺がやる!」
「おお!」

 その首謀者の号令で、賊が一斉に動き出した。雄叫びのような声にリリアンがびくりと肩を揺らし、首謀者の目が剣呑なものへと変わる。シルヴィアは、迫り来る大勢よりも首謀者からリリアンを庇わねば、と咄嗟に体を滑り込ませる。かえってそれがリリアンへ向かっていく賊を増やしてしまっていたのだが、シルヴィアはそれを認識していなかった。
 フォローしようにも、ボーマンの方にもそれなりの人数が向かってくる。首謀者はリリアンしか見ていなく、人垣を分け入るのは厳しそうだ。これは一息にけりをつけなければならなそうだとボーマンが構え直した時だった。庭に面した窓のうちの一枚、ガラスがばりんと割れ、そこから男が飛び込んで来た。一同の視線がそちらへ集中するが、床を転がって受け身を取った男は、起き上がりざまに首謀者へ剣を突き立てる。

「ドルマァ!」

 首謀者の男はその剣を二本のナイフで器用にいなす。が、飛び入った男が蹴りの追撃を入れた為に、左手のナイフを弾き飛ばされてしまう。首謀者の男は忌々しげに舌を打った。

「デリック……!」
「ここまでだ! いい加減にしやがれ!」

 警戒するボーマンとシルヴィアの前に、弾かれたナイフが落ちた。そのまま両者の間で睨み合いが始まる。
 賊は、突然の出来事に驚いて動きが止まっている。デリックと呼ばれた、今飛び入った方がどう出るのか。二人はそれを見極めようと、引き続き警戒しながら様子を見守ることにした。
 そんな中でドルマとデリックの言い争いが始まる。先に口を開いたのはドルマだ。

「いい加減にしろはこっちのセリフだ。こりゃあなんの真似だ。正気か?」
「その言葉、そっくり返すぜ。俺は正気だ」
「……あんだけボコされてすぐに追い付いてきやがって。どういうつもりだ、あァ?」
「ハッキリ言ってやる。俺ァお前にゃ従わねぇ。ドルマよ、これを見てお前、なんも思わねえのか? 仲間を犠牲にする、小さい子供を泣かせる。これがお前を育てたオヤジの教えか? 違うよな?」
「……はあ。テメェまでんな事言いやがって。最っ高に吐き気がするぜ、お前らの家族ごっこはよ」

 ドルマの表情がみるみる歪んでいく。怒りに嫌悪を内混ぜにしたような顔付きは険しく、ヒッとリリアンが小さな悲鳴を上げた。
 その悲鳴はドルマの注意を変えるには至らなかった。ただデリックだけを睨み付けるドルマは、ナイフの切先を向けて叫ぶ。

「俺はな、お前らの世話になったが、育てて貰ったわけじゃねえ。お前らが言ってた通り、ただの孤児の集まりよ。それを共同体だのオヤジだの、虫唾が走る! てめえの都合のいいようにガキを拾っただけの連中が偽善ぶってんじゃねえ!!」

 シルヴィアは、そんな光景に眉を顰めた。彼女の基準では、どう考えてもこの場で起こしていいいさかいではない。

「内輪揉めは他所でやって貰えますか。お嬢様の教育に良くない」
「うるせえ! こいつの後はてめぇらだ、大人しくしておけ!」

 ドルマはシルヴィアを怒鳴りつけると、じっとりした視線をデリックへ向ける。

「団はもう俺のもんだ。逆らうってんなら、殺す」
「……そうかよ」

 デリックは剣を握る手に力を込めた。ドルマは狡猾で、知恵を回して相手を出し抜くのに適していたが、腕っぷしが弱いわけではない。一対一ならやり合えるだろうが、混戦になれば厄介だ。他の連中を相手にしている間に令嬢を狙われればまずい。そうなる前に、殺してでも止めさせるつもりで、デリックは隙を窺う。
 対するドルマも、ナイフの切先をデリックへ向けたままだ。貴族を狙うと決め、羽振りの良さそうな相手を選んだはいいが、滞在する屋敷が立派過ぎた。これまで見た事も無い調度品は壊すには勿体無いし、絨毯はふかふか過ぎて足を取られそうだった。慎重に動かなければ危ういと気付いていたが、おそらくデリックもそうなのだろう。俊足を誇る彼にしては、さっき割って入った時の速さはいまいちだった。
 二人がじりじりと相手の出方を窺い、空気が張り詰める。シルヴィアとボーマンは二人と、それから扉付近の賊らを注意深く観察していた。
 あまり長引いてはリリアンの緊張が限界となってしまう。恐慌状態となって取り乱せば、幼い主の行動が読みきれず守るのが難しくなる。それに、まだ小さいながらも、リリアンは魔力保有量が多い。それが暴走するような事態となれば彼女自身どうなるか分からなかった。そうなる前に窓を破り逃げてもよかったが、もし外で待ち伏せされていたらと思うとそれも躊躇ためらわれる。屋敷周りには警備が居るはずだが、こんな状態では、助けは期待出来ないだろう。
 シルヴィアもボーマンも腕には覚えがあったが、多勢に無勢とはこの事だ。多方向から一斉に切先を向けられればひとたまりもない。闖入者ちんにゅうしゃも、どうやら賊とは敵対するようだが、それがどう影響するかは予測が難しかった。
 どう出るべきかと思考を巡らせていると、デリックが「お嬢ちゃんの侍女さんよ」と声を上げた。

「こいつは俺がやる。あんたらは他の連中を頼む」
「あなたを信用できる材料がありません」
「無いだろうが、そうして貰う他ないんでね。そっちもそうだろ?」

 それにシルヴィアは眉を寄せるが、男の言葉は正しい。緊張を孕んだ声色に嘘のにおいはなく、首謀者を止めようとしているのは偽りではなさそうだった。
 もしも首謀者を止めた後、デリックがリリアンを狙うような事があれば、その時に懲らしめてやればいいだけだ。そう思い、注意深く賊共の様子を注目していた時だった。シルヴィアの後ろのリリアンが、ぴくりと何かに反応した。シルヴィアは、それが恐怖によるものだと思ったのだが、直後に庭に面した窓という窓がビリビリと震え出し、そうではないのだと理解する。

「な、なんだ?」

 そのうち賊共も変化に気付いたようで、困惑の声が上がった。それもそのはず、窓の震えが大きくなるのと同時に、地面からも衝撃を感じたのだ。
 ドン、と下から突き上げるような振動は段々と大きくなっていく。しかも、少しずつ近付いているようである。
 これにはデリックも、それから険しい顔のドルマも視線を巡らせた。ズン、ズン、ズン、という振動は足音のようにも聞こえる。どよめきと、振動に合わせて揺れる家具の音とが、室内に言いようもない不安を広げていく。
 それが突然、間近でふいに収まった。振動も音もぴたりと消える。残ったのは静寂で、かえって困惑する者が多かった。誰もが周囲を見回している。
 一体あの衝撃はなんだったのかと首を捻った時だ。次の変化は唐突に起きた。

「ぎゃっ!」

 どごぉん、という音と共に、壁際に居た賊の一人が悲鳴を残して姿を消したのだ。見れば、壁には大きな穴が空いている。

「な、なんだ?」

 幾人かが穴を覗き込もうと近付くと壁が吹き飛ぶ。周囲の男達を巻き込んで、艶やかな壁だった石材は瓦礫となって室内へ吹き込んでくる。驚いて顔を背けたり腕で防ごうとした者も多かったが、瓦礫の飛び交う速度はかなりのものだ。賊の大半がそれに飲み込まれた。
 重厚な木製の扉は辛うじて部品が繋ぎ止めていたが、外と中を遮る壁が崩壊しては意味を成さないだろう。
 そうしてもはや吹き抜けと化した場所には、一人の男の姿がある。

「おとうさま!」
「リリアン!!」

 瓦礫の向こうに佇む人影にリリアンは叫ぶ。何が起きたのかと、状況を掴めずにいた賊達、とりわけドルマはその言葉に舌を打った。想定よりもずっと、親の帰還が早過ぎる。
 それもそのはず、リリアンに相応しい宝石を自分の手で探すのだと息巻いていたアルベルトは、やる気に満ち溢れていた為に朝から魔力を滾らせていた。濃度の高いそれを鉱山に着くなり広範囲に広げ、鉱脈の位置を割り出す。そして息子レイナードと共に土魔法で一気に大地を抉り、あっという間に原石を掘り出したのだ。
 速攻で用事を済ませ、蜻蛉返りで街へと戻ったのだが、屋敷の方向から感じるリリアンの魔力が妙だった。それで馬車を飛び降り駆けて来たのだが、アルベルトはそこで信じられないものを目にする。
 管理会社が雇っている警備が姿を消し、見るからにガラの悪そうなのが屋敷周辺を警戒していた。それを認識したアルベルトは、何が起きているのかを瞬時に悟ったのだ。
 気付けばアルベルトは最短でリリアンの元へ行けるよう、そこまでの壁という壁を吹き飛ばしていた。

「リリアーーーン!!」

 出来上がった道を進むと、瓦礫の向こうにリリアンの姿がある。その表情は不安に揺らいでいて、それでアルベルトの理性は弾け飛んだ。激情のままに湧き起こる魔力を糧にして、アルベルトはリリアンの元へ急ぐ。
 ドルマと、残った僅かな賊達はそれを阻もうと動いた。が、リリアンの事しか頭に無いアルベルトは、そんな連中は視野に入っていても認識していない。わらわらと群がる前に突風を起こし全部吹き飛ばした。窓ガラスも、全力で地面を蹴るアルベルトからの風圧に負け、通る側からバリンバリン割れていく。
 部屋の端まで跳躍して三歩。腕を伸ばすリリアンの元までやって来たアルベルトは、ぎゅっと娘を抱き締めた。

「ああ、リリアン、もう大丈夫だぞ」
「おとうさまぁ……」

 リリアンの大きな瞳から雫が溢れ、アルベルトの上着に染みを作る。どんどん染みが広がっていくが、アルベルトはそれには構わなかった。

「すまない、怖い思いをさせてしまったんだな」
「う、うぅ~~」
「怖いものはお父様が全部やっつけるからな。大丈夫、大丈夫だ」

 そう言って頭を撫でると、リリアンは一旦落ち着いたが、ふいに思い出してしまうのかまた涙が溢れる。けれども必死に堪えようとする痛ましい姿に胸が締め付けられ、アルベルトの方が泣き出してしまいそうになった。
 が、それではリリアンは一層不安になることだろう。アルベルトは賊共への怒りと合わせて顔に出そうになるのを抑え込み、しがみついて涙を流すリリアンに、できるだけ優しく語りかけた。

「すぐに済ませるから、このままシルヴィアと一緒にここに居なさい。分かったね」
「ぅ、は、はい」
「良い子だ」

 しゃくりあげるリリアンをそっと引き離す。涙の跡を拭うが、不安そうに青い瞳が揺れて、アルベルトの決意がより強固になった。

「く、くそ、なんだお前は。ふざけやがって!」
「ふざけているのは貴様だ」

 このような事態を引き起こした輩を許しておけない。アルベルトは振り向き様にそう言った男の前まで跳ぶと、魔力をみちみちに込めた拳で殴った。殴られた男、ドルマは、反動で地面に叩きつけられた。床の大理石が大きな音を立てて割れたけれど、ドルマは悲鳴すら上げなかった。
 そのままアルベルトは次に狙いを定める。この時点ですでにレイナードとベンジャミンが追い付いており、扉付近で転がっていた賊は捕らえられるか地面に伏したままになっていた。なので、アルベルトはただ一人立っている者へと狙いを定める。

「ちょ、タンマ! 待ッ!!」

 狙われたのはデリックだ。だが、デリックにはすでに争う意思が無かった。デリックの狙いはドルマの阻止であり、アルベルトと敵対する必要がないのだ。ドルマが動けなくなっているのならそれでいいと、降伏の意味で剣を収めていた。しかしながらアルベルトはそれを無視してデリックに襲い掛かる。

「うわっ!」

 デリックはすんでのところでアルベルトの拳を躱す。ビュンッと風を切る音が耳に入るが、実際に拳はデリックの頬も切り裂いていた。頬からは一筋、血が滲んでいる。

「なんだ貴様は!」
「話を聞いてくれ!!」

 アルベルトはそんなデリックに更に攻撃を仕掛ける。アルベルトはこいつを知らないし、状況的に賊の仲間で間違いが無いから、仕留めないとならなかった。膨大な魔力を有するアルベルトは身体能力が高い。それを魔力で強化すれば、大抵の者は一撃で仕留められる。それはさっきドルマで実証した通りだ。
 けれども、デリックはそんなアルベルトの渾身のパンチを避けた。ならばと、次の一撃は先程よりも強く魔力を込めて放つ。が、本当にぎりぎりのところではあったが、デリックはそれさえも躱して後ろへ下がる。

「チッ」

 アルベルトはその事に舌を打った。二回も拳を避けられたのは久方振りだったのだ。確実に仕留めなければならない場面でのこれは許し難い。
 更に魔力を高め、一気に解放する。アルベルトが気合を入れて練り上げたそれは、一瞬の後に分厚い氷となってデリックを床に縫い付けた。

「はあ!?」

 突然、動きを封じられ、デリックはバランスを崩した。その隙をアルベルトは見逃さない。確実に仕留めるため、自身の右手に氷を纏わせた。白く可視化した魔力が手刀を覆う。全力で突きを繰り出すと鋭い切先が現れ、瞬く間に刃物に姿を変える。それは真っ直ぐデリックの首を狙っていた。
 ガラスでできたような鋭利な刃が目の前に迫る。瞬きすら諦めたデリックの命運を、意外な声が掬い上げた。

「おとうさま、待って!」

 リリアンだ。
 その声にアルベルトはびたりと動きを止める。刃は辛うじてデリックには刺さっていなかったが、ぎりぎり触れてしまった皮膚の表面には薄く氷が張っていた。それに気付いているのはデリックだけだった。誰もがアルベルトの元へと駆け寄るリリアンに注目している。
 それはアルベルトもで、リリアンを迎えるためにかそれまで漂わせていた魔力と殺気を霧散させる。両手を広げた際に右手の状態を認識したようで、はっとなっていた。氷はすぐにシュウと音を立てて消える。

「どうしたんだリリアン、危ないから離れていなさい」
「その人はリリーをたすけてくれたの。たたかないであげて」
「それは本当か?」
「本当よ。うそじゃないわ」
「勿論、嘘を言っているとは思っていないとも。どういう状況だったか、お父様に教えてくれるか」

 リリアンは「はい」と頷いてから、転がっている賊の方を指差した。

「あっちの大きな人が、リリーをつかまえるように言っていたの。でもその人は、大きな人をやっつけようとしていたわ」
「そうなのか。偉いぞリリアン、ちゃんと説明が出来るなんてさすがだ」

 リリアンを抱き上げながらちらりとシルヴィアへ視線を向ければ、彼女は肯定するように頷いてみせた。リリアンは恐怖心から誤解することもなく、正しく状況を見極め、それを父親へ伝えたようだ。なんて素晴らしいんだとアルベルトは娘の頭を撫でる。
 リリアンが指した大きな男というのは、ついさっきアルベルトが地面に叩き付けた男、ドルマだ。

「父上、こいつが主犯みたいだ」

 土魔法で賊を拘束していたらしいレイナードが、男の胸ポケットから取り出した物を差し出す。
 年季の入った懐中時計だ。裏側に見た事もない紋章が入っているが、これが団の証なのだろう。

「……そうか」

 答えた声は低く、ひやりと感じるものがあった。至近距離で聞いたリリアンもそわそわしてしまったが、すぐに笑顔を向けられる。

「リリアン、もう心配いらない。部屋でゆっくり休んでいなさい」
「……おとうさま」
「シルヴィアとレイナードがついている。大丈夫だよ」

 そうしてアルベルトはゆっくりリリアンを腕の中から降ろした。リリアンは大人しくそれに従ってアルベルトを見送っているが、リリアンから見えていないのをいい事に、アルベルトは怒りを全面に出している。さっきまでリリアンに見せていた笑顔はすっかり消え、殺意を漲らせた目でドルマを見据えていた。
 そのままむんずと気を失っているドルマの首根っこを掴み、引き摺って出て行く。
 ずるずる体を引き摺られて、しかも首も締まっているようにしか見えなかったが、誰もそれを指摘できない。
 足元を氷漬けにされ、身動きの取れないデリックは、複雑な心境で見送るしかなかった。
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