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第5話 静けさの中で、ふたたび歩き出す
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両親が最後の面会に来た日、病院はひどく静かだった。
「じゃあ、また来るからね」と、母さんは言った。でも“また”は、きっともう二度とない。
父さんは、何も言わずに僕の肩を軽く叩いて、それだけで部屋を出ていった。
――その瞬間から、病院は急に広くなった気がした。
窓の外、遠くの駐車場では、バスや車が出発の時を待っている。
母さんと父さんの姿が小さく見えた。母さんは涙を拭いきれず、父さんがその肩をそっと支えていた。
僕はただ、何も言えずに窓からその様子を見ていた。
“ごめんなさい。本当のことを言えなくて。”
胸の中で、何度もそう繰り返していた。
――僕が生きることを選んだ、と伝えられなかった。
きっと、あの二人は僕が「もうすぐ死ぬ」と思ったまま、新しい場所へ向かうのだろう。
それでも、どうしても勇気が出なかった。
バスのドアが閉まり、二人の姿は遠ざかっていった。
__________________________________________
どこか無人のような静けさに包まれた病棟で、僕は自分の荷物を何度も確認していた。
これから自分1人で生きていく――頭ではそう思っても、不安だけが残った。
そんな時ノックの音がして、桐野さんが顔を覗かせた。
「荷物、手伝おうか?」
「……え?桐野さん?」
居るはずのない人が現れて思わず素っ頓狂な言葉が出た。
「まだ、ここにいたんですね」
もしかすると、まだ迎えのバスがあるのかもしれない。
そりゃ人が多かったし定員オーバーだったのかも。
それにバスだけじゃなくて他の迎えを待っているのか?と1人考えていたら
「まあ、私も色々あってさ。結局、最後までここにいることにしたの」
桐野さんは、どこか照れたように笑うと、
「あなたがちゃんと歩いて外に出られるまで、見届けたい気持ちもあるし」
それだけを言って、何事もないように僕の荷物の整理を始めてくれた。
「……そっか」
胸の奥が、少しだけ温かくなった気がした。
リストのことを話したり、今後どうするかといったことを話そうとした時、再び病室の扉が開く。
「失礼する」
主治医の先生が、いつもと変わらぬ白衣姿で現れた。
「……先生? え、まだ……ここに?」
桐野さんも「先生!?」と本気で驚いている。
「都市へは行かないんですか?」
僕が聞くと、先生はカルテをめくりながら、事務的な口調で答える。
「私はここに残るよ。君たちの診察や管理は、まだ私の仕事だからな」
それだけを言って、脈拍や体温を確認していく。
「先生が自分から残るなんて、想像もしてませんでした」
桐野さんが言うと、先生は一度だけ目を上げる。
「誰かが責任者として残る必要があった。それだけだよ」
それ以上、理由を話すことはなかった。
“本当にこの人は、誰のことも特別に気にしていないように見えるのに、なぜ――”
そんな疑問が胸をよぎる。
(きっと僕の両親が安楽死を望んでいることも、先生は知っていたのだろう。
でも、もし僕自身が“生きたい”と伝えていなければ、
先生もそれに従うだけだったのかもしれない――)
けれど、その本心は先生の中にしまわれたままだ。
_________________________________________
診察が終わると、先生はごく事務的に言う。
「この病院は、しばらく君たちの好きに使えばいい。
食料や薬は限りがある。計画的に使うことだ。……で、君たちは、この先どこへ行くつもりなんだ?」
「まだ……決めていません」
そう答えると、先生は「それなら、なおさらよく考えることだ」と静かに言って、カルテにメモを書き終えると出ていった。
病室には、また静けさが戻る。
カバンの中に、そっと“やりたいことリスト”をしまう。
どれから始めるかは、まだ決まっていないからもう少し考えようと思う。
幸い、ここにまだ居てもいいのだと許可がでた。
波の音が窓の外から静かに響く。
もう、“選ばれなかった”ことを嘆く時間は終わりだ。
僕は、ここから自分の足で歩き始める。
「じゃあ、また来るからね」と、母さんは言った。でも“また”は、きっともう二度とない。
父さんは、何も言わずに僕の肩を軽く叩いて、それだけで部屋を出ていった。
――その瞬間から、病院は急に広くなった気がした。
窓の外、遠くの駐車場では、バスや車が出発の時を待っている。
母さんと父さんの姿が小さく見えた。母さんは涙を拭いきれず、父さんがその肩をそっと支えていた。
僕はただ、何も言えずに窓からその様子を見ていた。
“ごめんなさい。本当のことを言えなくて。”
胸の中で、何度もそう繰り返していた。
――僕が生きることを選んだ、と伝えられなかった。
きっと、あの二人は僕が「もうすぐ死ぬ」と思ったまま、新しい場所へ向かうのだろう。
それでも、どうしても勇気が出なかった。
バスのドアが閉まり、二人の姿は遠ざかっていった。
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どこか無人のような静けさに包まれた病棟で、僕は自分の荷物を何度も確認していた。
これから自分1人で生きていく――頭ではそう思っても、不安だけが残った。
そんな時ノックの音がして、桐野さんが顔を覗かせた。
「荷物、手伝おうか?」
「……え?桐野さん?」
居るはずのない人が現れて思わず素っ頓狂な言葉が出た。
「まだ、ここにいたんですね」
もしかすると、まだ迎えのバスがあるのかもしれない。
そりゃ人が多かったし定員オーバーだったのかも。
それにバスだけじゃなくて他の迎えを待っているのか?と1人考えていたら
「まあ、私も色々あってさ。結局、最後までここにいることにしたの」
桐野さんは、どこか照れたように笑うと、
「あなたがちゃんと歩いて外に出られるまで、見届けたい気持ちもあるし」
それだけを言って、何事もないように僕の荷物の整理を始めてくれた。
「……そっか」
胸の奥が、少しだけ温かくなった気がした。
リストのことを話したり、今後どうするかといったことを話そうとした時、再び病室の扉が開く。
「失礼する」
主治医の先生が、いつもと変わらぬ白衣姿で現れた。
「……先生? え、まだ……ここに?」
桐野さんも「先生!?」と本気で驚いている。
「都市へは行かないんですか?」
僕が聞くと、先生はカルテをめくりながら、事務的な口調で答える。
「私はここに残るよ。君たちの診察や管理は、まだ私の仕事だからな」
それだけを言って、脈拍や体温を確認していく。
「先生が自分から残るなんて、想像もしてませんでした」
桐野さんが言うと、先生は一度だけ目を上げる。
「誰かが責任者として残る必要があった。それだけだよ」
それ以上、理由を話すことはなかった。
“本当にこの人は、誰のことも特別に気にしていないように見えるのに、なぜ――”
そんな疑問が胸をよぎる。
(きっと僕の両親が安楽死を望んでいることも、先生は知っていたのだろう。
でも、もし僕自身が“生きたい”と伝えていなければ、
先生もそれに従うだけだったのかもしれない――)
けれど、その本心は先生の中にしまわれたままだ。
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診察が終わると、先生はごく事務的に言う。
「この病院は、しばらく君たちの好きに使えばいい。
食料や薬は限りがある。計画的に使うことだ。……で、君たちは、この先どこへ行くつもりなんだ?」
「まだ……決めていません」
そう答えると、先生は「それなら、なおさらよく考えることだ」と静かに言って、カルテにメモを書き終えると出ていった。
病室には、また静けさが戻る。
カバンの中に、そっと“やりたいことリスト”をしまう。
どれから始めるかは、まだ決まっていないからもう少し考えようと思う。
幸い、ここにまだ居てもいいのだと許可がでた。
波の音が窓の外から静かに響く。
もう、“選ばれなかった”ことを嘆く時間は終わりだ。
僕は、ここから自分の足で歩き始める。
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