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第7話 動き出す“やりたいことリスト”
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この病院に残ってから、どれくらいの日が過ぎただろう。
最初のうちは、時間の感覚も曖昧で、外の世界のことなんて遠い国の出来事のように思えた。
けれど、今は違う。朝起きてノートに思ったことを書きつけ、リハビリ室で桐野さんや黒川先生と顔を合わせる日々が、新しい“日常”になっていた。
まだ残っている患者さんたちの見回りも、今では自分ができる範囲が増えていき、長距離の移動も楽になってきた。
桐野さんは優しく見守ってくれるし、黒川先生は必要なときだけ事務的に的確な指示を出してくれる。
機械スーツの操作も、やっと慣れてきた。
以前は一人で立ち上がることすらおぼつかなかったのに、最近はゆっくりと自力で廊下を歩けるくらいまで回復してきた。
自分でも驚くくらい、筋力が戻ってきた実感がある。
「頑張ってるな、綾瀬くん」
リハビリのあと、先生が低い声で言う。
彼の表情は相変わらず淡々としているけれど、どこか認めてくれたような気がして、僕は少しだけ誇らしくなった。
「……ありがとうございます」
言いながら、自分の声が前よりもはっきりしてきたことに気づく。
リハビリ室の窓からは、遠くに広がる街と、かすかな海の気配が見えた。
もうずいぶん昔に家族と暮らしていたあの場所も、どこかにあるのだろうか――そんなことをぼんやりと考えてしまう。
___________________________________________
病室に戻ると、やけに静かだった。
外では波の音と遠くでカラスが鳴く声が混ざって、ほんの少しだけ季節の変化を感じさせる。
ベッドの上でノートを開いて、“今日思ったこと”や“ふと思い出した記憶”を書き連ねていく。
ノートは、誰にも見せない、自分だけの場所だ。
けれど今日は、もうひとつやるべきことがあった。
ベッドサイドの引き出しから、病院から借りている端末を取り出す。
院内専用のため、外には持ち出せない。
でも、その分だけ、ここに書いたことは“きっと誰かの目に留まるかもしれない”と、少しだけ未来のことを考えられる。
僕は、ノートを見返しながら、端末のメモ帳アプリを開いた。
「やりたいことリスト」
画面のいちばん上に、指でゆっくりと文字を打ち込む。
家に帰る。
昔の写真やアルバムをもう一度見てみたい。
前に通っていた学校に行ってみたい。
……それ以外にも、ノートに書き出したことはあるけど本当にやりたいのか?と端末に打ち込む前に止まってしまう。
まだ上手く言葉にならない。
何度か書き直しながら、画面を見つめる。
「このリストが、今の僕の“未来”なんだ」――そんな気持ちがふと込み上げてきた。
僕は、じっと端末の画面を見つめながら、心の奥で決意する。
“家に帰ろう。自分の目で、もう一度あの場所を確かめたい”
そう書き終えた瞬間、背後から静かなノックの音がした。
「綾瀬くん、少し話していいか?」
黒川先生だった。彼は相変わらず白衣のまま、カルテを片手に立っている。
「はい」
「調子はどうだ?」
「おかげさまで、リハビリも順調です。機械スーツも、だいぶ自分で扱えるようになってきました」
先生は無言でうなずくと、ベッドサイドの端末にちらりと視線を向ける。
「その端末、記録用に使っているのか?」
「……はい。外ではノートに書いて、戻ったらここにまとめてます。いつか、誰かが見てくれるかもしれないと思って」
「それでいい。最近の様子を見れば無理をしすぎなければ、外出も許可できるほどに回復している。……だが、必ず誰かに伝えてから出ること。そして私か桐野さんを連れて外出すること。そして何かあれば、すぐに戻るように」
先生の言葉には、少しだけ優しさが混じっていた。
「……分かりました」
先生は短くうなずくと、いつものように淡々と病室を出ていった。
扉が閉まったあと、僕は再び端末を見つめた。
――“ここから、始めよう”
今までは、ただ受け入れるだけの毎日だった。
けれど、これからは自分で何かを選ぶことができる。
それが、どれほど心強いことか――今なら分かる気がした。
静かな夕暮れの中で、小さな画面の文字が、僕にとっての“新しい一歩”になった。
最初のうちは、時間の感覚も曖昧で、外の世界のことなんて遠い国の出来事のように思えた。
けれど、今は違う。朝起きてノートに思ったことを書きつけ、リハビリ室で桐野さんや黒川先生と顔を合わせる日々が、新しい“日常”になっていた。
まだ残っている患者さんたちの見回りも、今では自分ができる範囲が増えていき、長距離の移動も楽になってきた。
桐野さんは優しく見守ってくれるし、黒川先生は必要なときだけ事務的に的確な指示を出してくれる。
機械スーツの操作も、やっと慣れてきた。
以前は一人で立ち上がることすらおぼつかなかったのに、最近はゆっくりと自力で廊下を歩けるくらいまで回復してきた。
自分でも驚くくらい、筋力が戻ってきた実感がある。
「頑張ってるな、綾瀬くん」
リハビリのあと、先生が低い声で言う。
彼の表情は相変わらず淡々としているけれど、どこか認めてくれたような気がして、僕は少しだけ誇らしくなった。
「……ありがとうございます」
言いながら、自分の声が前よりもはっきりしてきたことに気づく。
リハビリ室の窓からは、遠くに広がる街と、かすかな海の気配が見えた。
もうずいぶん昔に家族と暮らしていたあの場所も、どこかにあるのだろうか――そんなことをぼんやりと考えてしまう。
___________________________________________
病室に戻ると、やけに静かだった。
外では波の音と遠くでカラスが鳴く声が混ざって、ほんの少しだけ季節の変化を感じさせる。
ベッドの上でノートを開いて、“今日思ったこと”や“ふと思い出した記憶”を書き連ねていく。
ノートは、誰にも見せない、自分だけの場所だ。
けれど今日は、もうひとつやるべきことがあった。
ベッドサイドの引き出しから、病院から借りている端末を取り出す。
院内専用のため、外には持ち出せない。
でも、その分だけ、ここに書いたことは“きっと誰かの目に留まるかもしれない”と、少しだけ未来のことを考えられる。
僕は、ノートを見返しながら、端末のメモ帳アプリを開いた。
「やりたいことリスト」
画面のいちばん上に、指でゆっくりと文字を打ち込む。
家に帰る。
昔の写真やアルバムをもう一度見てみたい。
前に通っていた学校に行ってみたい。
……それ以外にも、ノートに書き出したことはあるけど本当にやりたいのか?と端末に打ち込む前に止まってしまう。
まだ上手く言葉にならない。
何度か書き直しながら、画面を見つめる。
「このリストが、今の僕の“未来”なんだ」――そんな気持ちがふと込み上げてきた。
僕は、じっと端末の画面を見つめながら、心の奥で決意する。
“家に帰ろう。自分の目で、もう一度あの場所を確かめたい”
そう書き終えた瞬間、背後から静かなノックの音がした。
「綾瀬くん、少し話していいか?」
黒川先生だった。彼は相変わらず白衣のまま、カルテを片手に立っている。
「はい」
「調子はどうだ?」
「おかげさまで、リハビリも順調です。機械スーツも、だいぶ自分で扱えるようになってきました」
先生は無言でうなずくと、ベッドサイドの端末にちらりと視線を向ける。
「その端末、記録用に使っているのか?」
「……はい。外ではノートに書いて、戻ったらここにまとめてます。いつか、誰かが見てくれるかもしれないと思って」
「それでいい。最近の様子を見れば無理をしすぎなければ、外出も許可できるほどに回復している。……だが、必ず誰かに伝えてから出ること。そして私か桐野さんを連れて外出すること。そして何かあれば、すぐに戻るように」
先生の言葉には、少しだけ優しさが混じっていた。
「……分かりました」
先生は短くうなずくと、いつものように淡々と病室を出ていった。
扉が閉まったあと、僕は再び端末を見つめた。
――“ここから、始めよう”
今までは、ただ受け入れるだけの毎日だった。
けれど、これからは自分で何かを選ぶことができる。
それが、どれほど心強いことか――今なら分かる気がした。
静かな夕暮れの中で、小さな画面の文字が、僕にとっての“新しい一歩”になった。
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