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2.邸
しおりを挟むひっそりとした森を抜けると、そこには茶色い立派な建物が建っていた。
黒い門は、彼が立つとまるで意志を持っているかのようにスッと開き、赤い薔薇が咲き乱れる庭を二人でゆっくりと散策しながら奥へと進む。
「あの……前にも会った事が?」
馨しい花の香りに包まれた石畳の途中で、足を止めた俺は、じっと彼を見つめたままそう告げた。
風に乗り流れる花弁が、フワッと彼と俺の間を通り抜ける。
不躾な質問に彼は不可解な顔をすることなく、にっこりと綺麗に微笑んだ。
「……君のような可愛い子、1度見たら忘れないと思うけれど?」
造形は瓜二つ。
だが、目の前の聖人君子な彼は俺のことを知らないと言う。
――似てるけど、もっと色気が溢れかえる感じだったよな。この人は爽やかのひと言に尽きる雰囲気だし、昼と夜みたいに対照的だ。
やっぱり違うのか……
こうして俺の脳内は、2人は別人だと認識した。
話をしながらいつの間にか辿り着いた邸の中には、沢山の人達が頭を下げて彼を出迎えていた。
「好きに寛いでくれ。すぐに温かい紅茶を持って来させよう」
「自分の部屋だ」という場所は、黒と金で彩られた美しい場所だった。
金色の大きなシャンデリア、人が横たわる事が出来そうなテーブルの奥には、見るからに座り心地の良さそうな黒革のソファー。
暖炉の上には悪魔に抱かれた天使の、大きな絵画が飾られている。
ふわっと身体を包み込んでくれるようなソファーに座ると、すぐに給仕服の女性が温かな紅茶を淹れてくれた。
軽く会釈をしながらそのカップに手を伸ばすと、グッとソファーが沈み込む。
いつの間にか、白シャツとグレーのベスト姿になった彼が、俺の隣に腰掛けていた。
広いソファーにも関わらず、彼の身体は俺と隙間ないほどピッタリと密着している。
袖を捲った彼の腕と自分の腕がぴとっと触れ合えば、反射でビクッと身体が震える。
腰を浮かせ、距離を取ろうと少しばかり右に座り直すと、彼も同じだけ右に動く。
なんでそんなにくっつきたがるんだ……。
「少し狭いです」なんて苦言を呈そうかと、カップを手にしたまま、隣の彼を見上げると金色の瞳と視線が交わり、思わずドキッとする。
――心臓が、バクバクする……?
「どうした?」と言わんばかりに傾げた白い首に漆黒の後ろ毛が這う姿は、どこか妖艶で――しばらくその姿に魅入ってしまう。
「私の顔に何か付いてる?」
穏やかな音色にも似た声が聞こえると、俺はハッと意識をその場に戻す。
いけない、つい見てしまった。初対面の人をじろじろ見るのって、きっと失礼だよな。
「あ、いや……綺麗な顔だなと思って」
パッと顔を手元のカップへと戻し、どこに向ければ良いか分からない視線を目の前で緩やかに波打つ飴色の液体へと向けた。
「そう? それは嬉しいな、ありがとう。君、名前は?」
「な、まえ……?」
その問いに、今度は紅茶が大きく揺れる。
キュッと下唇を噛んだまま、手にしたカップをテーブルへと戻し、膝の上でキュッと拳を握る。
名前――俺の、なまえ。
思い出そうとどうにか記憶を手繰り寄せるが、真っ白な頭の中からはなんの答えも生み出せない。
「……もしかして分からないのか?」
その言葉には、首を縦に振るしかなかった。
俺の名前……それは俺も教えて欲しい。
困ったように俯いていると、いつの間にか腰に添えられていた手が、そっと俺の頭を撫でる。
「それなら……そうだな。この場では、君の事をロシェルと呼ぼうか」
「ロシェル……?」
項垂れていた頭を元の位置へと戻し、彼の方へ顔を向けると、そこには花のように美しい笑顔があった。
「あぁ、名前が無いと不便だろう。私はレヴィアだよ、よろしくね」
「は、はい。レヴィア……」
――名前……ロシェル……
その名を心の中で何度も繰り返す。それは初めて聞いた筈なのに、どこか耳に馴染む。
その名前を受け入れるかのように、俺はうなずいた。
「身体、冷えたんじゃないか? 湯浴みをしてくるといい。その間に服を用意させよう」
そう言って彼はもう一度俺の頭を撫で、先程入った扉とは別の扉へと俺を案内した。
黒い扉に、金色の細かい装飾が施された扉。
先に立ち上がったレヴィアに連れられ、その中へと向かった。
◇◇◇
案内された場所は部屋とは対照的な、白くて綺麗な浴場だった。
「ここで着替えるといい」と言われた場所には、大きな鏡が掛けられている。
「こんな顔してるんだ」
花のモチーフに縁取られた鏡に写る、1人の男性の顔に俺はそっと手を当てた。
左分けの白金の髪。その長い前髪の間からは白いまつ毛を携えた緑色の大きな瞳が、じっとこちらを見ている。
「レヴィアとは正反対だ」
もちっとした頬とぽってりとした赤い唇のお陰で、自分の性別は男女どちらかと一瞬迷ってしまう。
対して彼は、男らしい顔付きだった。
それは顔立ちだけでなく、自分よりも大きくガッチリとした体格もあるだろう。
それに比べて俺は、細い腕にぺらっとした肉体。
「……もしかして、女の子だと思って連れて来た、とか?」
今宵の相手――とか。
そんな貴族の話を、本で読んだことがある。
人気の無い場所に別荘を建て、身分を隠し辺鄙な地で相手を探して遊ぶ。
話し方や立ち居振る舞いが上品な彼は、貴族に当てはまる気がした。
「性欲なんて皆無の爽やかな顔してたけど、レヴィアも男だし……もしそうなら――申し訳ないな。立派な名前まで貰って」
そう言って狭い肩幅を、白い腕でぎゅっと抱き締めた。
◇◇◇
身体を清め再び脱衣所に戻ると、いつの間にか脱いだ布は回収され、代わりに綺麗に畳まれた服が用意されていた。
用意されていた白い大きなシャツ1枚を着た僕は、再び大きな鏡に視線を向ける。
「み、短くないか……?」
股下までしかないそれは、動くたびに股がスースーする。
確かにそれまでは、布1枚巻いただけで下着も着けずに生活してたから、この状態に慣れているといえばそうなのだが。
チラッと、シャツの裾を捲ってみる。
「……絶対女の子って勘違いしてるよ……」
シャツと一緒に用意されていたもの。それは布面積が限りなく小さなレースの三角布が横の紐で留められた下着。
「……なにも守れない」
ピンク色の布からはみ出る己のソレに、思わず顔を赤らめた。
これは、彼にしっかり伝えるしかない。
「俺は男で、営みの相手は出来ないって……」
せっかく良くしてもらったのに申し訳ないが、そこは生物学上の問題だ、出来ないものは出来ない。
「よし」と自分に気合いを入れ、黒い扉をキィッと開けた。
「しっかり温まったか? ……おいで、まだ髪が濡れている」
部屋に戻ると、先程のソファーに座ったままのレヴィアが「おいでおいで」と手招きする。
「今から言おう」そんな事を考えながら息を呑み、彼の元へと向かう。
「あ、あのッ……」
「とても似合ってる、可愛らしいよ、ロシエル」
彼の金色の瞳が、ソファーの横へ立ったままの俺を舐めるように見つめている。
鋭い視線が、じっと下腹部に向かっていることに気が付き、キュッと内股を閉じた。
――可愛い、か。やっぱり……そうなんだ。
俺はキュッと下唇を噛み、意を決して彼の方を向き直る。
「あ、あの……レヴィア、俺は男です」
「うん、知っているよ」
「へ?」
変な声が出た。
これだけ――いや主に下着だが――女性の物をあてがっておいて、彼は平然とそう言ってのけたのだ。
「だってどこからどう見ても男性だよね」
俺がキョトンとした顔をすると、彼もそれに倣ってキョトンとした顔をする。
この人は何を考えている……?
「夜を共にする女の子だと思って連れて来たんじゃ? 俺男だからそういうの出来ないし……」
ポロッとそんな言葉が俺の口から零れると、レヴィアはクスクスと笑い始める。
「そんなつもりは毛頭無いよ。君が行く宛てが無いみたいだったから。寒々しい姿で風邪をひいてしまわないか心配になってね」
違った。本当にただの親切な人だった。
相変わらずレヴィアは、聖職者のような穏やかな笑顔で俺を見ている。
そうだよな……こんな清々しい雰囲気の漂う人間が、よく知らない相手を誑かして襲うなんて、あるわけない。
「すいません、俺、失礼な事を……」
「気にしないで。突然邸に連れてこられたんだ、そう思っても無理はない」
慌てて頭を下げる。たかが本で得た知識を鵜呑みにして、言っていい事と悪いことがある。
「怒ったかな」なんて、チラッと目線を上げると、彼は口元に手を当てたまま、じっとこちらを見つめている。
――その口角が、片方だけつり上がっていることに……その時は気付きもしなかった。
「……でもこの下着女の子用ですよね?」
話を戻して。俺が男性だって分かってるなら、どうしてこんな下着用意したんだろうか。もしや、メイドが勘違いしたとか?
相変わらず熱心な視線を受けながら、震える手でシャツの裾を捲り、件の場所を彼に見せた。
現れたのは、ピンク色の小さな面積の、防御力ゼロであろう下着。
俺の行動に、彼は少し驚いたように目を開いている。
だがそれは、すぐにイイ笑顔へと変わった。
「いや、これは男性用だよ」
流石に耳を疑った。いやでも、外の世界ではこれが主流なのかもしれない。
ならば……彼のシュッとしたあのズボンの奥も同じような下着を着けているのだろうか。
ゴクリと唾を飲み込み、思わず開かれた股の間に熱い視線を送ってしまう。
「じゃあ、レヴィアも?」
「勿論、私は履かないよ」
本日何度目か分からない「え?」を返そうとした時、彼の熱い視線が、ある一点に向けられている事に気が付いた。
うっとりと――とろけそうな恍惚とした表情で、レヴィアは例の小さな布を見つめる。
――彼の綺麗な瞳が見ている……俺の恥ずかしい場所……
彼の蛇のような視線を感じると、どういう訳か身体がじわじわと熱くなり始める。
閉じかけていた内腿からは力が抜け、今度は逆に彼に見られたいと言わんばかりにジワジワと開いていく。
同時に、ピクっとはみ出たソレが重たげな頭を持ち上げ始めた。
な、なにこれ……どうして反応するの!?
もうずっとひとりで過ごし、まるで欲の無い生き方をしていた俺にとって、これは未知の出来事。
本で性交のシーンは何度も読んだから、知識が無い訳ではない。
ただ、いざ自分の身に起こると……それは話が変わってくる。
しかもなんだか、身体が熱くてゾクゾクする。
「み、見ないでください……」
慌てて緩んでいた内腿にグッと力を入れるも、そこへ伸びた彼の手が、閉じるのを許してくれない。
「そう? 見て欲しそうだけれど」
目線を上げたレヴィアと視線が交わり、俺の顔は真っ赤になる。だってそこにあるのは……スッと光を無くし、瞳孔が開いた獣みたいな金色の眼。
沸騰しそうなくらい紅潮したまま固まった俺の姿に、クスッと笑ったかと思えば、彼はペロリと舌なめずりをする。
紅い舌が這いずる姿に、ゾクッと背が震える。
――レヴィア、ずっと見てる。俺のだらしない下半身を……
同時に頭を擡げたアレの先っぽから、つうっと液が零れた。
「……ッ!! あ、えと……これ、は……」
「ロシェルは露出の癖があるのかな」
「ろ、ろしゅっ……な、無いですッ!!」
とんでもない言葉に、俺は首を大きく横に振る。
まさか、そんなとんでもない物がある訳ない。
でも確かに……レヴィアに見られる度に、身体全部が沸騰したみたいに熱くなり、三角の布を持ち上げたソレからはコプッと音を立て白いものが溢れ出す。
「ちなみにね……夜の相手は別に女の子である必要は無いんだよ」
「……えっ!?」
次の瞬間内腿の流れた体液を、長い指がスッと掬い取ると、バクバクと心臓が跳ね上がる。
何してるんだこの人……そんなの、触ると汚いだろ……
「寧ろ、私の癖はそちらだし」
そのまま濡れた指が、足の付け根の方へと這うと、ビクビクっと方が揺れる。
「んッ……やっ、んぅ……」
自分の口から零れた甘い声に驚き、思わず両手で口を塞ぐ。
な、んだ、今の声……誰ッ!?
完全にパニックになり、涙を滲ませる俺。……目の前のレヴィアも、ポカンとした顔をしている。
気絶しそうになった。
いやもう、倒れた方がいっそ楽なのではなかろうか。
――へ、変な声出して……気持ち悪いって思ったよね!?
口元を手で隠したまま、チラッとレヴィアの方を見遣る。
彼は相も変わらず、穏やかな顔でほほ笑んでおり、優しく揺れる金色の瞳の奥が何を思っているのか――一切読み取ることが出来ない。
じっとりとした彼の視線は、いったい何を意味するのだろう。
「なーんて、ね。冗談。君の反応が可愛くて意地悪をした。直ぐ下に履くものを持って来させよう」
パッと太腿から手が離れたかと思えば、レヴィアは傍に立つスーツ姿の男に指示を送る。
こくん、と首を縦に振ると――「随分とピュアになったもんだ」とひと際低い声が聞こえた気がした。
「……え?」
「どういう意味だろう」と顔を上げるも、そこには「どうしたの?」と首を傾げる聖人君子が居るだけ。
キラキラ輝く笑顔に負け、俺は意味を訊ねたい言葉を飲み込み、はだけたシャツを静かに直した。
――さっきの、レヴィアに見られてるの身体が熱くなるの……一体なんだったんだろう。
覚えのない感覚に戸惑っていると、すぐに黒いズボンが手渡された。そそくさとそれを履くと、レヴィアが「おいで」と自分の隣をポンポンと手で示した。
いまだ熱い心を落ち着かせようとまだ飲みきっていない紅茶に手を伸ばす。
するとその紅茶はいつの間にか真新しい物に変えられていた。
先程からテーブルの向こうで綺麗に立つ、メイドの仕事だろうか。赤髪を綺麗に纏めた彼女をじっと見つめるが、彼女はピクリとも動かない。相当な教育が行われているのだろうか。
「レヴィアは何者なんですか? こんな大きな邸に住んで……やっぱり貴族?」
おだやかな甘い香りのする紅茶に口を付けながら、相も変わらず密着状態で隣に座るレヴィアに問い掛ける。
同じようにカップに口を付けている彼は、静かに喉を鳴らしそれを飲み込むと、にっこりと微笑んだ。
「私? 私は、そうだな……王子様だよ」
カップをソーサーに置きながら、真意の読めない笑顔で彼はそう告げる。
「……絶対嘘」
つい、ジトっとした目線を彼に送る。
いい人なんだけど……どこか胡散臭い。
清廉潔白な顔をしながら、先程から軽口を叩く彼の事が信用の置ける人物なのか悩んでしまう。
「ホントだよ、酷いなぁ。君を獣から救った、王子様。違うかな?」
確かに、森の中で颯爽と現れ獣を斬ったあの後ろ姿は、紛れもなくカッコ良い王子様ではあった。
だとしても、だ。ならば疑問は増すばかり。
「それは、そうですけど……なら、何で王子様がこんな森の外れに住んでるんですか」
「んー、趣味?」
笑顔を崩さない彼に、少し身構えたポーズを取る。やっぱりこの人は怪しい人だったか?
「趣味って……それでこんな辺鄙な場所に? やっぱり別荘で夜な夜な相手を探してるんじゃ」
「違うよ、それにここは本邸。まぁ便利とは言えな居場所だけど、暮らすのに不自由はないと思うよ。欲しいものがあれば何でも言いなさい」
猫が威嚇するのを真似る俺の頭を「安心して、悪いようにはしないから」と、彼の優しい手が頭を撫でる。
その心地良さに、ほわっと心が絆されかける……が、おれは彼が最後に言った言葉を聞き逃しはしなかった。
「……なんだか俺も住むみたいな言い方……」
「そうだよ。これから宜しくね、ロシェル」
頭に置かれていた手が、スっと目の前に差し出される。
その手を掴むか――悩む俺の右手は、膝の上でグッと握られたまま。
――このよく分からない人と一緒に居て大丈夫なのか?
心の中の危険信号がピコっと音を立てて鳴っている。
――かと言って、ここを出たとしても……
チラリと目線を上げれば、彼の金色の目も「行く宛てなんてないだろう?」と告げている。
こうして俺は震える右手を、差し出された大きな手にそっと重ねた。
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