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3.恋人契約
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銀髪の青年――ヴィクターと名乗る男に連れてこられた先は、まさかの騎士団本部だった。
石造りの、重厚感ある大きな建物――その最上階である5階の一室、漆黒に金の細工が施されたドアの向こうで、件の男が私を待ち構えていた。
「まぁ座れよ」
偉そうに背もたれに寄りかかっていた彼は立ち上がり、未だ入口で立ち止まっていた私を「どうぞ」と中へ誘った。
ニッコリと余所行きの笑顔を見るや、忽ち私の眉毛と口角はピクピクと痙攣を始める。
「あ、貴方、騎士団長だったのぉぉ!?」
「俗物まみれのお前が、まさか聖女だったとはな」
崩れた顔面をそのままに、促されるまま黒い革張りのソファーに腰掛けて辺りを見回す。広い部屋の中は綺麗に整頓されており、清潔感すら漂っていた。
壁に掛けたれた幾つもの派手な剣や、その横に置かれた青光りする程の白い豪華な鎧は、彼が組織の権力者である事を示している。
式典があったばかりだし、疑いようなんてないんだけどね。それでも心のどこかで、間違いであって欲しいと思ったのよ……
室内を横目で観察していると、ヴィクターが1杯の温かい紅茶を用意してくれていた。
熟した果実のようなエレガントな香りが立つ、目の前のティーカップに早速口を付けると、座り心地のよいソファーの隣が深く沈み込む。
「何を……しているのかしら?」
「何って? 昨日の続きだが」
まさかの、隣に腰掛けたジルレスターの長い腕が私の腰へと回っている。
「ふっ、ふざけないで。恋人でも無いくせにそんなベタベタベタと」
彼の胸を押し、距離を取ろうとすれば腰へと回された手にグッと力が入る。
「なら恋人になれよ、アイリーン」
耳元に押し当てられた彼の唇が、まるで煮詰めた砂糖のような――それはそれは甘ったるい声でそう囁いた。
「――はい? なんで私が」
脳を溶かすような激甘な声から逃げるよう顔を離し、ジトッと彼の顔を見上げる。
すると彼はフフンッと私を見下ろしながら鼻で笑う。
うん、揶揄っているのかしら?
「信用ならん」と書いた頬を、彼の大きな手が優しく撫でる。
「お前が俺好みで可愛いからだ」
「まぁ、それは分かるけれど」
「否定しないのかよ」
当然の事を言われ腕を組んで頷くと、頭上から「ふはっ」と吹き出す声が聞こえる。
「そんな事ないですわ」なんて、そこら辺の令嬢みたいな謙遜はしないわよ、私。
別に自分の事を可愛いと思っているのは、罪じゃないでしょ。
「いやでも流石に恋人って」
私が可愛いという世界の共通認識は置いておいて――いきなり恋人になれって言われて「はい喜んでー」なんて言える訳ないでしょ、幾ら相手がこの世の宝ほどの顔をお持ちであってもよ。
私は! 政略などではなくきちんと恋愛して、互いを想い合えるような人と恋人になりたい。
だから22歳になるまで、恋人が居なかった無い訳じゃないの――時代が私に追い付いていないだけ。
そんな私の様子をじっと見ていた彼が「ふーん」と小さく唸る。そして耳のピアスがチャリッと音を立てると同時に、瞬く間に綺麗な顔面があの悪魔仕様の笑いへと変化していったのだ。
「……皆に敬愛される聖女様が、夜な夜な潰れかけのバーで酒に溺れながらクダ巻いてるって話、国民は知っているのか?」
片口角の上がった口許から吐き出された言葉に、意気込んでいた私の肩がピクっと揺れる。
「そ、ソレハ……」
「献金が少ないだなんだと、マスターに愚痴を言う姿は?」
「ナンノハナシカシラ」
宙を見つめ、とぼけ続ける私に対する彼の口撃は止まる様子を見せない。
これは、不味い相手に弱みを握られてしまったのでは。
タラっと背中に一筋の汗が流れる。
「見ず知らずの男に注がれた酒をガブガブと飲み、酔い潰れ甘えるなんて事を人々が知ったら……」
ごめんなさい、お父様お母様メイザ。私はこの悪魔を撃退する方法がわからないわ。だって私、ナンチャッテ聖女なんですもの。
勢いよく右手を、その場で大きく上げる。
「ハイ! 喜んで! 喜んで恋人にならせて頂きますわ!!」
「交渉成立だな」
やけくそ気味の返答に彼は、それはそれは満足そうに微笑んでいた。
だって――ただでさえ多いとは言えない信者が減ってしまっては、私の未来は無いも同然。チリツモ献金が無くなってしまっては、本懐を遂げる事が更に遠退いてしまう。
――ならば私の答えは、ひとつしかない。
「誠心誠意努めさせていただきます……」
これまでの威勢はどこへやら。借りてきた猫のようになる私の頭上から、クスクスと笑い声が聞こえてくる。
「いい心掛けだ。まぁ、固く考えるなよ。そうだな……契約上くらいに思ってくれてもいい。俺としては恋人がいると言う体が欲しいんだ」
そんな彼の言葉に、項垂れていた私は顔を上げ、不思議そうに首を傾げた。
「……偽恋人ってこと? なんでまた……ジャガイモ女にでも言い寄られているの?」
全くもって理解が出来ないという私を察したのか、「……ジャガイモ?」と一人呟きながら彼は立ち上がり先程まで居た執務机に行ったかと思えば、大量の紙束を持ち帰った。
「こういう事だ」
紅茶カップの横に、これまでの人生で拝んだことがない程の紙束がドンッと置かれた。
どうにかバランスを保ってはいるが、少しでも振動を加えればすぐさま崩れ落ちてしまいそうな――そんな山積みの書類が私の前に聳え立つ。
「なにこれ。なにかの資料? 凄い数ね」
まじまじとそれを見つめる私に、数枚の紙が差し出される。
「俺が帰国し、即寄せられた各方面からの茶会の誘いだ」
「はぁ!? う、嘘でしょ」
「そう思うなら見てみろよ」
驚き震える手を伸ばし、その紙束の数枚を受け取り目を落とす。
てっきり書類だと思っていたそれは、綺麗に伸ばされた手紙だった。
「なになに……これめちゃくちゃ大富豪貴族のご令嬢じゃない。こっちは絶世の美女と有名な侯爵家のご令嬢――まぁ、私ほどじゃないけど。性格キツそうだし」
どれもこれも、聞いた事がある名前ばかり。
その全てから、あわよくばジルレスター様とどうにかなろうという下心が滲み出ている。
唖然としながらすっかりその手紙たちに見入っていると、パッと彼の手でそれらは取り上げられてしまった。
「あっ」と不満そうな声を上げる私を横目に、ジルレスターは本当に興味が無いのか、ポイッとテーブルの上にそれらを投げてしまった。
「正直、こんな物に行く程俺は暇じゃないし興味もない。だからいっそ、恋人が居るという事にすれば手っ取り早いかと思ってな」
「モテ男も大変ねぇ」
手持ち無沙汰になった私は、再び香り高い紅茶を手に取る。
口を付け「ほぅ」とひと息付いたのを見計らったのか隣に腰掛けたジルレスター様が、長い指を私の顎に掛けクイッと自分の方へと向けた。
「それにな……お前程の美しい顔、そんじょそこらには居ないだろ」
「……へ?」
吸い込まれそうな青の目にじっと見つめられると、思わず心臓がドキッと大きな音を立てる。
そんな真剣な眼差しで見られると――目を逸らす事が出来ないじゃない。
握ったままの半分程に減った紅茶が、カタカタと波打つ。
――ど、どうしよう。心臓が凄い音。顔が、熱い。
反対の手で持つソーサーをギュッと握ると、ふっとその男らしくて整った顔が、柔和な表情に変わった。
「本当に可愛らしい――ミアそっくりだ」
それまで高鳴っていた鼓動が、そのひと言で一瞬にしてスンっと遥か彼方へと消え去り――代わりに顬がヒクヒクと痙攣を始める。
「は? ……え、誰よそれ。想い人が居るなら尚更、偽の恋人なんて私にも相手にも失礼でしょうよ。ってか、さっさと想い伝えなさいよ、どうせ上手くいくわよその顔面なら」
不機嫌そうに顎に置かれたままの手を振り払うと、「あぁ」と小さく頷いた彼が、黒い軍服の内ポケットから1枚の写真を取り出し、私に見せた。
「実家にいる愛猫のミアだ。どうだ、このクリっとした大きなルビー色の目、艶々とした琥珀色の毛並み、機嫌良く鳴いた時にグッと上がる口角がまた可愛らしい。肉球も綺麗なピンク色――それにミアは猫ではあるが非常の人懐っこくて……」
そこには上品の2文字がそれはそれは良く似合う長毛の猫が、ベッドの上で寛ぐ姿が写し出されていた。
彼が言うのと相違なく、大きなきゅるんきゅるんの目が特徴の非常に可愛らしい猫。
「ね、こ……」
思ってもいない単語に、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が走る。
「目に入れても痛くない――とにかく俺はミアを、世界で一番愛している」
うっとりと写真を見つめるジルレスター様のご尊顔は、見た事無いほどにデレッデレに蕩けていた。
写真の中の頭をよしよしと撫でる姿は、多少引くものすらある。
「……貴方、絶対今まで恋人居なかったでしょ」
少し異常にも見えるその愛し方に、思わず心の声が漏れた。
「さぁな? 俺はミアがずっと恋人だ。なぁ、ミア」
また写真に向かって話し掛けてる――
こんなにもイケメンなのに、こんなにも拗らしてるなんて……一周まわって可哀想。
「頭が痛くなってきた」
手にしていた紅茶をテーブルへと戻し、文字通りその場で頭を抱える。
「お前だってミアと同じくらいに可愛いぞ、アイリーン。俺の恋人になったからには全身全霊、全力で愛してやる」
「は、はぁ? 何よいきなり」
いや比較対象――猫って。
いや、そりゃ猫は可愛いし私も好きだけれども。
それ迄、大切そうに握っていた写真を胸ポケットに収めたジルレスター様が「うーん」と唸り声を上げる私の頭をポンポンっと撫でた。
「愛してるぞ、アイリーン」
その言葉と共に、私の身体はエキゾチックな香りに包まれる。
背中に回った逞しい腕、密着した身体――それらの何と暖かい事か。
まって、成り行きで今しがた恋人契約結んだばかりでしょ、私たち!?
距離の詰め方おかしい――というか、気持ち入るの早すぎない? テイが欲しいだけって言ってたわよね??
「ま、待って。わたし別に貴方のこと好きって訳じゃ……」
慌てて首を大きく横に振り、おずおずと彼の顔を見上げる。
そこにあるのは、相も変わらずの甘ったるい顔。
「本当に嫌なら引っぱたけば良い。お前の気位ならそれが出来るだろ?」
この短時間で私への理解度が深いじゃない。そこは褒めるわ。
「なら遠慮なく」と手を上げ――暫く宙に留まったその手は――そのまま下へとだらしなく垂れた。
この顔面でさえなければッ!!
「……流石にその綺麗な顔を引っぱたくなんて出来ないわ」
面食いに生まれた以上、美しい造形に傷なんて付けられない。それに……これは口が裂けても言えないけれど。
――誰かに抱き締められたなんて、久しぶりなの。
お父様やお母様の腕も、こんな風に暖かかったな……
当時の温もりを思い出し、ぎゅっと胸が掴まれる。
「大丈夫、……わたしはひとりで、平気なんだから」
家族の事を思い出す度に、呪いのように唱えてきた言葉が、つい口から零れ落ちる。
思わずハッと顔を上げたが、ほんの小さな声は彼には届いていなかった様だ。
彼は相変わらず、そのハイグレードなお顔でじっと私を見つめたまま。
「アイリーンは俺の顔が好きか?」
人肌の温もりに、ついホワッと絆された思考が、彼の声でハッと現実に戻る。
「はっ!? ――ま、まぁ別に嫌いじゃないけど……」
「ふーん?」
あ、あれ。私なにか不味いこと言ったかしら。悪魔が極上の笑みを浮かべているわ。
くっ……顔が……良いッッ……
「と、とりあえず、貴方は方々からの誘いを断りたい、私は本性をバラされたくない。そんな利害が一致しただけの、契約の――偽物の恋人だからね!?」
「あぁ、それでいい」
背中を撫でられ、漸く身体が離れたかと思えば――熱を持った頬に、何か生暖かい物が触れ、それが「ちゅ」と音を立てる。
「よろしくな、アイリーン」
「ッッ!! ふ、ふざけるなぁぁぁあ!!!」
キスされた頬を手で押えながら、沸騰した顔で彼を睨みつけると、彼は「ハハハッ」と声を上げて笑っている。
この恋人契約生活、本当に大丈夫なのかしら!!??
石造りの、重厚感ある大きな建物――その最上階である5階の一室、漆黒に金の細工が施されたドアの向こうで、件の男が私を待ち構えていた。
「まぁ座れよ」
偉そうに背もたれに寄りかかっていた彼は立ち上がり、未だ入口で立ち止まっていた私を「どうぞ」と中へ誘った。
ニッコリと余所行きの笑顔を見るや、忽ち私の眉毛と口角はピクピクと痙攣を始める。
「あ、貴方、騎士団長だったのぉぉ!?」
「俗物まみれのお前が、まさか聖女だったとはな」
崩れた顔面をそのままに、促されるまま黒い革張りのソファーに腰掛けて辺りを見回す。広い部屋の中は綺麗に整頓されており、清潔感すら漂っていた。
壁に掛けたれた幾つもの派手な剣や、その横に置かれた青光りする程の白い豪華な鎧は、彼が組織の権力者である事を示している。
式典があったばかりだし、疑いようなんてないんだけどね。それでも心のどこかで、間違いであって欲しいと思ったのよ……
室内を横目で観察していると、ヴィクターが1杯の温かい紅茶を用意してくれていた。
熟した果実のようなエレガントな香りが立つ、目の前のティーカップに早速口を付けると、座り心地のよいソファーの隣が深く沈み込む。
「何を……しているのかしら?」
「何って? 昨日の続きだが」
まさかの、隣に腰掛けたジルレスターの長い腕が私の腰へと回っている。
「ふっ、ふざけないで。恋人でも無いくせにそんなベタベタベタと」
彼の胸を押し、距離を取ろうとすれば腰へと回された手にグッと力が入る。
「なら恋人になれよ、アイリーン」
耳元に押し当てられた彼の唇が、まるで煮詰めた砂糖のような――それはそれは甘ったるい声でそう囁いた。
「――はい? なんで私が」
脳を溶かすような激甘な声から逃げるよう顔を離し、ジトッと彼の顔を見上げる。
すると彼はフフンッと私を見下ろしながら鼻で笑う。
うん、揶揄っているのかしら?
「信用ならん」と書いた頬を、彼の大きな手が優しく撫でる。
「お前が俺好みで可愛いからだ」
「まぁ、それは分かるけれど」
「否定しないのかよ」
当然の事を言われ腕を組んで頷くと、頭上から「ふはっ」と吹き出す声が聞こえる。
「そんな事ないですわ」なんて、そこら辺の令嬢みたいな謙遜はしないわよ、私。
別に自分の事を可愛いと思っているのは、罪じゃないでしょ。
「いやでも流石に恋人って」
私が可愛いという世界の共通認識は置いておいて――いきなり恋人になれって言われて「はい喜んでー」なんて言える訳ないでしょ、幾ら相手がこの世の宝ほどの顔をお持ちであってもよ。
私は! 政略などではなくきちんと恋愛して、互いを想い合えるような人と恋人になりたい。
だから22歳になるまで、恋人が居なかった無い訳じゃないの――時代が私に追い付いていないだけ。
そんな私の様子をじっと見ていた彼が「ふーん」と小さく唸る。そして耳のピアスがチャリッと音を立てると同時に、瞬く間に綺麗な顔面があの悪魔仕様の笑いへと変化していったのだ。
「……皆に敬愛される聖女様が、夜な夜な潰れかけのバーで酒に溺れながらクダ巻いてるって話、国民は知っているのか?」
片口角の上がった口許から吐き出された言葉に、意気込んでいた私の肩がピクっと揺れる。
「そ、ソレハ……」
「献金が少ないだなんだと、マスターに愚痴を言う姿は?」
「ナンノハナシカシラ」
宙を見つめ、とぼけ続ける私に対する彼の口撃は止まる様子を見せない。
これは、不味い相手に弱みを握られてしまったのでは。
タラっと背中に一筋の汗が流れる。
「見ず知らずの男に注がれた酒をガブガブと飲み、酔い潰れ甘えるなんて事を人々が知ったら……」
ごめんなさい、お父様お母様メイザ。私はこの悪魔を撃退する方法がわからないわ。だって私、ナンチャッテ聖女なんですもの。
勢いよく右手を、その場で大きく上げる。
「ハイ! 喜んで! 喜んで恋人にならせて頂きますわ!!」
「交渉成立だな」
やけくそ気味の返答に彼は、それはそれは満足そうに微笑んでいた。
だって――ただでさえ多いとは言えない信者が減ってしまっては、私の未来は無いも同然。チリツモ献金が無くなってしまっては、本懐を遂げる事が更に遠退いてしまう。
――ならば私の答えは、ひとつしかない。
「誠心誠意努めさせていただきます……」
これまでの威勢はどこへやら。借りてきた猫のようになる私の頭上から、クスクスと笑い声が聞こえてくる。
「いい心掛けだ。まぁ、固く考えるなよ。そうだな……契約上くらいに思ってくれてもいい。俺としては恋人がいると言う体が欲しいんだ」
そんな彼の言葉に、項垂れていた私は顔を上げ、不思議そうに首を傾げた。
「……偽恋人ってこと? なんでまた……ジャガイモ女にでも言い寄られているの?」
全くもって理解が出来ないという私を察したのか、「……ジャガイモ?」と一人呟きながら彼は立ち上がり先程まで居た執務机に行ったかと思えば、大量の紙束を持ち帰った。
「こういう事だ」
紅茶カップの横に、これまでの人生で拝んだことがない程の紙束がドンッと置かれた。
どうにかバランスを保ってはいるが、少しでも振動を加えればすぐさま崩れ落ちてしまいそうな――そんな山積みの書類が私の前に聳え立つ。
「なにこれ。なにかの資料? 凄い数ね」
まじまじとそれを見つめる私に、数枚の紙が差し出される。
「俺が帰国し、即寄せられた各方面からの茶会の誘いだ」
「はぁ!? う、嘘でしょ」
「そう思うなら見てみろよ」
驚き震える手を伸ばし、その紙束の数枚を受け取り目を落とす。
てっきり書類だと思っていたそれは、綺麗に伸ばされた手紙だった。
「なになに……これめちゃくちゃ大富豪貴族のご令嬢じゃない。こっちは絶世の美女と有名な侯爵家のご令嬢――まぁ、私ほどじゃないけど。性格キツそうだし」
どれもこれも、聞いた事がある名前ばかり。
その全てから、あわよくばジルレスター様とどうにかなろうという下心が滲み出ている。
唖然としながらすっかりその手紙たちに見入っていると、パッと彼の手でそれらは取り上げられてしまった。
「あっ」と不満そうな声を上げる私を横目に、ジルレスターは本当に興味が無いのか、ポイッとテーブルの上にそれらを投げてしまった。
「正直、こんな物に行く程俺は暇じゃないし興味もない。だからいっそ、恋人が居るという事にすれば手っ取り早いかと思ってな」
「モテ男も大変ねぇ」
手持ち無沙汰になった私は、再び香り高い紅茶を手に取る。
口を付け「ほぅ」とひと息付いたのを見計らったのか隣に腰掛けたジルレスター様が、長い指を私の顎に掛けクイッと自分の方へと向けた。
「それにな……お前程の美しい顔、そんじょそこらには居ないだろ」
「……へ?」
吸い込まれそうな青の目にじっと見つめられると、思わず心臓がドキッと大きな音を立てる。
そんな真剣な眼差しで見られると――目を逸らす事が出来ないじゃない。
握ったままの半分程に減った紅茶が、カタカタと波打つ。
――ど、どうしよう。心臓が凄い音。顔が、熱い。
反対の手で持つソーサーをギュッと握ると、ふっとその男らしくて整った顔が、柔和な表情に変わった。
「本当に可愛らしい――ミアそっくりだ」
それまで高鳴っていた鼓動が、そのひと言で一瞬にしてスンっと遥か彼方へと消え去り――代わりに顬がヒクヒクと痙攣を始める。
「は? ……え、誰よそれ。想い人が居るなら尚更、偽の恋人なんて私にも相手にも失礼でしょうよ。ってか、さっさと想い伝えなさいよ、どうせ上手くいくわよその顔面なら」
不機嫌そうに顎に置かれたままの手を振り払うと、「あぁ」と小さく頷いた彼が、黒い軍服の内ポケットから1枚の写真を取り出し、私に見せた。
「実家にいる愛猫のミアだ。どうだ、このクリっとした大きなルビー色の目、艶々とした琥珀色の毛並み、機嫌良く鳴いた時にグッと上がる口角がまた可愛らしい。肉球も綺麗なピンク色――それにミアは猫ではあるが非常の人懐っこくて……」
そこには上品の2文字がそれはそれは良く似合う長毛の猫が、ベッドの上で寛ぐ姿が写し出されていた。
彼が言うのと相違なく、大きなきゅるんきゅるんの目が特徴の非常に可愛らしい猫。
「ね、こ……」
思ってもいない単語に、頭を鈍器で殴られたかのような衝撃が走る。
「目に入れても痛くない――とにかく俺はミアを、世界で一番愛している」
うっとりと写真を見つめるジルレスター様のご尊顔は、見た事無いほどにデレッデレに蕩けていた。
写真の中の頭をよしよしと撫でる姿は、多少引くものすらある。
「……貴方、絶対今まで恋人居なかったでしょ」
少し異常にも見えるその愛し方に、思わず心の声が漏れた。
「さぁな? 俺はミアがずっと恋人だ。なぁ、ミア」
また写真に向かって話し掛けてる――
こんなにもイケメンなのに、こんなにも拗らしてるなんて……一周まわって可哀想。
「頭が痛くなってきた」
手にしていた紅茶をテーブルへと戻し、文字通りその場で頭を抱える。
「お前だってミアと同じくらいに可愛いぞ、アイリーン。俺の恋人になったからには全身全霊、全力で愛してやる」
「は、はぁ? 何よいきなり」
いや比較対象――猫って。
いや、そりゃ猫は可愛いし私も好きだけれども。
それ迄、大切そうに握っていた写真を胸ポケットに収めたジルレスター様が「うーん」と唸り声を上げる私の頭をポンポンっと撫でた。
「愛してるぞ、アイリーン」
その言葉と共に、私の身体はエキゾチックな香りに包まれる。
背中に回った逞しい腕、密着した身体――それらの何と暖かい事か。
まって、成り行きで今しがた恋人契約結んだばかりでしょ、私たち!?
距離の詰め方おかしい――というか、気持ち入るの早すぎない? テイが欲しいだけって言ってたわよね??
「ま、待って。わたし別に貴方のこと好きって訳じゃ……」
慌てて首を大きく横に振り、おずおずと彼の顔を見上げる。
そこにあるのは、相も変わらずの甘ったるい顔。
「本当に嫌なら引っぱたけば良い。お前の気位ならそれが出来るだろ?」
この短時間で私への理解度が深いじゃない。そこは褒めるわ。
「なら遠慮なく」と手を上げ――暫く宙に留まったその手は――そのまま下へとだらしなく垂れた。
この顔面でさえなければッ!!
「……流石にその綺麗な顔を引っぱたくなんて出来ないわ」
面食いに生まれた以上、美しい造形に傷なんて付けられない。それに……これは口が裂けても言えないけれど。
――誰かに抱き締められたなんて、久しぶりなの。
お父様やお母様の腕も、こんな風に暖かかったな……
当時の温もりを思い出し、ぎゅっと胸が掴まれる。
「大丈夫、……わたしはひとりで、平気なんだから」
家族の事を思い出す度に、呪いのように唱えてきた言葉が、つい口から零れ落ちる。
思わずハッと顔を上げたが、ほんの小さな声は彼には届いていなかった様だ。
彼は相変わらず、そのハイグレードなお顔でじっと私を見つめたまま。
「アイリーンは俺の顔が好きか?」
人肌の温もりに、ついホワッと絆された思考が、彼の声でハッと現実に戻る。
「はっ!? ――ま、まぁ別に嫌いじゃないけど……」
「ふーん?」
あ、あれ。私なにか不味いこと言ったかしら。悪魔が極上の笑みを浮かべているわ。
くっ……顔が……良いッッ……
「と、とりあえず、貴方は方々からの誘いを断りたい、私は本性をバラされたくない。そんな利害が一致しただけの、契約の――偽物の恋人だからね!?」
「あぁ、それでいい」
背中を撫でられ、漸く身体が離れたかと思えば――熱を持った頬に、何か生暖かい物が触れ、それが「ちゅ」と音を立てる。
「よろしくな、アイリーン」
「ッッ!! ふ、ふざけるなぁぁぁあ!!!」
キスされた頬を手で押えながら、沸騰した顔で彼を睨みつけると、彼は「ハハハッ」と声を上げて笑っている。
この恋人契約生活、本当に大丈夫なのかしら!!??
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