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【2章】堅物王子と氷の姫君

厳つい王子の思わぬ素顔

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 クララは目の前の光景が信じられぬまま、呆然と立ち尽くしていた。


(……この人は一体誰?)


 普段は厳めしい表情に威圧感バリバリのこの国の第1王子カールが、顔を地面に擦りつけんばかりに身を屈め、あられもない表情で笑っている。薄汚れた仔猫を何度も撫でつけ、その愛らしさを下から観察している様は、傍から見ていて滑稽だ。とても、同一人物とは思えない。


「可愛い。…………可愛い」


 堪えきれないといった風に、時折ボソボソと漏れる呟きが、辛うじてカールらしさを残していると言えなくもない。

 仔猫はカールの指をペロペロと舐めながら、甘えるように頬を擦りつけている。あまりに可愛らしい仕草で、クララの心臓もキュンと跳ねる。当然、カールは堪え切れるはずもなく、悶絶しながら急いで顔を逸らした。


「………あ」


 その瞬間、クララとカールの視線がバッチリかち合う。
 クララの身体中の血の気が一気に引いた。


(やばい、やばい、やばい!)


 あまりのギャップについ見呆けてしまっていたが、カールにバレたときのことは考えていなかった。頭の中でけたたましい警報音が鳴り響く。


(絶対に怒られる!いや、怒られるだけじゃ済まないのでは!?わたしだけなら良いけど、お父様にまで迷惑掛けたら……)


 半ばパニックに陥りながら、クララは呆然と立ち尽くす。気を抜けば、今にも涙が溢れ出しそうだった。


「おい、おまえ」

「はいぃっ!」


 クララは反射的に姿勢を正す。


「すみません、すみませんっ!本当に!心の底から反省しています!ここで見たことは絶対!絶対誰にも言いませんから!」


 お許しください、とクララは必死に声を張り上げ、土下座せんばかりの勢いで頭を下げる。

 けれど、しばらく経ってもカールは何も言わない。

 不安で堪らなかったが、ずっとこのままでいるわけにもいかず、クララはそろそろと顔を上げ、カールの表情を窺う。

 すると、彼は思いのほか怒っていないらしい。普段のむすっとした表情に戻っていたが、その瞳はどこか優しかった。


「ここはフリードの宮殿に近かったな」


 クララの必死の訴えに何も答えぬまま、カールはそんなことを言う。何故、という疑問を抱くより先に、クララは姿勢を正していた。


「は、はい。目と鼻の先です」

「ならばすぐに宮殿に戻り、ミルクをここへ持ってこい」

「……へ?」


 なにを言われたか上手く呑み込めず、クララは小さく首を傾げる。


「ヤギの乳を持って来いと言ったのだ!今、すぐに!」

「はっ、はい!」


 まるで騎士へ命令を下すかのような調子でカールは声を張る。クララはビクリと身体を震わせながら、すぐに踵を返した。


「走れ、バカ者!」

「はいぃ!」


 クララは半ば悲鳴に近い声を上げながら、宮殿へと走った。走っている内に緊張が抜け、段々と冷静さが戻ってくる。


(そうか、殿下は猫にミルクがあげたかったのね)


 考えてみれば彼の望みは単純明快なものだ。けれど、その命令口調と威圧感から、クララはまるで戦地に赴くことを命じられたような心持になっていた。

 言われた通りクララは宮殿に戻り、侍女たちの詰め所で必要なものを貰うと、また急いでカールの元へ走る。

 途中コーエンに呼び止められたような気がしたが、それどころではない。気づかぬふりをして、必死に走った。


(考えてみれば、淑女にあるまじき行為よね!)


 長いドレスの裾を持ち上げ、息を切らして走るなど、公爵家の令嬢が取って良い行動ではない。だからこそ先程は、人気のいない中庭をこそこそと移動していたはずなのに、今はカールの命令で動いているため、そんなことは言ってられない。直線距離を全力疾走する。恐怖と不名誉な噂の二つを天秤に掛ければ、圧倒的に前者が強いので致し方なかろう。

 やっとの思いでカールの元に戻ると、彼は開口一番「遅い!」と叫んだ。


「すみません…………これでも必死にっ……走って来たんです」


 全身ダラダラと汗を流しながら、クララは息を整える。それから、侍女たちから受け取ったミルクと麻布を手渡すと、地面にへたりと座り込んだ。

 カールは何も言わぬままクララからミルクを受け取ると、仔猫をそっとうつ伏せに抱く。筋肉のがっしりと付いた太い腕だ。

 彼はそのまま慈しむような視線で仔猫を見下ろすと、口に少量のミルクを含ませてやった。気持ち良さげに目を細める仔猫はあまりにも可愛い。クララは疲れも忘れて、ふにゃっとした笑みを浮かべた。


「かぁわいい~~~~!ちっちゃ……っ!可愛いなぁ~~~~~~」


 仔猫の真正面を陣取り、その愛らしさを観察する。ふわふわの毛並み、気持ち良さげに細められた瞳、指でツンツンと触りたくなる小さな鼻に、必死に指に吸い付く可愛らしい口。胸がキュンキュンと跳ねて、幾つあっても足りそうにない。


「……交代しろ」

「んっ……はい」


 カールは余程クララを羨ましく思ったのだろう。悔し気に眉を曲げ、クララに仔猫を手渡してくる。力強い腕からは想像も出来ない程に優しく、壊れモノを扱うような丁寧さだ。


「猫……お好きなんですね」


 仔猫を撫でながら、クララは尋ねた。

 目の前のカールは、クララがいることも忘れ、キラキラと瞳を輝かせている。
 この1か月間、割と顔を合わせる機会があったが、彼がこんな顔ができることをクララは初めて知った。もしかしたら、彼の内侍であるイゾーレだって、カールのこんな一面は知らないかもしれない。


「…………可愛いではないか」


 ややしてカールはポツリとそんなことを呟いた。


(この人の口から『可愛い』なんて単語を聞ける日が来るとは)


 よく見れば、カールの口の端が上向いている。無表情か怒った表情ばかり見ていたが故、ギャップが凄い。


(こうやって見ると、他の二人に似てるかも)

 ふふ、と小さく笑いながら、クララは微笑んだ。

 いつも深く刻まれた眉間の皺が、彼の人相を変えていただけで、元の顔の造りは兄弟たち――――ヨハネスとフリードに似ているらしい。


「何を笑っている」

「別に、なんでもございません」


 ほんのりと紅く染まったカールの頬。可愛らしい、なんて感想を抱くのは失礼だと思いつつ、クララはもう一度小さく声を上げて笑ったのだった。
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