私の何がいけないんですか?

鈴宮(すずみや)

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準備

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「色々と驚かせて済まない」


 ハンネス様が口にする。陛下が用意してくれた応接室に二人きり、私はようやく、彼とゆっくり向き合うことを許されている。


「いいえ。驚きはしましたけど……私は今、とても嬉しいです」


 ハンネス様が私に会おうとしてくれたこと。結婚を望んでくれたこと。
 もちろん、今はまだ婚約が正式に決まったわけではない。だけど、ハンネス様のためなら、どんなことでも頑張れる。頑張りたいと心から思った。


「俺も……すごく嬉しい」


 はにかむ様に笑いながら、ハンネス様が私の頬に手を伸ばす。鼓動が跳ね、身体が一気に熱くなった。


「ねぇ……俺もエラ、って呼んでも良い?」

「……! もちろんです」


 寧ろ、そうして欲しいって思ってた。早く呼んでほしくて、ソワソワしながら続きを待つ。ハンネス様はそんな私を見つめながら、愛し気にそっと目を細める。


「エラ」


 ハンネス様が私を呼ぶ。それだけで、舞い上がりそうな程嬉しかった。彼との距離が縮まった――――そのことを肌で感じる。


「俺のことはそのまま、ハンネスと呼んでくれる? 親しい人は皆、そちらの名前で呼ぶんだ」

「はい、ハンネス様」


 ただ名前を呼び合うだけ――――ほんの少し彼に近付けただけで、とてつもなく嬉しい。ハンネス様に関わることならきっと、何でも。


「あの、国を発つのはいつ頃の予定ですか?」


 善は急げというけれど、仕事の引継ぎや準備の時間は必要だ。妃となる以上、こちらに戻ってくる機会は殆どないだろうし、両親や領地の皆にも、きちんと別れを告げねばならない。


「そうだね。本当はゆっくり準備をさせてあげたいのだけど、エラと早く一緒になりたいから」


 頭を優しく撫でられる。とてつもない破壊力。一瞬で色んなことがどうでも良くなった。


(いやいや、それじゃダメなんだけど!)


 彼と結婚するからこそ、通すべき筋はきちんと通さなければならない。今すぐに! と言ってしまいたくなるのを必死で抑えつつ、胸の鼓動を必死に宥めた。


「一ヶ月後、というのはどうだろう?」


 ハンネス様が首を傾げる。きっと、私の置かれた状況や感情、色んなことを配慮してくださったのだろう。


「十分過ぎるぐらいです。ありがとうございます」


 本当は、もっと早くハンネス様の元に行きたい。毎日彼に会いたい。そう伝えてみたいけれど、あまり甘えてばかりでは嫌われてしまうかもしれない。ジレンマを抱えつつ、ハンネス様を見上げれば、彼は私のことをギュッと抱き締めた。


「出発までの間も、できる限り会うようにしよう」


 優しい声音でハンネス様が囁く。私の気持ちなんてお見通しらしい。


「良いのですか? お忙しいのでは?」


 ハンネス様は今、縁のある公爵家に身を寄せているらしい。遊学目的の短期来訪ではあるけれど、その間も王太子として、視察や外交といった公務をこなしていらっしゃる。


「俺がそうしたいんだよ」


 甘い囁き。胸が勢いよく撃ち抜かれた。


(もうダメ。好きすぎてヤバい)


 心地よく響く彼の鼓動を聞きながら、甘やかな香りを胸いっぱいに吸い込む。このまま死んじゃうんじゃないかってぐらい、ドキドキしていた。


(それにしても)


 ハンネス様の来国を含めた全ての情報を、ヨナス様は私から意図的に隠していたらしい。私はヨナス様付きの女官なのだから、本来なら、出迎えや滞在に掛かるお世話を任されてしかるべきだもの。

 どうしてヨナス様はそんなことをしたんだろう。分からない。彼の考えがちっとも理解できない。


「エラ」


 愛し気に名前を呼ばれ、顔を上げる。宝石みたいに美しいハンネス様の瞳が、私を真っすぐに見つめていた。
 胸が騒ぐ。思わずゴクリと唾を呑む。

 ゆっくりと彼の顔が近付いてきて、私は静かに目を瞑った。

 唇が甘い。触れ合った部分がトクトクと疼いている。温かくて優しい口付けに、空っぽだった心が満たされていく。


「好きだよ、エラ」


 ハンネス様の言葉に、私は泣きながら笑った。


***


 翌日、私はヨナス様の担当から外れることになった。それどころか、彼との接触を一切禁止された。両陛下の判断だ。
 ハンネス様の目の前で、あれだけの執着っぷりを見せつけたのだもの。引き離した方が良いと判断するのは当然だ。正直言って私もホッとした。周囲には、一切の事情が伏せられていたけれど。


【どうか、考え直してほしい】


 それでも、そんな内容の手紙が毎日ヨナス様の元から届く。手紙を運んできた騎士や文官から返事を書くよう求められたけど、すべてお断りした。


 そんなことが続いたある日のこと。友人の一人がこんなことを耳打ちをしてきた。


「ねえ、知ってる? ヨナス殿下がクラウディア様との婚約を破棄しようとしているそうよ」

「そんな、まさか……!」


 二人が婚約を発表したのはほんの数週間のこと。俄かには信じがたい話だ。けれど、彼女はヨナス様の侍女。ある程度の信憑性はある。彼女の言葉はこんな風に続いた。


「殿下には他に想い人が居るんですって。その人とどうしても一緒になりたいらしいの。今、陛下に掛け合っているって話よ」


 侍女はそう言って、私の顔色を覗う。


(――――それで? その想い人が私だって言うの?)


 ハンネス様と知り合う前の私なら、きっと喜んでいただろう。ヨナス様に選ばれて嬉しいって。クラウディア様の気持ちを考えることなく、歓喜したに違いない。

 だけど、今は嬉しいなんて思えない。寧ろ軽蔑してしまう。


「酷い話ね」


 言えば侍女は明らかに落胆した。
 恐らく彼女は私の反応を見てくるよう、ヨナス様に指示されたのだろう。こんな噂が広まったら一大事。王家の面目丸つぶれだもの。おいそれと口外できる筈がない。
 当然ながらそれ以降、城内や社交界でそんな噂が流れることは無く、二人の婚約は保たれたままだった。


 そうこうしている間に、領地へ里帰りをする前日となった。
 ハンネス様の国へは、領地から向かった方が断然早い。このため、これが王都で過ごす最後の夜だ。
 長い年月を過ごしたこの城に、愛着が無いと言ったら嘘になる。ソファに腰掛け、私は一人静かに感傷に浸っていた。


「――――エラ、僕だよ」


 だけどその時、扉の向こうからそんな声が聞こえてきた。
 ヨナス様だ。


「中に居るんだろう? 開けてよ。最後に少し、話をしよう」
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