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4.語られぬ歴史
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静まり返った後宮のなか、わたくしは見知らぬ男性――――天龍様に抱きしめられている。
(もしかして、夢なのかしら?)
むしろ、そう考えたほうがしっくりくる。だって、この後宮に龍晴様以外の男性が存在するなんてありえないもの。後宮の管理人であるわたくしが知らない宦官などいないし、どう考えたっておかしな状況だ。
本当は『なんで? どうやってここに入ったの?』と確認すべきだって――咎めるべきだってわかっている。
だけど、そうしたらこの甘やかな時間が終わってしまう気がして。わたくしは未だに口を開けずにいる。
「神華――――今は桜華、だったね」
「……! はい、そうです」
どうやら彼は、わたくしの名前を正しく知っていたらしい。わたくしは思わず顔を上げる。
「22年前、地界に君の息吹を再び感じられたとき、私は本当に嬉しかった。すぐにでも会いに来たかったのだが、天界の掟で100歳を過ぎるまでは地界に降りれなくて……ようやく今日、君に会いに来ることができたんだ」
「え? ……つまり、天龍様は100歳でいらっしゃるのですか?」
「そうだよ」
サラリと返事をされたものの、にわかには信じられない状況だ。
だって、彼はどう見たってわたくしと同年代の青年にしか見えない。それに、『天界』とか『地界』とか、まったく聞き馴染みのない言葉なんだもの。
(もしかしたら、異国ではこの国のことを『地界』と呼ぶのかしら?)
首を傾げていると、天龍様はクスクスと笑い声を上げた。
「すまない。早く君を手に入れたいあまり、説明を端折ってしまって……」
「え? あ……いえ、そんな」
どうしよう。笑われているはずなのに、なんだかすごく嬉しい。――というか、天龍様が愛らしすぎて、心臓がトクンと跳ねる。平静を装いつつ、わたくしは首を横に振った。
「どこから話そうか――――桜華はこの国の建国の歴史を知っているよね?」
「はい。今から千年ほど前、天災に見舞われたこの国を救い、導いた一人の女性がいました。女性は呪いや占いを用い、荒れた土地や人々の争いを鎮め、病を払い、やがて聖女として人々に崇められるようになりました。彼女の息子が成人すると、聖女と同様に人々をよく導くようになりました。そうして、民は彼を王と――――皇帝として敬い、自ら仕えるようになりました。これが、初代皇帝とその生母・神華による、この国の建国の歴史です」
それは子供の頃から何度も何度も読み聞かされてきた我が国の歴史。
なにがあっても初代皇帝の――聖女の血を絶やしてはならない。守らなければならない――――そのために、この後宮は存在する。我が国の平和を維持するために。人々の幸せを守るために。
だから、龍晴様がたくさん妃を持つのは仕方がないことなんだって、何度も自分に言い聞かせてきた。
「そのとおり。それがこの国の人々の知る建国の歴史だ。けれど、すべてが語り継がれているわけではない」
天龍様はそう言ってそっと微笑む。わたくしは思わずドキリとしてしまった。
「神華が人々に聖女と崇められたとき、彼女のお腹のなかには男児がいた。けれど、その夫の存在について歴史のなかで語られることはない。……桜華は不思議に思うことはなかった?」
「それは……いいえ。そういうものなのだとばかり……」
王とは、聖女とは、神に等しい存在。我が国の建国の歴史は、実話というより神話扱いされている。
飢えた人々の腹を満たしたり、病を癒したり、荒れた土地を蘇らせたり、天災を鎮めたり――――それらは、人では決してなしえない神秘的な逸話だ。それらがすべて、本当に起こったこととは考えづらい。そういった事情を鑑みるに、神華に夫が存在しなくても不思議ではないというか、考えたことすらなかったのだけど。
「神華にはね、神龍という夫がいたんだ。二人はとても仲睦まじい夫婦でね。天界の王と王妃として、幸せに暮らしていたんだよ」
まるで直接その光景を見てきたかのように、天龍様が言葉を紡ぐ。美しく、儚く、懐かしそうなその表情に、わたくしは思わず見入ってしまった。
「けれど、二人がちょうど100歳を過ぎた頃、当時の地界があまりにも酷い状況に陥ってしまってね。見過ごせないと言って、神華は地龍を身ごもったまま地界へ降りたんだ。ほんの数年で帰るという約束だった。だが、地界の空気は私たち天界の人間には合わなかったらしい。約束の年を待たず、神華は地界で亡くなってしまったんだ。どうして私も地界に降りなかったんだろう――あのときは本気で後悔したよ」
苦悶に満ちた表情で天龍様がわたくしを見つめる。なぜだろう――その理由がわたくしにはなんとなく理解できた。
「わたくしが『神華』で天龍様が『神龍』なのですか?」
「そうだよ。私は神華に再び会うため、神龍の記憶を持ったまま生まれ変わった。だから、神華の魂を――地界で君を見つけたときは、本当に嬉しかったんだ。そして、こうして地界に降りれるようになるまでの22年間は、おそろしいほどもどかしかった」
天龍様がわたくしを撫でる。温かくて、ドキドキして。だけど、その分だけ罪悪感を覚えてしまう。
(天龍様は記憶を打ち明けてくださったのに、わたくしは彼のことをちっとも思い出せない)
誰かに求めてもらえること、愛してもらえることはこの上なく嬉しい。当然だ。何年もの間、叶わぬ恋に身を焦がしていたんだもの。
だけど、本当は人違いなんじゃないかって。
わたくしには、誰かに愛してもらうような資格なんてないんじゃないかって。
あとから間違いだってわかって、捨てられてしまうんじゃないかって。
――――そういうことを考えてしまう。
それに、天龍様は一途にわたくしを思ってくださっていたというのに、わたくしは龍晴様に惹かれていたんだもの。そんな女性で本当にいいのだろうか?
「桜華は私たちの子孫に――龍晴に惹かれているのだったね」
「……!」
知られていた。天龍様に。
わたくしが、龍晴様を想ってきたということを。
もしかして、天界というのは地界のできごとすべてを見ることができるのだろうか? わたくしは驚きに目を見開きつつ、静かにうなずく。
「すみません。わたくし……」
「謝る必要はない。当然のことだと思うよ。彼には私の面影がある――――相当薄くはなっているが、私の遺伝子を受け継いでいるのだからね。だからこそ、桜華は龍晴に惹かれたんだ」
天龍様はそう言って静かに息をつく。わたくしは思わず目を瞠った。
「それから、あの子はあの子で君の中に神華の――母親の面影を見たのだと思う」
「え?」
龍晴様が? わたくしが首を傾げると、天龍様はコクリとうなずいた。
「桜華は龍晴にとって、決して汚してはならない聖域。誰よりも愛しく、誰よりも尊い。けれど、女性として愛することはできない――――そういう存在なんだと思う」
「そう、ですか……」
悲しいかな。天龍様の仰りたいこと、なんとなくわかる気がする。
龍晴様が口にする『愛している』はいつも、わたくしの求めている感情とは違っていた。彼がわたくしをそういう対象として見れないということは、薄々感づいていた。
だから、これから先、どんなに頑張ったって、龍晴様はわたくしのことを本当の意味で愛してはくれない。しがみついたところで意味もない。一方通行の恋心。だったら――――
「あの……わたくし色々と混乱していて。天龍様の仰ることをきちんと理解できていないと思うんです」
もしかしたら、これは自分に都合のいい夢なのかもしれないって、まだ心のどこかで思っているし。わたくしの前世のこと――――神華について、納得いくまで調べてみたい。そもそも、今日の今日で天龍様の手を取るのも、なんだか違う気がするし。
「わかっている。私はなにも無理やり君を連れて行こうとは思っていない。きちんと桜華自身が納得したうえで、私についてきてほしいと思っている。もちろん、絶対に私を選んでもらうつもりでいるし、できる限り早く桜華と一緒になりたいけれど」
指先に軽く口づけられ、身体が大きく跳ね上がる。天龍様はクスクスと笑いながら、今度はわたくしの額に口づけた。
「明日、またこの時間にここで会えるだろうか?」
「はい、必ず」
わたくしが返事をすれば、天龍様は微笑み、それから身を翻す。
するとその瞬間、天龍様がいたところに、大きな白銀の龍が現れた。
「え? もしかして……天龍様?」
肯定の意だろうか? 龍はグルルと喉を鳴らし、わたくしにそっと頬ずりをする。それから、静かに天へと舞い上がった。
それは、夜明けにはまだ早い時間。けれど、天龍様の周りに星の光がキラキラと集まり、空が白んだ。
(皇族に龍の血が流れているというのは本当だったのね)
優雅に空を飛ぶその姿は神秘的で、あまりにも美しくて、なんだか涙が滲んでくる。まるで、人々の願いを叶える流れ星のよう――そんなことを思ってしまう。
天龍様が見えなくなったあとも、まるで魔に魅入られたかのように、わたくしはずっと、その場に立ち尽くしていた。
(もしかして、夢なのかしら?)
むしろ、そう考えたほうがしっくりくる。だって、この後宮に龍晴様以外の男性が存在するなんてありえないもの。後宮の管理人であるわたくしが知らない宦官などいないし、どう考えたっておかしな状況だ。
本当は『なんで? どうやってここに入ったの?』と確認すべきだって――咎めるべきだってわかっている。
だけど、そうしたらこの甘やかな時間が終わってしまう気がして。わたくしは未だに口を開けずにいる。
「神華――――今は桜華、だったね」
「……! はい、そうです」
どうやら彼は、わたくしの名前を正しく知っていたらしい。わたくしは思わず顔を上げる。
「22年前、地界に君の息吹を再び感じられたとき、私は本当に嬉しかった。すぐにでも会いに来たかったのだが、天界の掟で100歳を過ぎるまでは地界に降りれなくて……ようやく今日、君に会いに来ることができたんだ」
「え? ……つまり、天龍様は100歳でいらっしゃるのですか?」
「そうだよ」
サラリと返事をされたものの、にわかには信じられない状況だ。
だって、彼はどう見たってわたくしと同年代の青年にしか見えない。それに、『天界』とか『地界』とか、まったく聞き馴染みのない言葉なんだもの。
(もしかしたら、異国ではこの国のことを『地界』と呼ぶのかしら?)
首を傾げていると、天龍様はクスクスと笑い声を上げた。
「すまない。早く君を手に入れたいあまり、説明を端折ってしまって……」
「え? あ……いえ、そんな」
どうしよう。笑われているはずなのに、なんだかすごく嬉しい。――というか、天龍様が愛らしすぎて、心臓がトクンと跳ねる。平静を装いつつ、わたくしは首を横に振った。
「どこから話そうか――――桜華はこの国の建国の歴史を知っているよね?」
「はい。今から千年ほど前、天災に見舞われたこの国を救い、導いた一人の女性がいました。女性は呪いや占いを用い、荒れた土地や人々の争いを鎮め、病を払い、やがて聖女として人々に崇められるようになりました。彼女の息子が成人すると、聖女と同様に人々をよく導くようになりました。そうして、民は彼を王と――――皇帝として敬い、自ら仕えるようになりました。これが、初代皇帝とその生母・神華による、この国の建国の歴史です」
それは子供の頃から何度も何度も読み聞かされてきた我が国の歴史。
なにがあっても初代皇帝の――聖女の血を絶やしてはならない。守らなければならない――――そのために、この後宮は存在する。我が国の平和を維持するために。人々の幸せを守るために。
だから、龍晴様がたくさん妃を持つのは仕方がないことなんだって、何度も自分に言い聞かせてきた。
「そのとおり。それがこの国の人々の知る建国の歴史だ。けれど、すべてが語り継がれているわけではない」
天龍様はそう言ってそっと微笑む。わたくしは思わずドキリとしてしまった。
「神華が人々に聖女と崇められたとき、彼女のお腹のなかには男児がいた。けれど、その夫の存在について歴史のなかで語られることはない。……桜華は不思議に思うことはなかった?」
「それは……いいえ。そういうものなのだとばかり……」
王とは、聖女とは、神に等しい存在。我が国の建国の歴史は、実話というより神話扱いされている。
飢えた人々の腹を満たしたり、病を癒したり、荒れた土地を蘇らせたり、天災を鎮めたり――――それらは、人では決してなしえない神秘的な逸話だ。それらがすべて、本当に起こったこととは考えづらい。そういった事情を鑑みるに、神華に夫が存在しなくても不思議ではないというか、考えたことすらなかったのだけど。
「神華にはね、神龍という夫がいたんだ。二人はとても仲睦まじい夫婦でね。天界の王と王妃として、幸せに暮らしていたんだよ」
まるで直接その光景を見てきたかのように、天龍様が言葉を紡ぐ。美しく、儚く、懐かしそうなその表情に、わたくしは思わず見入ってしまった。
「けれど、二人がちょうど100歳を過ぎた頃、当時の地界があまりにも酷い状況に陥ってしまってね。見過ごせないと言って、神華は地龍を身ごもったまま地界へ降りたんだ。ほんの数年で帰るという約束だった。だが、地界の空気は私たち天界の人間には合わなかったらしい。約束の年を待たず、神華は地界で亡くなってしまったんだ。どうして私も地界に降りなかったんだろう――あのときは本気で後悔したよ」
苦悶に満ちた表情で天龍様がわたくしを見つめる。なぜだろう――その理由がわたくしにはなんとなく理解できた。
「わたくしが『神華』で天龍様が『神龍』なのですか?」
「そうだよ。私は神華に再び会うため、神龍の記憶を持ったまま生まれ変わった。だから、神華の魂を――地界で君を見つけたときは、本当に嬉しかったんだ。そして、こうして地界に降りれるようになるまでの22年間は、おそろしいほどもどかしかった」
天龍様がわたくしを撫でる。温かくて、ドキドキして。だけど、その分だけ罪悪感を覚えてしまう。
(天龍様は記憶を打ち明けてくださったのに、わたくしは彼のことをちっとも思い出せない)
誰かに求めてもらえること、愛してもらえることはこの上なく嬉しい。当然だ。何年もの間、叶わぬ恋に身を焦がしていたんだもの。
だけど、本当は人違いなんじゃないかって。
わたくしには、誰かに愛してもらうような資格なんてないんじゃないかって。
あとから間違いだってわかって、捨てられてしまうんじゃないかって。
――――そういうことを考えてしまう。
それに、天龍様は一途にわたくしを思ってくださっていたというのに、わたくしは龍晴様に惹かれていたんだもの。そんな女性で本当にいいのだろうか?
「桜華は私たちの子孫に――龍晴に惹かれているのだったね」
「……!」
知られていた。天龍様に。
わたくしが、龍晴様を想ってきたということを。
もしかして、天界というのは地界のできごとすべてを見ることができるのだろうか? わたくしは驚きに目を見開きつつ、静かにうなずく。
「すみません。わたくし……」
「謝る必要はない。当然のことだと思うよ。彼には私の面影がある――――相当薄くはなっているが、私の遺伝子を受け継いでいるのだからね。だからこそ、桜華は龍晴に惹かれたんだ」
天龍様はそう言って静かに息をつく。わたくしは思わず目を瞠った。
「それから、あの子はあの子で君の中に神華の――母親の面影を見たのだと思う」
「え?」
龍晴様が? わたくしが首を傾げると、天龍様はコクリとうなずいた。
「桜華は龍晴にとって、決して汚してはならない聖域。誰よりも愛しく、誰よりも尊い。けれど、女性として愛することはできない――――そういう存在なんだと思う」
「そう、ですか……」
悲しいかな。天龍様の仰りたいこと、なんとなくわかる気がする。
龍晴様が口にする『愛している』はいつも、わたくしの求めている感情とは違っていた。彼がわたくしをそういう対象として見れないということは、薄々感づいていた。
だから、これから先、どんなに頑張ったって、龍晴様はわたくしのことを本当の意味で愛してはくれない。しがみついたところで意味もない。一方通行の恋心。だったら――――
「あの……わたくし色々と混乱していて。天龍様の仰ることをきちんと理解できていないと思うんです」
もしかしたら、これは自分に都合のいい夢なのかもしれないって、まだ心のどこかで思っているし。わたくしの前世のこと――――神華について、納得いくまで調べてみたい。そもそも、今日の今日で天龍様の手を取るのも、なんだか違う気がするし。
「わかっている。私はなにも無理やり君を連れて行こうとは思っていない。きちんと桜華自身が納得したうえで、私についてきてほしいと思っている。もちろん、絶対に私を選んでもらうつもりでいるし、できる限り早く桜華と一緒になりたいけれど」
指先に軽く口づけられ、身体が大きく跳ね上がる。天龍様はクスクスと笑いながら、今度はわたくしの額に口づけた。
「明日、またこの時間にここで会えるだろうか?」
「はい、必ず」
わたくしが返事をすれば、天龍様は微笑み、それから身を翻す。
するとその瞬間、天龍様がいたところに、大きな白銀の龍が現れた。
「え? もしかして……天龍様?」
肯定の意だろうか? 龍はグルルと喉を鳴らし、わたくしにそっと頬ずりをする。それから、静かに天へと舞い上がった。
それは、夜明けにはまだ早い時間。けれど、天龍様の周りに星の光がキラキラと集まり、空が白んだ。
(皇族に龍の血が流れているというのは本当だったのね)
優雅に空を飛ぶその姿は神秘的で、あまりにも美しくて、なんだか涙が滲んでくる。まるで、人々の願いを叶える流れ星のよう――そんなことを思ってしまう。
天龍様が見えなくなったあとも、まるで魔に魅入られたかのように、わたくしはずっと、その場に立ち尽くしていた。
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