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5.変わる朝、変わる二人
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目を開けて、ゆっくりと身を起こし、辺りを見回す。
光の差し込む私室、いつもとなんら変わらない朝がそこにはあった。
(やっぱり、夢だったのかしら)
きっとそうに違いない。だって、あまりにもわたくしに都合がいい、幸せな夢だったんだもの。
わたくしが初代皇帝の生母の生まれ変わりだなんて――自分にそんなだいそれた前世があるなんて、生まれてこの方感じたことはない。
それに、あんなに美しい人が――天龍様がわたくしを愛してくれるだなんて――本気で夢を見すぎだ。
ため息をつき、寝台から降りる。すると、わたくし付きの侍女たちがすぐにやってきた。
「おはようございます、桜華様」
顔を洗い、段々と意識が覚醒してくる。
こうして侍女がついていようと、わたくしはただの後宮の管理人。妃に選ばれた女性たちとは違い、本当の意味で龍晴様の愛情を知ることはない。もしも後宮を出ることを許されなかったら――――一生、知ることはないのだろう。
「あの……桜華様、お召し物になにかついているようなのですが」
「え?」
なんだろう? 思わず目線を下げると、胸元でなにかがキラリと光る。
「まぁ……なんと美しい」
それは赤子の手のひらほどの大きさの、見たこともないなにかだった。色は乳白色で、まるで宝玉のような美しい螺鈿様の光を放ち、とてもなめらかな手触りをしている。下手に触れると割れてしまいそうなほど繊細な見た目をしていて、その実驚くほど硬い。
(一体いつの間に……?)
そう考えたそのとき、ふと昨夜の記憶が蘇ってくる。この世のものとは思えないほど美しい、白銀の龍とのやりとりが。
(もしかして……)
これは、天龍様がわたくしに残したものなのだろうか? 昨夜の出来事は夢ではないと。わたくしにそう実感させるために。
(本当に、そうだったらいいのに)
龍の鱗を抱きしめて、わたくしはギュッと目をつぶる。
「失礼いたします、桜華様」
そのとき、部屋にいたのとは別の侍女から声をかけられた。気を取り直し、姿勢を正す。
「とうしたの?」
わたくしが尋ねれば、侍女は深々と頭を下げた。
「今から陛下がこちらにいらっしゃるとのことで、先触れがございました」
「陛下が?」
こんな早朝に、一体どうしたのだろう? 首を傾げるわたくしに、侍女は困惑した様子でコクリとうなずく。
「桜華様と一緒に朝食をとりたいとの思し召しだそうです」
「わたくしと?」
龍晴様の朝食は、閨をともにした妃ととるという慣習がある。もちろん、公務の都合で朝食をとらずに本殿に戻られることもあるけれど、その際はわたくしの宮殿に立ち寄ることもない。こんなこと、本当にはじめてだ。魅音様の宮殿で、なにかトラブルでもあったのだろうか?
「理由はよくわからないけれど、急いで準備をしなければならないわね」
たとえ慣習とは違っても、皇帝の言うことは絶対。誰も異を唱えることはできない。
わたくしの言葉に、侍女たちの目の色がサッと変わる。わたくしは急いで身支度を整えた。
***
「おはよう、桜華。今日も桜華は誰より美しいね」
「龍晴様、おはようございます」
少しだけ身構えていたものの、龍晴様はいつもと同じ、朗らかな笑みを浮かべていた。むしろ、いつもより上機嫌かもしれない。内心で困惑しつつ、わたくしは深々と頭を下げた。
「朝食をともに、とうかがっておりますが」
「うん。桜華は私にとって特別な女性だからね。一緒に朝食を食べたら幸せな気持ちで一日を過ごせるだろうと思ったんだ」
「それは……光栄です。ありがとうございます」
魅音様がなにかやらかしたのかとハラハラしていたけれど、そういうわけではないらしい。
(よかった。昨夜の相手に彼女を推薦したのはわたくしだもの)
わたくしはホッと胸をなでおろした。
とはいえ、当の魅音様は今頃相当イライラしていることだろう。無理もない。本来ならば、自分が龍晴様と食事をするはずだったんだもの。その機会を奪われたと逆恨みをされる可能性だってゼロではない。龍晴様本人に文句を言えるはずがないのだし、怒りはわたくしに向かうはずだ。
女の自己顕示欲と嫉妬ほど、醜く面倒なものはない。まあ、わたくし自身がものすごい嫉妬心にまみれているからこそ余計にそう思うのだろうけど。
「そういえば、今日は最初から名前で呼んでくれるんだね。嬉しいよ」
「え? あ……そういえば、そうですわね」
指摘をされてはじめて気づいた。いつもいつも、龍晴様の想いを確認したいがために、わたくしは『陛下』って呼ぶようにしていたから。
「桜華もようやくわかってくれたんだね。私にとって、君がどれだけ特別な存在か。愛しく思っているか」
龍晴様が嬉しそうに目を細める。
だけど、わたくしが龍晴様を名前で呼んだ理由はきっとそうじゃない。むしろ逆だ。
わたくしは、龍晴様の特別になれないと悟ったからこそ、彼の想いを確かめることを無意識のうちにやめたんだと思う。
「――本当に、桜華は私のことをよくわかっているね」
龍晴様がわたくしを撫でる。けれど、いつもほど複雑な気持ちにはならない。
(龍晴様がわたくしにくださる愛情は、子が母親に向けるたぐいの愛情……)
昨夜はよくわからなかったけれど、本人を目の前にすると、どこかしっくり来る。彼はわたくしを、母親や妹のように思っている。だからこそ、決して手を出そうとはしない。そういう対象に見ようともしない。けれど、とても大事にしてくれている。
「ありがとうございます、龍晴様」
ずっと龍晴様が『わからない』と思っていた。だけど、天龍様と出会ったことで、ようやく少しだけわかるようになった気がする。
素直な気持ちを伝えれば、龍晴様は目を丸くし、どこか困ったような表情を浮かべる。
「朝食にしましょうか」
「……ああ」
心の靄が少し晴れた心地がしながら、わたくしたちは朝食の席につくのだった。
光の差し込む私室、いつもとなんら変わらない朝がそこにはあった。
(やっぱり、夢だったのかしら)
きっとそうに違いない。だって、あまりにもわたくしに都合がいい、幸せな夢だったんだもの。
わたくしが初代皇帝の生母の生まれ変わりだなんて――自分にそんなだいそれた前世があるなんて、生まれてこの方感じたことはない。
それに、あんなに美しい人が――天龍様がわたくしを愛してくれるだなんて――本気で夢を見すぎだ。
ため息をつき、寝台から降りる。すると、わたくし付きの侍女たちがすぐにやってきた。
「おはようございます、桜華様」
顔を洗い、段々と意識が覚醒してくる。
こうして侍女がついていようと、わたくしはただの後宮の管理人。妃に選ばれた女性たちとは違い、本当の意味で龍晴様の愛情を知ることはない。もしも後宮を出ることを許されなかったら――――一生、知ることはないのだろう。
「あの……桜華様、お召し物になにかついているようなのですが」
「え?」
なんだろう? 思わず目線を下げると、胸元でなにかがキラリと光る。
「まぁ……なんと美しい」
それは赤子の手のひらほどの大きさの、見たこともないなにかだった。色は乳白色で、まるで宝玉のような美しい螺鈿様の光を放ち、とてもなめらかな手触りをしている。下手に触れると割れてしまいそうなほど繊細な見た目をしていて、その実驚くほど硬い。
(一体いつの間に……?)
そう考えたそのとき、ふと昨夜の記憶が蘇ってくる。この世のものとは思えないほど美しい、白銀の龍とのやりとりが。
(もしかして……)
これは、天龍様がわたくしに残したものなのだろうか? 昨夜の出来事は夢ではないと。わたくしにそう実感させるために。
(本当に、そうだったらいいのに)
龍の鱗を抱きしめて、わたくしはギュッと目をつぶる。
「失礼いたします、桜華様」
そのとき、部屋にいたのとは別の侍女から声をかけられた。気を取り直し、姿勢を正す。
「とうしたの?」
わたくしが尋ねれば、侍女は深々と頭を下げた。
「今から陛下がこちらにいらっしゃるとのことで、先触れがございました」
「陛下が?」
こんな早朝に、一体どうしたのだろう? 首を傾げるわたくしに、侍女は困惑した様子でコクリとうなずく。
「桜華様と一緒に朝食をとりたいとの思し召しだそうです」
「わたくしと?」
龍晴様の朝食は、閨をともにした妃ととるという慣習がある。もちろん、公務の都合で朝食をとらずに本殿に戻られることもあるけれど、その際はわたくしの宮殿に立ち寄ることもない。こんなこと、本当にはじめてだ。魅音様の宮殿で、なにかトラブルでもあったのだろうか?
「理由はよくわからないけれど、急いで準備をしなければならないわね」
たとえ慣習とは違っても、皇帝の言うことは絶対。誰も異を唱えることはできない。
わたくしの言葉に、侍女たちの目の色がサッと変わる。わたくしは急いで身支度を整えた。
***
「おはよう、桜華。今日も桜華は誰より美しいね」
「龍晴様、おはようございます」
少しだけ身構えていたものの、龍晴様はいつもと同じ、朗らかな笑みを浮かべていた。むしろ、いつもより上機嫌かもしれない。内心で困惑しつつ、わたくしは深々と頭を下げた。
「朝食をともに、とうかがっておりますが」
「うん。桜華は私にとって特別な女性だからね。一緒に朝食を食べたら幸せな気持ちで一日を過ごせるだろうと思ったんだ」
「それは……光栄です。ありがとうございます」
魅音様がなにかやらかしたのかとハラハラしていたけれど、そういうわけではないらしい。
(よかった。昨夜の相手に彼女を推薦したのはわたくしだもの)
わたくしはホッと胸をなでおろした。
とはいえ、当の魅音様は今頃相当イライラしていることだろう。無理もない。本来ならば、自分が龍晴様と食事をするはずだったんだもの。その機会を奪われたと逆恨みをされる可能性だってゼロではない。龍晴様本人に文句を言えるはずがないのだし、怒りはわたくしに向かうはずだ。
女の自己顕示欲と嫉妬ほど、醜く面倒なものはない。まあ、わたくし自身がものすごい嫉妬心にまみれているからこそ余計にそう思うのだろうけど。
「そういえば、今日は最初から名前で呼んでくれるんだね。嬉しいよ」
「え? あ……そういえば、そうですわね」
指摘をされてはじめて気づいた。いつもいつも、龍晴様の想いを確認したいがために、わたくしは『陛下』って呼ぶようにしていたから。
「桜華もようやくわかってくれたんだね。私にとって、君がどれだけ特別な存在か。愛しく思っているか」
龍晴様が嬉しそうに目を細める。
だけど、わたくしが龍晴様を名前で呼んだ理由はきっとそうじゃない。むしろ逆だ。
わたくしは、龍晴様の特別になれないと悟ったからこそ、彼の想いを確かめることを無意識のうちにやめたんだと思う。
「――本当に、桜華は私のことをよくわかっているね」
龍晴様がわたくしを撫でる。けれど、いつもほど複雑な気持ちにはならない。
(龍晴様がわたくしにくださる愛情は、子が母親に向けるたぐいの愛情……)
昨夜はよくわからなかったけれど、本人を目の前にすると、どこかしっくり来る。彼はわたくしを、母親や妹のように思っている。だからこそ、決して手を出そうとはしない。そういう対象に見ようともしない。けれど、とても大事にしてくれている。
「ありがとうございます、龍晴様」
ずっと龍晴様が『わからない』と思っていた。だけど、天龍様と出会ったことで、ようやく少しだけわかるようになった気がする。
素直な気持ちを伝えれば、龍晴様は目を丸くし、どこか困ったような表情を浮かべる。
「朝食にしましょうか」
「……ああ」
心の靄が少し晴れた心地がしながら、わたくしたちは朝食の席につくのだった。
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