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10.一体いつからここにいたの?
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「では明日、またこの時間に迎えに来るよ」
天龍様がそう言って、わたくしの頭をそっと撫でる。
彼は地界を去る前に時間がほしいというわたくしのわがままを快く聞き入れてくれた。
「ありがとうございます、天龍様」
「いや、当然のことだよ。一度天界へ登ったら、中々こちらには来れなくなるからね」
天龍様によると、天界の住人にとって地界の空気は毒のようなものらしい。だからこそ、神華様は若くして地界で亡くなってしまったそうだ。
また、初代皇帝・地龍様が人間と同じぐらい長生きできたのは、彼が神華様のお腹の中で時間をかけて地界の空気に慣れたかららしい。とはいえ、本来天界の人々は400年ほど生きるそうで、天龍様に言わせれば相当な短命なのだそうだ。
そして、地界の住人であるわたくしが天界に行くことは、全くもって問題がないらしい。過去にも地界の人間を天界に連れて行った事例があるらしく、その人間は天界の住人同様400年近く長生きしたそうだ。
けれども、一度天界の空気に慣れると、地界の空気は毒になる。
それゆえ、天龍様について行くからには、滅多なことではこの地に戻れなくなるのだ。
(お父様やお母様にも手紙を残していきたいし、この身一つで天龍様のもとに向かうのも気が引けるから)
天龍様はきっと気になさらないだろうけど、これはわたくしのけじめみたいなものだ。
それに、色んなことがあったけれど、後宮のみんなに――龍晴様にひと言お礼が言いたい。
出会えて嬉しかったこと、彼のために働けて幸せだったこと。愛してると言われて嬉しかったこと、悲しかったこと――それらすべてを言葉にするつもりはないけれど、せめてひと言「ありがとう」と伝えたい。
(なんて、本当は『滅多なことでは戻れなくなる』んじゃなくて、龍晴様の元を去る以上、わたくしがこの地に戻ってくることは二度とないんだろうけど)
後宮から逃亡することは罪だ。
龍晴様の後宮でも3年前、妃の一人が後宮からの逃亡をはかり、後に死罪となったことがあった。
彼女には身分違いの恋人がおり、親のエゴで入内をさせられたものの、やがて耐えられなくなったらしい。人目を忍んで後宮から抜け出し、すぐに捕らえられてしまったのだ。
当時のわたくしは『嫌ならわたくしに代わってほしい』と何度も何度も思った。わたくしならば喜んでこの身を差し出すのに、と。
まさか、数年後に自分が同じことをするなんて、夢にも思わなかったのだけど。
「明日が来るのが楽しみだ」
天龍様がそう言って微笑む。わたくしは大きくうなずいて、天龍様に微笑み返した。
瞬きをしたその瞬間、天龍様は昨夜と同様、美しい白銀の龍へと早変わりしていた。
星が流れる。風が吹き、大きな龍が天へと登る。
その姿を見送りながら、わたくしは静かに息をついた。
「桜華様……?」
けれどそのとき、わたくしは思わずビクリとした。
背後から聞こえた男性の声音。彼はわたくしの名前をハッキリと口にした。
(誰? 一体いつからここにいたの?)
心臓がドクンドクンと鳴り響く。恐る恐る振り返れば、宦官の孝明がそこにいた。
彼は龍晴様が重用している若手宦官の一人で、後宮内の色んな仕事を任されている。わたくしの指揮監督権の範囲外だ。彼がどうしてここにいるのか、どんな任務を与えられているのかが、わたくしにはちっともわからない。
(落ち着いて)
彼に天龍様とのやりとりを見られたとは限らない。
わたくしは努めて冷静に、孝明に向かって微笑みかけた。
「あら、孝明。こんな時間に一体どうしたの?」
尋ねれば、孝明は一瞬だけ言葉に窮す。それから、穏やかに瞳を細めつつ拱手をした。
「わたくしはなかなか寝付けなかったため、散歩をしておりました。すると、こちらに向かって星々が流れるのが見えまして――その先に桜華様がいらっしゃったという次第です」
「あら、そうなの」
(――もしかして、わたくしを探していたのかしら?)
さすがは龍晴様のお気に入り。彼は決してポーカーフェイスを崩しはしない。
けれど、寝付けなかったという部分はおそらく嘘だろう。なんとなくだけれど、そういう印象を受けた。
「それは奇遇ね。わたくしも同じなの。寝付けずに宮殿を抜け出したら、流れ星があまりにも綺麗だったから」
彼の様子を見るに、わたくしと天龍様とのやりとりは――天龍様の姿は見られていないらしい。
それならなにも問題ない。きっと、このまま誤魔化しきれるはずだ。
だって、わたくしがここにいるのはあと1日。たったの1日だけなのだもの。
「そうでしたか。けれど、夜道は暗いですし、お一人で出歩かれては危ないですよ。こういうときは、わたくしや他の宦官にお声かけください。あなたは陛下の大事な女性。御身になにかあったら、一大事です」
「あら、ありがとう。けれど大丈夫よ。こういうことはもうしないし、今から宮殿に帰ろうと思っていたところだから」
「では、わたくしが宮殿までお送りしましょう」
孝明の言葉にうなずき、わたくしたちは踵を返す。
(気づかれてない……わよね?)
彼がどう感じたかはわからない。
けれど心配で、少しだけ心臓がざわめいた。
天龍様がそう言って、わたくしの頭をそっと撫でる。
彼は地界を去る前に時間がほしいというわたくしのわがままを快く聞き入れてくれた。
「ありがとうございます、天龍様」
「いや、当然のことだよ。一度天界へ登ったら、中々こちらには来れなくなるからね」
天龍様によると、天界の住人にとって地界の空気は毒のようなものらしい。だからこそ、神華様は若くして地界で亡くなってしまったそうだ。
また、初代皇帝・地龍様が人間と同じぐらい長生きできたのは、彼が神華様のお腹の中で時間をかけて地界の空気に慣れたかららしい。とはいえ、本来天界の人々は400年ほど生きるそうで、天龍様に言わせれば相当な短命なのだそうだ。
そして、地界の住人であるわたくしが天界に行くことは、全くもって問題がないらしい。過去にも地界の人間を天界に連れて行った事例があるらしく、その人間は天界の住人同様400年近く長生きしたそうだ。
けれども、一度天界の空気に慣れると、地界の空気は毒になる。
それゆえ、天龍様について行くからには、滅多なことではこの地に戻れなくなるのだ。
(お父様やお母様にも手紙を残していきたいし、この身一つで天龍様のもとに向かうのも気が引けるから)
天龍様はきっと気になさらないだろうけど、これはわたくしのけじめみたいなものだ。
それに、色んなことがあったけれど、後宮のみんなに――龍晴様にひと言お礼が言いたい。
出会えて嬉しかったこと、彼のために働けて幸せだったこと。愛してると言われて嬉しかったこと、悲しかったこと――それらすべてを言葉にするつもりはないけれど、せめてひと言「ありがとう」と伝えたい。
(なんて、本当は『滅多なことでは戻れなくなる』んじゃなくて、龍晴様の元を去る以上、わたくしがこの地に戻ってくることは二度とないんだろうけど)
後宮から逃亡することは罪だ。
龍晴様の後宮でも3年前、妃の一人が後宮からの逃亡をはかり、後に死罪となったことがあった。
彼女には身分違いの恋人がおり、親のエゴで入内をさせられたものの、やがて耐えられなくなったらしい。人目を忍んで後宮から抜け出し、すぐに捕らえられてしまったのだ。
当時のわたくしは『嫌ならわたくしに代わってほしい』と何度も何度も思った。わたくしならば喜んでこの身を差し出すのに、と。
まさか、数年後に自分が同じことをするなんて、夢にも思わなかったのだけど。
「明日が来るのが楽しみだ」
天龍様がそう言って微笑む。わたくしは大きくうなずいて、天龍様に微笑み返した。
瞬きをしたその瞬間、天龍様は昨夜と同様、美しい白銀の龍へと早変わりしていた。
星が流れる。風が吹き、大きな龍が天へと登る。
その姿を見送りながら、わたくしは静かに息をついた。
「桜華様……?」
けれどそのとき、わたくしは思わずビクリとした。
背後から聞こえた男性の声音。彼はわたくしの名前をハッキリと口にした。
(誰? 一体いつからここにいたの?)
心臓がドクンドクンと鳴り響く。恐る恐る振り返れば、宦官の孝明がそこにいた。
彼は龍晴様が重用している若手宦官の一人で、後宮内の色んな仕事を任されている。わたくしの指揮監督権の範囲外だ。彼がどうしてここにいるのか、どんな任務を与えられているのかが、わたくしにはちっともわからない。
(落ち着いて)
彼に天龍様とのやりとりを見られたとは限らない。
わたくしは努めて冷静に、孝明に向かって微笑みかけた。
「あら、孝明。こんな時間に一体どうしたの?」
尋ねれば、孝明は一瞬だけ言葉に窮す。それから、穏やかに瞳を細めつつ拱手をした。
「わたくしはなかなか寝付けなかったため、散歩をしておりました。すると、こちらに向かって星々が流れるのが見えまして――その先に桜華様がいらっしゃったという次第です」
「あら、そうなの」
(――もしかして、わたくしを探していたのかしら?)
さすがは龍晴様のお気に入り。彼は決してポーカーフェイスを崩しはしない。
けれど、寝付けなかったという部分はおそらく嘘だろう。なんとなくだけれど、そういう印象を受けた。
「それは奇遇ね。わたくしも同じなの。寝付けずに宮殿を抜け出したら、流れ星があまりにも綺麗だったから」
彼の様子を見るに、わたくしと天龍様とのやりとりは――天龍様の姿は見られていないらしい。
それならなにも問題ない。きっと、このまま誤魔化しきれるはずだ。
だって、わたくしがここにいるのはあと1日。たったの1日だけなのだもの。
「そうでしたか。けれど、夜道は暗いですし、お一人で出歩かれては危ないですよ。こういうときは、わたくしや他の宦官にお声かけください。あなたは陛下の大事な女性。御身になにかあったら、一大事です」
「あら、ありがとう。けれど大丈夫よ。こういうことはもうしないし、今から宮殿に帰ろうと思っていたところだから」
「では、わたくしが宮殿までお送りしましょう」
孝明の言葉にうなずき、わたくしたちは踵を返す。
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彼がどう感じたかはわからない。
けれど心配で、少しだけ心臓がざわめいた。
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