【完結】サファイア!〜リボンの棋士はあきらめない〜

四条 京

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第三局

☖ お父さんは最強の棋士

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 ドライヤーで髪を乾かすのも、布団の準備も全部すませて、将棋が終わればあとは寝るだけというところまで準備は整った。
 盤駒の準備を終えた私たちは、互いに正座で向かい合う。

「手合いはどうする?」
「四枚……ううん、お前も前より強くなったやろうし、確かめてみたいな。二枚落ちでどうや?」
「うん。分かった」

 私の返事にうなずいて、お父さんは、飛車と角を自分の陣地から取り除いた。
 これは、将棋におけるハンデの一種。今回私たちが指すのは『二枚落ち』といって、強いほうが飛車と角の駒を使わずに指すんだ。
 今までは、飛車と角に加えて二枚の香車を使わない『四枚落ち』にしてもらうのが精いっぱいた。
 でも、今回は、それよりも小さなハンデで指してくれることになった。
 それが、嬉しい。
 それだけ私が強くなったって、お父さんが信じてくれているっていう証拠だから。

「ほんなら、やろうか。蒼輝の先手で」
「よろしくお願いします!」

 深々と頭を下げて、私はまず角道を開けた。続くお父さんも、角道を開ける3四歩と出る。
 6六歩、3三角と進んだ五手目、私はど真ん中の5筋へ飛車を振った。

「ゴキ中か。好きやなあ」

 小さく笑ったお父さんだけれど、すぐさまその表情は真剣なものに変わった。
 そして六手目、お父さんはとうとう自陣の飛車を振った。お父さんから見て左から四番目の筋へ。
 ――『四間飛車』だ!

「(きた……)」

 思わず、ごくりと生唾を飲む。
 お父さんの得意戦法、『四間飛車』。これは、振り飛車の中でも攻守のバランスが取れているとされる戦法。同時に、お父さんの得意戦法でもあるんだ。
 それを容赦なくぶつけてくる姿勢を見せつけられて、ぞわりと鳥肌が立った。
 怖いからじゃない。楽しみだからだ。
 お父さんと、二枚落ちのハンデはあるとはいえ、本気で戦うことができるのが、嬉しいからだ。
 どうして、私がこんなにも、お父さんと本気で戦えるのを嬉しいと思うのか。
 それは、お父さん――白銀飛鳥(あすか)が、職業としての将棋指し・プロ棋士だからだ。
 それも、ただのプロ棋士じゃない。
 お父さんは、将棋界に八つあるタイトルのうち、何と三つものタイトルを持っている。
 その中には、将棋界で一番強いと言われている、『竜王』っていうタイトルも含まれている。
 つまり、お父さんは、今の将棋界で一番強い棋士と言っても過言じゃないわけだ。

 そんな人の娘として生まれ育ってきた私も、物心ついたときから将棋に接してきた。
 お父さんの対局を見て、こんな強い将棋指しになりたいと思った。
 でも、それは理由の半分だ。
 私が将棋を始めた、もう半分の理由は……


「負けました」
「はい、ありがとうございました」

 自分の玉の詰みを読み切ってしまったところで、投了の意思表示をする。
 これでもかなり頑張ったほうだと思うけれど、思うように攻めきれなかったし、お父さんの攻めは受けきれなかったしで、かなり悔しい終わり方になってしまった。
 ううう、せっかく二枚落ちにしてもらえたのに……
 投了図を見ながらしょぼくれる私に気を遣ってか、お父さんが盤面を最初の形に戻し始めた。感想戦をしよう、っていう、無言の誘いだ。これ幸いと、私も黙って自分の駒を元に戻すことにした。

「相振り飛車は、対居飛車よりも出にくいパターンやからなあ。慣れへん形でやりづらかったか?」
「うん。全然思うように攻められへんかった」
「まだまだ勉強の余地ありってことや。精進しい」

 お父さんが、くっくっ、と笑いながら、私の指した緩手や悪手を次々と指摘していく。
 まだまだ指し慣れていない形だから、勘だけを頼りに指した部分が多いっていうことが、お父さんにはバレバレだったみたいだ。
 同じ相振り飛車の将棋でも、今日ウィリアムズ君とやった時は勝てたのに。
 ううう、すっごい悔しい!

「……まあ、でも」

 ふと、お父さんが駒を動かす手を止める。

「強なったなあ、蒼輝」
「えっ」

 ど、どうしたんだろう、急に。
 いきなりほめられたから、嬉しいというよりも、びっくりしてしまう。

「嘘やん。だって、ハンデもらっても勝たれへんのに」
「そら、まだまだ二枚落ちでお父さんに勝てるようなレベルやないけどな」

 そりゃあ、将棋界最強のタイトルホルダー相手じゃねえ……

「けど、確実に指し回しは上手くなっとるで」
「そうかなあ」
「そうや。攻めもよかったけど、粘れるようになった。前なんか、相振り飛車になったらもっと早く投げとったやろ」
「それは……そうかも」

 確かに、今までの私だったら、相振り飛車に限らず研究が行き届いていない戦型になった時点で、考えるのをほとんどあきらめてしまっていたと思う。
 でも、今日はそうじゃなかった。
 結果としては負けてしまったけれど、しっかり詰みまで指すことができた。
 ウィリアムズ君と指したあの将棋が、「相振り飛車になっても対応できる」っていう自信をくれたんだと思う。
 お互い、拙いながらも全力でぶつかりあった、熱い対局。思い返すと、ついつい頬がゆるむ。
 そんな私を見て、お父さんは何を思ったのだろう。

「……なあ、蒼輝」
「なに?」

 私の名前を呼ぶ声はどこか固くて、それが不思議で首を傾げる。

「お前、そろそろ受けてみいひんか。研修会試験」

 ――研修会試験。
 その言葉を聞いた瞬間、ざわりと心が波立つのが分かった。

 研修会っていうのは、プロ棋士や女流棋士を目指す人たちの養成機関のことだ。そこに入るには、大阪にある将棋会館で開かれる試験に合格する必要がある。
 でも、合格できれば、学校のクラブや町の道場に集まる人たちよりも強い人たちと、たくさん将棋を指すことができる。
 もしかしたら、本当に女流棋士になれる可能性だってあるかもしれない。
 お父さんは、いわば、そのチャンスをつかむためのチャンスを、私に示してくれたのだ。

 けれど私は、お父さんの言葉に、素直にうんと言えなかった。

「な、何で?」

 思わずつっかえながらたずね返せば、お父さんは気まずそうに頭をかく。

「いや。お前、お父さんと二枚落ちで指せるぐらいにはなったやろ? 勝てるか勝てんかは別としても」
「まあ、一応……」
「お前はもう、十分実力があると思うんや。同年代の子にはそうそう負けへんぐらいに」
「……うん」
「せやから、お前にその気があるなら、受けてみたらええと思うんや。試験を。師匠にはお父さんがなったるから」

 研修会の入会試験を受けてみてもいい。
 しかも、お父さんが――現役最強の棋士が師匠になってくれる。
 破格すぎる条件付きの提案なのに、私はどうしても、それを嬉しいと思えなかった。
 口の中がカラカラに乾いて、妙に心臓がバクバクする。
 もうずっと前にかけられた、厳しい言葉が、頭の中でふいによみがえる。


『ほんなら、将棋なんかやめてしまい。あんたは将棋指しに向いとらんわ』


「……ごめん、お父さん」

 何とか返事をした私を見て、お父さんは悔しそうな、どこか悲しそうな表情をする。
 けれど、それ以上何を言っても、私が答えを曲げないことも、分かっていたんだろう。

「そうか」

 それだけ言って、お父さんは、盤と駒をさっさと一人で片付けてしまった。

「明日も学校やろ。はよう寝なさい」
「……うん。おやすみ」

 ぼそぼそとそう言って、振り返りもせずに和室を出る。
 せっかく二人で将棋を指せたのに、もやもやした気持ちを抱えたまま、その日は眠りについた。
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